29話:予期せぬこと
音もなく走る男の背を追いかけ、セロ達は走り続けた。商店街の奥へ行けば行くほどに暗く、雰囲気が怪しくなっていったが、ここで捕まるよりはマシだと足を止めることなく。
そうして10分後、男は立ち止まると目的地であるらしい店の中に入っていった。セロ達は少し迷ったが、看板に記されていた文字を見て、一か八かと中に入った。
見えたのは、部屋中にならぶ武器と防具の数々。中ではちょうど、店の奥から店員が出てくる所だった。恰幅の良い女性の店員は笑顔で歓迎の言葉を告げたが、先行していた壮年の男を見るなり心の底から嫌悪する表情を浮かべた。
「まさか、ね―――アンタ、まだ生きてたんだ」
「久しぶりだってのに酷い言い草だなぁ。仮にも上得意だったお客様に」
「何十年前の話だい。……アンタに売る剣はないよ、さっさと出てっとくれ」
「あー、俺じゃない。客はこいつらさ、武器防具を一式揃えたいってよ」
え、とアスカが視線を送る。男はけけけと笑いながら答えた。
「ああも大声で話されちゃあ嫌でも聞こえるさ。ま、バカを誘うにはちょうど良かったがな。ああいうのは危険だと教えとくぜ」
「……どういうことだい?」
困惑する女に、セロ達は起こった事実だけを告げた。覆面の男たちに襲われ、撃退したがイカイツの孫だからとトドメを刺さず、警邏からも逃げてきたことを。店員はその話を聞いた後、今までのしかめっ面が嘘だったかのように笑顔になっていた。
「なーんだ、早く言っとくれよ! よくやってくれたね」
「……良いのか?」
「あの連中には私達も迷惑してたんだ。さ、剣はこっちだ。ナイフもあるからじっくりと選んでくんな」
案内をされたセロは、困惑した。アスカは、これほど嫌われるなんて、あいつら前科何犯なんだろうと、それとなく背景を察していた。
「……それよりも、セロさん。その、お、降ろして欲しいんですが」
顔を真っ赤にしながら、ティーラが訴える。忘れていたとばかりにセロが優しく地面に降ろすと、俯いたまま二人に謝った。
「すみません、勝手な真似をして」
打ち合わせでは、セロが金を持っている設定だった。それを相談もなく変えてしまって、とティーラが呟くも、二人は気にするなと肩を叩いた。相手の動きが読みやすくなったのと、作戦がずさんになったのは確かだったからだ。
あの一言で敵の作戦は読めた。ティーラを抱えて逃げる者と、セロ達を足止めする者に分かれることだ。だが、初手をしくじったせいで相手の動きが乱れに乱れた。
「結果的には上手くいったからね……でも、相談はしてね。まだ、怖いんでしょ?」
アスカが告げると、ティーラは目を丸くして驚いた後、小さく頷いた。一方でセロは武器を食い入るように見ていた。
「なんだい、気に入ったものがあったかい」
「ああ。だけど、見るだけじゃ分からいんだが……手に持って試しても?」
「あったりまえだろ。命を預けるものなんだ、徹底的に選んどくれ」
「分かった……試しに、これを」
セロは立て掛けてある剣の中で、一番頑丈そうな奴を選んだ。無骨な片刃だが厚づくりで、ちょっとやそっとの衝撃では折れそうにない。間近で見ると、鍛え込まれているのが分かった。試しに軽く振ったセロは、目を丸くした。剣の重心のバランスが驚く程に整っていたからだ。
横でそれを見ていた店員は、珍しいねえと顎を擦っていた。
「派手さに欠ける剣は嫌われがちなんだけど……頑丈さ優先かい?」
「ああ。トレントのように硬い相手に素手で、というのは二度とゴメンだからな」
「そいつは災難だ。折っちまった後に遭遇したのかい……ってトレント?」
「ビルボード・トレントだ。群れに遭遇して……どうした?」
絶句する店員の横で、男が小さく笑った。踏破者かい、と今までとは違った口調だった。
「……踏破者?」
「あの荒野を抜けてこの街に来ようってなぁ無茶を考える奴らを指す言葉さ。オレ達命知らずの愚連隊、金は無いけど夢はある! ―――ってなバカをする冒険野郎の称号でもある」
