カッツェンヴァイトの話

 


 身嗜み職人の朝は早い。日も上らぬ内から起きるのだ。

 と言ってももうそろそろ日の出の時刻だけど。


 {職人、身嗜みの注意点は何ですか?}


 えぇ、そうですね。やっぱり髪の毛ですかね。女の子()としてここは譲れませんね。

 毎日ちゃんと櫛で梳かしてやる事で良い髪の毛が育つんですよ。(適当)


 {職人、スリーサイズを教えて下さい}


 …………。上から順に無い、無い、無いです。

 それを実感するのは服を着る時ですかね、えぇ……今のような……。


 {職人、胸は、胸は何処にやったんですかっ!?お聞かせ下さいっ!胸はっ!?}


 胸はですねぇ……無くしちゃったんですよぉ……。きっと誰かが羨んでとってっちゃったんですね、えぇ……。

 もしくは家出しちゃったんですかね……。見かけたらわたしに連絡して下さいね……。


 {職人!!その幼女とは思えない程のお腹の筋肉は何ですか!?せっかくの幼女が台無しじゃないですか!シックスパックの幼女に需要が有}

【……】

 ッパァンッ!!!

 {ノヴァッ!!??}


 良くやった、【良心】。ピコピコハンマーを持った【良心】が{楽}をズルズルと何処かへ連れ去って行く図が脳裏に浮かぶ。

 暫くは二人共話しかけて来ないだろう。わたしは構わずナレーションごっこの続きをする。


 ……と言うかわたしにシックスパックなんてないからね。ちょっと割れてるけど。それっぽいのが見えるだけだから。シックスパックじゃないから。

 ……こほん。話を戻して。


 身嗜み職人は顔を洗う。こうする事で目が冴え渡り、目からビームが出せるようになるのだ。

 と言うのは嘘で鈍っていた感覚が研ぎ澄まされるのだ。ほら、さっきまでは分からなかった視線も……ん?視線?


「……」

「ぴゃっ!?」


 不審者か!?幼女趣味の不審者か!?と思い急いで後ろを振り向く。

 そこに居たのは兎だった。胡乱げな瞳でこっちをじっと見て来る。


 や、やばい。まさかさっきまでのナレーションごっこの一部始終を見られていた!?

 人目が無いから良いやと思ってやっていたけれど見られていたと分かった途端恥ずかしくなる。多分今は耳まで真っ赤だろう。


 い、いや、プラスに考えるんだわたし。兎で良かった、人じゃなくて良かったって。

 人だったら間違い無く事案だった。それにこんな人気の無い森の中に居る人間なんて怖い。ブーメランだけど。


「「……」」


 一人と一羽の中に微妙な空気が生じる。お互いを見合ったまま一歩も動かない。

 兎は草むらから動かないし、わたしも池のそばから動かない。


「えぇと……あの……どちら様で?」


 わたしは視線を彷徨わせながら兎に尋ねる。兎が人間語で返して来るとは思ってないけれど、この微妙な空気にも耐えられず思わず質問してしまった。

 兎はほんのちょっぴりわたしに近づいてくれた。わたしもちょっぴり近づく。


「……」


 兎は鼻をヒクヒクさせながらこっちを……いや、髪の毛を見て居る?

 髪?何かついてるの?それともアホ毛が気になるのかな?


「ほ……ほーれ?」

「プゥ」


 あ、そうやって鳴くのね兎って。わたしがアホ毛を持ちつつ兎に近づくと兎も茂みから出て来た。

 遠目で見ると普通に兎っぽかったんだけれど、近くで見てみると全然違う事が分かった。


 まず、手足が無い。どうやって移動してるんだこれ。

 兎らしいのは長い耳と丸っこい尻尾だけで身体は大福みたいにまん丸だった。


 デフォルメされた兎とでも言えば良いんだろうか、何とも気の抜けた顔をしている。

 可愛いから子供(特に女の子)とかに人気が有りそうな気がする。


「プゥゥ」

「痛い痛い痛い」


 アホ毛を兎の前でチラつかせていたら噛み付かれてしまった。痛い。この子さては凶暴ね!?

