聖女メリーの話

 


「う〜ん、やっぱりデカイな〜」


 わたしは教会を見上げながら呟く。遠目からでも見えただけあって、近くで見ると輪をかけて大きい。

 教会の塔の先っちょには十字架が付いていた筈だけれど、残念ながら真下からじゃ見えない。


「わうん!」

「お?何だね君は……本当に何だこれ?」


 足元から犬の鳴き声がする。下を向くとそこにはスライムのような犬のような生物がいた。丸っこいスライムに犬の目鼻口耳尾がついている、と言った方がしっくり来る。

 人懐っこいみたいで、抱き上げると尻尾をふりふりそのまま手をぺろぺろと舐めだす。可愛い。


「愛いのぅ愛いのぅ、えへへ」

「わうん」


 抱きしめるとひんやりして気持ちが良い。犬は犬でもふもふしているのが良いんだろうけれど、これはこれで良い。

 服にもくっつかないし、逃げないし、わたしが魔女じゃなかったらペットにしていたかもしれない。


 魔女だと最悪の場合見捨てなきゃいけないかもしれないし、魔女と一緒にいる事でこの子は不利益を被るだろう。だから、一緒にいる事は出来ない。

 それはそれとして、何で街中に明らかに魔獣であるスライムがいるんだろう。街の人も気にした様子は無いし……うーん?


「あっ、いたぁ!探したよ!!」

「わうん!」

「おっと」


 突然スライムは腕から飛び出す。スライムが走って向かった先には同じように走ってこっちに来ている男の子がいた。

 そのままの勢いでスライムは跳ね、男の子の胸元に飛び込む。なぁんだ、飼い主がいたんだね。見つかって良かった良かった。


「さ、行こ!アーダルベルトボリスニクセバルドⅡ世!お母さんに見つかったよって言わなきゃ!」

「わうん!」

「!!?」


 えっ!?長っ!?ゴツっ!?呼びにくっ!?す、凄く立派なお名前ですね……?

 この世界はペットに凄まじい名前をつけるのが普通なのだろうかと頭を捻っていると、何処かで聞いたリズムが耳に入る。


 ♪チャランチャランチャ チャチャラチャラ〜

「ん?」


 何処で聞いたんだっけな……あ、おばあちゃん家か。家探しの時におばあちゃんがオルガンでこの曲を弾いていた。

 それが、何で人の街ここで聞こえるんだろう?しかもこれまたオルガンの音と来た。誰かが弾いているのかな?


 きょろきょろと辺りを見回すものの、弾いている様子は目に入らない。教会前の広場、わたしが今立っている場所にはオルガンの音に耳を傾けている人が大勢居た。

 良い音だものね、分かるよ。わたしも耳を傾けて、目を閉じると、そのまま寝たくなった。それくらい心地いい音って事だ。


 と言っても真昼間から屋外で寝る訳にもいかない。わたしは気力で目を開けると今度は耳を澄まして音源を探る。

 その状態で広場を歩き回って気づいたのは、音が教会の中から聞こえて来るって事だった。


 教会。教会ねー。肉体としては行った事あるんだろうけれど記憶には無い。加えて、おばあちゃんに保護されてからは教会のきの字も関係無い生活を送っていたしグリムとしてもあまり教会に縁は無い。

 その代わりというか何というか、前世でなら一回だけ行った事がある。教会内部の資料が欲しくて、写真よりも肉眼で見たいとおじいちゃん身近なクリスチャンに言ったら日曜日のミサに連れて行ってもらえたんだ。


 資料としては、教会は最高だった。細部まで見えるし、見たい所が見れるし、何より臨場感があった。資料としてはこれまでに無いくらい最高だった。うん、資料としてはね。

 それ以外はわたしにとって最悪だった。クリスチャンじゃないし、コミュ障なのに神父さんに話しかけられたし、進行についていけないし、歌えないし、隣に居たおじいちゃんはわたしの死んだ目に気づかないし、コミュ障なのに神父さんに話しかけられたし。


