木登りの話

 


「うーん……うぅあ」


 眩しさで目が覚めて、思いっきり伸びをする。

 昨日は……あぁ、そうだ。村から追い出されたんだった。


 森に入って暫くしたら運良く池を見つけて身体と服を洗って焚き火を起こして、有る程度乾いてから毛布と落ち葉に包まって寝たんだ。

 空を見上げると太陽がてっぺんにかなり近い所に来ていた。十一時だろうか、十三時だろうか。いずれにせよ寝すぎである。


「んん……」


 すっくと立ち上がる。落ち葉が数枚はらりと落ちた。焚き火はすっかり消えていて、服も乾いていた。良かった。

 池の水で顔を洗って、持って来た櫛で髪の毛をとかし、ハネている所は水で濡らして大人しくして貰う。尚、自己主張の激しいアホ毛はいつも通り言う事を聞いてくれない模様。


 服を着て、ベルトとリボンでしっかりとめる。それから三つ編みを作って左肩の方に流す。

 池を鏡代わりにして、よし、完璧。んふー。


「さて、と……」


 今、わたしが目指しているのは定期的に市が開かれている街だ。何回か行った事が有るね。

 市が開かれるくらい大きな街なら守護者ベクターギルドも有る筈だ。


 そう、わたしは取り敢えずお金を稼ぐ為に守護者になる事にしたのだ。

 テンプレ?知らん。妥当と言うのだ。


 商売?売るものが無い。料理屋?そこまでの腕じゃない。作家?需要有る?絵師?受け入れられるか賭けな上にお金が手に入るまでラグが有る。

 そう言う事もろもろを考えると冒険者もとい守護者の方がすぐにお金を手に入れられるし、それなりにやって行ける筈だ。


 それに、利点も幾つか有る。一つ目は国境を越える時に税が免除される事。

 ラノベの大体は冒険者ギルドに入っていて、ギルドカードを見せると通行税が安くなったり免除されたりする。この世界がどうかは知らんから現状は皮算用なんだけれど……。


 二つ目は武力さえあればなんとかなる事。おばあちゃんに稽古をつけて貰ってるし、弱くはないと信じたい。

 魔法を使うと魔女ってバレかねないし、出来れば足技と鍵槍だけでどうにかしたい。


 三つ目、これが一番の目玉。それは、最悪の場合身分を捨てるのに大して惜しくもなく逃げられる事。

 おばあちゃんが『言っちゃなンだが荒くれ者達だな』って言っていたし、多分来歴不明の怪しい奴が多い。失礼だけど、荒くれ者達がまともな定職につけるとは思えんし……。


 それに、魔女ってバレた場合、称号とか名誉とか不動産とか持っていると捨てるのが惜しくなるけれど、守護者ならギルド追放ってだけだしね。

 別に惜しくはない。身一つで逃げられるし。


 そんな訳でわたしは守護者になる為に街へ行きたいのだけれど……。


「……ここどこ?」


 周りを見渡しても木と池しか無い。道とか見えないし、現在地も分からない。地図も無い。

 昨日半ばやけくそで森に入ってしまったけれど道なりに進んで行けば良かったなぁ……。


「うーん……?」


 高い所から見れば街の方向とか分かったりしないかしら?

 街なら多分教会とか見張り台とか防衛の為の城壁とか有るだろうし、そう言うのが見えれば街まで行けるかも。


「高い物、高い物……」


 この辺りで高い物って言うと木しか無い。もしくはわたしが鍵の能力を使って飛ぶか。

 木登りは前世でも今世でもやった事無い。かと言って鍵だと視界が安定しないからかなり遠くに街があった場合視界がブレて見えなくなる可能性が……あと全方位確認するには何回か飛ばなきゃいけないし。


「登って……みますかぁ!」


 うっし、決めた。そうだ、木に登ろう。丁度少し行った先にかなり高い木が有るし、物は試しだ。もしかしたら木登りの才能が有るかもしれないし。

 前世は身体が弱くて病弱な上に友達いないし筋力も無かったから木登りなんて漫画の中でしか知らないし見た事も無い。やり方も知らない。悲しいなぁ。


 荷物を背負って木に近づく。黒っぽい木だ。上の方には小鳥が羽を休めているのが見える。

 わたしも鳥みたいに羽があったら空高く飛べて見渡せるのにね。リアル『翼をください』だわ。


 んー……さて、木に登るのは良いとして、だ。どうやって登れば良いのか一向に見当がつかん!どーしよ!