 一本の髪の毛を抜けない程度に強い力で引っ張られた時の気持ちを考えよう。痛い。めっちゃ痛い。軽く拷問。


 兎って、普通草食べるよね?異世界の兎は髪の毛食べるの?さっすが異世界、わたしの想像を遥か彼方に超えていくぜ……。

 兎にはむはむされてビショビショになったアホ毛を救出しつつ兎を撫でる。


 もふ……


 おおお、もふもふしている。大福っぽいけれど毛皮なんだ。愛いのう愛いのう。

 前世ではこう言う風にもふもふした事はあまりなかったなぁ。身体が弱かったからじゃなくて、ペットとか飼ってなかったから。


 元々動物は好きなんだ。触れ合う機会が無かっただけで。

 話は戻って、目の前の兎は不満を漏らす事も文句を言う事もなく撫でられるがままじっとしている。


 ……いや、じっとし過ぎじゃないか?じっとしていると言うより固まっていると言う表現の方が正しい。

 え、わたしこの子に何かした?撫でるのダメだったかな……?


 慌てて手を放すとガクガクし出した。え、何なの本当に……。

 と、取り敢えず髪の毛を与えてみよう。何か食べれば落ち着くかも……。そう思い、わたしは髪の毛を一本ブチッと引き千切って兎に与える。


「……」


 むしむしと兎は髪の毛を食べ……いや、舐め始めた。食べないの?お腹いっぱい?

 そういやさっきも食べてはなかったね。食べてたらアホ毛欠けていた筈だから……。


 髪の毛に何か付いているのだろうか。シラミ……ではないと信じたい、うん。

 おばあちゃん家にも風呂は有ったし、元居た村にも追い出された村にも風呂は有った。


 風呂は教会管轄で、入浴は神聖な事とされている。だからか、元の世界の中世とは違って衛生観念は高い。

 風呂を惰弱な事とは考えないし、湯船も堂々とある素敵仕様。


 だから、シラミ……とか居ないと思うよ。頭痒くないし。

 そう言えばハチ公物語にハチが入浴するシーンが有って、ノミがピョンピョン逃げ惑ったみたいな記述が有ったなぁ……。熱湯に浸かればノミとかシラミとかは取れるのだろうか。


 そんな話は置いといて、今は兎だ。この兎の生態はよくわからないけれど、髪の毛食べて生きていっているとは思えない。

 もし仮に髪の毛食べて生きているのなら村の中とかに沢山居た筈だ。その方が兎は髪の毛を食べられてwin、人間は掃除をして貰えてwin、合わせてwin-winの関係になるのだから。


 でも、わたしは一回も元居た村で兎を見た記憶は無い。記憶が無いだけで居た可能性も有るけれど、追い出された村にも居なかったからその線は薄いと思う。

 それに、兎は初対面の時に警戒しながらわたし人間を見ていた。という事は人間に慣れていない可能性が高い。


 髪の毛を食べるとするならそれはおかしい。多少なりとも慣れる筈だから。

 そんな訳でわたしは柔らかそうな草を摘んで渡してみる。目論見通り兎はむしゃむしゃと食べ始めた。


 異世界の兎も草食なのか。一生懸命しょりしょり食べている兎は見ていてとても微笑ましい。

 あ、わたしもご飯食べよう。今回は兎に遠慮して干し肉抜きで。


 手を洗い、兎と横並びになってご飯を食べる。携帯食には限りが有るし、早めに街へ行きたい所さんだ。

 あ、そうだ。


「兎さんよ、一緒に街に行くかい?」

「プゥ!?プゥ!プゥ!!」


 嫌!嫌!!とでも言うように全身を使って拒否する兎。

 そ、そんなに嫌か……何か有るのかな?


「そっか……じゃあね」


 食べ終わったわたしは身支度みじたくをして兎に別れを告げる。

 さ、寂しくないもん。ぼっちは慣れてるもん。ちょっぴり賑やかな方が良いかなって思っただけだもん。


 街へ行く際途中の村には一切寄らないつもりだ。追い出された経験も有るし、あんまり村と関わり合いたくない。

 ……思えばわたし、村に対しての印象が最悪すぎる。悪い事しか起きてない。何故だ。


 街の方向へ歩みを進めるわたしを兎がその場から動かずじっと見送ってくれる。

 わたしは振り返って手を振って、それから前へ歩き出す。


 ドスンッ!!

