★み、水も言も巡れと言う夢幻話 第一話


『びひん様』をせきの中に追いやったおかげか、じくのズレた世界からのだつしゆつひようけするほど簡単だった。入ってきたときと同様に、地にさっているしゆいろの大柱の横を通るだけだ。すると景色は様変わりして、奇祭を行う前の場所に戻る。

(私はこれからどこで暮らせばいいんだろう)

 は自分の今後を思って、どっぷりとなやみのぬましずみ込んだ。

 には、の男にきよぜつされた場合はすぐにもどると宣言していたが、実際には拒絶どころか見殺しのき目にあっている。

 価値無しと判断された状態で平然と帰れるほど八重はこうがんではない。そもそもほいほいと戻ってこられたら、立場上、加達留も困るはずだ。単純なもどりであれば、それを理由に有利なこうしようを美冶部に持ちかけることもできただろう。だが、よめ候補の見殺しが発覚した場合、八重は一応「おさむすめ」のため、苦情のみではすまぬばつをあちらに求めねばならなくなる。

(無理だ、すぐには戻れない……)

 本来この輿こしれはたがいの部の結束を願う目的で決められたものである。

 八重の存在が、ほかの者の結婚にもれつを入れかねない。加達留としてはいっそ八重に死んでいてほしいにちがいない。そうすれば美冶部側も、「救おうとしたが、残念ながら八重はおぼろものに殺された」というしやくめいができる。しんはこの際、どうでもいい。

 八重は、新たなほこりがまた心に降り積もるのを感じて息苦しくなった。

 誰にもしんけんに求められないちゆうはんな自分、いつでもほんの少し後回しにされる自分を、この世界でも見せつけられている。

(今度は、うまくやっていこうと思っていたんだけれどな)

 無言の八重を引っぱりながら、らいはさくさくと山中を進む。

 さいの間はうすやみに包まれていたが、そこをけ出せばあたりに日が差し込む。

 暗い場所からの落差に、八重は目の奥がじんとしびれた。

 亜雷は、花耆部にも美冶部にも向かわず、ひたすら木々の間を歩いた。二ひきの蝶がなかむつまじげに飛び回りながら八重たちの横をすぎていく。あのときに見た蝶だろうか。

 八重がぼんやりと蝶を見つめたからか、亜雷も立ち止まった。そしてすぐ歩みを再開する。

 途中、道が険しくなり、女の足では進むのが困難になった。すると亜雷は金の毛並みの大きな虎に変じて八重を背に乗せ、軽々と地をけた。くろ太刀たちは八重が持たされた。

 きんとらざん側ではなく、反対側にあるざんに向かってざんの中腹を突っ切っている。

 会話を楽しむ気分ではなかったが、さすがに目的地が気になり始めて、八重は口を開いた。

「どこへ向かうつもりなの?」

「向こうに泉がある」

 答えになっているようでなっていない金虎の返事に、八重はこんわくした。

 しばらく進めば、彼の言葉通り、空を映した水色の泉にとうちやくする。太いとうぼくが数本、橋のように泉にかっていて、そのすぐ横に、きよだい化したおわんの奇物が横向きの状態でみなそこに突き刺さっていた。半分ほどが水中に沈んでいる。内側は朱色で、外側はこげちやだ。もとはきんぱくを散らした折りづるの模様があったのだろうが、ずいぶんかすれている。

「太刀を洗う」

 金虎はそう言うと、泉のほとりで八重を背から下ろし、再び人の姿に戻った。泉に架かる倒木の上をすたすたと進み、その中央あたりで……お椀の前あたりでとまり、身をかがめる。倒木の上で休息していた緑色のかえるが、あわてたようにひょこっと泉の中へげていくのが見えた。

 八重も少しおくれて亜雷を追い、ひざかかえてとなりに座り込んだ。半分が水中から飛び出ている奇物のお椀は深さのある形をしていたので、そのふちひさしのように八重たちの頭上をおおっている。

(バス停のベンチに座っている気分になってきた)

 高校生のころにバス通学だったことを思い出し、八重はくつの先をもじもじとさせた。

 れていた気持ちがいくらか落ち着いてくると、次に感じるのはきようれつしゆうしんだ。

 初対面の男相手によくもまあ、あれだけ意味不明なさけびを聞かせてしまったものである。

 頭のおかしい女だと思われたに違いない。逆の立場なら八重は確実にそう思う。

 八重のかつとうをよそに、隣の亜雷はさやから抜いた黒太刀の刀身をなんのていこうもなくじゃばじゃばと水につけて洗い始めた。

けんってそんなふうに洗っていいものなの!?」

 八重の知る常識と違うことにがくぜんとする。

「水がこわくて血に染まれるか?」

 亜雷がちらっと八重に視線を投げて冷たく答えたが、そういう問題ではないと思う。

 たぶんつうの剣じゃないってことね、と八重は無理やりなつとくしておいた。

「……いくつか聞いていい?」

 気を取り直して小声でたずねると、「なにをだ」と返事がきた。

 断られる予感があったので、それが裏切られたことに八重はおどろいた。

「もしかしてあなたは、『びひん様』の家来かなにかだったの?」

 あのうすよごれた灰色の石碑に亜雷はびひん様といつしよふうじられていた。とするなら血族か、またはとくしゆなつながりがあるのだろうと思っての質問だったが、ばっと振り向いた亜雷の目にはいきどおりの色が宿っている。

