中学生って身分
「うっわー……ごめんね委員長、私たちちょっと甘く見てた」
「ちょっと清美!」
見慣れた壁紙、見慣れた本棚、見慣れた机、そして見慣れた修子と加奈の顔に右頬の痛み。
そこまで揃って初めて、清美はようやく自分が夢を見ていた事を悟った。
「今何時」
「四時半だよ」
「本当ごめ」
「いいの!」
重たいまぶたで修子の方を見た途端に別の方向から強い声が飛んで来て思わずびっくりしてしまい、その発言者に気が付いて更にびっくりしてしまった。
「加奈……」
「清美……あなたって、何様?」
何様。
全く思いも寄らなかった単語をさっきとはぜんぜん違う、いつもの調子で加奈に投げ付けられた。
何様って何よと言い返す事もできたはずだが、その気力すら湧いて来ない。
「ただの女子中学生にどれだけの責任があるの?どんなに大人ぶった所で所詮私たちなんて保護者に食べさせてもらってる身よ」
「ええ……」
いつもよりずっと多弁な加奈と、自分と同じように何も言えなくなっている修子。まだ夢を見ているんだと思って右頬をつねってみた清美だったが、痛くて仕方がない。
そこまで来てようやくこれが現実だと言う事に気付き、また混乱して体が硬直した。
「テストで百点取る事でも考えた方が健全だと思うけど、まだそんな漫画の主人公気分のつもり?」
加奈は清美のベッドに転がっていた色あせた表紙の漫画を右手で持ちながら、鋭く言葉を投げつける。芽以や奈美に向かっている時と同じ、頼もしいと思っていた眼。しかし投げ付けられてみると恐ろしくてかなわず、すがろうと思っていた修子も自分と同じように物言えぬ状態になっていた。
「ちょっと!って、あっ、ごめん!ごめんなさい!」
「ったくもう……」
「ああもう大丈夫だよ委員長、よっぽど辛かったんだね。私だってそういう時はあるし困った時はお互い様って奴だよまあ好きなだけ私の服濡らしていいからさ、私にできる事なんてそれぐらいしかないし」
にもかかわらず恐怖心が高じて加奈に枕を投げ付け、修子に泣きついた清美に対する加奈の眼は優しく、口数も普段のように少なくなった。それと共に修子も元の調子に戻り、清美を抱きしめながら舌を活発に動かした。
「キタカナってさ、無口な分一言一言が重いんだから気を付けないと、私みたいなおしゃべりとは訳が違うんだしさ、それから結論を焦って出し過ぎだよ、もうちょっと基礎から行かないとね」
「そこは気を付ける……」
数分間かけてようやく涙を涸らした清美がベッドに寝そべる横で、修子は床じゅうたんに座り加奈は普段清美が座っている椅子に腰かけていた。
「ありがとう二人とも、でももうどうしたらいいかわからなくって……」
「ごめんなさい、私もちょっと頭に血が上っててつい…………」
「あれのどこが頭に血が上ってるの?めちゃくちゃ冷静だったじゃない。私だったらもう委員長やキタカナにしゃべる暇も与えないでずーっとしゃべり続けてたと思うよ。
って言うか何様って何?意味わからないんだけど、委員長は重田清美様だよ。それで私は柿沼修子様だし、キタカナは北野加奈様だしー」
「そうじゃなくてさ」
「清美それでいいの、そういう事」
数少ない味方と共に一学期をなんとか泳ぎ切って来た清美も、その清美を支えて来たつもりだった加奈も、お互いの事を無駄に慮って何も話せなくなりそうだった二人が片や活力を取り戻して起き上がり片や笑顔を浮かべられるようになったのははまったく修子のおかげでしかない。
「とりあえず私が話したかったのはね、私たちはそんな大した人間じゃないって事なの。この漫画って何十万部と売れたんでしょ?そんな漫画を私たち描ける?」
「無理無理無理!」
「そういう事よ、でもこの漫画を描いた先生はその何十万人のために面白い物を描かなきゃいけないって責任を背負ってるの。私にはとても無理な話」
清美の漫画を手に取りつつ、加奈は笑いながらため息を漏らした。まずその境地にまでたどり着けるか否かと言うのはさておくとしても、大人の仕事と言うのはそういう物だろう。