難易度は本物のため、突破できた者は大勢から賞賛されるという。装備を買い込んだ上で、強くなるために挑むルートでもあるらしい。道理で、とセロは捕まっていた者がやや高価な装備を持っている理由を悟った。それを使わなければ、逃げるのは出来ても殲滅するのは難しかったことも。
話を最後まで聞いた男は気味の悪い笑いを零すと、真剣な目でセロに近づいていった。
「……セロ、と言ったか。俺ぁショウゾウっていう。で、お師匠さんから武器の選び方は教わったか?」
「基本だけなら。だが、何のつもりだ?」
「借りは返しとこうと思ってね。で、基本のおさらいといこうか」
「ああ。長く使えば使うほどに頑丈になっていく、だろ?」
重心のバランスや武器の形は個々人の好みによるが、手に持っている武器には一定の法則がある。長く使えば使うほどに切れ味や強度が増していく、ということだ。心素による強化が通りやすくなる事と、剣に相応しい筋力強化を身体が覚えていくのが理由だと言われている。
「で、だ。さっきの戦いで分かったが、かなりの鍛錬を積んでるな? それも真っ当な武術の師匠に教わってる。剣もそうだが、格闘もできると見た。基本は剣で、必要に応じて拳や蹴りで応戦するタイプっぽいが」
ならば小手を先に選べ、とショウゾウは助言をした。それらを装備した上で、動きやすいと感じられる剣を選んだ方が良いと。軽さを優先するなら革のグローブだが、防御力を取るならガントレットの類になる。
そう教えられたセロだが、ガントレットは好みではないと選択肢から外した。柄を握る手の感触が極端に鈍くなるのを嫌ったからだ。その点で言えばグローブは問題ないが、防御力という点では心もとない。
「つまりは、中間か………それなら、これだね」
店員は黒い布と、細い糸のようなもので編まれている手甲を持ってきた。試しに装着したセロは、掌を握ったり開いたりして感触を確かめると、これだ、という顔になった。
「気に入ったみたいだね」
「ああ、これは?」
「北方の魔物、ブレイズレオの鬣を編み込んだ手甲さ」
手の甲の外側に重点的にブレイズレオの鬣を編み込んでいるため、内側の感触は鈍らない。セロは試しに動いてみたが、軽さも程よく、拳速も十分に保持できていた。
「……つまり、そういうことね。セロ、さっきの剣を持って見たら分かるよ」
セロはアスカに言われた通り、同じ剣を振った。今度は、少し重たく、引っ掛かりを感じられる振りになっていた。
「おじさんの言う通り、トータルでコーディネートするのが最善って訳ね」
「そうさ、話しが早いねぇ」
ショウゾウはうんうんと頷いた。最近の若い使い手は、強い武器だけを欲しがる者が多いらしいからだという。単純な攻撃力が不足している状態では、なにをどうした所で稼げないからという理由と、名前を売って個人指名依頼を受けられるようになるためだとか。
「背伸びしたっていいことないのにねぇ。俺は大丈夫だって慢心して死ぬ奴の多いこと多いこと」
「振り回されるのは間抜けだと教わったけどな。っと、剣のタイプは……魔紋付だけか」
「それが売りだからね。なんだ、不満でもあるのかい?」
「その逆だ。魔紋付で、頑丈な奴が欲しかったから」
セロは素直に答えた。
―――武器には大まかに分けて3種類ある。
1、何の変哲もない武器。シンプルだが安く、金が余れば収納に収めている者が多い。
2、心具併用タイプ。剣と柄を繋ぐ所に穴が設けられているもの。ここに特定の心具をはめ込み、戦闘時に使用することで剣に数種類の付与をかけることが可能になる。
3、魔紋入りタイプ。武器自体に特定の効果が産まれる紋様が刻まれているものだ。紋様は擬似的な方陣のようなもので、切れ味や強度や干渉の付与がされている。
武器の頑丈さでいえば、魔紋付が一番だ。心具併用だと武器と持ち手の間に穴が空いてしまうため、どうしても強度が落ちてしまうからだった。
