41話:遭遇戦

「オレがよぉ、一番むかつくのはなんだか知ってるか?」


呻き声で充満する、傘下店の中。パンツ一丁にされた糸目の男が、赤黒く腫れた顔を情けなく歪ませていた。目の端からは涙が滲んでいる。スーツの優男は、負け犬の顔を覗き込みながら睨みつけた。


「あれだよ、チキンカツ定食って表に看板出してんのにムネ肉出しやがる店だ。この罪の重さが分かるかぁおい」


「い……いえ」


「こっちはモモ肉が食べたいんだよ。だってオレ男の子よ? ジューシーに塗れたいって思うじゃん普通、ムネとかそこいらの女のやつで十分な訳よ、そこんとこ分かってねえんだよなあ、分かってねえ。合成鶏を天然だって出しやがるバカより腹立つんだ、なんでか分かるか?」


「そ、それは……あ、兄貴が騙されたからじゃ」


「ちげーよ。詐欺ってる奴なら殺しゃあ済む。でも、勘違いした間抜けが一人勝手に騒いだらアホなだけだろ。つまり、俺ぁ賭けに負けたんだよ、勝手にモモ肉が出るって信じてた間抜けって訳だ―――てめえを使い続けてる俺も同じだよなぁ、おい」


優男は、糸目の頬を軽く叩きながら告げた。


「てめえ言ったよなぁ、先月もちょっと強えやつにヘタレこいたよなぁ金騙し取れなかったよなぁ、その時に俺に言ったよなぁもう失敗しませんってよぉ!!」


「ひいっ。で、でもあいつ、持ってきたの弱い魔物素材ばかりで、あんなに強いなんて」


「ならてめえも騙されたって訳だ。騙されて、負けて、俺の期待に泥を塗ったんだよ……なあ、おい。まずは誠意を見せんのが筋じゃねえのか?」


「す、すんませんでした!!」


糸目の男が土下座をする。周囲の護衛達は各々の武器を肩に、腰に引っさげながら男の無様な醜態を興味なさげにそれを見ていた。優男だけは、笑顔を浮かべながら優しく語りかけた。


「よーし、よし。それだよそれ、悪いことしたら謝るのが先だよなぁ……で、次は?」


「……え?」


「誠意っつったろうが―――なんで自分から死なねえ?」


糸目の男が、顔を上げて絶句した。その頭を優男の靴底が抑え込む。地面に激突して折れた鼻から、大量の鼻血が流れ出した。優男は、酷薄に笑いながら靴底で踏みにじった。


「分からねえからミジンコグズだっつってんだよ。誠意っつったら今からでも飛び出してタマ取りに走るか、ハラキリして詫びるのかの二択だろうが」


優男は静かに告げながら、圧を強めた。その靴の下で、糸目の男の潰れた鼻と口と歯がぐちゃ、ぐちゃりと砕けていく。優男は、自分は優しいのにと不満げにため息をついた。命に代えても下手人を仕留めに行くという気概を見せたら、許すつもりだったからだ。


小さなため息を、1つ。それだけで優男の瞳から足元の男への興味が完全に消え失せた。そこに連絡が入った。優男は―――リュウキは足を床に下ろしながら通信球を取り出し、俺だと答えた。


「……見つけた? で、相手は。手練は一人だな。仕掛けろ、戦利品は好きにしていい。後金は首と引き換えだ、おう、おう、分かってるじゃねえか、あの野郎に出し抜かれる前にやれ」


ギヒヒ、と優男は笑いを上げた。振り下ろされた靴底が、糸目の男の頭を貫通する。まるで尋常ではない力で踏み潰されたかのように、いろいろとバラバラになった。


「兄貴、撤収ですかい?」


「おう、事務所に戻るぞ。あとは掃除屋呼んどけ、死体の処理させろ。今月分の制限にはまだ余裕がある」


リュウキは連れてきていた直属の手下どもと共に、床に転がる死体をまたぎながら店を後にした。注意する相手が一人となれば、あの二人が負ける要素がない、そういう能力があるからこそ特別な戦力として雇っているのだから。