 ボルダリングなら、石が『ここだよ!ここだよ!』って自己主張しているからそこに手や足を掛ければ良いけれど、木だとそうもいかない。


 木だと登れる所も皆『……シーン』と押し黙って登れる気配を悟らせてくれないのだ。NINJAかあんたらは。

 まぁ、良い。なるようになるさ。例え爪が剥がれようと落下して尻餅をつこうとこっちは魔女なんだからすぐに回復するし。痛いけど!痛いけど!!(大事な事なので二度言いました。)


 取り敢えずガッ!とブーツを木に引っ掛けてみる。うん、登れそうだ。幸運な事に木はツルツルしてない、寧ろザラザラしている。

 次いで手をかけてみる。手袋が有れば良かったな、と思いつつぐっと体重をかけて登ってみる。


「お?おーっ!」


 前世と違って筋肉がついているからか、思いの外スルッと登れた。それを何度か繰り返し、ひとまず一番下のそれなりの太さの枝に辿り着く。

 こ、これが背の高い人達の視線……。……感動!木を登れた事にも、筋肉がついた事にも、背の高い人の視点を体感出来た事も!


「次はあそこかな」


 暫く感動に浸ってから目的を思い出す。そうだ、上に登らねば。

 さっきと同じ要領で木を登って行く。次、次、次……。


「ピッ!?」

「わっ、ごめん!」


 進んで行くとさっき見上げた小鳥の横を通り過ぎる際に小鳥を脅かしてしまった。ごめんね、驚かすつもりは無かったんだ!

 慌てふためきながら飛んで行く小鳥を見つつ悪い事をしちゃったなぁ……と反省する。


 ちょっとしょんなりしながらもなんとか上の方まで辿り着く。

 これ以上登ると枝が折れて落下してしまいそうだった。枝の上に立って、周りを見渡す。


「おおーっ!!」


 凄い、絶景だ!空気が澄んでいて、空が近くて、緑が広がっていて、遠くに小さく建物が見える!木登りって、こんなに良い景色が見れるんだ!

 あの建物の有る方向が街かな?よくよく目を凝らして見ると陽光を反射している教会の鐘のような物が見える。


 因みに前世では眼鏡っ娘で裸眼で視力が0.1以下だったわたしだが今世は多分1.5以上有るよ!

 液晶端末はこの世界では見た事無いからね!本は読んでるけど、明るい所で読む分には問題無いし!


