36話:縛られることなく
「――あれだ。夢姫が言っていた通りの外見だが」
「こちらでも確認した……が、どうすべきか」
ようやくたどり着いた3人は悩んでいた。時間をかけていい状況ではないからだ。かといって強引に出ると、よりややこしい状況に陥りかねない。
「……俺達で行こう。万が一の時は回収を頼んだ」
「了解」
死ぬなよ、と。互いに拳を合わせた3人は、鍛えられた戦士の顔つきで夜の街の下、薄ぼんやりと輝く月に向かって跳躍した。
(理不尽、なんていう言葉はこの世界には存在しない)
理屈の通らない死はいつも気軽に出張ってくる。出くわした時、弱ければ死ぬ、それで終わりだ。物言わぬ肉塊になるか、肉の奥まで汚されて堕ちるか。
アスカは師匠と呼べなくもない冒険者の男に問いかけた時の回答を、ずっと噛み締めてきた。抗う方法はあるのかと挑むように告げると、常識を説くように答えは返ってきた。
蹂躙されたくなければ、勝てばいい。
勝ち目がないのならば、逃げるがいい。
組み伏せられた後の言葉など虫の羽音にも劣る、鬱陶しいと潰されるだけ。アスカはその虫になる一歩手前の気持ちを味わっていた。
(早い――セロとほぼ互角か)
それだけではない、命を真っ直ぐに取りに来る攻撃がこんなに早く感じるとは、アスカは知らなかった。
応援は望むべくもない。初手の範囲攻撃は囲っていた人間の半数を死に至らしめた。呻き声が聞こえる中で、アスカは踊るようにステップを刻み、相手を誘導した。これ以上、誰かが巻き添えにならないように。
足場が悪い夜闇の中で、しっかりとした地面だけを踏んで跳躍する。直後、今まで自分が居た場所を剣の軌跡が通っていく。障壁にしても二重にしなければ防げないだろう威力の斬撃が。
次々に繰り出されるそれを、アスカは常に移動しながら回避に専念した。イカイツの戦いを見て、足を止めて受け止めるのが悪手だと察していたからだった。
「んっ、の!」
「ひ、ひ、ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒぃ!」
執拗に粘く、心の臓へと。殺意しかない攻撃は単調で先ほどまでの精細さはない、それでもアスカは凌ぎ切るだけで精一杯だった。
乱暴であれども心素で強化された剣戟は本物だ。回避したつもりでも、背後の壁が砕けるほどの一撃の余波を受け続けたアスカの身体が段々と傷ついていった。
(いつもならば回避できる、けど―――っ?!)
黒い光。神経を削りながら待ち構えていたアスカは、全力で障壁を展開した。
薄く、枚数だけを重ねて後ろへ跳躍する。その直後に、アスカが展開した障壁の全てがバラバラに崩れ落ちた。
追撃。瞬く間に繰り出された鋭い剣閃が、アスカの肩を削った。
(これがあるから……!)
受ければ即死の範囲攻撃、防ぐには障壁しかない。発動の早さは尋常ではなく、いつでも展開出来るように方陣へと一部意識を割かなければいつ死んでもおかしくないのだ。
だが、障壁に意識を割けば心素による身体強化が疎かになる。それが、回避に専念しても無傷では凌げない原因だった。
出血もそろそろ危険水域だ。死にはしないが、動きが鈍ってくる頃合い。
このままでは―――と恐怖を前に歯噛みしていたアスカに、援軍が到着した。
「下がれ!」
「ポーションだ、早く飲め!」
入れ違いに狩人らしき男が斬り込んだ。鋭い一撃に、ショウゾウがたたらを踏む。アスカは敵から目を離さないまま、横から投げられたポーションを受け取ると一気に飲み干した。
「助かった、でもあいつは……!」
「分かっている、先ほどの攻撃を見ていた……だが、アレはなんだ?」
増援の少年に、アスカは簡単に説明しながら方陣を展開した。速度を重視に、ショウゾウ達に向けてまとわりつくような風を放つ。
ショウゾウが黒い光を放ったのは、ほぼ同時だった。
そして、アスカの目論見通りに風は止み、増援の男の剣だけが崩れ落ちた。
「見ての通り、理屈を越えて何もかもを劣化させる光よ。ただ、対象は選べないようね。風がクッションになったお陰か、肉までが朽ちることはなかった」
「た、助かった……止まったぞ、おい」
命からがら退がってきた男が、ショウゾウを見て訝しんだ。見る者全てを殺す勢いだったのに、涎を垂らしながら唸っているだけ。何が、と呟いたアスカの横で増援の男たちは蒼白になっていた。
「や、ばい……堕ちる」