信頼性を重視するセロは、魔紋付を選ぶつもりだった。見繕って、良さそうな物を探す。それでも、店に来たからには一番高価な品物を見たくなるのが人のサガである。セロが尋ねると、ショウゾウがニヤリと笑いながら答えた。
「この店でいやぁ、あの
「……まだ覚えてたのかい、アンタ」
「セールストークが強烈だったからねぇ。お値段1本一千万ってぇ値段もな」
ショウゾウは苦笑しながら、店の奥に飾られている剣を見た。セロは釣られてそれを見るなり、小さく頷いた。
「……適正価格だな。むしろ、安いんじゃないか?」
「なんだって? ……適当言ってんじゃないだろうね」
「気持ちがこめられたモノは分かるつもりだ。……その上で加工が難しい
刀身から柄、鞘、研ぎ、装飾に至るまで心血が注がれたような何かをセロは感じ取っていた。同時に、今の自分が持てる代物ではないことも。
「でも、掘り出し物だよ? 一応、買える値段ではあるし……」
「俺の方が相応しくないんだ。剣士は“
アルセリアの教えだった。使うのも使われるのもダメで、剣に生きるのならばその奥にある何かを見いださなければならないと。
この剣を買えば、強くはなれるだろう。あの桁違いの熊をも倒せるかもしれない。名前が上がって、実力がついて、それでも腕は上がらない。実力伯仲の相手と命を賭けて戦うからこそ、心が磨かれる。剣鬼らしい教えだが、セロは的を射た言葉だと感じていた。悩み、痛みを越えてこそ強くなったという実感が得られるからだ。
それに、自分一人で戦う訳でもない。当初の予定通りにと、セロは二人の武器と防具も選ぶべきだと告げた。アスカとティーラは嬉しそうに頷き、その様子を見ていた店員が微笑ましいものを見る目で話しかけた。
「良い徒党だねぇ……久しぶりに骨のある話を聞いたよ。アンタもこういう頃があったろうにね」
「ババアが痩せてた頃みたいにか? それより仕事をしろよ、稼ぎ時だろうが」
「アンタなんかに言われるまでもないよ。さぁじっくり見ていって、セットでなら割引も考えるよ!」
それからセロ達は店の中を見て回ると、すぐに購入を決意した。セロは審美眼を、アスカは300年前の記憶から、ティーラは商人として、それぞれが“物”を見る目を持っていたからだ。3人ともが迷うこと無く、この店で全て買い揃えることでまとまっていた。
そして、サイズの部分的な直しも込みで3時間後。全員が刷新された姿で、満足そうに顔を緩ませていた。
セロは合成魔鋼金の剣で、魔紋の付与として強靭と硬化が重ねられたもの。防具は黒く厚手の防刃戦闘服に、編み込み手甲を。
アスカは風力増加の付与がある強チタニウムナイフに、同材質の投げナイフを20本、魔銅革のグローブと黒の防刃の軽装服。
ティーラは先端に術効果増幅の心具がこめられた棒に、防刃繊維の薄いアンダーと、この店一番の防御力を誇る強化繊維で編まれた布と魔芯針を。
「しっかし、アンタが針仕事? 似合わないねえ……見た目はどこの殺し屋だ~って感じなのに」
店員があきれた様子でセロを見た。布の取り扱いは素人には難しく、出来っこないと最初は言い張っていた店員も、ティーラが着ている服の出来と、実際にやってみせたセロの手腕を見て納得せざるを得なくなった。
布に負けない貫通力がある魔芯針の取り扱いもすぐに覚えた時は、職人じゃないのかと疑われた程だった。
店としては、損だろう。加工賃が貰えないとなればどうしても安くなる。だが、これだけの技術を見せられてなお売らないというのはあり得ないと、店員は清々しく笑っていた。
「でも、惜しいねぇ。こっちに任せられたんなら、もう100万はせしめられたってのに」
「……それでも600万はバカに安いねぇ。若い子だからってサービスしすぎだろ」
「無駄に年食ったアンタの方がバカよ。若い子を着飾らせるのは年寄の特権さね。これだけ可愛い子達なら、逆に役得ってもんさ」