だが清美たちはまだ中学二年生、世間的に言って子どもだ。
もちろん家族に迷惑をかけるのは悪いとしても自分たちの力で一体何人の運命を左右できると言うのか、とりあえず清美は今自分の力で柿沼修子と北野加奈と言う二人の人間を動かしたが、同じ同級生でも久井原美香を動かす事はできていない。
「やっぱキタカナって頭いいよね、私にはとてもそんな事は想像できなかったし、何とかなるよで済ませちゃってさ、委員長やキタカナと違って私頭悪いから勉強しないとまずいかなーと思って、いや実際にやってたんだけど」
「自分で頭悪いと言う子って頭悪くないよ、頭悪いってわかってるだけ頭いいから」
「委員長って出会った時からずっとそうだよねー、ずっと変わってないよー」
「半年で人間が変われるの?」
半年どころか、一日二日で変わってしまった人間を三人ともよく知っている。清美は無論、修子も加奈もその突然の変節の理由を全く理解できないでいた。
四月の段階においては、清美と芽以や奈美との関係は悪くはなかったはずだ。ただの同級生、その言葉が似つかわしい関係だった。そしてそれは、清美と修子及び加奈に対しても同じだった。
それがある日、突然に関係が変わった。芽以も奈美も振衣も、清美の言う事にまったく耳を貸さなくなった。先に口を利いたら死ぬと言う決まりでもあるかのように固く口と耳を閉ざし続け、誰がどんなに忠告してもそれだけは曲げようとしなかった。
そしてその関係はついに一学期が終わるまで続き、そして二学期が始まる直前に芽以たちとそのすさまじいまでの意志に引きずられた人間たちは消えた。
「私にはわからないのよね。芽以たちが消えたのと犬に何の関係があるのか」
「清美はめいちゃんや自由人が犬になったって思い込んでるみたいだけど、根拠って何?教えてくれない?」
「だって、その……あまりにもタイミングがぴったり合いすぎててさ」
「弱いよ、ねえキタカナ」
「ああ弱いわね、それともあなた久井原さんが何かしたとでも言うの」
「まさか!」
考えてみればこの夏休みを経て事件以外に大きく変わった事と言えば、美香の転校以外にはない。
美香と言う存在が加わるとほぼ同時に二十六人の生徒が消えた、なるほどタイミングとしては悪くないが、やはりそれ以外の根拠は全然ない。
「清美、あなた誰に殺されそうになっていたの」
「私は誰にも!これは本当だよ!」
「委員長がウソを吐かないのはよくわかってるからさ、じゃあ一体誰を殺させちゃいけないのかって事ぐらいは教えてくれてもいいんじゃないかなー」
この時、加奈の眼が再び光を帯び始めていた。その光に照らされた清美が放った言葉に釣られて再び清美が前後を失ったように口を開くと、今度は修子も加奈と共に清美に言葉を投げつけて来た。
「ねえ修子、加奈……」
「どうしたのねえ委員長」
「いくら話してもわからない時、他の手段を使うのってどう思う」
「他の手段って何、例えばメールとか。ああ手紙とかいいよね、自分の思いを必死にしたためて送るってさ、ラブレターとか書いてみたいしもらってみたいよね」
「確かにそうね、で誰を守りたかったの」
浅野治郎が銃で三匹の子犬を殺そうとしている、その事実を口にする事は清美にはどうしてもできなかった。
暴力反対とか言う決まり文句を口にする気もないが、それをやったらそれこそ終わりなき報復合戦ではないか。どんなに憎しみ合っていてもいずれは分かり合えるはず、などと言うのはきれいごとであり自分が幼い証拠だとでも言うのか。
「三匹の子犬……」
子どもじゃないしと言わんばかりに観念したように夢の中身を半分ほど話すと、清美は再び力尽きた様にベッドに倒れ込んだ。
部屋着のデニムパンツでなく制服のミニスカートを履いていたら修子と加奈から下着が丸見えな倒れ方であったが、清美にはそんな事を気にする余裕もなくなっていたし、元よりその気もなかった。
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