タバコに火をつけ、リュウキは忌々しいという顔を隠そうともしなかった。



「これで終いだよ、ユージ。くそ面白くもねえがな」
















壊れ果てて見捨てられ、荒れ果てた廃墟の中にも名残というものは存在する。かつて確かに、そこで生活していた人達が作り上げていた日々の残滓は、数百年程度で全て消え去るものではない。


1階に出たセロは、少し広いエントランスホールを眺めながら考えていた。自分が住んでいた所とは明らかに違う豪華さを感じる建物の名残を。きっと、位のようなものが高い誰かが集っていたのだろう。廃墟に見慣れたセロは、壁の仕上がりだけを見てそう感じ取っていた。


そして、目の前で通信球を切った男達の気配も。名残が見えた、何かを傷つけて奪うことを生業にしているだろう臭いがした。


ついてきたゴサクが、怯えたように息を呑む。


セロは、剣をいつでも抜けるような体勢に移った。


(……力量も能力も分からない敵が、二人。強いな、間違いない)


先頭に居る巨躯の男は、剃り上げた髪を撫でながらセロを見定めていた。これみよがしな巨腕に装着された小手は重そうで、まともに受ければただではすまない威圧感を発していた。


その後ろに控えている小柄で前髪を七三に分けている男は、オドオドとした様子で周囲を見回していた。気配が薄く、大男と比べれば居ないも同然の小ささだった。


それでも、慣れた気配がにじみ出ている。その心素で、相手を好きにすることに慣れた手合だ。


セロは侮ることなく、呼吸を整え始めた。殺し合いになると、身体が理解していた。


「……念の為確認する。勘違い、は無いよな?」


「ああ、お前の認識で間違いねえよ。アスラ組の小娘と、美味しそうなネエチャンは……分かった、地下だな」


剃髪の巨漢がニヤリと笑った。音か何かを聞き取ったのだろう、ボソボソと小柄な男が呟いた。堂々とした立ち振舞いだ。セロは、後ろのゴサクに背中越しに小声で尋ねた。


(手練に見えるが、何か情報は)


(はい、よりにもよって……トクアン兄弟っす。コンビで戦えば負けなしの)


噂話程度ですが、とゴサクは知る限りを話した。


混沌派に属するイムナ会の指定用心棒で、敵対する統制派の組の高位の使い手を少なくとも10人以上は殺していること。思想は混沌派寄りで、殺された者の死体は見るも無残な有様にされるという。


(ゴサクは、戦えるのか? 得物はなんだ、剣か方陣術か)


(色々な意見調整なら得意っすよ!)


沈黙。セロはため息をついた。


(……こっちは俺が引き受ける。そっちはあの二人の方へ走れ、間違ってもこっちに来ないようにな。人質に取られたらその時点で終わりだ)


(わ、分かりやした、ご武運を)


ゴサクが走り去っていく。トクアン兄弟は笑みを深めるだけで、余裕の態度を欠片たりとも崩さない。


――強敵だ。その上で相手の能力が一ミリたりとも分からないという、完全な遭遇戦。


それでも、セロは1歩前に出た。


負けるかもしれない、殺されるかもしれない、それが当たり前だと自分に言い聞かせながら。多少強くなった所で関係ない、自分はまだ弱い子供でしかないのだから。


走る。それを覆すべく決意を灯した、過去の自分に嘘をつかないために。


そうして抜き放ち振り下ろした剣での一撃は、巨躯の男の小手に阻まれた。












「っ……!」


火花が散り、苦悶の声。そして、カツ・トクアンは舌打ちをした。小手への衝撃が想像以上に重かったからだ。斬撃も鋭く、無駄がない。反応は出来たが、正面から一対一だと少し厳しいレベルだ。事前情報から格闘を得意とすると思い込んでいたカツは、敵の評価を上方に修正した。