 そんな事があってから教会には縁が無いが、今ここで教会に縁が生まれてしまった。わたしが教会に入りさえしなければ切れる縁だけれど、それは勿体無い気もする。

 リベンジだ。前世とは違い今は神父さんに話しかけられても返事は出来る。相変わらずクリスチャンじゃないし、歌えないし、進行も何も知らんけれど。


「失礼しま〜す……と」


 ギィ……と木製のドアを、なるべく音を立てないように小さく開く。中は縦にも横にも非常に広く、この街の人全員が座れそうなくらいの沢山の椅子、長い長い絨毯、どれだけデカイ人でも到底届かないくらいに高い天井、エトセトラエトセトラ……。

 流石は遠くからでも見えるくらい大きな教会だなぁ、とその立派さ、壮麗さ、神聖さに思わず感嘆の溜息を漏らす。


 ♪チャランチャランチャ チャチャラチャラ〜

「……はっ」


 オルガンの音がわたしを現実に引き戻す。わたしの耳は正しかったみたいで、教会の中に入った途端一層オルガンの音が大きくなる。

 絨毯を視線で辿って行った先には遠目からでも見えるくらい大きいオルガンがあった。これまた綺麗で立派で、この教会に非常にふさわしいと感じさせる程。


 ♪チャランチャランチャ チャチャラチャラ〜

「……ん?」


 と、そこでわたしの目が人を捉える。オルガンが一人でに鳴る訳は無い。奏者が、人が居るのは当然と言えば当然だった。

 こんな綺麗な教会で、こんな綺麗なオルガンを使って、こんな綺麗な曲を弾くのは一体誰だろう?気になったわたしは邪魔をしないように、音を立てないように、ひっそり、ひっそりとその人に近づく。


 ♪チャランチャランチャ チャチャラチャラ〜


 どうやらその人はシスターさんのようだ。黒と白を基調としたシンプルながらも高価そうな服が後ろ姿から確認出来る。

 でも、それ以外は分からない。流石に後ろ姿からだと得られる情報に限りがある。頭巾ウィンプルも被っているから髪色も分からない。


 ♪チャランチャランチャ チャン、チャン、チャ〜ン……


 はっ!曲が終わってしまった!まだシスターさんはわたしに気付いてないし、素敵な曲だったから拍手を送りたいんだけれど、そんな事をしたらビビらせてしまう……。

 いや、このままじゃどっちにしろビビらせてしまうし……ええい、ままよ!


 パチパチパチパチ……

「きゃっ!?」

「うわっ、えと、ごめんなさい……?」


 観客の居ない静まり返った教会内に拍手の音だけが響く。案の定シスターさんは驚き、小さな悲鳴を上げた。なんか申し訳ない……。

 わたしに向かって振り返った金髪……いや、黄髪?のシスターさんは口を小さく丸く開けて驚いた表情を向けた。


 でも、その口元とは反対に目だけはニコニコと笑っている。元々そういう目なのか、感情を隠しているだけなのかは知らない。

 わたしの視線は顔よりも上の一点、やけに自己主張の激しいアホ毛に向けられていた。まるで天使の輪のようなそのアホ毛は頭巾に押しつぶされて少々窮屈そうだった。


 首元には銀色の十字架のネックレスが、腰には金色でそれに加えて宝石までついたS字付き十字架の飾りがつけられていた。

 そのS字付き十字架と同じ物、差と言えばサイズだけの物が教会の壁に掛けられていた。教会のはアクセサリーの何倍も大きい。


「驚かせてごめんなさい。あなたの演奏がとても素晴らしかったので、つい……」

「そうですか?わたくしの演奏は素晴らしいのですか?」

「はい、とても」

「よく分かりませんが、貴女の為になったのなら意味も無く弾いたこの曲も報われると言う物でしょう。これも聖人様のお導きですね」

「アッハイソウデスネ……」


 出たな聖人。いや、当たり前か。ここは教会だし、聖人の本拠地みたいなモンだし……ある意味出ない方がおかしいのかもしれない。

 少女は胸の辺りで手を組みながら祈るように微笑む。この人は心の底から宗教を、聖人を信じてそうだなぁ……シスターみたいだし信じてなきゃおかしいんだけれどね。権威の為に信仰している感じはしない。