 あー、それにしても良い景色だなぁ。丁度良いや、ここでお昼にしよう。

 わたしは今まで立っていた木の枝に腰をおろして携帯食を広げる。


 気分はさながらピクニック。思わず鼻歌も歌っちゃう。ふんふふん♪

 お酒で手を洗って、乾かしてから携帯食に口をつける。木を触った後の手そのままでごはんを食べるのはばっちいからね。


 ちょっと遅いけれどお昼の時間。今日のお昼は携帯食。らんららんら♪

 メニューは以下の通り。干しパン〜チーズと干し肉を添えて〜、干しじゃがいも、それに飲み物。


 高カロリーで栄養面をあまり気にしない、『食えりゃ良いんだよ食えりゃ!』って感じの物が多い印象だね。

 旅は過酷らしいし、栄養面は気にしていられないのだろう。それに長距離歩くからカロリー消費されて太らないしね。


 干しパンはかったい。おばあちゃんの焼いたパン程じゃないけれど、硬い。

 まぁ携帯保存用に水分飛ばしているからね、固くなるのも道理ってもんだね。


 なんとなく干しパンの上に干し肉を乗せてみたけれど、これ別々の方が良いわ。どっちも固くて噛み切るのに片方ずつの対処が必要になって来る。

 チーズは普通のチーズだよ。表面の白カビをとってパンに乗っけただけ。


 干しじゃがいもって言うのはその名の通り干したじゃがいもで、これはファンタジーな世界観にしては珍しい物だと思う。わたしが読んだラノベには一回も出て来た記憶は無い。

 味は普通のじゃがいもよりは甘いけれど干し芋よりは甘くない感じ。干し芋より小さいから食べやすくて、もちもちしている。黒ずんでいて見た目は悪いけれど、身体に害は無い。


 干しじゃがいも自体は元の世界にも有る。ただ、わたしが食べているのとは違う。

 有名所(?)だとアンデスのチューニョ、それとモラヤだろうか。いずれも日本にはあまり馴染みが無い。


 チューニョは氷結と融解を繰り返して作る黒い干しじゃがいも。そのままでは食べられないので鍋に入れるそうな。

 モラヤはチューニョに一手間かけた干しじゃがいも。水に一日さらして天日で乾燥させるから白い。見た目が綺麗だから高価で、それ以外はチューニョと同じだそうな。


 わたしも教科書で見て最初は生で食べたら美味しそうと思っていたんだけれど、生では食べられないと知ってがっかりした記憶が有る。

 甘くて美味しそうだったんだけどなー……。今思えば取り寄せて生で食べられないかチャレンジしてみれば良かった。


「……」

「ん?あ、さっきの……」


 もくもくとパンを頬張っていると視線を感じた。何だろう、と思いつつ視線の方向を見ると、そこには葉っぱに隠れるようにしてこっちを見ている小鳥が居た。

 多分さっきの驚かしてしまった小鳥だ。わたしはお詫びの気持ちを込めてパンを食べやすいように小さく割り、小鳥にそっと差し出す。


「さっきはごめんね」

「……ピィ」


 木の枝の上の小鳥の近くにそっ……とパンのかけらを置くとわたしを一瞥した後警戒しながら食べ始めた。

 一応、渋々と言った様子で返事をしてくれた。


 可愛いなー、と小鳥を見つつ思っているといつの間にか食べ終わっていた。

 さて、街の方向も分かったし降りて向かわないと。そう思って下を見る。


 ヒュウゥ……

「……」


 瞬間、固まった。下が、地面が、小さくて、遠い。

 わたしの足がガタガタ震えて、顔がサァッと青ざめて行くのを感じた。


 そう、これは━━


「高所、恐怖症……」


 病弱ぼっちヒッキーだったから知らなかった。まさか自分が高い所が苦手だったなんて。

 前世では一回もタワーとか登った事も無かった。修学旅行先にそういう所は無かったし、記憶に有る限りの家族旅行でも行かなかった。


 漫画は編集さんが取りに来るか送るかしてたから基本的に出版社のビルに行く事も無かった。

 高所から下を見る経験が、殆ど無かった。


「ど、どうしよう……」


 小鳥が『どうしたの?』とでも言いたげに小首を傾げる。君には分からんだろうね、高所の怖さが!

 わたしも鍵を使って空を飛ぶ訓練はおばあちゃんの修行の時にやっていたけれど、それとこれとは訳が違う。


 戦闘訓練中は相手おばあちゃんに一点集中しているからそれ以外の事はあまり気にならないんだけれど、こういう平常時は別!

 下を見るのが怖い!足が震える!目をぎゅっと瞑ってしまう!


「ううううう〜〜……」


 目に涙が溜まる。こ、こう言うのってどうすれば良いんだろう!?

