解体する話

 


「いただき━━ゔぉぇっ」

「いつまで吐いてンだ」


 ダメだ、目の前には肉なんて一つも無いのに吐き気が止まらない。

 食べようとする度に、食事という行為を成す度に胃が反逆して吐き出す。


 理由は、昨日の羊を殺した光景が未だわたしの目に映って離れないから。

 噛む度に、食べる度に羊が頭をよぎってあまりのグロさと罪悪感に吐く。


 前世では、グロに耐性があると思っていた。

 漫画の参考にそういう画像を見たりもしたし、そういう描写の有る本もごまんと読んだ。


 でも、吐いた。耐え切れなかった。頭では大丈夫だと思っていてもいざそれを目の前にするとまた違った感覚に襲われる。

 視界は現実を映すし、鼻は写真や本には無い血の匂いを感じる。


 解剖もやった事はある。でも死んでいるのを捌くのと生きているのを捌くのでは気の持ち様が違った。

 今も、手からは殺した時に纏わりつくねっとりとした罪悪感と質感が消えない。


「早く食え」

「うん……うっ!」

「……」


 おばあちゃんが呆れの視線を向けて来るけれど吐き気は『知らん』とばかりにやって来る。

 食べたくても食べられない……拷問かな?


「今日は服を作ろうと思ッたンだが止めるか?」

「服……作り?」


 やりたい。凄くやりたい。しかし吐き気が胃の中でダンスをする。やめれ〜。

 おばあちゃんがご飯とにらめっこをしているわたしにアドバイスをする様に言葉を切り出す。


「これからも『殺し』自体は幾度となく経験するだろう。

 今すぐにとは言わねェが慣れた方が良いぞ」

「分かってるよぅ……」


 ただ、人としてどうなのかとも思う訳で……。

 ……わたしの縛られている倫理なんて立場や場所が違えば良いも悪いも変わって来るのに、頭ではそれを分かっているのに、考え方は前世の日本のままだ。


「服を作るのに昨日の羊を見る羽目になるぞ」

「うん……頑張る」

「解体もやッてもらう予定だ」

「ゔっ……頑張る」

「ならさッさと食え」


 わたしは胃袋の中にいる吐き気を追い出すようにご飯を流し込む。

 これは野菜だ、肉じゃない。食べられないくらい不味くもないのに吐くのはご飯に失礼だ。


 わたしの暗示が通じたのか、吐き気は渋々出て行った。


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「取り敢えず、毛を狩るぞ。その後解体して貰うからな」

「うん」


 そう言っておばあちゃんが取り出したのはハサミだ。

 元の世界と違ってバリカンが無いからハサミで刈る必要があるらしい。


「毛はこう、出来るだけ深く、けれど肌を傷付けない程度に刈れ。

 あたしが選別するから山にして置いておけ」

「うん」


 おばあちゃんはハサミでの切り方を教えた後、桶を準備したりし始めた。

 わたしはそんなおばあちゃんを横目で見遣りつつ羊に向き合う。


 わたしが殺した、わたしが命を奪った羊。

 それを思い出すだけでも吐き気が止まらなかったのに、面と向き合っている今は吐き気を覚えなかった。


 不思議だ。わたしだって吐くと思っていたのに。

 わたしが強いのか、人間が慣れる生き物だからか……。


 いや、わたしが向き合う気持ちを固めたからだ。

 服を作る為に、わたしは羊と向き合う事を決めた。それが殺したわたしに出来る羊への手向け。


『いただきます』

 この言葉は殺した生命へ贈る感謝の言葉だ。


 それとは少し違うけれど、殺した命へ責任を持って、感謝を持って向き合うのが大事なのだと思う。

 いつまでもウジウジしてはいけない。羊から目を逸らしてはいけない。


 ……まぁ、贖罪の意識なんて人間のエゴなのかもしれない。

 殺した人間の殺された側への言い訳なのかもしれない。罪悪感から逃れる為、心の安寧を保つ為の。


 そうだとしても、わたしは、わたしが殺した羊と向き合う必要が有ると思う。

 吐いて、拒否して、逃げ続けるのって失礼だと思うから。


「どうだ?進んでるか?

 ……吐かないンだな。吐くと思ッたが」

「うん……自分が殺したのだから、自分が向き合わなくちゃって……」

「そうか」


 おばあちゃんは毛を選別し始めた。何でも、毛も部位によって良いのと悪いのが有るらしい。

 選別して、それから洗って、色で染める。それが糸の作り方。


 糸を織って、布にして、そこから型を作って切って縫って……とやって行くとやっぱり大変らしい。

 だから同じ服に携わる店でも色々別れているんだね。


 そうこうしていると毛を全て刈り終える事が出来た。

 毛が無くなった羊はつんつるてんだ。電気を弾く必要があるからだろうか、ちょっとゴムっぽい?