店員はアスカとティーラを眺めながら、満足そうに頷いた。性能だけではなく見た目も両立できたと、自分の仕事に満足していた。
アスカは機動力重視の軽装だが、流れるようなスタイルの良さが一目で分かる仕上がりになっている。防刃のタイツもぴったりで、わずかに見える太ももの肌が艶めかしい。
ティーラはセロが書いた絵で完成形を示されたが、まるでお姫様だ。クリーム色のローブと綺麗な金色の髪が織りなす清潔感は、庶民ではあり得ない気品を生み出すことだろう。
全てセットで、600万。だが、それでも安すぎる。ティーラの目利きは、知り合いの店で同じ物を購入したとして、もう300万は必要になると言っていた。
こちらの世界の方がやや物価は安いらしいが、300万の差があるとは思えない。南巽で武器を見たアスカも、これは安いと迷いなく断言できるぐらいに、600万という値段は破格に感じられていた。
「ありがとう。まさか、この金額でここまでの装備を整えられるとは思っていなかった」
「ま、商店街を代表しての礼と、今後ともご贔屓にってことさ。あと、ティーラのお嬢ちゃんの完成形はぜひともみたいんだがね?」
「承知した。そう遠くない内に……一週間以内には仕上げてくる」
「また顔を見せに来ますね、お姉さん」
アスカが代金を渡しながら告げると、店員は豪快に笑いながら嬉しそうに頷いた。
それからセロ達は店員に再度の礼を告げながら外に出た。ひょっとしたら、と警戒はしていたものの外には誰もおらず、喧騒も遠くにしか感じられなかった。ふと上を見上げるも、薄暗い照明ばかり。アーケードで陽の光が遮られ、薄暗い空間を仄かに照らすばかりだった。
「……えっと。ここは、どこなんでしょうか」
「分からないけど、探検するつもりで散策すれば良いんじゃない? まさか迷宮になってる訳じゃあるまいし」
「いや、迷宮ならあるぞ。ま、この先の奥の奥なんで、狩人のお前さん達には関係ねえだろうが」
アスカの問いかけに応えたのは、ショウゾウだった。いつの間にか店から外に出ていたのだ。
「それじゃあな、兄さん。ギルドに行く時は気をつけな」
「――ちょっと。少し、待ってくれ」
「……どしたい、兄さん。聞きたいことでもあるのか?」
背中を向けて立ち去ろうとしたショウゾウが、振り返らないまま立ち止まる。
その背中に、セロは小さく頭を下げた。
「違う。礼を言いたかっただけだ」
この店を紹介してくれた事と、装備の助言をしてくれたこと。素直に告げたセロだが、ショウゾウはボサボサの黒髪で包まれた頭をボリボリとかきむしり、背中を見せたまま答えた。
「別に……そういう気分だったからだよ。あいつの孫の無様な姿も笑えたしな」
ククク、とショウゾウが卑しく笑う。そして顔だけ振り返ると、セロに向けて告げた。
「勿論、それだけじゃないがね――――アンタも復讐者だろう?」
「……アンタも、か?」
「俺ぁ一人ぼっちだがね。……それじゃあな、セロ。また会うことが無いよう祈っとくぜ」
眩しすぎて眩しすぎて、次は殺してしまいそうになるから。冗談混じりに言い残し、壮年の男は背を丸めたままセロ達の元から去っていった。
3人は黙って見送った後、緊張を解いて深い息を吐いた。
「かなりの曲者だったね。信じない方が良さそうな」
「だが、俺たちを助けてくれたのは事実だ。意図が分からないが―――強い。武器は剣、しかも心具併用のタイプだったが」
先の戦闘の途中、セロはショウゾウの武器を見ていた。モノ次第では戦闘力が倍加するという、心具併用の長剣。
(注意するべきなのは、使われている心具だ。核となる石、もしもラナンが言っていた“アレ”ならば―――)
外道の技を活用して生み出された物ならば、戦闘力は更に倍増するだろう。実際に見たことがないが、それを使う者は数段厄介であることをセロはラナンから教わっていた。
「―――まあ、ね。あっちはひとまず置いとこうか。それで……どうする? このままギルドに行くべきか、この街から逃げるか」