『――兄者』


『りょ』


それだけで良い、二人の間に無駄な呼びかけは不要だ。カツは続く斬撃を再度受け止ると、大きく小手を横に振るった。


警戒したのか、同業者であろう灰色の男が回避を選択する。賢明だ、術中に嵌まる。カツは、背後に控えていた兄であるホウ・トクアンに合図を出した。


すると兄の気配が薄れていく。まるで存在していないかのように。極限まで気配を兄の動きに気付ける者はいない、今までずっとそうだった。今回も同じように、兄が後ろに、自分が正面から敵を受け止める役を担う。


前後に挟み、相手は一人。


条件が揃い、兄弟の必勝の定石は完成に至った。


直後、兄の放った拳が灰色の男の急所へ突き刺さった。








「ぐっ――!?」


肝臓、それもモロだ。急所への打撃による衝撃を受け流せなかった代償は大きく、セロの呼吸が乱れた。その隙をついて、大きな巨腕が振り下ろされる。


遅れたのは、1秒。それでもセロは足を強化すると、すんでの所で避けた。横に転がり、体勢を立て直すと打たれた箇所を確認する。


(痛いが浅い。まだ動ける、けどっ?!)


追撃の、巨腕の一撃。直撃すればそれで終わりだと、セロは回避をして呼吸を整える。そして、三度目の回避は選択しなかった。


予備動作から何から見え見えだったからだ。馬鹿の一つ覚えと言えばいいのか、踏み込む時の癖とタイミングが毎回同じならば、受け止めた上で捌けばいい。


そうして踏み込もうとしたセロは、一歩留まった。


違和感があったからだ。


先の一撃、どうして反応できなかった?


そもそもどこに、と探し始めたセロは眉間に皺を寄せた。目の前の敵の威圧感が増している、気配さえも。


そして、気がついた。優先順位を考えられない、目の前の男のことを無視できなくなっている自分に。


「どうしたぁっ!」


「こ、の……!」


大雑把な一撃が床を砕き、建物を揺らす。破片がセロの頬を掠めて、わずかだが血が流れて落ちる。その床に足音が1つ、風を切る音が響いた。


またしても、急所。セロの背中、筋肉が薄い部分に蹴りが直撃する。


何度やっても同じで、。巨腕を回避すれば、気がつけば打たれている。セロは混乱するも、何とか凌ぎ続けた。幸いにして、即死するほど一撃がこなかったからだ。だが、小さいダメージでも蓄積すれば動きが鈍くなる。


持久戦は、不利。そう悟ったセロは死角からの攻撃を受けるも、身体に奔る衝撃と痛みを無視して前へ、両腕を上げた。そこに巨腕の一撃が振り下ろされるが、


「が、あああっっ!」


呼気と共に、セロは巨腕を剣の腹で受けた。そのまま衝撃を横に流し、大男の拳を地面にめりこませる。間髪入れず跳躍、巨腕を踏み台にして脳天に剣を、その寸前で横合いから飛び込んできた拳がセロの頬にめり込んだ。


たまらずに吹き飛ばされたセロが地面を転がる。頬の下、顎へと衝撃が流れているため平衡感覚が乱れたからだった。


それでも戦意は消えず、セロは大男を睨みつけながら告げた。


「――これが、お前らの心界エアリアか」


「ご明察だ、しぶとい野郎だぜ」


隠そうともしない態度に、セロが苛立った。違う、心界であるが故に隠せ否定できないのか。


だが、とセロは内心で舌打ちをした。おおよその絡繰りが読めたからだ。


あまりにも単純な仕掛けだった。発動すれば大男の気配が大きくなる、小男の気配が小さくなる、それだけの能力。


恐らくは標的への意識誘導の効果も含まれている。探知の気配は五感によるものだが、その全てが大男の方へ誘導されてしまって、どこかに潜んでいる小男を探そうとしても集中できなくなる。


(致命的な一撃を放ってこないのは、攻撃の意を可能な限り隠すためだな)


