★ふ、諦め切れぬと諦めた奮闘話 第四話


 糧って。

 なにそれ、と八重は心の中でつぶやく。

えいごうなど知らんが、俺の目が開く限りおまえにれいじゆうする」

 亜雷は、八重の反応を無視してひたすらめいわくそうに言う。が、口にしているのは、いったいなんの告白かと耳を疑うような言葉ばかりだ。

「な、なにを言って……!」

 八重はぶるぶると身を震わせた。

「殺せねえんだから、そばにいるしかないだろ」

「はああ!?」

 わけがわからない。この虎男の存在自体が、わからない!

くつじよくきわまりない事態だ、でもひざまずくから覚えておけ」

 彼は、跪く者とは思えぬほどの上から目線で、忠誠をちかうかのような宣言をした。

「──意味わかんないしちっとも従う気なんかなさそうだし、だいいち、そんなことを聞いてるんじゃないからあ!!」

 八重は、絶叫してその場にうずくまった。

「うわ」と、亜雷が引いた気配を感じる。

 だがもう限界だ。

「義父の加達留様からはじまって美冶部の民とかこの虎男とかなんなの、どういうつもりなの、私って男運悪すぎない!? 私がなにかしましたか、前世で男を泣かせましたか、いいえそんな真似まねはしていません、なほど真面目まじめにすごしましたよ!」

「お、うん……?」

 明らかに引いているふんの亜雷が、そうっと八重の前に身をかがめた。八重はうずくまった体勢のまま、ばんばんと両手で石畳を叩いた。

「おい、あんまり強く叩くと、手首折れるぞ」

「私を殺そうとした人が言う台詞せりふじゃないでしょお!! こんなおもしろみかいかんそう女ですみませんねえ!」

「いや、それは言ってねえが」

 りちか。冷静にていせいされても、感情をばくはつさせたいまの八重には届かない。

「君は優しいねって何回聞いたことか。めてないこの言葉、前の人生で死ぬぎわまで言われ続けた!」

「俺は言ってねえ」

「正直に言えばいいじゃん、『優しいイコール皆の便利道具』でしょ、空気読めるのに要領の悪い人間がいてくれてラッキーでしょ、そうだよ、他人にきらわれる勇気が私にないだけだよ。だって好かれたい、好かれたかった!」

 たとえば、見目がいいだけじゃなくて、自分の意見をはっきり口にできる御白みたいに。

 大学でも、会社でも、自然と人を集めてがおの輪を広げていた彼、彼女たちみたいに。

 だから、ちょっといやだなと思うたのみ事をされたときも、八重は断らずに微笑んで引き受けた。この世界に生まれ直してからも、そう心がけてきた。

 冷静でいよう、人のじやにならないでいよう。だれかを困らせるような行動はつつしもう。それが誰かの負担を減らすことになり、自然な笑顔を見せてくれるのなら、たやすいことだ。

 けれどもいつだって八重は、少しだけうまくいかなかった。

 特別に嫌われはしなかったが、そう、少しだけ──人よりも後回しにされた。思い返せば、どれも気のせいの一言ですむような、さいな出来事だ。誰かと一緒にいるとき、最初に名前を呼ばれるのは自分じゃない。遊びのさそいも誰かの次で、一番ではない。その程度。だが数々のささやかな「少し後回し」の積み重ねに、八重は確実に心がすり減っていった。

「まわりにいる人に必要とされたかったんだよ、それのなにが悪い!」

「おい」

 八重は、とまらなかった。冷たい石畳にしたまま泣き続ける。

「マップ製作だって一番大変なのは実地調査だよ。自分の足で歩いて各戸をおとずれるの、きついし時間もかかる。しんしやあつかいされることもあれば延々と嫌みを言われることもあるんだよ。なのに、ももさん真面目だし人当たりもいいから実地調査にうってつけって、当たり前みたいに全部押し付けるとか、ないでしょう! 反論したら、自分でこの仕事を選んだんでしょって、でもそうじゃない、そういうことじゃない!」

 断れない自分が鹿なだけだと、八重はさけびながらもわかっている。だが、自覚のなんてどうでもよかった。胸の中のおりを全部吐き出してしまいたいだけだ。

けつこん……結婚も、利用されてこい、それが済んだら花耆部に帰ってこいって。それで、私が苦しい思いをするとは少しも考えないの。考えても、私の心は取るに足らないものなのか。こんなに価値ないって思われるの嫌だよぉ……。好きで無性に生まれたんじゃない」

 震える声で叫び続けるうち、だいに興奮がおさまってくる。

「おい」と亜雷がまた声をかけてきて、八重のうでを取る。

「そんなことを俺に言っても、どうにもできねえよ」

 顔を上げさせられながら、八重は「本当に自分はなにをやっているんだろうか」とぼんやり思った。

 亜雷が言ったように、個人的なうつぷんを吐き出していい場面ではない。

 けれども目の回るようなハプニングが立て続けに発生して、これまでの「冷静でいよう」というひそかな誓いがき飛ばされてしまった。それは八重にとって大きなダメージになった。大げさに言えば、これまでの自分の行いが全否定されたも同然だ。

「……おまえ、本当に無性か。──確かになにもにおわないな」

 亜雷は、ふいっと八重の首筋に顔を寄せた。

 その言葉は、いまの八重の心をくししにしてくれた。

「無性が、無性だから、なんなの。こうすいにでも入って全身匂わせれば満足するの」

 八重は、どっとなみだほとばしらせた。

 その様子に再び亜雷が引いていた。

 間近で亜雷の顔を見て、八重はさらに苦しくなった。

 先ほども思ったが、ずいぶんたんせいな顔立ちをしている。こんなにれいな男の目に、涙まみれで不細工になった自分の顔が映っている。えられない。

「あんた、イケメンだからって……、ごん性だからって、なにをしても許されると思わないでよお!」

 亜雷の顔をのぞき込み、八重はいかりを再燃させた。

 彼の目は、どうこうを中心として、六曜星のようなかんもんこうさいかんでいる。中央の瞳孔を囲む五つの丸が、感情の動きを示すようにくるっと回転している。

 動く環紋を持つ者はとても少ない。よほど神通力がひいでた者しか持ち得ない。中には、鳥形やちよう形、星形の動く環紋を持つ者もいるというが、八重はこれまで出会ったことがなかった。

「荒魂性の男にられたか。……そういえばおまえはよその部の男にとつぐという話だったな」

 亜雷は思い出したように呟いた。

「……なんで知っているの」

 それには答えず、亜雷はあきれた顔をする。

「結婚なんて、そりゃ無理だろ。荒魂の男が無性にれるものかよ」

 わかっていたことだが、こうも当然の口調で言われると悲しくなる。

「俺はべつにおまえとふうになるわけじゃないから、環性の有無などどうでもいい」

 無関心そのものの顔で告げると、亜雷はうつとうしげにもさもさの前髪を手ではらってから、うなれる八重をごういんに立ち上がらせた。

「なんであろうと、おまえは俺の命だ。──そろそろここを出るぞ」

 亜雷は、八重の返事も聞かずに歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る