 ああっ、前世での経験不足が悔やまれる……。やっぱ本だけの知識じゃダメなんだなぁ……。


 下を見るのは怖い。けれど、降りない事には進めない。

 最悪は魔法が有るし、痛いのは嫌だけれど、魔女だから死にはしない。とにかく上を向きながらゆっくりゆっくり降りて行く事にする。


「う、う……」


 今の所は順調に空が遠ざかって行っている。やっぱりこう言う時に落下防止紐とかが欲しくなる。木登りには使わないだろうけど……。

 テレビとかで見るバンジーとかビルの屋上の端ギリギリまで行くのって、怖くないのかねぇ。わたしだったら絶対に無理だね。書庫に引きこもっていた方が何倍も楽しい。


 あぁ……ヒッキーはヒッキーで有る意味幸せだったのかもしれないね……。

 怖い事を知らず、保護者に守られて……。人間的には弱くなっちゃってダメだと思うけれど。


「ふぅ……ふぅ……はぁ……」


 なんとか半分辺りにまで降りて来れた。緊張と不安と恐怖で冷たい汗が滲み出る滲み出る。髪の毛が汗と風のせいでぐっちゃぐっちゃだ。

 体力的には全く問題無いけれど恐怖心に打ち勝つのは中々難しいね。


 ここまで降りるのに登るのの倍くらい時間がかかっている。日がもう大分傾いてしまっていた。遅く起きすぎた。明日は早く起きねば……。

 今日は一歩も進めずに野宿かな……。いや、でも進むべき方向が分かっただけでも進歩さ。やるじゃんわたし!


 バキッ

「あ」


 恐怖が心を満たしながら、されど知らない訳にもいかずわたしの首はギ、ギ、ギと油の切れた金具のように錆びた音を出しながら、その音の方を向いた。

 わたしが足をかけていた枝は、『じゃあの』とでも言うようにその場から離れ、地面に強かにぶつかりバラバラに割れた。


『過ちすな。心して降りよ』


 地面も近くなった事で慢心していた。恐怖が薄らぎ、安心感が芽生え、余計な事を考える余裕が出来てしまった。

 故の、事故。故の、結果。わたしの身体は自然の摂理重力に従って落ちて行く。


『目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず』


 兼好法師という人がいる。その人の書いた『徒然草』と言う本の中に『高名の木登り』という話が有り、その中に木登り名人が弟子に向かって注意喚起をする場面が有る。

 名人が声を掛けたその時、弟子は一階の屋根くらいの高さに居た。


『過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつることに候ふ』


 名人が言うには、「失敗は簡単な所になって必ず起こる物」との事。

 ……完全に今の状態じゃないか。


「うああああああああああああああっっ!!!??」


 落ちる!落ちる!!落ちる!!!引かれて行って、落ちて行く!

 わたしは背中を地面に向けながら、反対に手は空を掴もうと伸ばして落ちて行く。


 前回よりも地面が近い!魔法を唱えている暇は無い!

 なら!わたしが出来る事はッッ!!!


象徴武器シンボリック・ウェポンッ!槍型ァッ!!!」


 咄嗟に鍵槍を取り出して木に突き立てる。

 ガリガリガリッ!!!と木の削れる音を漏らしながらわたしの身体は地面に引き寄せられて行く。


「くぅっ……!」


 鍵槍コレ、刺されたその場で固定とはいかないのか!今更ながら初めて知った!

 振動が、振動が、鍵槍を持った片腕を伝わって全身を揺さぶる。


 振動のあまり振り落とされそうになる。が、ここで落ちてなるものか!

 わたしは歯を食いしばりながら振動に耐える。耐えて、耐えて、耐えて━━


 ザ……ザザ……ザ…………

「━━っはぁっ」


 なんとか、止まった。地面すれっすれで、止まった。

 溜まっていた息が思わず口から飛び出す。心臓の音が耳にうるさい。


「た……助かったぁ……」


 わたしは力無く地面に足をつき、へたり込んだ。

 その日は目印だけ付けた後池の近くに戻り、就寝した。

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