剣を使い一撃で殺そうとしてくるのならば、殺気を察知して回避できる。それをさせないために敢えて小刻みに、確実にダメージを蓄積させるのが狙いだ。考えられた術理を前に、セロは打開策を練り始めた。


最も有効なのは、援軍を待つこと。そう考えたセロの耳に、地下階から悲鳴が届いた。


「……そういう事か。さっき地下と呟いたのは」


「察しの通り、仲間、とは違うな。まあ、同業の連中への通信だ。これで時間制限が出来たって訳だ」


これで、防御に徹して時間稼ぎをする策も取れない。セロは焦り始めた。シャンは弱くないが、多数を相手にどれだけできるのか未知数。最善は一刻も早く助けに向かうことだが、逃げた所で感知できない打撃に足止めされるのがオチになる。


ならば、別の方法は。考え始めたセロに、追撃の拳が突き刺さった。










人は完全にはなれない。どうしたって鍛えられない箇所は存在する。そこを突けば、非力な一撃でもダメージは確実。苦悶に表情を歪めながらも反撃をしようとするセロに、カツは言葉を叩きつけた。


「だからよぉ」


踏み込んだ足にホウのローキックが叩き込まれる。バランスが崩れ、それでもと放たれた斬撃は一等に鋭いものだった。


一閃、という声。超速で放たれたそれを、カツは自慢の巨腕で受け止めた。


「無駄だって言ってんだろ!」


カツは大声で意識を誘導した。鋭い一撃に、油断はできないと気を引き締める。兄のフォローが無ければ、手傷を負っていたからだ。


(それでも、もう喰らわねえ。防御に関しちゃこの街でも五指に入るんだぜ)


100%、全力で会心の一撃を繰り出された所で致命傷だけは回避できる、その自負がカツにはあった。もっとも、妨害を受けている状態で訓練の時のような100%全力で技を繰り出せる筈がないのだが。


それに、とカツはセロが振るう剣の歪さに腹が立っていた。


基本もそうだが、先程の技からも分かる、アレは人を殺すための剣だ。相手の心臓を穿ち潰すそれ以外に興味は無いと語るような、鬼の剣。だというのに、そこに本人の心が載っていない。見様見真似か、あるいは。


「気に入らねえなぁ」


目付きは悪いが、ちぐはぐだ。ここまで強くなるのには、自分の心石と向き合う必要がある。才能は平等ではなく、体格も性格も生まれによって決まるが故に、自分が何者かを考えて、そのスタイルを決めている筈だ。目の前の男には、それがない。何か目的があるのだろうが、その中にある芯が見えてこない。


自分の一撃をまた受け流されたカツは思う。技量はあるのだろう、横合いからの攻撃を受けても挫けない強さはあるのだろう、だがそれだけだ。


こうまで追い込まれるのは当然だと、カツはバカにしたように笑った。この街で自分のあり方を、スタイルを定めていない奴は食い物にされるだけだ。分を弁えないザコほど、目障りなものはない。


