心配する人
「あの子たちはどうなるのかなー」
ソフトクリームをコーンまで食べ終わった修子に加奈がもうほとんどソフトクリームの入っていないコーンを差し出すと、屈託のない笑みを浮かべながら修子はうなずきコーンを受け取り口へ運んだ。
そのコーンを消化し終わり口を拭った修子の、これまたまるで邪気のない言葉に清美は、最後の一口となったコーヒーを口に含ませながら両目で修子を見た。
確かにああいう所に押し込められた犬たちがその後どうなるのか、その事についてはあまり考えたくなかった。
「飼い主が見つかればいいんだけどれどねえ……」
「くいちゃんは」
「ダメ、動物嫌いって言ってたじゃない……」
美香は一昨日小学校時代に襲われたとか言う理由で動物嫌いを公言しており、そのような事をするとはとても思えない。そして修子はまだともかく、清美も加奈も犬と言う存在は好きでも嫌いでもない。
何より、状況が状況とは言え出会ってそうそういきなり敵意を込めて吠え掛かって来るような犬を飼えと言われると話は別である。明らかな人任せ、というかそうでなければ対処できそうにない存在。
自分たちでなければいいので誰か引き取ってくださいだなんて、完全な捨て犬の理屈ではないか。
と言うか、清美たち三人と二十六匹の犬の間にどれだけの関係があると言うだろうか。今日たまたま気まぐれで行った保健所にいる、ただの野良犬。それだけの関係に過ぎない。
「帰ろうよ」
遅かれ早かれ出る流れだったそのセリフを、清美が言い出したのはたまたまである。修子だって加奈だって、清美が言い出さなければ同じセリフを言っていただろう。
とにかくそのセリフが三人の解散を告げるメッセージであった事だけは覆しようのない事実であり、コンビニを出た三人は二日後の学校での再会を約束して自分たちの家へと帰って行った。
家に帰った清美は母親へのあいさつとうがい手洗いもそこそこに、すぐさま自分の部屋で横になった。それ以上何もする事なく、おとなしく寝転ぶだけだった。
(どうしてもわからないんだよね、あの子が何をしたいのか。エースだって何をしたいか全然私にはわからないのに……)
あの犬たちは、何をしたいのだろうか。何のために自分たちに吠え掛かって来たのだろうか。
相手の命を奪う事に何の意味があると言うのか。
コーヒーだって、コーヒー豆を火にかけて出した代物だ。人間を火にかければ間違いなく死ぬ。
肉だって野菜だって、自分たちがされたら命を奪われるような事をされている。それらの存在が人間により繁殖させてもらっているのだから相互利益と言う奴だとか言う理屈を振りかざすような趣味は清美にも加奈にもない。
そして、あの二十六人の同級生の行方もわからない。
(みんな大丈夫なのかなあ……)
今日もまた、朝のニュースで板橋振衣の父親が呼びかけていた。
もし自分が突然いなくなったら、どうなるだろうか。一体誰が自分の事を心配してくれるのか。
清美は体を起こして両手を開き、指を折り始めた。両親と、そのまた両親。そして両親の兄弟姉妹。それから修子と加奈に、沖田先生を始めとする学校の関係者。ざっとこんな所だった。
芽以や奈美、振依は心配するだろうか。
やっと害毒を追い出してやったと吹聴し、どんなにその行為を汚らわしいとか醜いとか思う事は一切なく、その事を指摘されれば次なるターゲットとしてその相手を食い尽くそうとするかもしれない。もちろんとりあえずは修子と加奈だろう、そしてそれを繰り返してその先にいったい何が残ると言うのか。
食べ物を得る以外にもうひとつだけ相手の命を奪うに値する理由があるとすれば、それは「そうしなければ自分か、自分がどうしても守りたい物が死んでしまう」しかないはずだ。
あの犬たちは、浅野治郎と言う絶対的であろうはずの存在にあれほどの仕打ちを受けてなお自分たちへの敵意を隠そうとしなかった。
保健所の職員であるはずの浅野がまともな食事を与えていない訳はない以上、自分たちがわが身を脅かす存在であると考えていなければあの吠えようは理屈が通らない。
牙にも爪にもまともな力はなく、それほど運動が得意なわけでもない自分がどうしてそこまで恐れられるのか。
「あの子たちは、なぜあんなに吠えたんだろう。本当に無関心ならば何もしていなかったはずなのに。あるいは浅野さんと違ってまったく見知らぬ存在である私たちを警戒しただけなのかもしれない。私だって、あんな所に押し込められていたら頭がおかしくなると思う。実にかわいそうなワンちゃんたち、でも」
小学校の時に勢いで買って五日間しか付けなかった日記の、空いているページに適当に自分の心情を書き込もうとした。だが、続きが出ない。
私に何ができると言うのだろうか、でも仕方ないよねとあきらめようとでも言うのだろうか。二十六匹の犬たちに対し何をしたらいいのか、何ができるのか。
「あーっもう!」
シャープペンシルを机に叩き付けてみたものの、それで何が浮かぶわけでもない。全く罪もないのに体を叩き付けられたシャープペンシルは不平を述べながら机の隙間に転がり、その後無言で清美に尻を向けながら転がっていた。
どうにも浮かばず日記を閉じるのも面倒くさくなってベッドに寝ころび、そのまま急に重たくなったまぶたとの戦いを清美は放棄した。
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