フルコース②・月読廉

 世間といっても、主に月読廉つくよみれんの住んでいる地域周辺で最近、行方不明者が増えているという噂を耳にした。しかし、周辺で行方が分からなくなった人間はおらず、それはただの噂なのだと思っていた。

 大きな事件等もない平穏でどこにでもある街。そこに先日、とんでもない事件が舞い込み地域のみならず全国をも震撼させた。

 ――結婚式間近の夫が妻を食べた。

 事件の内容は、結婚式を目前に控えた夫婦の間で起こった猟奇的事件。結婚式前日に双方の家族も交えて打ち合わせ予定だったが、当日になっても夫婦は姿を現さなかった。連絡も取れないことから双方の両親が心配して自宅マンションの一室を訪ねたことにより事件は発覚。部屋はいたるところ血まみれで、夫の小日向一也は風呂場で首を吊って死んでいた。妻である花菜の姿はどこにもなく、ただテーブルの上には血で書き殴ったような遺書が残されていた。


『ごめんなさい、ごちそうさま。』


 警察は妻の行方を捜していたものの、それはすぐに打ち切られた。夫を司法解剖した結果、胃の中から妻の肉片が発見されたからだ。〝某カニバリズムの再来〟――と、新聞だったかネットニュースで大きく揶揄されタイトル付けられた。

 連日、テレビやネットで報じられており、いま最も話題だ。廉も仲の良いグループ内でこのニュースについて、報じられた当初は講義そっちのけで話題にしたものだ。


「人間って美味しいのかな?」


 講義中、隣の席に座っている幼馴染兼親友の朝日健一あさひけんいちが小声で言った。ノートに書き留める気すらないのか、へのへのもへじ、とラクガキし、時折シャープペンシルを置いては机の下に隠してあるスマートフォンを操作している。

 中年男性の癖にまるで女性のように高い声で講義を続ける講師をぼんやりと見ながら、あー、と何かを思い出したかのように廉は呟くように返した。


「美味しいらしいよ」

「えっ、マジ? つか、食ったことあんのかよ」

「そんなわけないだろ……」


 ため息をこぼしつつ続ける。


「イギリスかどっかのテレビ番組で食ったらしいよ」


 日本のバラエティ番組で紹介された、海外の衝撃実証番組。番組司会者が専門家指導・付き添いのもと、自身の臀部の肉をほんの少しだけ切ってステーキにして食べたのだ。幼い頃にテレビで観た記憶の為、正直定かではない部分もあるが、食べたというところだけかなり印象深く残っていた。

 適当に相槌を打つ健一だったが、声音で随分と興味を持ったのがわかる。何故いまさら幼い頃に観た断片的な記憶の番組を思い出したのか。原因はもちろん、先日の事件の所為だ。ちょっとした好奇心で例の番組をインターネットで探してはみたものの、衝撃的な内容も含めて紹介をされていたからか、すべて削除され視聴することはできなかった。しかし、観なくて良かったかもしれないと密かに安堵していた。同じ人間を食べるなんて非人道的であり頭がどうにかなってしまった鬼畜な所業であると自己完結した。


「まあ、人間が人間を食べるとかほんと無理。気持ちわりぃ」


 うえっと健一は顔も使って表現すると、それな、と廉も静かに同意した。

 自分が話した内容だったが嫌な気分となった為、何気なく視線を壁際へと向ける。

 やはり今日もいつもの席に彼女の姿はない。

 残念そうに大きく息を吐き視線を戻す。目の端でニタリと健一は笑っていた。


「今日もムス子・・・、来てねぇな」

「……おう」

「彼氏でも出来たのかね?」

「いやいや、ムス子に限ってそれはないだろ」

「廉ちゃん、断言出来ンの?」


 健一の問いに言葉が詰まる。ムス子というのは先程、廉が視線を向けた先にいつも座っている女性のことだ。席の端っこでいつもムスッと顔を顰めて講義を聞いてることから、健一が名付けたあだ名だ。本当の名前は立花結たちばなゆい。――そういえば最近どこかでその名前を見たような気もしたが……恐らく気のせいだろう。