「……堕ちる?」
「先輩から教わった。行き着く所までいっちまうと、心石使いは鬼に転じるって」
そうなれば最後だ。鍛えられた業を使って人を害し食らう、最悪の災いになる。地力も格段に上昇する、故に堕ちようとしている者を前に逃亡することは許されない。
鬼にも千差万別だ。意志の強い者は容易く堕ちきれないが、自棄になった者や弱い者は即座に成れの果てに腐っていく。
「そうなる前に殺すのが義務って? ……無茶を言うわね」
今も隙はあった。唸っているだけの今であれば、全力で方陣術をぶつければどうにかなるかもしれない、そう思った。だが、手が出ない。高まっていく尋常ではない心素の質に、身体が震えていたから。
防がれて、アレの気を惹いてしまったら。アスカの背中に冷や汗が流れた。
「……嫌がってる割に仲間の所に逃げないんだな。あの鬼もどきと何か深い関係でも?」
「あってたまるか。でも、手を出したからには最後までやるのがモットーなの」
それは300年前から変わらない、アスカの根本。苦しいから誰かに下駄を預けてお休みなさいは趣味じゃないと、アスカは小さく笑った。
(それに、まだ眠っているのなら危険過ぎる)
コンテナハウスが巻き添えになれば、全滅する可能性だってある。アスカは増援が此処で踏みとどまってくれる保証もない以上、逃げ帰るのは下の下だと判断していた。
―――という建前を並べたアスカは、心素を全開にした。
逃げられないのではなく、逃げたくなかった。先ほどの叫びの言葉を聞いてはもう、ただで済ませるつもりは無かった。
「――援護する。首を飛ばせば殺せるはずだ」
「当てないでね。したら化けてやるから」
念押しして、アスカは前に出た。早くもなく、遅くもなく、ただ歩く。
前方には呻く男が心素を発し続けていた。黒く、醜悪で、どこまでも憐れな。
そのザマをアスカは許せなかった。
(アンタが望んだ結末でしょう? なのに、よくも)
本音なのだろう、出てきた言葉は最低な方向に予想外だった。どの口で言うのかと、思い出すだけで血管の全てが沸騰するぐらいに。
その感情が、自分の中の心石を活性化させている。アスカは感じ取っていた、現出に至るのはもう少しだと。
「だからと言う訳じゃないけど―――ショウゾウだっけ。アンタ、聞いてるの?」
短刀を突き出し、アスカが告げる。ショウゾウは既に“だったもの”に変容仕掛けていたが、名前に反応して顔を上げた。
ぎひり、と歪みと笑みの混じったどうしようもない顔。舌打ちで全てを跳ね除けながら、黒髪の少女は告げた。
「死になさい。これが最後通告。剣の柄に嵌っている石達も、そう言っている」
件の二人のものだろう、白と緑の神石は激しく点滅していた。何かを訴えているような、抵抗しているような。それが何であるのかは問いかけるまでもない。アスカは代弁者として繰り返した。
「これ以上は意味がない。アンタの周囲にはもう誰も居ない。……死ぬことだけが救いよ。許されはしなくても」
関係ない者を含めて何十人、何百人殺したのか。罪と罰という話ではない、命という恨みをコレほどまでに買った者が生き続けることは、この世界では許されない。あの時のセロのように、復讐に煮えたぎった者にいずれ刺されるだろう。
だから、ここで死ね。アスカが視線で告げると、ショウゾウは俯き震えた。
嗤っているのだ。舐め回すような視線を感じたアスカは、深い溜息をついた。
強い風が周囲に吹き荒れる。背後からの援護の術だろう、自分とショウゾウを隔てるように透明な大気が蠢いていく。踏ん張らなければ飛ばされそうなぐらいに、強い風。その只中でアスカは笑みを零していた。
(……いつもそうね。こっちの都合なんておかまいなし。こっちの感情なんて関係ないって、頭の上から踏み潰しにくる)
誰も殺し合うことなんて望んでなかった。復讐の果てに終わればまだ救いようはあったと思う。遂げた後は速やかに死ぬべきだった。
そんな当たり前を避けて、運命とやらはどうしようもない状況をこちらに突きつけてくる。これが現実なんだと、最善を望んで動く人達を地獄に縛り付けるように。
「―――ふざけんな」
率直な感想だった。意図せず、アスカの手が前に突き出された。
大気が揺らいだ。方陣術とは違う、何者にも縛られない風が吹く。
(止まれば良かったんだ。お前も、私も、あの時に)
