集団無視

 中学二年生の一学期。本来なら希望を持って迎えられ、過ごす事になるべきその時間は、清美にとって最悪のそれになった。




 正確に言えばGW明けからだ。




「奈美」

「…………………」




 どんなに呼びかけても何の返事もしない。学級委員長と言う立場の人間が何を言っても従おうとしない。





 授業の時も、休み時間も、食事中も、トイレの時さえも石田芽衣は無視を続けた。


 そして芽衣の仲間は一人増え二人増え、最後には二十五人になっていた。


 かろうじて沖田と二人の同級生の後押しにより、清美の言葉は生命維持装置につながれている程度の人間の力を持っていた。






「何が不満なんだ具体的に言ってみろ」

「何にも」


 沖田に問われてなお口にした何にもと言う石田芽衣の言葉は、短くも心をえぐるには十分だった。

 何度注意しても口だけでさえ謝ろうとせず、かたくなに無視を決め込む。お前は清美と関わったら死ぬ呪いでもかけられてるのかとよそのクラスの生徒から言われた際に、芽衣は首を大きく縦に振った。




「どうせ私の名前の事からかってるんでしょ、その目に書いてあるよはっきりと」

「目は口ほどに物を言う、まったく清美を見てるとその事がよーくわかるわよね」


 芽以と共に清美を無視し続けていた中心勢力の中にあったのは、元からその類だった斉野奈美と板橋振衣ふりいだ。


 元から芽以と仲が良かった奈美といわゆるキラキラネームを付けられたせいか常に鬱屈としていていたぶれる対象を探していた振衣。


 芽以によって始まった、清美をサンドバッグにすると言う遊びのブームに、二人はためらう事なく乗っかった。一日ごとにそのブームは広がり、ふた月の内にクラスのほとんどはその色に染まった。










「ねえ加奈、あの委員長気取りの頭でっかち女」

「誰の事よ」

「重田よ!あの重田の事、あんた嫌いでしょ!」

「イエスって言ったら、あなたは嬉しいの……?」

「そりゃもう!」

「じゃイエスって言ってあげる、そのお礼に学級委員長の言う事を真面目に聞いたら……?」


 そんな中、五月中頃加奈は陽気な顔をしてそのブームに引きずり込もうとする芽以に向かってこんな事を言ってのけた。

 その加奈の言葉に対し、芽以は鼻を下品に鳴らしてそっぽを向き、この瞬間加奈もまた清美と同じように芽以のサンドバッグになった。


 それで梅雨の直前のある晴れの日、一体どこの役所から持って来たのかわからない婚姻届と、一本のボールペンが加奈の机の上に置かれていた。




「今度さ、渋谷区でいいお家探してあげるよ。善は急げ、兵は神速を貴ぶって言うし」

「本当ならこれじゃない方がいいんだけど、今はちょっと他に用意できなくてね」


 まるでいやらしさがない、心底からの誠意であると言わんばかりの顔。もしその顔をどこかの芸能プロダクションが見ていたら、スカウトされてもおかしくないほどの名演技。芽以と奈美は、それほどの事をやってのけていた。




 なんで清美なんて言う存在を擁護するのか、訳が分からない。同情とか、友情とか、そんなちっぽけな言葉では言い表せない段階まで行ってしまっているのではないか。ならばいっそのこと後押ししてあげるのが、誠意と言う物だ―――。




 清美と言う醜悪極まる、どれだけ苛んでも構わない存在を守る者はみな頭がおかしいという、芽以にとってだけ絶対不変の真理であると言う現実を出すために作り上げられた、まったくの屁理屈だった。


「めいちゃんも上昇ちゃんもヒマだよね、これどこまで行って持って来たの」


 ヒマ。


 この二人の行為に向かって修子がこぼしたその単語には、何の間違いもない。芽以も、誕生日が十二月三日と言うだけで上昇ちゃんと言うあだ名をつけられた奈美も、自分たちの屁理屈を補強するためにわざわざそんな物を取りに行って来たのだ。

 勉強も、運動も、おしゃれもせず、おいしいデザートを楽しむ事もしなかった。あえて言えば友情を深めたとかゲームを楽しんだとか言えるが、時間や手間を費やしたにしてはあまりに稚拙な児戯だった。


「修子のバーカ!」

「バカねえ、まあ私本当にバカだからよくわかんないけど、めいちゃんと上昇ちゃんがヒマだったんだなーって事だけはよくわかるつもりだよ」


 バーカと言う短く軽い言葉に含まれていた、芽以と奈美の同志である振衣の憎悪は深かった。私たちはこんなに真剣に考えているのに、どうしてわかろうとしないんだろう。わからないのではなく、わかろうとしていない。


 バーカと言う最大限の侮蔑をぶつける事によって目を覚まさせてあげようと言う、自分なりの真心を踏みにじった修子の言葉があまりにも不可解かつ恐怖と憎悪を掻き立てる物であり、その瞬間これまで放っておかれていた修子もまた芽以たちの敵になった。










「気に入らないでそこまでする理由はないだろう、具体的に言ってくれ」

「……………………さあ」


 教頭や校長まで駆り出して訴えても、かたくななまでの沈黙、無視、拒絶をやめようとしない。沖田どころか親の言う事にすら耳を貸そうとしない。

 私が悪かったですと頭を下げて来るまで絶対に言う事なんか聞いてやらないし、その前に口も利きたくない。理由なら自分で考えろ、この無茶ぶりをクリアしない限りお前らとは関わりたくないと言わんばかりに三人は何も言おうとしない。強烈な意志であるのに全く根源が見えない。


 そんな怪物と、清美たちは二ヶ月以上戦った。


 幸いなことに沖田や親は協力してくれたが、それでも芽以たちはまるで貝のように口を開こうとしなかった。そしてその三人の意志はゆっくりと残る二十三人の同級生を取り込み、七夕の頃には清美の言う事を聞いているのは修子と加奈だけになっていた。




 そして三人は、自分たちの親から叱責されても意志を貫く事をやめないまま行方不明になってしまったのである。

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