「終わッたか」

「うん」

「もうちョい待ッてろ、川に行くから」


 太陽を見る。この世界でも太陽は一つだ。その太陽が丁度真上に来ていた。お昼の時間だ。

 わたしはお弁当を持って行ける様にパンとチーズを準備しに行った。


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 おばあちゃんに付いて行った先に有ったのは綺麗な川だ。

 ギリギリ上流に当たるらしく、川幅は狭くも無く広くも無くと言った具合だ。


「ここで捌き方を教えるからな。弁当は……」

「耐えきれたら食べる」

「分かッた。まず、そこに羊を置いて……」


 おばあちゃんの指示に従って羊を川べりに移動させる。

「ほらよ」と投げ渡されたナイフを受け取り、握りしめる。


「ナイフはこう持ッて……」


 グーで握ったらダメ出しされた。ナイフにも捌きやすい握り方とか有るんだね。

 わたしはしっかりと握った後、羊の前で手を合わせ、黙祷し、十字を切った。


「まず、頭を刎ねろ」


 ナイフはよく研ぎ澄まされているらしく、思ったよりもあっさり首はナイフを吸い込んで行く。

 が、ナイフは吸い込まれたのではない。切ったのだ。当然血がドバッと出る。


 ツン、と香る軽い腐乱臭。鉄の香り。絨毯の様な昏い赤。

 それが見る見る内に石の上へ、川の中へ薄く、広く広がって行く。


 鼻腔に、視界に、『俺はここに居るぞ』とばかりに広がって行く。

 勿論胃にもやって来て、胃袋をノックする様にボディブローを決めてくる。


 ━━でも、吐かない。なんとかせり上がって来た物を飲み込んでお帰り願う。


 ザクザク切って行くと硬い物にぶつかる。生物科目に弱いわたしでも、多分幼児でも分かる。骨だ。丈夫な丈夫な首の骨。


「へし折れ」


 おばあちゃんの非情な、でも正しい指示に目をキュッと瞑って、覚悟を決める。

 ゴキリ。良い音がして、振動が閉じた目を使わなくても『折った』と言う事実を伝えて来て、それがまた羊を殺した様な感覚になって襲って来て━━


「ゔっ……ぁあ"っ!」


 堪らず、吐いた。ダメだった。意思では、身体の反応を抑える事は叶わなかった。

 でも、吐く量は減った。吐くのを止めようとする意思が働いた結果だった。


「次は━━」


 踵を切る。皮膚を切る。お腹を切る。内臓を取り出す。

 その度に吐いて、吐いて、最終的には空っぽになって吐けなくなった。それでもえづきは止まらない。


 吐いてばかりじゃダメだ。そうは思っても身体は意に反して吐き続ける。

 ━━慣れねば。この世界で生きる以上。わたしは、向き合って、慣れて行くんだ。


 始めの内はダメでも、今は無理でも。いつかは吐かないでいられるように。

 おばあちゃんが優しく背中をさすってくれた。体温が、気持ちが、暖かかった。


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「お疲れ様だ。服に関しては後はもうあたしに任せとけ」

「うん……」


 疲れた。体力的にも精神的にも。わたしはテーブルに突っ伏して精気の無い返事をする。

 結局昼も食べられなかったし、夜は野菜しか食べられなかった。


「そうだ。ちョいと一杯やろうか。グリムもこっちに付いて来い」

「うん……」


 フラフラとしながらおばあちゃんに付いて行く。おばあちゃんの手には一本のウィスキーボトルと二つのコップ。二つも何に使うのかな?

 付いて行った先はおばあちゃんの部屋……のベランダ。小さな机にボトルをドンと置く。


「ほら、空を見てみろ」

「ぅん?……うわぁ……!」


 言われるがまま空を見上げる。そこには月と満天の星空が広がっていた。

 わたしは思わず感嘆の声を上げる。


 この世界の月はほんのり茶色みがかっていて元の世界よりも綺麗じゃない。大きいけれど。

 それでも風流を、神秘を感じる。


 星は元の世界よりも偏りが激しい。天の川(仮)の左横には星が一つも無いのだ。

 まるで天の川が全て吸い取ってしまったかのよう。


「元気になッたか」

「うん!」


 湿っていた気持ちが少し乾いた。ビルあかりが無い分元の世界よりも星が沢山見える。

 チラリチラリと瞬く星が、コップに入ったウィスキーと氷に反射する。


「そうだ、この世界に星座って有るの?」

「星座?有るには有るがあたしはあンまり覚えてねェぞ」


 やっぱり有るんだ。本とかになら載っているかな?