この修羅の街で戦闘を生業にする者は、誰もが必死に考えて生きている。鍛えている。無策な間抜けは、引けば抜ける雑草でしかないのだ。


そして大木を切り取るよりも雑草をむしる方が楽で、リスクもない。この街だけではない、荒れ果てたこのオオサカで中途半端に彷徨うだけのバカは狙い撃ちにされるだけだ。


それでも、利用する価値があるかもしれない。カツは一端手を止め、血塗れのセロに語りかけた。


「なあ……降参しねえか? お前はそれなりにやる、悪いようにはしない」


柔らかく、いかにも信用できる風を装う。お前は勝てないと、諭すようにカツは告げた。


「その剣じゃオレ達は斬れねえよ。イカレた鬼の剣をお前が台無しにしちまってる」


「……俺が? どういう意味だ」


「簡単に言えば、てめえ自身がねえんだよ。強い弱いは在り方で決まる。やりたくねえ事はできねえのさ」


だからこその、自分達の役割だ。そこまで説明せずとも、カツは何度聞かれても自信満々に繰り返せる。


兄のホウは生まれつき小柄で身体が弱く、まるで幽霊みたいだとバカにされた。口下手で、コミュ障であることは本人も認める所だった。


弟のカツは逆に大柄で厳つい容姿も相まって、目立つんだよと小突かれ続けた。理不尽に大声で抗えるほどの度胸もなかった。


人間は理由わけあれば残虐になれるし、集団となれば際限さえ無くなる。そして、兄弟は暴力を振るわれる側だった。どれだけ続いたのか、二人は思い出すことさえ嫌がった。確かなのは、兄弟は死ぬ前に殺すことを決めて実行し、逃げるようにしてこの街に飛び込んだこと。そして、生きるために死んだ両親から受け継いだ心石を片手に、欠点だと言われた“自分”を見つめ直した。


兄・ホウは体術のセンスはあったが身体が弱く、攻撃力に乏しい。障壁も苦手で防御力は紙か何かだ。


弟・カツは体格ばかりが先行していたが目がよく、身体の強さと耐久力、防御の術だけは伸びた。反面、鋭さがなく大ぶりの攻撃は少し格上になると簡単に回避される。


故にこの“間違う定めの二者択一フールマンズ・オルタネイティヴ”という心界は生まれた。


この境遇にまで追いやられた元凶を長所だと認めることで、格上だろうと封殺できる世界を手に入れた。発動条件は二人で相手を挟むこと、それだけではあるが効果は絶大だった。間違いしか許さない世界の中で、兄弟は何人もの手柄首を上げた。


「殺したいなら殺せばいい、嫌ならどっかで引っ込んでろ。どっちつかずの迷惑野郎が一番ムカつくんだよ。それとも何か、道楽で剣とか教わったのか?」


「……違う」


「いっちょ前に反論か。口だけならそこいらのガキでも言えるんだよな」


カツは苛立ちのまま、鼻で笑った。気が変わっている。そんな自分に気がついたカツは、原因を理解した。


目だ。こうまで言われて、ボコボコにされても目だけは死んでいない。


自分達とは違う。鍛えた使い手ならば、多くが経験した筈だ。連合の中級勇者―――俗称だが、20位以上10位以下の使い手―――でも見れば分かる、上級の化け物さ加減を。そうでなくても旅人トラベラークラスの上位の使い手の戦闘跡を見れば理解させられる、自分が特別では無いということを。


折られ、ながらも生きていこうと足掻く自分を恥じたことはない。それでも鏡に映る自分の目は、諦める前よりもずっと―――


「……気が変わったぜ。嫌な事を思い出させやがって」


カツが殺意と共に構えた。ホウも同意し、次の瞬間には攻撃を加えていた。


感知できず、防御できず、迎撃さえ不可能で、苦し紛れの攻撃も届かない。繰り返し、繰り返し、廃墟の床に鮮血が飛び散った。破片に切られ、遂に内蔵までダメージが達したのか唇の端からこぼれた赤が宙を舞った、それでも。


(しつこい……! こいつ、なんで諦めねえんだ)


痛みというものをバカにする戦技者はいない。そんなものが戦闘の支障になるか、と嘲笑するのは実際に大怪我を負った事が無い未熟者だ。生物の本能に刻みこまれた危険信号を無視できるのは、それこそ人間であることを止めた怪物のみ。


戦意は痛みにより損耗させられるし、体力も削られていく。限度があるのだ。人間には。だというのに、何故動きさえ鈍らない。


経験したことがない状況に、戸惑うのが人間だ。これだけの深手を受けているのに、動きは依然として精細を欠かず致命傷だけを避け続けているのは、慣れているとしか考えられない。


道楽で戦いを学んだのではないのか。困惑するカツは、徐々に焦りを覚えていた。間違う定めの二者択一フールマンズ・オルタネイティヴは効果こそ絶大だが、心素の消耗が大きいという弱点があった。