「申し遅れました、私は洗礼名をMaryメリーと申します。聖女と言った方が分かりやすいでしょうか」

「聖女!?」


 シスターよりも偉かった!!?そっそんな大層(多分)な存在が何故ここに!?しかも一人で!うわわ、わたし聖女驚かせるとか無礼じゃん。こ、これは土下座案件か……!?

 わたしが一人でわたわたしているのを聖女は微笑みながら見ている。も、もしかして怒ってない?許された……?


「今度は私は驚かせてしまったみたいですね。これでおあいこです」

「あ……」


 聖女さんマジ聖女。なんだかキラキラエフェクトがかかって見える……く、幻覚か……!でも聖女さんにふさわしいエフェクトだ……眩しっ!

 なるほど聖女だ。間違いない。色々汚れまくってるわたしと違って神聖さとか、清廉さとか、とにかくホーリーチックな物を感じる……眩しっ!!


「な、何で聖女さんがこんな所に……?」

「この時期は国中を回っているのです。聖人様の素晴らしさを新たに生まれた生命にも、既に素晴らしさを知っている生命にも、今一度伝える為に。それが聖女わたくしの役目ですから」

「なるほど……?」


 聖女さんめっちゃキラキラしている。幻覚の方じゃなくて、表情が。目がどんな時もニコニコしていてもそれ以外の態度とかで感情が分かるもんだね。

 頰をほんのりピンク色に染め、祈るように手を握り、顔からキラキラが溢れる聖女さんは本当に聖人が素晴らしいと思っているんだろうなぁ。


「あ、わたしはグリムと言います。グリム・フォースタスです」

「グリムさんですか。珍しいお名前ですね」

「そうなんですか?」


 グリムという名前は前世の世界のグリム兄弟から採った名前だし、どちらかと言えば苗字に多い名前なのだろう。だから個人の名前としては珍しい部類に入るかもしれない。

 もしくはこの世界にはグリムと言う名前が姓にしろ名にしろわたし以外いないのかもしれない。どっちにしろわたしの名前が珍しいと言うのは変わらない。聖女この世界の人間が言うのだから間違い無いだろう……多分。


「あの、聖人様ってどんな御人なんでしょうか?わたしはそ」

「なっ!?聖人様を知らないのですか!?あの聖人様を!?あの聖人様を!!??」

「ひっ!?」


 うわヤッベェ、聖女の地雷踏んだか!!?さっきまでの素敵なホーリックキラキラとは違う、勢いと勢いと勢いしか感じられない雰囲気が聖女から溢れ出ている。

 怖い!正直言ってめっちゃ怖い!!両手を握られて逃げられないようにされ、顔は圧を感じる程に近く、うわ〜美人〜とか感じている余裕すら無い。怖い。ただただ怖い。


「なら私が教えて差し上げます。聖人様の威光を一人でも多くの人に知らしめるのが私の定め。こんなに大きくなるまで聖人様の威光に触れる事が叶わなかったとは何と不幸なのでしょう!

 ああ聖人様、彼女に、グリムに光を。その御力を。彼女は悪くないのです。悪いのは伝えられなかった私なのです。

 どうか彼女に罰を下さぬよう……」

「あ、あの、わたし不幸じゃな」

「いいえ、不幸です!!この事を不幸と言わずに何と言いましょう!!?」


 カエシテ……ホーリック成分カエシテ……。聖女って、聖女って……こんな、こんな狂信者みたいな人の事だったっけ??