大人らしい判断で退くことは出来たはず。なのに振り切って自分は、生きたいように生きた。もしかしたらの時が訪れた後に悔やむのだけは嫌だからと、血が命じるままに突っ走った。
果ては、こんな土地だ。壊れた世界で、どうしようもない殺し合いをしている。
(だけど、私は悔やまない。止まらずにずっと先に進んでいく―――だから)
アスカの掌が輝いた。それは300年前に彼女が見た、途方も無い広がりを感じさせる青。清廉であり透明さを感じさせるその色は、どんな絶望だろうと塞ぐことができない確信があった。
「
もう戻れないからこそ。これが自分だとアスカは突きつけるようにその名前を発した。
「果てを往け―――
同時、場にある風がアスカに支配され。
繰られた大気の壁が、ショウゾウを正面から吹き飛ばした。
「グ、ァ……!」
空中で、ショウゾウだったものは呻いた。踏ん張ることなど出来なかった、大質量の風に翻弄されながら。体感で5秒、吹き飛ばされたまま廃墟の5階の窓を突き破って転がる。あちこちに感じる痛みが、ショウゾウを人間に留めていた。
「う、ァ、ギ……!」
だが、止まれない。内から湧き出てくる感情がそれを許さない。ショウゾウも直視できなかった。胸にぽっかりと空いた孔から吹き出てくる負の感情を。
どうして、カナ、シュウヤ、みんな、あの子、あいつ。
いつもツンケンしてばかりだが、笑うと可愛い奴だった。どんな我儘でも許せるぐらいに、愛していた。死ねばもう微笑んでもくれないのだと、終わった後に思い知らされた。
不器用で真面目な奴だった。優秀だからだろうか孤独で、対等に張り合ってくれる人間を探していた。何様だと気に食わなかった。それでも、酒を飲めばはっちゃけた冗談をかましてくれる、笑える奴だった。
気のいいヤツらばかりだった。それぞれに夢があり、狩人として活動するのはあくまで仮宿。他の街へ、この街で、旅を、店を、子供のような顔で語ってくれた。
綺麗な子だった。問わずとも本当は分かっていた、自分を心配してくれていることは。無茶をすれば悲しんでくれた。更に重ねれば、ビンタまでされた。涙目になりながら怒られた。白い防護服を洒落たデザインに加工した服を贈った時の顔は一生ものだった。美しいと、素直にそう思えた。
素直じゃないヤツだった。剣の腕は嫉妬するほどで、だけど守れないものがあることを知っていた男だった。立ち回りを学ぶ度に試し、何よりも仲間のために戦っていた。あの子とはお似合いで、祝福する気持ちに嘘はなかった。
だけど、もう誰もいない。居なくなった。全てを台無しにしてしまった。
本当は、もっと、ずっと、きっと。何を思おうとも形にならない、手遅れだと分かっているから。呼吸さえも満足に出来ないようで。
もがいていると、風が吹いた。追ってきたのだと気が付いたショウゾウらしき“もの”は構えた。何度も繰り返した鍛錬の通りに。
一筋に貫く白の光線が黒く染まったのは、何時だっただろう。呪われていると、自分の所業を思い知らされるようで、逃げるように黒の穢れを磨き上げた。
第一が、放射状に劣化の効力を発するもの。イカイツに浴びせたもので、逃げ場を完全に封じる攻撃。
ちょうどいいと、ショウゾウはそれを放った。廃墟の中、密室、逃げる場所もないからと黒き光を輝かせ―――だが、欠片たりとも相手には届かなかった。周囲に漂う風が一時的に緩まった、それだけに終わった。
どういった理屈か、どうして攻撃が。敵である黒髪だった少女は――今は青と緑の髪になっていたが―――彼女は風の影響を受けずに佇んでいるのか。疑問を抱くショウゾウを他所に、敵は風の中心で自分こそが王様であるかのように鎮座していた。
(――っ)
本能のまま、ショウゾウだったものは横に跳躍した。だが、遅かった。回避しきれなかったからだろう、太ももから横腹にかけて切り傷が走った。
黒が混じった鮮血が溢れる。気にする余裕もなく、次々に斬撃が身体を切り裂いていく。
「っ、ガアアアァァッ!」
叫び、ショウゾウは最後の切り札を。放射状ではなく、かつての光線と同じように直線上に。触れるものみな朽ちさせる黒い熱光を放った。
狙いは既に定めていた。周囲に漂う塵すべてを分解しながら、黒き滅びの光線はついに対象を捉えた。威力に押され、部屋の外へと吹き飛び、あとは死ぬだけだろう。
(―――チガウ)
気が付いたショウゾウは、自ら部屋を飛び出した。孔から飛び上がり、敵へ。
