112. 京子の思惑
夜。学園内にある建物の一室。
まるで一流ホテルのような場所でった。部屋は広く、壁はシミ一つない乳白色で、天井にはシャンデリア。床は落ち着いた薄茶色のカーペットが敷かれており、ベッドやソファー、テーブルなどの家具類も一目で高価だと分かるものだった。
ここは、長期間学園に滞在する者のために作られた部屋だ。貴賓室ならぬ貴賓宿といえばいいのだろうか。
その部屋の
美しい髪であった。さらさらとした黒髪には枝毛一つなく、そのつややかさは天使の輪ができるほど。己の容姿に自信のある京子であるが、その中でも髪には特に自信を持っている。湯あみを終えた後、こうして念入りに手入れさせるのが京子の日課であった。
「お嬢様。本当によろしかったので?」
ふと、髪を梳きながら問いかけてくる美久。何を聞きたいかは大体察しているが、京子はあえて知らないフリをする。
「うん? 何のこと?」
「木原純花の事です。接触自体はまあ仕方ないでしょう。向こうから来たんですし。ですが、その後の対応は……」
まずいのでは? そんな声色をする美久に、京子はふっと笑う。
「心配あらへん。今は非常事態やもの。クラスメイト同士、協力し合わんと」
「確かに異世界なんてトンデモ状態ですけどぉ。誰かに見つかったらどうなるか」
「言わな分からへんよ。ここにおるのは私と美久だけ。黙っとればええだけや」
そう返すも、美久は「ですけどぉ……」と気が乗らない様子だ。
気持ちは分からなくもない。主家に生まれた自分と違い、彼女は従者だ。罰せられる場合、京子よりも重い罰を与えらえるだろう。
「大丈夫。仮にバレたとしても、お父様も許してくれはる。むしろここで非協力的になって向こうさんの不興を買う方が問題やと思わへん?」
「そうかもしれませんけどぉ。それでなくとも私は関わりたくないです。だって腹パンですよ腹パン。もう痛いのは嫌ですぅ」
ぶー、と口をとがらせる美久。
確かに、純花の腹パンは一部で非常に恐れられている。威力のみならず、被害者の名誉まで奪っていく最悪なオマケまでついているのだから。その話を聞いた際、京子は恨めしく思いながらも同情してしまったくらいだ。
だが、美久は女――それも“影”の者だ。痛いから嫌など許される事ではない。能力はそこそこ優秀なのにこの軽い性格はどうにかならないものか。伝説の影の姪とは思えない。京子はハァ、とため息を吐いた。
「というかお嬢様。腹パンも嫌ですけど、お嬢様もです。絶対それ以上の事も狙ってますよね?」
「うん? 何のこと?」
「お嬢様の事ですから、『大チャンスやんけ! 自分の派閥に取り込んだろ!』って考えてるに違いありません。むしろ考えてない方がおかしいです」
妙な関西弁は置いといて、流石は長い付き合いというべきだろうか。一部とはいえ考えを読まれている。京子は「ふふっ、やっぱり分かる?」と黒い笑みを浮かべた。鏡越しにその表情を見た美久は、「勘弁してくれよぉ」という感じの嫌そうな顔になる。
「や、やめましょうよお! 相手は木原純花ですよ! 日本中どころか世界中から睨まれてる存在じゃないですかぁ!」
「だからこそ、や。誰の目もないこの場所。バレる事はまずない。異常事態だから協力しあって、結果として
「うわー、お嬢様ってば思ってもない事言い出しましたよ。隙あらばお館様に取って代わろうとしてるクセに」
にっこりと笑う京子に、美久はさらに嫌そうな顔で言った。
元より安定志向の強い彼女である。なし崩し的に派閥に入らせた今も、こういうハイリスクな真似は好まないのだろう。本人曰く、「白ご飯とBLさえあれば生きていける」らしいのだから。BLというのはよく知らないが。
「大体、お嬢様の思うような存在かも分からないんですよ? 親の素質を受け継いではいるっぽいですけど、もし……」
「ふっ。ま、お父様にとってはそうやろうけど……所詮はロートル。現状維持しかできへん者が過去に囚われているだけ。うちにとって価値があるのならどちらでも構わへん」
京子は冷たい目になりながら自身の父親を思い出す。最強の異能者。裏切った救世主の代わりに世界を救った者。いや、救えなかった者。
その失敗を自分が成功に変えたとしたら? 世界は真に救われ、ありとあらゆる者が近衛京子を称えるだろう。そして……
「お父様、楽しみにしててなぁ。うちがぜぇーんぶ持ってってあげるから。くふ、くふふふふふ……」
京子は心底楽しそうに笑った。
異世界に来て、世界を救うチャンスを得た。レアスキルという力も得た。さらには木原純花に接触できるというまたとない機会にも恵まれた。最強クラスの素質を持ち、世界から恐れられている存在。美久の想像通り手ごまにする価値は非常に高い。
が、京子には別の思惑もある。美久どころか誰にも気づかれていない思惑。むしろこちらの方が本命といっていい。
(あの方の娘……。正直羨ましい気持ちもあるけど……)
京子の慕う人。その娘という事実が絶対的な価値を持つ。この機会逃すなど絶対に考えられない。
彼女は思い出す。幼い頃、一度だけ見た光景。世界が祝福し、喜びの歌声を上げているようだった。その感動を再び味わいたいが故に様々な音楽に触れてきた彼女であるが、あれほど素晴らしいものは終ぞ見つからないでいた。
(ああ、また聴かせてほしい……。あの美しくも理不尽な歌を。そして……)
黒い笑みは収まり、ほう、とうっとりした吐息を吐く京子。何度思い出しても心が暖かくなる。もうずいぶん前の事なのに、あの時の記憶はちっとも色あせておらず、自分に喜びを与えてくれる。
そんな風に京子が浸る中、美久がため息をつきながら言う。
「はぁ……。どうせ止めても聞かないんでしょうし、逃げられないですし、手伝いますけどぉ……。けど、出来るんですか?」
「何がや?」
「木原純花、どうもあのピンク女を大事にしてるっぽいじゃないですか。つまりあの女とも上手くやらなきゃいけないんですよ? お嬢様に出来ます?」
美久の指摘。その言葉に京子はひくりと目元を引くつかせた。
腹立たしい女。下賤な存在のクセに、自分を叩き、馬鹿にした女。生まれながらに尊い自分をだ。許せるものではない。純花がいなければ無礼打ちさせていたところだ。
そんな女と上手くやらなければならない。あの下賤な山猿と。立ち振る舞いはお嬢様ぶっているが、海千山千の狸と接してきた自分には分かる。アレは演技だと。中身は山猿だと。
数秒前とは一転、怒りに襲われる京子。しかし目的の為なら我慢せねばならない。「純花のおまけ」と考えれば多少はこらえられる。
それに、大事にしているかもしれないが、せいぜい三カ月程度の仲。自分の方が価値があると分かれば自然と離れるだろう。そしてその時は……。
「うん?」
ふと、髪を梳く手を止める美久。どうしたのだろうと鏡ごしに見ると、彼女は窓の外へと目を向けていた。
「美久? どうかしたん?」
「音がします。これは……」
警戒した様子を見せる美久。
彼女と同じく、窓の方に目を向ける京子。そこには――
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