 この世界と元の世界の星の並びはやっぱり違うし、星座って身近な物を星の並びに当てはめた物が多いからこの世界特有の星座とかも有るんだろうな。


「覚えてねェが、二つだけなら分かるぞ。あの目立つ星五つが十字架座だ」

「アレ?」

「そうだ」


 確かに十字架にも見えなくは無い。元の世界にも確か十字架座は無いが南十字座は有ったな……。

 十字架座は空のてっぺんに輝いていて、その中心の星が不動だと言う。所謂北極星みたいな感じかな?


「後、あの十字架座の隣に有るデカイ星座が聖獣座だ」


 そうおばあちゃんは嫌そうに言った。聖獣……って何かな?

 あとゆびされただけじゃ分からないよ。


「何で嫌そうな言い方するの?」

「名前が気に食わねェ」


 名前って……聖獣と仲が悪いとかならともかくそれもうイチャモンだよ。

 おばあちゃんは片方の酒が入っていたコップを飲み干し、二つのコップに酒を注ぐ。


「おら、飲め」

「ぅえっ!?」


 未成年だよ!?飲酒ダメだ……いや、中世は十二歳こんくらいから飲んでたって資料もあったな……。

 前世では一度も飲めなかったし、興味無いと言えば嘘になるけれど……うむむ……。


「良いから飲め。辛い時には酒に頼るのが一番だ」

「う、うん……」


 おばあちゃんなりの気遣いなのだろう。断るのはよろしく無い。

 郷に入っては郷に従えって言うし、ありがたく頂こう。


 グイッとコップを傾ける。

 苦いけれどふわりとした良い香りが口いっぱいに広がって、強いアルコールの匂いも口いっぱいに広がってぇ……。


 数分後。


「ウェヒ、ウェヒヒヒヒヒヒヒ」

「おい、白目剥いてどうした?」

「アッハッハァッアハッハーーーッファーッフヒヒ☆」

「おい!?酔ッてンのかこれ!?おい、服を着ろ!脱ぐな!」

「ハァッハハァ☆」

「痛、ちョ、暴れンな!!!」


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 翌日。


「グリム……お前、酒は二度と飲むな」

「え?うん……」


 凄いスッキリした気持ちがする。昨日のお酒を飲んだ後の記憶が無いけれどとても良い目覚めだ。

 おばあちゃんが目の下に隈を作っている事以外は。


 何があったんだろうか?おばあちゃんの視線が痛い……。

 おばあちゃんは頭を抱えながらわたしに袋を押し付ける。何かな?


「本当は昨日渡そうと思ッていたンだが、渡せなかッたから今日渡すぞ」


 袋の中に入っていたのは毛と皮だった。昨日刈った羊の毛と皮。

 うん?服にするんじゃないの?渡されても困るんだけれど、どうすればいいの?


「これを自分の魔力で染め上げろ」

「染める……?」


 ううん?よく分からんな……。わたしは首をかしげる。

 それを見たおばあちゃんが人差し指をピンと上げて話し始めた。


「魔力で染める事によッて、傷がついたり破れたりしても魔力さえ有れば修復出来るようになる。

 普通は高価いし魔力が勿体無ェからやる人なンていねェけどな」

「へぇー!」


異世界あるあるの自動修復機能付きの服か!夢が有るね!

おばあちゃん曰く『魔女の魔力量は普通の人に比べてかなり多い』との事。


 だからこそ出来る方法だね!わたしは服を器に見立てて魔力をぐいぐいと押し込む。

 すると、何やら強い力で反発されたような感じがした。ゴムを押しつぶしているような感覚だ。


「……?反発される?」

「あァ、毛や皮の方にも羊の魔力が入ッているからな、反発されるンだ。

 それを押し込ンで自分の魔力に染め上げるンだ。疲れるだろ」

「うん……」


 確かにこれは疲れる。魔力を大量に消費する必要があるし、反発力は強いし。

 これは日数がかかりそうだぞ……。ふぎぎ。


「終わッたら渡せ。布にするから」

「うん」


 それから数週間掛けて毛と皮を染め上げ、布にした。

 後は服にして、金属パーツを付けるだけだ。

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