転校生、久井原美香

「それから三人とも知っているようだが、よりによってと言うべきか今日から転校生がうちのクラスに来る事になっててな」




「教頭先生とかに頼めなかったんですか、二年生のクラスはあと三つもあるのに」

「いずれ戻って来るだろうとか、それに他のクラスに入れた所ですぐさまわかってしまうだろうから同じだとか言われてな。ましてや断る事なんてできやしない」


 断ってくれれば一番いいのかもしれないが、断ったとして一体どこに行くと言うのだろうか。沖田の話によればその転校生がこの学校に来る事に決まったのは七月の二十日ごろだが、二年三組で請け負う事が決まったのは八月二五日らしい。

 校内で決まった話ならばまだともかく、向こうの家にまで告げているとなるともう後戻りのしようなどなかった。



「とにかくだ、もうそろそろ学校にたどり着いている頃のはずだ。仲良くするんだぞ」



 沖田がこれまた定型句を言い終わったちょうどその頃、セーラー服姿の長い黒髪をした少女が教室の引き戸を開けて入って来た。


 薄いブレザーを着た清美たちから見るとどうしても浮いてしまう格好だが、ほんのひと月あまりしか着る事がないだろう夏服をわざわざ買う必要もないだろうしと言う理屈はよくわかる。



「転校生の久井原美香です。実は小学校時代にも転校の経験がありまして今回で二度目なんです、よろしくお願いいたします」


 転校生にありがちな感情を抑え込んでとりあえずは受け入れられようとするような所はなく、かと言って無理に存在をアピールしようとする所もない。二度目と言う事で慣れていると言う訳ではないにせよ、スタートとしての挨拶と言う点では大変うまく行ったとも言える。

 自分が同じ状況に立たされて同じ事ができるかどうか、修子なら絶対できると簡単に言って実際に成功させるだろうし、加奈ならばさあどうだかとその場でだけは言いながらも結局はこなしてしまいそうである。それだけで清美は二人を尊敬する気になれる。



「久井原美香ちゃんかあ、私柿沼修子。くいちゃんって呼んでいい?」

「どうぞ、で席は……」

「とりあえず予定は真ん中の列の前から三番目なんだけど」

「ではとりあえずはそこでお願いします」


 五列に六つずつイスと机が並んでいる教室の中でこの時埋まっている席は、わずかに三つ。一番窓側の列の一番前の修子とその右斜め後ろに座る加奈、そして廊下から二番目の列の前から四番目の席の主である清美。それが全てだった。

 今回美香が座った席は加奈の一つ右であり清美の斜め前と言う位置だ、つまりたった四席しか埋まっていない席が斜めの一本の線でつながる事になったのである。


「いろいろ大変だと思うけどよろしく頼むよ」

「はい沖田先生。でそちらは」

「学級委員長の重田清美です、よろしくお願いします」

「北野加奈です……よろしく久井原さん」

「さて皆さん、久井原さんは前の学校ではセーラー服を着ていたという事で、こうして特例で着用が認められています。まあご存知の通り皆さんは第二次性徴のただ中、一年の間に大きく成長して服が合わない事もあるでしょう」



 せっかくの新しい学校での思い出がうんちゃらかんちゃらとか、長引く不況のせいや家庭の事情でとか言うややこしい理屈はなく、ただ寛容なだけの話。

 まあ不況のせいと言えなくもないが、ことさらに騒ぐほどの話でもない。




 騒ぐと言う事で言えば、二十六個の空き座席がある方がよっぽど騒ぐに値する話である。二十六個の空席の主たちはいったいどこへ行ってしまったのだろうか。



「さてこれから始業式です。皆さんは入学式も含めれば五回目ですからもう慣れていると思いますが、久井原さんはこの学校では初めてですからしっかりエスコートしてくださいね。では」