動けなくなった所に巨腕を、あるいは体勢を完全に崩した所で兄から剣でのトドメを、というのが定石だったが、このまま粘られ続けると万が一がある。


そう判断したカツは、手を止めてもう一度だけ語りかけた。


「しぶといな。そのタフさだけは、大したもんだ」


告げるが、セロに反応はない。息を荒くしたまま、カツを真正面から睨みつけるだけ。


カツは、ため息をついて耳を触った。それは、合図だった。兄に、毒の使用を要請する、万が一にも念話を傍受されないための。


爪から流れ出た麻痺毒は、すぐに人の動きを止めるだろう。抵抗の無いものならそれだけで死ぬほどの劇毒にも分類される。戦意が残ってはいても身体が動かなくなれば、どうしようもなくなる。


それで終わりだ。終わりの筈なんだと、カツはじっとセロを見つめた。


10分は経過していのに、満身創痍。どうあがいた所で勝目は無い、その筈なのに目だけは死んでいなかった。かつて、この街で絶望する前の自分と同じように、何かを掴み取ろうとしているような、諦めない者だけが出来る瞳が。


毒で、これをへし折って、殺して、殺せば報酬が。しばらくは遊んで暮らせるぐらいの、そう約束されている、なのに。


どこか言い訳じみた思考になっているような。そうして、何かを言おうとしているカツより先に、セロが口を開いた。


「そういえば、今更だが―――作法を忘れていた。大切なことだと教わった」


「なに、を」


「心石を名乗りあげて、戦う。本気を出すと誓うための」


表裏の世界に関係なく、心石と共に生きる人どうしの約束ごと。存在さえ忘れかけていたカツとホウに向けて、セロは宣言した。


「セロの名の下に告げる。天はまだ遠いけど」


それでも、と掲げられた無色の輝きが部屋を満たした。


「伸ばし続ける意志だけはここに―――無色の血塔カラーレス・ブラッド


静かな宣告。馬鹿げた行為。高められた心素はメリットだけではない、強化に伴い痛覚も鋭くなっていることは間違いない。


だけど、歪まない。真っ直ぐに訴えてくる、それに応じる理由はない。この街で礼儀、作法など、守らない奴の方が圧倒的だった。


だが、カツの掌の中で心石は輝いていた。


セロの後ろに居るホウの頭上で、同じように魂の色が燦然と現れていた。


「カツ・トクアンの名に誓おう。無謀なバカが居たと、笑い話にしてやるさ」


「ホウ・トクアンの名の下に。お前のことは、忘れられないだろう」


鼻で笑うことに変わりはない。だが、それまでとは意味合いが違っていた。金のために処理するだけの者とは違う、お前という人間使い手を見据えた上で殺してやると、二人は面白そうに笑いながら宣告した。



「我が威を示せ―――喧々囂々の極黄輪ラウドネス・イエローライム


「影より満ちろ―――見え触れざる幽霊アンノウン・ホワイトゴースト



けたたましい黄色が、薄れた白色が輝く。


瞬間、場に心素が満ちていく。


それは、本心からの本気で戦おうと誓いあった証拠。


出し惜しみはしないと、全てをぶつける覚悟を示し合う約束。


故に、決着は一瞬だった。


両者に躊躇はない、手加減もない、言い訳も不要だと使えるものは全て。


覚悟と共に突き出された抜き手が、セロの皮膚を傷つけた。それだけで十分と、爪に塗られた毒が傷口から入り込み、セロの身体を駆け巡った。


本気の一撃は、ただ生き残るために。セロもされた事を理解するが、咎めない。殺し合いの場だ、当たり前だと噛みしめるだけで。


それでも膝を折って、崩れ落ちそうになる身体を何とか留める。


その頭上から、巨腕の一撃が降り注いだ。


回避は不可能。瞬時に判断したセロは強化を全力に、両腕で振り下ろされた隕石のような衝撃を受け止めた。


ビシリ、と床のコンクリートが罅割れで砕け、セロの足底がめり込む。


パラパラと、破片が宙を舞う。そして、受け止めたセロの身体を貫くものがあった。見下ろせば切っ先が見えるそれは、背後からの一撃。


ごぶり、とセロの口から血がこぼれ落ちた。


(――あ)