「お前さ、ムス子の何処が良いの? この前こっぴどく振られてたくせに」

「振られてねーよ。つか、告ってもねぇし。好きとも言ってねぇしっ」

「LINE交換しようって誘ったのを断られたって、振られたって言わね?」

「言わねぇ。絶対言わないね。後、別にムス子のことなんて好きでもなんでもねぇし」

「やだ何この童貞、ムキになってかぁわいい~」

「殴るぞ。つか、お前だって童貞だろ。殴るぞ」


 二度同じ言葉を繰り返すと、これは警察案件ッ! と健一は両頬を手で押さえてキャーッと小さく悲鳴を上げる。逃げるようにして体を横に一寸だけ反らした。まったくもってこの幼馴染は人の堪忍袋の緒を切るのが大得意なのだから困ったものだ。ノートを書き写す手をいったん止めて健一を呼んだ。


「なあ、今から表の空気吸いに行かね?」


 指の関節を鳴らしながら言うと、健一はにこりと笑顔。


「やだデス」


 小声で話していたつもりがいつの間にか普通のトーンになっていたらしく、教壇から激しい咳払いが聞こえてきた。これはまさに廉と健一に向けてのものだろうが、二人の周りで講義を聞いていた者達は途中から会話に耳を傾けていたのか、くすくすと忍んで笑っている。

 心の中で講師と笑っている者と違いこちらを睨んでいる者達に密かに謝罪していると、とんとんと健一が肘でつついてくる。何だと横眼で睨むとノートを指さされた。


『ムス子のどこがいいのかわかりません』


 しつこいと思いつつ、ペンケースから赤いサインペンを取り出しノートに返事をした。


『一生わからんでケッコウです』


 すると、おう……、と言葉で返ってきた。


「オレ、ムス子よりニュースで出てた奥様の方が好み」


 夫食べられた妻の顔が最高に可愛いと健一は言っていた。確かに報道番組等で映し出されていた学生時代の写真は可愛らしい顔ではあったが――今では大変不謹慎すぎる話の為、健一の肩を軽く引っぱたいた。すると、教壇から再び激しい咳払いが聞こえてきた。


 ある日の正午。バイトまで時間がある為、駅前にあるカフェチェーン店で時間を潰していた。浅い眠りから覚め時刻を確認すると、まだそれほど経っても居ない。健一と過ごすかとも考えたが、確か昼過ぎまでコンビニでバイトだ。ただ、客の出入りによっては残業になるため、終了時間はわかっていても正確ではない。廉は居酒屋のホールバイトをしており、今日もシフトが入っている。上がるまで待っているのも良いが、正直、腹が減っている。此処でパンを食べても良いが、先日、全種類を制覇してしまったのでどうも食べる気にはならなかった。

 ふと、何気なく大学で耳にした〝噂のレストラン〟にでも行ってみようかと思った。リーズナルブルで美味しいフルコース料理が食べられ、場所も案外近いところにあるという。店の名前はうろ覚えではあったものの検索機能に打ち込み、スペースをあけてレストランと入力をするとすぐに出てきた。評価を現す星の数も多くて高い。廉は軽く息を吐くと席を立ち、さっそくレストランへと向かうことにした。

 しかし、レストランはネット検索でも表示されホームページもあるのにナビ機能だけが反応しない。何だこれ? と首を傾げつつも、好奇心が勝り、大体の住所地がどの場所なのかは知っている為、徒歩で向かうことにした。歩いて約十分、迷わず行ければの話だが。タクシーを使うことは端から考えてはいなかった。歩いて行ける距離であれば、タクシー代を食事代に使いたい。

 あまり行かない場所の為、案の定、道に迷っていると、何処から現れたのか黒猫が目の前に居た。にゃー、と猫は鳴くと、廉を眇め見るなりてくてくと前を歩き始める。

 付いて来い、と言っているのだろうか。立ち止まったままでいると、にゃー、と猫は振り返り一鳴きする。やはり付いて来いと言っているらしかった。猫の道案内とはなかなかオツすぎるのではないかと思う。

 大人しく猫の後を付いていくと、数分と掛からずに到着した。住宅街から離れた場所にぽつんと佇む小さな洋館。その様子はどこかオカルトっぽくも感じる。これはいつか動画配信サイトで生計を立てている者達が嗅ぎつけて面白可笑しく配信とかをしそうだ。

 此処まで道案内をしてくれた猫に礼を言おうと視線を下げたが、猫の姿はどこにもなかった。惜しいことをしたと思う。道案内する猫とタイトル付けて動画の一つでも撮ってSNSに上げれば爆発的に拡散され一躍有名になっていたかもしれない。