 わたしの聖女像がドンドンガラガラと崩れ去って行く。さっき初めて会ったばかりの他者の為に涙を流し、聖人に許しを請う様は確かに聖女だ。けれども、もうちょっと宗教に染まってない部分が欲しかったな……。


「良いですか!?聖人様は異界より来られし勇者にして、精霊の寵愛を受け、魔王を打ち倒し、魔女を全て殺し、世界に平和をもたらした御方!それでいて優しく、慈愛に満ち溢れ、生涯誰とも結ばれずに純潔のまま天に登られた神の子であり神自身!!太陽のような黄金の髪に空色の瞳、これぞ神に愛された証です!様々な文化や概念、物品などをこの世にもたらし、そのカリスマを以って平和を愛し、愛され、導いたのです!!世界中から尊敬され、愛され、今尚信仰の衰えぬ素晴らしき存在!!また、教皇様に天国の鍵を渡され、天国の到来を予言しました!罪無き身ながら万民の罪を十字架に背負い、贖う事を約束した聖人様!あぁ何と貴き御方なのでしょう!!魔法の理を外れた奇跡を起こし、基人グルントラーガの繁栄を約束し、多種族を地獄へ落とす事を定めた聖人様!!その永遠の生命、真理、愛!!何と素晴らしき事でしょう!!あぁ聖人様、聖人様──」


 長い長い長い!まだ喋ってるよ聖女この人!怖い!やっぱ怖いよこの人!!!わたし苦手!こう言う人苦手!!圧が凄い!押しが凄い!!話聞かない!!!狂信の域に入ってる!!!!興味本位で教会に入った事を、ううん、聖女に話しかけた事を今物凄く、物凄ーく後悔しているレベルで苦手!嫌いではないけれど、苦手っ!!!

 わたしにも苦手な人がいるんだという発見と共に今すぐこの場から逃げ出したい欲求に駆られている!!泣きそう!


 おじいちゃんもクリスチャンだったから神様を信じていたけれど、ここまでじゃなかったよ!?わたしやお父さん、お母さんを巻き込んだりしなかったし、キリスト教は信仰対象であると同時に研究対象だったし。同じように宗教を信じる人でもこんな差が出るの?

 そもそも聖人って何なの!?余計分からなくなっちゃったよ!異世界転移(または転生)の主人公の功績とおじいちゃんの信仰していたキリスト教のイエス・キリストがやった事をごちゃ混ぜにしたような話だね!訳わからん!!


 しかも話の内容に無視出来ない点が有る。『魔女を全て殺し』の部分だ。あのあの聖女さん。魔女わたし、目の前に居ますが?矛盾してますが??

 この事実、今尚語りまくっている聖女に伝えたらどうなるんだろう。間違い無く殺されるだろうからやらんけれど、ちょっと気になる……。


「聖人様、あぁ麗しき聖人様──」

「あっあの!そのお話はまた今度で!!それじゃ!」

「今度?今度っていつです?明日ですか?明後日ですか?私もずっとここに居る訳ではありませんし、そろそろ教国に戻らなければなりませんし、今ではないと話の続きが出来ませんよ?」

「あっ良いんで!そういうの良いんで!!じゃっさよなら!!」

「あっ、待ちなさ──」


 ずっとベラベラと恋する乙女のような表情で語り続けていた聖女の元から走って逃げ出す。普通の人が魔女わたしの足に敵うまい。

 それと聖女KOEEEEEE!!!しかもめんどくさいし!出来れば二度と会いたくない。今日はアンハッピーデーだったのだ。


 案の定追いつけなかった聖女をほっぽってわたしはドアをバタン!と押し開き、外へ逃げ出す。

 丁度教会前の広場そこにはわたしを探し回っていたロジェリ夫がいた。


「なんだグリム、教会そこにいたのか。探し回っ」

「ロジェリ夫逃げて超逃げて!!!」

「おっおう?」


 速度そのままにロジェリ夫の肩に飛びついたわたしは逃げるようにお願いする。後ろから、後ろから(トロイけれど)鬼気迫るオーラを放ちながら聖女が追いかけて来ているから!!!

 そのままロジェリ夫とわたしは目的地である近所の森に向かって逃げ出す。聖女に追いつかれる事はなかった。

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