呟きさえ声にならない。痛みさえ遠くへ、視界は薄れていくばかり。セロは、身体中に集まっていた心素が散らばっていくことを感じていた。


次に襲ってきたのは、圧倒的な睡魔。目を閉じればずっと眠ることが出来るだろう、包み込むような安堵感が肉へ、骨へ、血に染み込んでいく。


果てには、自分さえも小さくなって消えていくような。


その最後に、見えたものがあった。とても見覚えがあって、だけど手を伸ばしても掴むことが出来ないほどに形が定まらない影のような存在。


思いを馳せるも届かず、自分が失われていく感覚に溺れる。このままいけば死ぬだろうことを自覚しながら、セロはその先のことを考えていた。


死ねば、居なくなる。何者にもなれずにここで終わる。復讐を誓った自分は嘘になり、自分で決めると吠えたあの言葉が負け犬の遠吠えになって消える。


(――そもそも。俺は、僕は……何者で、何者に)


湧いた疑問に答えはない。ただ、決めつけられるのが嫌だった。強いられることを嫌悪した。端からこうだと言われ、頷く自分で在りたくなかった。


ただ、あるがままに。在りたい自分のままに。


(違う。俺は……俺は、アイネを守りたかった)


失われた後、選択した復讐の道で。在り方を纏えと言われても、頷きたくなかった理由は何だったのか。


それは、まだ分からない。ただ、このまま消えていいなんて思う自分は何処にも存在しない、それだけは理解している。


血を吐きながら、セロが笑う。そして、筋肉を締めた。捻じって引き抜こうとしたホウの表情が驚愕に染まる。


(――見つけた)


そうだ、俺を刺しているお前。こうすれば否でも見える、剣を握るお前を感じられる。セロは捉えた。形として在る訳ではないが、確かに“それ”はそこに存在していることを理解した。


故に、己の剣が届かない道理はない。見上げるように、其処にある命へと触れるように手を伸ばすだけ。


やがてゆっくりと、セロから抜き放たれた斬撃が宙に踊り。


剣を収める音の後、トクアン兄弟の胸に大きな斬撃痕が刻まれた。


遅れて生じた衝撃波が二人を吹き飛ばし、周囲に粉塵が舞い上がった。


――10秒の後。視界が晴れた部屋の中心には、息を荒げながら佇むセロがいた。


吹き飛ばされたカツは、天井を見上げていた。見えなかったが、斬られたという事実は痛む傷が教えてくれる。あまりにも透明で、無垢な光を見たような気がする。誰かを見下ろすのではなく、どこまでも見上げるような想いを感じさせる剣の軌跡。兄さえ斬られたのは、そういうことだろう。


「なんだよ――やれるじゃねえか」


ただ、純粋な剣を。正真正銘の真正面での全力の衝突の結果が敗北であれば、満足以外に存在無い。カツは笑いながら、血と共に沈んだ。


その姿を見届けたセロは、無性に泣きたくなっていた。


(……でも。まだだ、早く助けにいかないと)


今度こそ嘘つきになってしまう。そう思い顔を上げたセロの視界に求めていたものが映った。シャンを先頭に、後ろからナズナと、最後尾にゴサクが歩いてくる。


敵は無事迎撃できたようで、傷を負った様子もない。それを見たセロが、安堵の息と共に血を吐いた。


「お――おい、大丈夫か?!」


深手に気づいたナズナが、悲痛な顔で駆け寄ってくる。


それが、セロが気を失う前に見た最後の光景になった。



―――そして、誰もが予想していなかった。


この一連の出来事が、どの周回にも記憶されていない激動の。


ミナミの街全体を巻き込んだ、全派閥が入り乱れる一大抗争の引き金になる事を。



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