 沖田のこれまたたやすく予測できた棚上げその物の挨拶を聞きながら、清美たちはたった四人で講堂へと向かった。

 彼女たちが背にしている教室に、すいません遅刻しましたと言いながら教室に駆け込んで来るような生徒がいる事を祈りながら講堂に並んだ四人の姿は、セーラー服姿の美香が混じっている事を加味しても視線を集めるに足る物であった。




 集団夏風邪だとでも言うのか、あるいは呪いか何かか。出会う人間みんなが、口さがないと言うより恐怖心に駆られているように四人を見ながら口を動かしていた。好機の目線と呼ぶにはどこか目つきが真剣であり、心配していると言うにはどこか親身になっていない。



「私だってそうする」

「まあしょうがないかもねー」


 そんないびつな目線を向けられた清美が救いを求めるように修子の方を向いていると、加奈がいつもの調子で正論じみた調子でつぶやいて空気を引き締め、修子が軽い調子でそれに答える。清美はたったそれだけの事で視線を飲み込む事ができ、安心した気分になれる。



「三人と一緒ならこの学校でも頑張れそう、ありがとう」


 それに覆いかぶさる美香の安堵の声は、いよいよ清美の心を安らかにした。校長や教頭の型通りの話も、今の清美にとっては実に心地の良い言葉であり心の中にすっと入り込んでいた。

 その平安が一時しのぎに類する物である事を忘れた訳でも目を背けたかった訳でもないにせよ、いつもはまともに覚えていない校長の話を今なら一言一句の単位でそらんじられる気がするぐらい集中できていた。


「廊下を走るなとは言うけどね、さすがに遅すぎやしない?」

「間に合うでしょ」


 それで一時しのぎに過ぎない事をごまかすかのように重たい足取りでクラスへと戻って見たものの、やはりクラスには自分たち四人しかいなかった。

 ああしまった寝坊した、いまさら講堂になんか行けやしないから教室でおとなしくしているしかない。そんな存在が一人でもいないかと、清美はわずかでも期待していた。しかし教室に近づくにつれその元々ないに等しかった期待はゆっくりとしぼみ、そして教室に入ると共に跡形もなく消えた。




「えー、本日はこれで終わりです。明日はまだ午前中だけですがあさってからはいつもの分の授業があります。幸い今年の九月一日は水曜日でしたから、慣らしていく時間は結構あると思います。美香さんもこの学校に慣れて行ってくださいね、3人もこれから頑張りましょう。では重田さん」

「ありがとうございました」

「では皆さん、安全に気を付けて、さようなら」


 学級委員長である清美の挨拶と共に四人の生徒が席を立ち、そしてカバンを持ちながら校門へと足を運んで行った。







「なんていうかさ、私たちって中学二年生じゃなくて幼稚園二年生?」

「小学校二年生ならわかるけど幼稚園二年生って何よ修子」

「でも言いたい事はわかる……ねえ久井原さん」


 校門には二年三組の四人の生徒の親が並んでいる。今日が初登校である美香の親が来るのはもっともとしても、清美や修子の母親まで迎えに来ているのは正直過保護の誹りを免れ得ない話であった。


 その上に、少子高齢化をいかんなく証明するような多数の老人たち。子宝は我々が守ってやると言わんばかりに、頭の白い男女が校門を固めている。


「大丈夫だ、我々が守ってやるから!」

「これから涼しくなって来るし、まだまだ若いんだから」

「おじいちゃん、気持ちはわかりますが私にもやらせてください」


 もしこの状況を、自分が最後の炎を燃やす場だと考えているのならば実にたくましい話だ。あるいは、普段家の中に籠りがちで鬱屈とした気持ちを、隣近所の人間たちと共に晴らす事が出来る絶好の機会だと思っているのか。


 清美は老人たちの張り切りぶりに内心で苦笑を浮かべながら、母親と共に家路に着いた。

 その横では老人が連れている犬が所在なさげに鳴きながら、美香の方を見ていた。

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