そこには予想通り、手傷さえ負っていない相手の姿があった。
固有能力だと、戦士だった部分が囁く。恐らくは自分の身体に近いほど効力を発揮する類の。周囲の風は貫けたもの、最後の防壁は抜けなかった。
ならば、直接叩き込む。ショウゾウは足元に障壁を展開すると、それを足場にして更に跳躍した。よくある移動技法、二天疾駆。今までは出力不足で出来なかったが、どうしてか力が湧き出てくるため、確信と共にショウゾウは繰り出した。
邪魔をする風を押し退けて前へ、前へ。力のままに拳を振り上げる。
だが、既に相手はそこには居らず。直後、ショウゾウの後頭部を強烈な一撃が襲った。
ダメージに視界が揺らぐ。その中で、鬼に堕ちかけていた男は空に踊る少女を見た。
重力に縛られず、空気に縛られず、当然のようにそこに在る。踏み出す足も思いのままに、どこにまでだって行けそうだった。
(ああ、そうだった)
無謀だと何度も言われた、孤児風情がと蔑まれた。
それでも、と望み続けた道。この街に吹く風が好きだったから、住まう人達の笑顔が嫌いではなかったから。
少年だった頃からずっと。雑多で汚く騒がしく揉め事も絶えない、それでも一緒に炭火を囲み、共に肉を焼けば何があろうとも許せると思えたこの街が好きだったから。。
いつから忘れたのだろう。
言い訳ばかりで、しなければいけないと走り、こんな所まで行き着いてしまったのか。
あまつさえは、更にどこまで堕ちようというのか。
そう考え始めた途端、鬼になりつつあった身体が急速に崩れていった。
それでいいと、イクミは笑いながら感謝を捧げた。
「―――ありがとう」
「ごめんなさいを、言ってきなさい」
吹きすさぶ風と共に。アスカの一撃はボロボロだったイクミの身体を切り裂き、崩れ落ちた破片は夜の闇の中に紛れ、風と共に去っていった。
「痛っっ……!」
空から落ちて、地面に。着地には成功したものの、それなりの高度まで飛び上がっていたアスカは足の裏に走る衝撃に顔をしかめていた。
「現出に成功してなかったら、折れてたかも……ま、今はいいか」
ショウゾウが―――イクミの心境の変化が何によるものかは分からない。だが、最後の最後に鬼には成らず、それを拒否したように見えた。詳しいことは不明のまま。それでも、憐れの極みに陥ることだけは阻止できたことは間違いないようだった。
100点とはいかず、イカイツが死んだ影響は無視できないだろう。だが、出来る限りの最善を尽くすことはできた。逃げずに留まり、自分の意地を通すことができた。
「これ以上を望むのは贅沢、って……あ、アンタ達」
増援に来た二人を見かけたアスカは、軽く手を上げた。危なかった所を助けられたこともあるが、ポーションの効力が想像以上だったことも大きかった。
ありがとうと、感謝の言葉を告げた。増援の二人は笑って頷きを返し、こちらに近づいてくる。
ゆっくりと、重心をブレさせずに、貼り付けたような笑顔のまま。
コンマ数秒後。アスカは短刀を抜き放った直後、動けなくなった。男たちに身体を掴まれていたからだ。
一人は短刀を持つ右腕と右肩、もう一人は逆側になる左肩と顔を。
万力のような力でビクともせず、心素も尽きかけていた。
アスカは鷲掴みにされた指の隙間から、こちらを見つめる者達の顔を見た。
何らかの使命を帯びた鋭い眼光と、掌に高まっていく心素の輝きを。
(ごめんね……セロ、みんな)
それが、アスカの最後の言葉だった。
そうして―――夜が明けた鶴橋の街の居住区外。全てが終わった凄惨なその現場の中心で、セロは立ち尽くしていた。
ティーラがぶつぶつと呟きながら、治癒術を重ねがけしていく。
リュウドウは膝立ちに崩れ、シャンは呆然とそれを見守っていた。
ありったけの心素がこめられたティーラの治癒は、早朝であることを考えると途轍もないの効果を発揮することだろう。
だが、セロはティーラの治癒が無駄に終わることを悟っていた。
効くはずがないのだ。頭が無くなった死体を、どうしようとも。
装備が、遺された身体が物語っていた―――それがアスカの死体であることを。
朧雲に隠された、陽の光が僅かに届く朝のモヤの中。
セロは自分の中で何かが罅割れていく音を、ただ静かに聞くだけしかできなかった。
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