 後悔をしても後の祭りだ。肩を落としつつ威厳のある門を開けて中へ入る。繊細なタッチで施された装飾に目をやりつつ、双頭の鳥のオブジェを引いて店内へ足を踏み入れた。

 ふわりと漂う良い香りに、腹の虫が刺激されて大きく鳴く。店は繁盛しているらしく、テーブル席はすべて埋まっていた。みんな幸せそうに料理を食べて舌鼓を打っている。思っていたよりも店内は広く、洋館すげー、と辺りを見まわす。忙しなく視線を左右に動かしていると、奥からウエイターらしき男が出てきた。細身の長身に端正な顔立ちをしている。


「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか?」


 ウエイターの問いに頷けば、こちらへ、と案内される。ファミリーレストラン等で耳にする騒音は無く、食器音とクラッシック音楽だけが鼓膜を震わせていた。この店はかなり敷居が高かったかもしれない、と内心ひやりとし始める。しかし、きっとまあ何とかなるだろうと焦る気持ちを落ち着かせ、ウエイターの後についていった。

 案内をされたのは真っ赤な扉が目の引く奥の部屋。そこにも玄関と同じ双頭の鳥の飾りが付けられている。この洋館を作った人の趣味がわからず余計な一言を声に出しかけて黙った。ウエイターは扉を開き中へ入るように促す。部屋に入ると、大きめのテーブルに椅子が置かれてあるシンプルな個室だった。入店した時と同じように良い匂いが鼻腔をくすぐる。

 扉に近い方の席につくと、ウエイターが淡々とした口調で店のことを説明し始めた。


「当店にメニューはなく、フルコースのみとなっております。シェフが腕によりをかけて作るコース料理を是非お楽しみください」


 一呼吸開けてから、何かご質問等はございますか? とウエイター。頭を左右に振り、特にないと告げると、ウエイターは軽く一礼した。


「それでは、しばらくお待ちください」


 ウエイターが出て行くと、廉は空いている隣の席に背負っていたリュックを下ろし、ぼんやりと部屋全体を眺めた。広くもなく狭くもない個室。だが、一人だと心細い気持ちになる。BGMとして流れているクラッシック音楽は何という曲名だろうと考えるも、音楽専攻でもない為、良くわからない。クラッシックといえば中学か高校の時に授業で聞いた、シューベルトの魔王だけは深く印象に残っていた。日本語訳の歌詞が衝撃的だった。

 それにしても――料理が出てくるまでどれくらい時間がかかるのだろう。ウエイターに質問は無いかと聞かれた際、尋ねていれば良かった。フルコースと言っていたし、時間はかかるだろう。ゲームでもするかとリュックサックに仕舞っていたスマートフォンを取り出す。昨年からプレイしているアプリを起動した。もちろん健一も同じアプリを入れているのだが、レベルは同じで互いに協力をしたり競い合ったりしている。来週、新しいキャラクターが実装されるとネットでは噂になっているが……果たしてどうなのだろうか。もし二人の好きなキャラクターが新規グラフィックとともに期間限定で入るのなら間違いなく課金戦争が始まる。来て欲しいようで欲しくないような複雑な気持ちだが、健一なら迷わず課金するに違いない。キャラクター育成をしようとした時、部屋の扉が開いた。


「申し訳ありません、ただいま満席のため相席になってもよろしいでしょうか?」


 中に入って来たにはウエイターで、すまなさそうに問うてくる。一度、スマートフォンをスリープモードにしてテーブルの上に置いた。店内は確かに満員だったとを思い出し、相席でも大丈夫だと伝える。あまりコミュニケーションに自信はないが、一人で居るよりかはずっと良かった。ウエイターは小さく安堵の息を吐き礼を告げると、相席となる客を連れてきた。

 やって来たのは健一だった。


「あれ、お前、此処で何してンの!?」

「健一!? お前こそ何してるんだよ。昼すぎまでバイトだろっ?」

「あ、あー……いやさあ、実はちょっとやらかして……」

「何をやらかしたんだよ」


 ため息交じりに問うと、いやまあ、と先を濁し、健一は気まずそうに片手で後頭部を掻いた。


「ちょっと嫌な気持ちを忘れようと思って、美味いって噂の飯を食いに来たわけですよ」


 バイトを早く上がらされるということは、相当な事をしでかしたのだろうと察する。


「お知り合い、ですか?」


 ウエイターに尋ねられ、代わりに健一が元気に答えた。


「親友デス!」

「ただの腐れ縁です」

「照れるなよー本当のことを言っただけだろー?」


 唇を窄めて拗ねる健一に、無意識に頭を抱えて深く息を吐く。ウエイターはくすりと笑い、ごゆっくり、と一言残して去った。

 健一は前の席に腰掛け、ショルダーバッグを床に下ろす。それにしても偶然すぎるな~、と健一はお気楽な調子で言うが、廉としては内心驚きを隠せないでいた。スマートフォンを仕舞い、何をやらかしたのかと改めて問うも、健一は曖昧にごまかすだけで先を続けようとしない。頑なに答えるのを渋るあたり本当に大きな失敗をしたのだろう。親しき仲にも礼儀ありというやつだ、これ以上追及するのも悪いと思った矢先、再び扉が開いた。