「プビャ━━」


 ━━筈だった。


 恐る恐る背後を振り返る。声からその先の結末を、もう過ぎ去った結末を知りながら。知りながら。

 でも、結果を見るまでは。淡い淡い期待を、抱かずにはいられない。いられないのだ。


 それは、僅かな間でも心を保つ為。

 背後を振り向く勇気を、その期待から貰う為。


 振り返る。


 あぁ、それは無慈悲にも。哀れにも、残酷にも。

 そこに存在した。期待は脆くも打ち砕かれた。


 そこに居たのは。


「グォオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!」


 無惨な死体と、その作り手。

 先刻まで仲良くしていた兎と、それを殺した怪物。


「兎ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッッッ!!!!」


 わたしは兎が居なくなった悲しみと突然現れた怪物に対する驚きが混ざった声を出す。

 怪物はわたしの背丈の三倍はあり、木を彷彿とさせるフォルムをした猫型の魔獣だ。


 その鋭い緑の目からは『逃さない』と言う意思をこれでもかと感じる。

 一歩、また一歩とわたしに近付いて来る。魔獣が歩く度に地響きがし、近くの魔獣が逃げ惑う。


「な、なな、ななな……」


 何でわたし、こんな酷い目にばっかり合うの?トラブルメイカー?トラブルメイカーなの?嫌だよそんな不名誉な称号。

 腰が抜け、驚き戸惑うわたしに魔獣が蔑むように、馬鹿にするようにフンと鼻を鳴らす。


「グルル……」

「ひぃ……」


 魔獣が凄みながらわたしに一歩、また一歩と近づうわくち臭っ。

 わたしはそれを避けるように一歩、また一歩と後退して行く。来ないで。臭いのは勘弁!


 ドスンッ!ドスンッ!と魔獣が歩く度地震が起きたかのように地面がぐらつく。

 近くに居たらしき魔獣達が我先にと逃げ出して行く。わたしも逃げたい!でも逃すつもりが敵さんに無いよー!うわーっ!!!


「ガァッ!!!」

「びゃっ!?」


 ジリジリと逃げて行くわたしに痺れを切らしたのか魔獣は行動を起こす。

 飛び掛かってきた魔獣をわたしは横に転がり避ける。危なっ!!


「グォオオオオオア!!!」


 攻撃が決まらなかった事に苛立ったのか魔獣は腹立たしげに前足で地面をバッシバッシと叩く。

 不機嫌なの?と思ったのも束の間、魔法陣が現れ叩かれた地面から草木がにょきにょきと生え出した!機嫌が悪いんじゃなくて攻撃だったー!


「おああ許して許してごめんなさーい!!!」


 わたしは泣き喚き、許しを請いながら伸びて来る草木から逃げ惑う。それに加えて魔獣からの物理攻撃。

 草木に足を取られたら死ぬ!避けきれなくても死ぬぅううううううう!!!


「だずげでぇええええ!!!」


 ぴょんこぴょんこと木々の間を跳ね回りながら攻撃を回避する。こんな状況じゃ頭も回らないからどの魔法を使って良いか分からないし、鍵一本じゃ無数に伸びて来る草木を壊せないしぃいいいい!!!

 おばあちゃぁあああん!!!助けてぇええええええ!!!


「グォオオオオオオ!!!!」

「えあ━━」


 まずい。あの匂いが、口臭が、もう隣に居る。

 でも、気付いた時にはもう遅い。魔獣の口ががばりと広がり、鍵ごとわたしを飲み込んで━━


「させるかっての!!」

 ガインッ!!

「グォッ!!?」


 わたしは鍵槍をつっかえ棒にして、しゃがみこむ。

 顎と金属が勢い良くぶつかる音がして、目論見通り顎を閉じる事を封じる事に成功する。


「わたしを食べて良いのはわたしに食べられる覚悟の有る奴だけ、だッッ!!!」


 ガチャリ!


 鍵槍を捻る。鍵槍が刺さっているのは魔獣の下顎。即ち━━


 ボンッ!!

「グォオオオオオアアアアアアア!!!!!???」


 無くなるのも、魔獣の下顎!

 爆破音とともに衝撃が発生、若干の血煙と肉片と共に上空へ舞い上がる。


「そいっ!!!」

 ガン!!!

「グォアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!」


 重力に引かれて落下する。それに合わせて魔獣の鼻の上にかかと落としを決める。

 慣性の乗った攻撃によりバキッ!と骨だか樹木だかが割れるような音がし、魔獣の鼻がひしゃげる。


 わたしはもう昔のわたしみたいに躊躇しないし、立ち向かう勇気を持っている。怖いモンは怖いから逃げ惑ったりはするけどね。

 相変わらずグロは苦手だし、怖いモンも苦手だけれど、わたしが生きる為にはしょうがない事と割り切っている。でも、殺す事に慣れてはいけないとも思っている。


「グ……グファアアアアアッッッ!!!」


 怒り狂ったように、真っ赤な血を鼻や口から滴らせながらわたしに爪と一度切れた魔法を再び向ける。

 死屍累々の状況で圧倒的に不利な状態であっても決して諦めないその気高い意思に、敵ながらあっぱれと思いつつ━━


 ボンッ!!

「グファウッ!!??」


 空中で、鍵を捻る。

 瞬間、空気が膨張し爆風が吹き荒れ、魔獣は木を薙ぎ倒しながら吹っ飛ばされる。


 わたしも爆風に吹っ飛ばされるが備えていた為爆風に乗り木の側面に着地、そのまま蹴り、吹っ飛ばされた魔獣の元へ向かう。

 横倒れになった魔獣はピクピクと動き、瀕死の状態だった。


「……ごめんなさい。貴方は、強かった」


 魔獣の元へたどり着いたわたしは鍵槍を魔獣の胸部に刺し、捻る。

 血しぶきが上がり、肉片がばらまかれ、魔獣がビクリ!!と大きく動く。


 でもそれは一瞬の事で、次第に動きは弱まり、そして遂にはピクリとも動かなくなった。

 わたしは手を合わせ、十字を切ってから解体に取り掛かる。


 ……と言っても何を取っていくべきだろう?流石に小さくてパンパンの袋には沢山入れられない。肉なんてもってのほか。汚れる。

 あー、こういう時に無限バック……じゃない、……えーと、何だっけ……。次元収納的な、メッチャ沢山入る奴が有れば便利なのにね。人生そう上手くいかない。


 うーん、取り敢えず魔石かな。多分価値は有るし、石だからそんなにかさばらないだろうし。

 わたしは解体用ナイフを取り出し、目を抉り出す。


 ぐちょお……

「うへ……」


 わたしは青くなりつつ目を抉り取る。湿っぽい音、それからぶよっとした感触は何度やっても慣れない。

 何でこんな所に魔石が有るんだろう。取りにくいし、気持ち悪いし、うへぇぇえ……。


 死んで虹彩の色を失った目をなんとか取り出す。視神経?を切るのも大変だけれどそれよりもさらに大変なのが目を切る事。意外と硬いしナイフは滑るしで大変。

 なーんで硬いんだったかなー?前世の解剖の時に先生が何か言ってた気がするけれど覚えてないや。


「んっ」


 何とか切り込みを入れ、それを広げ魔石を取り出す。位置的にどう考えても水晶体にしか見えない。魔石は予想通りと言うか案の定と言うか植物魔法の、緑の魔石だった。植物を操る魔法使ってたもんね。

 その作業をもう一度、もう片目分繰り返す。後で洗おう。


「それと……」


 爪と皮?樹皮?は貰っておこうかな。歯は臭そうだからいいや。あと肉も少しだけ。お昼と夕食分。……食べられるのかな?

 分からないけれど爪は全部、皮は一部貰って魔石と一緒に池で洗う。その間に肉の血抜きもして、洗い終わったら肉は手で持って街の方へ向かう事にする。


「後は……」


 可哀想な兔の墓を作る事にする。魔獣に踏み潰された時、目も潰されてしまったのか白色の魔石が転がっていた。

 一応これは貰う事にしてその他の、肉や皮は埋めて土を盛る。


「可哀想に……」


 手を合わせて、それから十字を切る。暫くお墓を見つめて、そして立ち上がる。

 池に戻ると血抜きをしていたにも関わらず魔獣は寄ってきていなかった。ラッキー。……ん?


 そう言えば、おばあちゃんが『魔獣避け』をくれたって言っていたような……。

 それの効果かな?中々良いものをくれ……いや、待てよ?


 兔(多分魔獣)も寄ってきていたし、口が臭い魔獣も寄ってきていたよね?あれ?魔獣避けとは?

 ……確かに『雑魚魔獣避け』って言っていたし、樹木魔獣は強そうだったからまだ分かるんだけれど、兔の方は分からない。


 言っちゃなんだけれど強くなさそうだし、わたし、というか人間にもフレンドリーな感じだった。

 実は雑魚じゃない説も有るけれど……うぅむ。分からん。


 わたしは首を捻りつつ袋に解体した物を詰め、手には肉を持って街へ向かい出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る