「はあ!? 俺が家来だと? ふざけるなよ」

 亜雷はあらっぽくき捨てたあとで、腹立たしげに刀身の水気を払い、鞘に戻した。それを片手に持ちながら八重の横にどかりと座る。彼の乱暴な動きに、ベンチ代わりの倒木がれた。

(って、近い。なぜくっつくようにして座るんだ)

 なぞきよかんに八重はひそかにまどった。そういえばこの黒太刀も、八重がそばをはなれるとたんにバイブレーションしてくっつきたがったっけ。持ち主のくせを引きいでいるのか。

「俺はおまえのものになったと教えたろうが。しいて言うなら、俺はおまえに付属する存在だ」

 と、当然の口調でていせいされ、我に返った八重は真顔になった。

「あの。それ、さっきも聞いたけれど、さっぱり意味がわからない」

 わからないというなら、もう最初から全部わからない。聞きたいことだらけだ。

「亜雷はいったい何者?」

 その中で一番気になっている質問を八重はぶつけた。ところが、こちらは真剣に尋ねたのに、返ってきたのは「知らん」という突き放した言葉だった。

うそじゃねえ。俺は、俺をよく知らない。もはや朧者……いや、かみに近い存在だ」

 自分の身の上話なのに、亜雷の口調には熱がない。

 堕つ神という存在は、正直なところ定義があいまいだ。朧者と成り果てた者をまつれば、いつかそれも堕つ神あつかいされるし、得体の知れぬ不気味なモノもまとめてそう呼ばれることがある。

 八重の中では「人の力では始末しきれないのでとりあえずふういんしておきたい存在」が堕つ神になっている。

「……でも、亜雷は自我を保っているよね?」

 八重のかくにんに、亜雷は「いまはな」と意味深に答えてこちらをじっと見た。

「本質が大きく変形するほどにおのれの大部分が失われたが、それでも名くらいはまだ覚えている。おそらくこの神通力の強さや、忘れずにいた名からして、かつての俺は神仏のたぐいであったんじゃねえか?」

 軽く神仏と言ってくれた。

「へ、へえ……」

 と、適当に流す以外、どう答えればいいのか。

「その俺を目覚めさせたのがおまえだろ。他人ひとごとみたいな顔をするんじゃないぞ」

「へえ……えっ」

 なんでだ。

 八重は本気で驚いた。

「おまえをずっと見守ってきたのはだれだと思っている。俺がいなければおまえ、とっくにものどもに食われている」

「私が!?」

「おまえときたらしゆはとちりまくるわ、靴をいたまままわろうとするわ……」

「それって奇祭の話?」

 八重はぽかんとしてから、亜雷のほうに身を乗り出した。

「あなたはひょっとして、くろあし様でもある?」

「そうだよ。俺の一部だ」

 なんのてらいもなくうなずかれ、八重はしばらく押しだまった。

 黒葦は、八重が奇祭の使者になって以降、現れるようになったけものだ。

せきに封じられていた金虎が亜雷の本体──じゆう時の姿だよね?」

「ああ」

「なら、黒葦様は、言ってみれば金虎時の『かげ』みたいなものってこと?」

 黒葦に影はなかった。つまり「俺の一部」という言葉から、黒葦という存在は金虎から切り離された影だったのではないかと八重は考えた。

「まあ、似たようなもんだから、そう思ってもらってもかまわねえ」

 と、亜雷からは、はっきりしない答えが返ってくる。

「亜雷は、というより亜雷の一部……? の黒葦様は、なぜ私の前に現れたの?」

 その問いを投げた直後、亜雷の気配がいつしゆんぴりっとした。

 頭上にやいばり下ろされたときのような、こごえた殺気を感じ取り、八重は息をんだ。

(私を殺そうとしたことと、黒葦様の出現にはかかわりがあるのか)

 しかしその理由は聞けなかった。亜雷はすぐに殺気を引っ込めてしようしたが、再び問いかければ、また彼をげきするだろうという確信がある。

「……その剣も亜雷の一部?」

 八重は胸に広がるきようをごまかすために、べつの問いを口にした。

「俺を示す一部ではあるが、こっちはどちらかと言えば、所持品の意味合いのほうが強い」

 意思を持つ所持品か。

「………『びひん様』も?」

「一緒にするな。あれは俺の一部でもなんでもない」

 八重は胸をで下ろした。そこは否定してくれて本当によかった。

「俺は……、俺という存在はたぶん、ぶつ同様に異域から流れてきたものだと思う。そしておそらくは、どこかで祀られていたのだと思う」

 しんちように告げる亜雷を見ながら、八重はめまぐるしく思考を働かせる。

(この世界が遠い未来か、少しズレた次元なのかは不明だけれど、亜雷や奇物については日本から流れてきたものでちがいないんじゃないかな)

 彼が封じられていたのは、しゆいろの大柱の向こう。きっとあれは鳥居のざんがいだ。

 ということは、亜雷は、どこかの祭神だったのではないだろうか。

(それは神格高いわ、てんもまとうわ……)

 お持ちの武器もきっとその神社にほうじられていた神剣ですよね。まさしく神の武器か……と八重は心の中でおののいた。意思のひとつや二つ、持っていてもおかしくない。

「もう古の意味は失われたし、それを取りもどすことは不可能だが、あいつもまた俺に関係がある者なんだろうよ」

「……神話的に、関わりがあると」

 ぼそっと告げる八重を、彼は「ふうん?」とわずかに感心するような目で見た。

「そのもっさいかみせいにもかかわらず、意外に頭が回る」

「一言多いとらだな」

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