「お待たせいたしました」


 銀色のカートを押してウエイターが戻ってきた。カートの上には前菜と銀のカトラリーが載っており、慣れた手つきで二人の前に並べていく。最後に封筒をテーブルの上を置くと、ウエイターは背筋を正した。


「それでは、ごゆるりとお楽しみください」


 料理も来たことだしさっそく食べようとしたが、待った、と健一が割って入った。


「食べる前にその封筒、開けてみようぜ」

「いや、そんなの後で良いだろ。俺、腹減ってるし……」

「そんな事言わずに、中に何が入ってるか見てみようぜ」


 封筒の中身がやたらと気になるらしく、健一は退かない。仕方がないと息を吐き、カトラリーへ伸ばそうとしていた手を動かして封筒に触れた。封を開けると二枚の手紙が入っていた。シェフからの手紙だろうか、一枚目の便せんには綺麗な字で綴られている。要約すると「テーブルマナーを守って食事を食べなさい」と書かれてある。何気なく一枚目の裏を見ると「残さずに食え」とも。何だこれ、とこぼしながら二枚目を見ると、テーブルマナーが分かり易く記されていた。手紙に一通り目を通した後、顔を顰める。健一以外に誰も居ないのだから、好きに食べても構わないだろうと思う。


「ちゃんとマナーを守って食おうぜ!」


 まるで心の中を読んだかのように健一は満面の笑みを浮かべて言った。どきりと心臓は跳ね、おう、とぎこちなく返事をする。しかし、テーブルマナーに自信はない。普通に食べないかという意を込めてちらっと健一に視線を向けるも、笑顔のままで応じる気はなさそうだ。口の中で軽く舌打ちすると、邪魔にならないところにテーブルマナーの手紙を広げた。


【アミューズ】


「前菜かな? それかアミューズって言った方が良いか」

「あみゅーず? 遊ぶところ?」


 聞きなれない言葉に首をかしげると、ちげーよ、と健一はケラケラと笑う。


「アミューズっつーのは、簡単に言えばお通し。まあ、つきだしのことだよ。前菜の前に出てくるやつ」


 一呼吸開けてから、へぇ、と相槌を打つ。ちらっと健一を見やると、器用にナイフとフォークを使い分けてアミューズを食べ進めていた。テーブルマナーをしっかりと守る姿に、正直、驚いた。廉の知っている健一は箸の持ち方も下手くそで、時々、周りに雀を呼んで来させた方が良いのでと思うほど食べ方が汚い。いつの間にマナーを会得していたのかと疑問に感じるが、この店に来るために一夜漬けでもしたかもしれない。その可能性は健一の性格からしてあり得るのだ。

 健一とは本当に腐れ縁で小学校の頃から一緒だった。だから、彼の性格は十二分に理解しているつもりだ。小中高と宿題なんて物は休みの終わる前日に泣きながら済ませるタイプで、手伝って~! と良く泣きつれた。面倒見の良い廉だから渋々手伝うのだが、健一の母親が鬼の形相で息子を叱りつけ、涙を流しながら宿題をしている健一の隣で黙々と作業をしていたのは今でも良い思い出だ。

 だから、見慣れない健一の姿を前に不思議と気が引き締まった。広げているテーブルマナーに視線を向けつつ料理に手を伸ばす。

 運ばれて来た料理――アミューズは、パテ・ド・カンパーニュ。皿の上にはふた切れの彩り豊かなパテとアクセント用のハーブ、つけて食べる用に少量の粒マスタードソースが皿の端に添えられている。四角いハムのようなパテを、ぎこちなくナイフを使って切った。健一の真似をしてフォークの背に切ったパテをのせて、ゆっくりと口の中へ運ぶ。

