犬と夢
そしてしばらくして起き上がると、まるで巨人にでもなったかのように天井が低くなっていた。
巨人と言ってもせいぜい二メートルあるかないかだが、本来の自分の肉体からすれば十分に大きい。
その巨人である清美の周りを、小さな犬たちがはい回っていた。
はい回るだけならばよかったが、ほどなくして犬たちは清美の足をひっかき、かみ付き、飛び付いてスカートを下ろそうとした。
面倒くさいとは思ったが、怖くはなかったし痛みもなかった。
「ほらほらどうしたの」
だからなるべくやさしく温かい言葉をかけてみたが、犬たちは逆に暴れ出した。相変わらず痛みはないが、今度は大声を上げて吠え始めた。うるさいとは思えないが、どうにも嫌になってくる。
しかしなぜか不思議な事に、腹が立って来ない。
と言うか、感情がまるで波立たない。
はぁ、ふーん、へええ、ほう…ハ行の言葉ばかりが清美の頭に出て来る。他に何を言ったらいいかとんとわからないが、頭が混乱していると言う訳でもない。
その間にも犬たちはさらに激しく暴れ回り、自分の足元におしっこをひっかけられたりもしたが、それでもまあぐらいしか言う事が出来ない。
そんな全く無感情な清美の心は、一人の男性によって一挙に逆立てられた。
「浅野さん!」
緑色のつなぎと帽子を身に纏い、手には木の棒を持った男性。紛れもなく、おととい保険所で出会った浅野治郎だ。
だが、なぜかおとといより髪が長い。
浅野は清美に向かって、笑顔を絶やさないままにじり寄って来る。どこか男っぽくない歩き方をする浅野に対し、清美に噛み付いていた犬たちもニヤリと笑い、そのままみじんも表情を崩そうとしなかった。
その浅野は、二日前に清美が見た時と同じように笑顔のまま、木の棒を犬に向けて振り下ろした。
「え、なぜ……」
その一言と共に犬は動かなくなった。ワンワンと吠えていたはずの犬が、人間の言葉を話しながら倒れ込んでしまった。
「なんでですか、これは一体どうしてですか!」
「複雑な理由なんかないよ。人間にどんなに動物を愛する心があった所で、この町は人間のために作られたんだ。人間にとって邪魔にしかならないと判断すれば取り除かれる、少なくとも追い出される。犬は家族の一員とか言うけど、家族の一員になろうとしてないで好き勝手に甘ったれて許されると思い込んでるだなんて、まったく威張りくさった連中だよ」
「そんな!」
「そんな、ねえ。君は、いや君は実に寛容ですばらしく優しい人間だ。でも世の中にはその優しさを素直に受け取れない輩もいる。生物ならば誰しも持っている破壊の本能、そして生存本能、そして人間の業である欲って奴。ひとつならばともかく三つ揃っちゃうとこれがまた何より厄介でね」
浅野の顔は、全く変わらない。ようやく感情が動き出した清美に向かって人畜無害そうな笑顔をしながら右手の棒で清美に迫って来る犬を殴り続け、そして舌をこねくり回している。
清美より少し小さい、あの時の背丈のままの浅野が、今の清美には十メートル以上の大きさに見えて来ていた。清美がどんなに懸命に救いを求めようとしても、浅野はまるで動じる気配がない。気が付くと、清美の周りは浅野に叩かれてのびている子犬でいっぱいになっていた。
「た、た、助けて……」
「大丈夫、私は君をどうこうしようだなんて」
「そうじゃなくて、この仔たちを……」
これだけの力の差。まさしく動物虐待ではないか。助けなければならない、助けなければならないと思いながら声を絞り出すが、浅野はまったく顔を変えようとしない。
それでも何とか守ろうと両手を伸ばした瞬間、三匹の子犬たちが清美に飛びかかった。一匹は頭に、一匹は胸に、もう一匹はお尻に。
そして今度は、激しい痛みが襲いかかって来た。それでも清美が悲鳴を上げずに我慢していると、浅野は棒を振り回して三匹の子犬を一瞬で弾き飛ばした。
「うそ……」
「どうして……」
「バカな……」
子犬たちはいっせいに人間の言葉で最大限の驚きを示し、そのまま硬直した。先ほどの犬と同じように、清美の味方をした事が心底から信じられないと言った感じの口調だった。
浅野はいくらやっても言う事を聞かないのならば、こうするしかないんだよと言いながら棒を投げ捨て、どこからともなく黒くて細長い物体を出した。紛れもなくそれは、銃だった。
中に何が入っているのかはわからないが、けどこれで撃たれたら多分命がないだろう事だけは火を見るよりも明らかだった。
「ダメ、ダメ……!」
「ダメじゃない!」
清美は必死に止めようとしたが、浅野はまるで言う事を聞かない。笑顔を顔面に貼り付けたまんま、甲高い声を上げながら銃の引き金に指を構えながら三匹の子犬に歩み寄って行く。犬たちが震え声を上げる中、浅野はゆっくりと
「殺さないで!」
清美がそう叫んだと同時に銃声が鳴り、それと同時に別の犬、久井原美香そっくりの犬が清美の顔面に飛び込んだ。
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