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@wizard-T

たった4人の教室


 九月一日。秋なのは暦ばかりで、セミは鳴くし太陽は元気に照っている。


 一応熱帯夜はここ数日間なく朝夕の寝苦しさも若干緩和されたが、それでもクーラーや扇風機に安息の日は来なかった。


「行って来ます」


 そして九月一日と言えば、多くの学生にとって二学期の始まりの日である。女子校に通う中学二年生、重田清美にとってもそれは同じだった。


「行って来ますって、一人で大丈夫」

「私は来月で十四歳だよ、たかだか徒歩十五分の話だし」


 四十日ぶりの学校とは言え、本来ならば清美の言う通りたかだか徒歩十五分の範囲内の中学二年生の登校に親が付いて行く理由はない。




 だが今日の通学路には老人たちが並んでいる。まるで不審者を全力で見張るかのように並ぶ彼ら彼女らの目線に当てられながら、清美は一年半通っている中学校へ歩いた。


 鋭さと同時に温かさを持った、年季の入った目線。白と認めた物にはとことん優しく、黒と認めた物には容赦などいらぬとばかりの姿勢。もし自分が黒だとすれば即座に取って食われそうなほどの視線の洪水の中を歩く清美には、どうにも頭を上げる気分は起きなかった。


「暑い中大変ですね」

「まあな、お役人様がうんたらかんたら言う前に、庶民がまず姿勢を示さんとな」

「元お役人様が何を言ってるのよ」


 老人たちの他愛ない歓談、そういう歓談がされている事自体が平和なのかもしれない。


 だがそれでも清美が通う中学校を含めたあちこちに暇を持て余した定年退職済の人間や主婦たちがずらりと並ぶ光景はどうにも物々しく、どこか奇形じみた形の平和である事はあまりにも明白だった。


 そしてこの「歓談」に、清美の母親は加わっていない。その事もまた清美にとって心地が悪く、生まれてから今までこの町からほとんど出ていない自分がよそ者扱いされているように思えてならなかった。

 昨日清美は必死に母親を加えてくれるように自治会長に頼み込み結果翌日から加えてくれる事になったが、どうにも座りの悪さは否めない。


 見慣れたブロック塀や樹木、青空もどこかペンキで粗雑に塗り固められたように不自然であり、何度も顔を見ているはずの近所の人たちの笑顔もどこかいびつに見えた。




「おはようございます」

「おはよう委員長。宿題はどう、って委員長ならば問題ないよね」

「まあね」


 七時四十八分に教室にたどり着いた清美に声をかけて来た同級生は、柿沼修子だけだった。一日〇〇分のペースで確実に消化し、勉強する習慣を身に付けてもらいたい。それが学校と親の狙いなのだろうが、えてして子どもの方は七月中に全部片付けようとするとか八月下旬になってからあわてふためいて片付けてしまうとか言うやり方で済まそうとする。


 その点では清美は全く正しい生徒であり、このクラスの学級委員長にふさわしいと言えた。八月下旬が毎年修羅場である修子にとって清美はそれだけで尊敬に値する存在であり、単純に頼れる存在であると評価していた。


「おはよう……」

「ああキタカナおはよう、二学期もよろしくね」

「おはようございます」



 宿題の片付け方と言う点で言えば、このキタカナこと北野加奈と言うボブカットの少女は修子とは真逆に七月中に全て片付けて八月は遊びに集中する、そんな生徒だった。

 よく言えば色白でほっそりとした、悪く言えば生気に乏しくひょろ長なもやしっ子と言った感じの加奈であったが、清美や修子との付き合いという点ではうまく行っていた。


「しっかしキタカナって今日は珍しくおしゃべりだよね、何かあったの」

「あなたと比べればみんな無口だから……」


 そして口数と言う点においても対照的だった。加奈が一言しゃべる間に修子はその数倍の量でまくしたて、話の主導権を握って強引に持って行く。


 その事に対しても、修子が出会って二時間で名付けたキタカナと言う安直なあだ名に対しても、少なくとも口で不満を述べた事は一度もない。不満があるのかないのか、加奈の表情から読み取るのは四ヶ月以上一緒に過ごして来た清美にも修子にも難しかった。


「それにしても変ですね」

「そーそー、みんな普段の授業のつもりでいるのかもしんないけどさー、始業式の日にはいろいろあるから八時には登校して来いってさんざん一学期の始業式に言ってたよね先生さ、プリントにも書いてあったでしょ」

「そうだよね」


 清美と加奈と修子がこうやってひとところに集まって喋り合うのはまるで珍しい光景ではない。と言うより実際には修子の大演説を清美と加奈がうんうんと聞きながら相槌を打つだけであったが、それが彼女たちなりのコミュニケーションだった。

 そしてそのコミュニケーションを終え、八時半から始まる始業式に備えるために各々の席に戻った三人にとって、久々に見る事になった教室は妙にだだっ広かった。



「かっしいなー、私はともかく委員長やキタカナが時間間違うはずがないもんね」

「信用しすぎよ」


 教室にかけられている、本来は音などしないはずの時計がやけにうるさかった。

 授業に集中力を持たせるためか否か三分ほど遅れているという噂のあるアナログ時計、この二年三組の教室のどの生徒よりも年かさと言う噂がある時計がやけに強く自己主張していた。


 清美がなんとなく不安になってトイレに向かおうとすると、隣の二年四組にはすでに二十人以上の生徒が集まっていた。自分たちだけが時間を間違えた訳ではない事に安堵しながらも背筋を寒くした。


 三組にも四組や一組・二組と同じように三十人前後の生徒がいると言うのに、なぜ自分たち三組だけが。考えれば考えるほど嫌になって来るのはわかっているので清美は済ませるべき事を済ませてトイレから出るととっとと教室へ向かったが、教室に入って来るとどうしても自分たち三組の異様さが際立って仕方がなくなる。



 時計がどんなにずれようが止まろうが、時間は容赦なく動く。三人しかいない教室の中に、八時半になってやっと四人目の人間が入って来た。


「とりあえず出席を取るぞ、えー……柿沼」

「はい!」

「北野」

「はい」

「重田」

「はい」



 イケメンと言えばイケメンだがどこかくたびれた顔をした二十代後半の社会科の教師である沖田、それがこのクラスに入って来た四人目の人間だった。



「やはり君たち三人だけか……」

「他の人はどこ行っちゃったんだか、私も全然わかりません。宿題が間に合わないとか言って逃避行とかした訳でもあるまいし、一体どうしちゃったのやら」

「その方がましかもな……先生だって昔は同じことを考えたもんだ、実行はしなかったけど」


 実話か否かわからない沖田の思い出話だったが、もしその通りだとすればその方がよっぽどましである、と言う思いだけは四人とも共通していた。


「三人とも、決して見知らぬ人にはついて行ってはいけないぞ。夏休みどころか年がら年中聞かされているかもしれないが気を付けないとダメだぞ」

「はい」


 幼稚園の頃から何べんも聞かされている定型句、この状況でも口から出される事が簡単に想像できた定型句。わかっていても聞かせておくべきだろう言葉ではあるし聞き入れておくべき言葉ではあるが、教師と言う立場としては飽きたとか言う前にそれしか言いようがない事を清美はよくわかっていた。


「それから三人とも知っているようだが、よりによってと言うべきか今日から転校生がうちのクラスに来る事になっててな」

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