 ふわりとコンソメが香り、想像していたのとは違う滑らかな舌触りに驚いた。咀嚼するとピスタチオやくるみといった豆類の味も広がる。


「美味い。なあ、お前はどうよ?」


 健一に問われ、えっ、と咀嚼するのを止めゴクンっと飲み込んだ。美味い――とは思うが、自分好みの味ではなかった。


「まあまあかな」

「うっそ、マジで? ワイン欲しくならね?」

「いや、俺、下戸だし。後、お前もワインよりコークハイとかの方が好きだろ」


 数秒間を空けてから、まあな、と健一は頷き再び食べ進める。

 なんだか今日の健一はいつも以上に様子が違うように感じるが――きっとバイトの失敗が尾を引いているのだろう。


【オードブル】

 アミューズを食べ終え、テーブルマナー通りにカトラリーを空いた皿の横に並べて置く。ナイフの刃は内側に、フォークの刃は下側にし、何とかマナー通りにこなせた。目を閉じてふうっと深く息を吐く。空気を肺に取り込みつつ瞼を開くと、テーブルの上には新しい料理が並んでいた。空いた皿はいつの間にか消えており、ぱちぱちと瞬きを繰り返して健一に尋ねる。


「なあ……ウエイター、来た?」

「は? 何?」


 聞いていなかったのか、健一はきょとんとした色で首をかしげる。


「ウエイター、来たかって」

「どうだろう?」

「どうだろうって、皿が一瞬で消えて、新しい料理が運ばれて来てンだけど」


 おかしくないかと更に問うも、マジックがこの店の売りなんじゃね? と適当すぎる返事。いやいや、と言葉を続けようとしたが、本当に何も疑問に思っていないのか、新しいカトラリーを手にした健一に諫められた。


「せっかく新しい料理が出てきたんだし、早く食べようぜ。オレ、腹減ってンだよ」


 それは廉も同じだ。しかし、それにしても不可解な点がありすぎる。一瞬で消えて、一瞬で出てきた新しい料理――。


「ほら、早く食べようぜ」


 落ち着いた様子で料理を食べ始めた健一を前に、疑問に抱いている自分だけが変なのだろうか。この店は怪しすぎやしないかと脳裏で考えるのだが……密かな動揺を隠すようにて廉も同じくカトラリーを手に持った。

 次に運ばれて来たのはオードブル。グレープフルーツの中身をくりぬいて器としたカップサラダだ。サラダ菜、ヤングコーン、ミニトマト等、少し黄色に色づいたドレッシングがかけられ華やかに可愛らしく盛り付けられている。これは写真を撮るのが好きな女性達が大喜びしそうな一品だ。生憎、そんな面倒なことはしないが。

 瑞々しく、一目で新鮮だとわかる野菜達。ヤングコーンをフォークで刺してぱくりと一口。グレープフルーツの香りがふわりと鼻から抜けていく。健一にも聞こえてしまいそうなほど、シャキシャキと良い音が口の中で響いた。ドレッシングには甘みを引き出すためか塩が加えられているのだろうが、やや塩辛く感じた。


「うまっ。なあ、美味いよな?」

「え、ああ、うん。そうだな」

「なんだよ、気に入らないのか?」


 何故か健一はむすっとした表情を浮かべる。気に入らないというわけではないが、やはりこれも好みの味ではないのだ。


「まあ、人によっては美味いんじゃね?」


 ぶっきら棒に返すと、健一はそれ以上、何も言わなかった。


【スープ】

 前菜のサラダを食べ終えた後、やはり気になって瞼を閉じた。此処の中で、いち、に、さん――と数え、十、になると目をあける。

 案の定――新しい料理は目の前にあった。


「なあ……やっぱり、変だろ」

「何が?」


 ちょいと首をかしげる健一に廉は紡ぐ。


「何がって、料理がまた目の前に……」

「だからマジックだって。お前、気にしすぎ」


 肩を竦める健一に、お前は気にしなさすぎだろっ、と返す。


「早く食えよ。スープ、冷めるぞ」


 視線を落としほくほくと湯気の立つスープを見やる。恐る恐るスープ用のカトラリーを手にし、ちらっとテーブルマナーに目を向けた。

 スープはジャガイモのポタージュ。浅いカップに注がれたそれは、生クリームで花をモチーフにした模様が描かれている。マナー通りにスプーンを動かし口へ運ぶ。思っていたより熱くはなく、丁寧にこされているのであろう、滑らかな口当たりにジャガイモ本来の味とバターの甘みがふわりと広がり香る。


「あ……美味しい」


 ぽつりとこぼすと、健一は嬉しそうににこりと笑った。


【ポワソン】

 スープを飲み終え、再び瞼を閉じる。次は「五」になったときに目を開けた。果たして――料理はあった。新しい料理は魚料理だ。軽く辺りを見回すも、やはりウエイターの姿はない。代わりにテーブルの上にはマナーの横にメッセージカードが添えられていた。


「何だこれ」

「メッセージカード? 何て書いてあンの? 読んでくれよ」

「ええ……また俺かよ」

「いいから、いいから!」


 お気楽な調子で、はよはよ! と急かしてくる健一を軽く睨みメッセージカードを読み上げた。


『本日はタラを使用したムニエルです。アレルギーのある方はすぐにお取替えをいたしますのでお申しつけください』


 手紙に書かれてあった文字と同じ筆跡で綴られたそれは、恐らくシェフからのものだろう。視線を皿の上にやり、タラのムニエルねぇ、と心の中で呟いた。

 ムニエルにかかっているのはオレンジソースで、柑橘系の良い香りがする。タラの横には白いソーセージが二本。


「タラ……タラ……はっ。――ハーイ!」


 裏声で有名な国民的アニメの男の子のモノマネをした健一を冷静に見て、似ってねー……、と真顔で感想をこぼす。


「人がせっかくお前を元気づけようとしてやった渾身のモノマネを全否定するとは……流石だぜ」

「いや、訳がわからねぇよ。後、お前がやったのはタラじゃない」

「なん、だと……?」

「イクラの方」

「……まあ、それは置いといて」

「置いとくのかよ、自分でやった癖に」

「置いとくんだよ。やっぱこの店さ、料理と手品がウリなんだって、きっと。美味いことに変わりはねーし、気にせず食べようぜ。ほら、毒を食ったら皿まで!」

「駄目だろそれ……」


 力なく返すも、だから気にするなって! と健一。さらに不安は増したものの、健一の言う通り手品も有名な店なのだろうかと思い始める自分が居た。現に前の席に座る健一は何とも思っていないのだから。わかったよ、と誰に言うでもなくこぼすと、カトラリーを持った。

 タラの身はふっくらとしていて力を入れずとも切ることが出来た。オレンジソースを軽くのせて口内へ運ぶ。口の中いっぱいに広がるオレンジの甘酸っぱい味。それが良いアクセントになっていた。ソーセージも一口食べると、パリッと小気味の良い音が響く。普段食べているものより皮が硬いように感じた。不味くはない――のだが、この料理も好みとは外れていた。


「ううん……美味いッ」


 健一は唸るようにして一言。そういえば、料理が運ばれて来た時から健一は〝美味い〟としか言っていない気がする。


【アントレ】

 次は目を瞑らずに新しい料理が出てくる瞬間をしっかり見てやろうと思った。そんな矢先、なあ、と健一に話しかけられた。


「次、ソルベじゃなくてアントレが出てくるぜ」

「あんどれ?」

「アントレ。肉料理」


 何が言いたいのかわからず頭上に疑問符を浮かべていると、これくらいは知っておけよと健一は肩を竦める。

 フランス料理のフルコースは一般的に前菜オードブル汁物スープ魚料理ポワソン口直しオルベ肉料理アントレ、デザート、コーヒーの順で出てくる。最近は形もそれぞれで、順を変えて出すところもあるらしい。また、フォーマルだと先程上げた七つに追加してアミューズがついてくる場合もある。更に格式高い店では五品程多く出てくるそうだ。

 突然のうんちく話に素直に感心した。まさか健一にここまで常識人らしい知識があったとは想定外だったし、フランス料理に此処まで詳しいとは露とも知らなかった。というか今食べている料理はフランス料理でしかもフルコースなのかと知り密かに驚いた。フルコースで手軽な、しかも学生の財布にも優しい値段設定。味も人によっては美味しく感じるだろう。目の前の健一のように。それに手品まで披露してくれるのだから、人気な店だというのにも自然と納得がいく。


「と、まあ。オレの豆知識はこれくらいにして……食べようぜ、冷めちまう」

「――えっ」


 料理、と健一に指を差され視線を下ろす。やはり――手品にしてはあまりにもタネも仕掛けもなさすぎる。新しい料理が、運ばれていた。


「なあ、料理って……」

「ほらほら、食おうぜ~」


 言葉を遮るように健一はシャキーンッと効果音が付きそうな勢いでカトラリーを握る。一呼吸開けてから、ああ、と頷いた。

 新しい料理は健一の言っていた通り肉料理だった。これは一目見ただけでわかる、ローストビーフだ。テーブルの上にはポワソンの時と同じようにメッセージカードがあり、恐る恐る手にした。


『本日は上質な赤身肉を使ったローストビーフです。白味噌と赤ワインの二種類のソースをお好みで付けてお楽しみください』


 大きめの赤身肉は普段コンビニやスーパー等で見かけるローストビーフよりも分厚くカットされており、三枚綺麗に重なるようにして盛り付けられている。皿の上側に白味噌ソース、下側が赤ワインソースだろう。白味噌ソースの隣には蒸したカブやにんじん、アスパラガスとハーブが添えられている。

 ようやく使い慣れてきたナイフとフォークで食べやすい大きさに切ったローストビーフに、まずは赤ワインソースをつけて一口。肉に臭みは無く、ソースもアルコールをしっかりと飛ばしているからか酒臭さはない。ふわりと香るのはバターだろう、下戸の廉でも味わって食べられる。肉も分厚く食べ応えがあった。次いで白味噌ソースをつけて一口。軽く咀嚼し、しっかりと肉をソースと絡めて味わう。白味噌の甘みが良い味を引き立たせていた。

 これは――当たりだと思った。


「あ……美味しい」

「だよな! このローストビーフ、美味いよな!」

「これは……うん、美味い」


 ほっと安堵したかのように、わかるわ~、と健一は同意した。今まで美味しいと感じたのはスープと肉料理くらいだろうか。ローストビーフに白味噌ソースを再びつけて味わいつつぽつりと思った。


【デゼール】

 ぺろりと肉料理を食べ終えた後、やはり瞬きを一つすると既に新しい料理が運ばれていた。デザートはオレンジレアチーズケーキ。一番上の層はオレンジゼリーだろうか、鮮やかなオレンジ色に生クリームと食用のひまわりの種を使って可愛らしく花があしらわれている。二層目がチーズケーキとなっており、真っ白で艶やかだ。三層目にはクッキーか何かが入っているように見える。デザート用のカトラリーを使って一口含む。

 オレンジの甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。続いて二層目がチーズケーキは滑らかな口当たりと舌触りがオレンジと良く合っている。チーズの中に、ふわふわとした食感のモノにあたった。マシュマロのような不思議な口当たりだ。これは何だろう? と首をかしげながらカトラリーでチーズケーキの中を軽くかき混ぜてみるも三層目のクッキー以外、何も見当たらない。いま口の中にあるものだけらしく、疑問符を浮かべていた。

 カトラリーで三層目のクッキーをチーズケーキとオレンジソースを混ぜて食べる。デザートも女性が喜びそうなものだと思った。


「美味いか?」


 健一に聞かれ、まあ、とだけ答えた。不味くはないのだ。ただ、自分の口に合わないだけで、他の人――健一は違う意見だろう。


【カフェ・ブティフール】

 デザートを食べ終え、ほうっと一息つく。最後の方になるとマジックにもすっかり慣れてしまっていた。瞬きをすれば最後の料理――コーヒーがテーブルの上にあった。むっ、と思わず顔を顰める。そんな廉を見て健一は首を傾げた。


「飲まねぇの?」

「……ブラックは飲めねぇンだよ」

「ああ……そうだっけ」


 まるでいま思い出したかのように呟いた健一に、お前は飲めるんだからさっさと飲めよ、と手振りを混ぜて返す。しかし、健一は飲まなかった。まるで廉が先に飲むのを待っているかのようだ。シュガーポットもミルクポットも無い為、廉はコーヒーを飲むのを諦めた。

 すると、何故か唐突に清々しい気分になった。

 頭は冴え、ふと、自分は何をしていたのかと考える。不思議と寒気がし始め、マジックだかフルコースだかが売りらしいこの不気味なレストランから出ようと早々と腰を上げた。


「健一。早くこの店、出よ――」


 視線を健一に向けた刹那、えっ、とこぼす。

 前の席に、先程まで一緒に食事をしていたはずの健一の姿がなかった。

 辺りを見回すも健一はどこにも居ない。背筋に寒気を覚える。もしかしたら察知して先に店から出かのかもしれない。変に勘の鋭いところがある奴だからきっとそうに違いない。慌てて不安をかき消すと、腰を上げてリュックサックを持ち急いで扉へと歩を進めた。扉に手をかけたと同時に、背後から聞き覚えのある声がした。


「こいつは要らないな」


 振り返ろうとしたが、力強く背中を押され強制的に部屋から出る形となる。

 一瞬だけ振り返ると、不機嫌な表情で佇む健一の姿があった――。


 ハッと目を覚ました。呼吸を忘れていたのか息苦しい。心臓はまるで警鐘を鳴らすように高く早く鳴っている。此処は何処かと見回すと、健一と良く来るカフェの店内だった。外の景色が望む高いカウンター席に腰掛けてはいるが、今にもずり落ちそうになっている。深い呼吸を繰り返し、落ち着けと心の中で繰り返す。ようやく落ち着いたところで、あれ? と廉は軽く額を抑えた。

 確か腹が減り、健一のバイトも昼過ぎでないと終わらない為、美味しいと評判のレストランに一人で行ったはずだ。小さな洋館の店で料理を待っていると、偶然、バイトを早く終えたという健一がやって来て、満席だというので相席をして一緒に食事をしたはずだ。自分の口にはあまり合わなかったが、健一はずっと美味しいと言っていた。

 瞬きをすれば料理が出てくるマジックに驚き――否、待て、と思う。マジックを使ったとしても、すぐに料理なんて出てくるだろうか。混乱する頭で詳しく内容等を思い出そうとするも、まるで夢を見ていたかのように記憶は断片的で食べた料理がどんなものだったのか、わからなくなっていく。ただ、最後にコーヒーが出てきたことだけは覚えていた。ブラックが苦手で飲まずに居ると、確か健一も飲まなかった。

 それから――……それから、どうしたのだったか。

 思考はまとまらず、けれども腹が減ったと感じた。不意に湧き上がる食欲。ぐうっと腹の虫が小さく鳴く。食べたい、今すぐに何かを食べたい。口にしたい。飲み物ではなく食べ物を。咀嚼し、すりつぶし、飲み込みたい。ガラス越しに映る人が目に入る。


「嗚呼――……美味しそうだ」

「なーにが美味しそうなんだ、よっ!」


 スパンッと小気味の良い音が店内に響いた。はっと我に戻り、振り返った。


「……健一?」


 どうやら健一に頭を思いきり叩かれたらしい。後頭部がジンジンと熱を帯びていた。


「そーだよ、健一様ですよ。バイトって知ってる癖に、お前、何回着信残してンだよ。ストーカーか。寂しん坊か」


 ため息交じりに肩を竦める親友は、〝どこかで見た健一〟と何一つ変わらない姿。健一曰、バイト中に廉から何十件も着信が入っており、仕舞には通信アプリで「いつものところでまつ」と全てひらがなで記したメッセージが送られてきていたという。接客中の為、出れないのは知っているだろうと健一はぶつぶつと小言をこぼすも、電話をかけた記憶もメッセージを送った記憶はない。

 ただ、何故か違和感を覚えた。健一とは今日、初めて会うはずなのに、妙に初めてではない・・・・・・・気がするのだ。


「ンで? 何が美味しそうなんだよ」


 健一に問われ、数秒沈黙したのちに廉は首をかしげる。


「俺、そんなこと言った?」

「言ってた。だから聞いてる」

「……覚えてない」

「なんだ、ついにボケが始まってしまったのか。そんな若い年で、よよよっ……」


 ぐすんっと言葉の最後に付け加え、まるで時代劇のように芝居掛かった口調で言う健一に適当に相槌を打つと、自分が頼んだのであろう飲みかけのアイスコーヒーと散らばっているゴミを片付け茶色いトレーの上に載せる。アイスコーヒーは既に氷が解けきっており、かなり薄まっていた。勿体ないことをしたと口の中で呟き、トレーを持って指定のゴミ箱へ向かう。

 健一も後に続き、なあなあ、と明るい調子で聞いてきた。


「レンレン。オレ、腹減ってンだけど」

「俺も減ってる。後、レンレンって呼ぶな」

「なんか食べに行こうぜ~! レンレン、ラーメンとかどうよ?」


 人の話を聞けよと思いつつ、プラスチックと紙を分別して捨て終わると、いいよ、と頷いた。


「んじゃラーメンで決まり! チャーシュー増し増しのヤツ! 早く行こうぜ~っ!」


 健一に急かされ、はいはい、と並んで歩き始める。再び腹の虫が音を立てて食べ物を欲する。腹をさすり、この空腹を満たす為、廉は足早に日常・・へと戻っていった。

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