武器を購入した次はギルドでの徒党の登録と、中級昇格の申請を済ませる予定だった。だが、先ほどの騒ぎだ。正当防衛な上に誰も殺してもいないため、捕縛される謂れはない。だが、相手はイカイツの孫だという。
正しい言い分が通用する相手ならば、問題はない。もしも違っていれば、発見された途端に最悪は―――と。
セロは承知の上で小さく頷き、告げた。
「―――行こう。イカイツがどうとか知らないし、俺たちが逃げる理由はどこにもない」
「だね。ギルドと喧嘩になっちゃったら、その時はその時で!」
「賛成です。それで、ちょっと思いついたことがありまして」
上手くいけば一石二鳥、私に良し、徒党に良しです、とティーラが笑う。その顔は最高に怖くて綺麗で、セロとアスカは微笑ましい表情で頷きを返した。
―――その二時間後、3人は商店街の迷路を抜け、ギルドに辿り着いていた。途中でいかにも自分達を探していそうな警邏を見かけたが、どういう訳か素通りして去っていった。
「……意外にばれなかったな」
「堂々としてたのが良かったのかも。それより、秘策は大丈夫?」
「はい。あのナイフがあれば、後はどうにでもしますから」
弾む声でティーラが言う。道中に策の内容を聞かされていた二人は頼もしい限りだと頷き、怒らせてはならない相手が居ることを理解していた。
「……相手次第の部分はあります。ですが、アスカさんの予想通りなら」
「8割がた行けそうかな。問題は横入りしてくる連中だけど」
あの受付のように、個人的に慕っている連中ならば。
話しながらギルド内に入ったセロ達は、それに類する者たちを鉢合わせた。
手には武器、後衛は方陣の準備を。
一触即発とも言える光景。それを前にしてセロ達は驚かず、怯えず、ただ首を傾げた。
「なんだ、捕物でもあるのか? 良かったら教えてもらっても―――」
「黙れ」
「ああ、犯罪者を庇おうってこと? それでいいのね、貴方達は」
黙らず、堂々とアスカは告げた。途端、待ち構えていた一団は殺気づいた。
だが、仕掛けられない。予め分かっていたことだ、脅し以外の手を相手は取ることができない。既にギルドの建物内だ、他の組織の目もある以上、イカイツなる名前が邪魔をする。その名前と当代を慕う以上、ここで武力を行使するということは他の組織への恥をさらすことになる。
(――それでも、100%はあり得ない。激発すれば殺し合いになるが)
今この場所こそが分岐点の上だ。殺し合うのか、あるいは。セロ達は何も言わず、一団を眺めるだけにした。進むことも退くこともしない、ただ背後に居るであろう男に向けて訴えかけた。
間もなくして、その賭けは終わった。一団の背後からかけられた、男の声によって。
「―――なにをしている」
低く、鋭い声。それだけで一団はすくみあがった。
「もう一度聞く。お前達はここで何をしようとしていた」
「そ、それは……こ、今代! でも、俺たちはアンタを」
「散れ」
たった一言だけ、壮年の男は告げた。それ以上は何も言わない、視線だけで集まった10数人を支配しているかのようだった。
それだけに、集まった者たちは威圧を前に膝を笑わせるだけ。動けない様子を見たイカイツが、ため息混じりに告げた。
「行けといった―――二度言わせるつもりか?」
「は、はい! お、お前ら、撤収を」
恐怖が勝ったのだろう、集まっていた者たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。それを見送ったイカイツは軽く息を吸ったあと、どうしようもなく深いため息をついた。
「……昨日と同じ部屋へ。ついてきてくれるか?」
その言葉に、セロ達は頷いた。突っぱねるにも意味がなさすぎるからだ。そして、防音が効いているだろう面会の部屋にたどり着くなり、イカイツは深く頭を下げた。
「話は聞いた―――すまなかったな」
「孫のことですか?」
「そうだ。……先ほど報告を聞いた」
孫が強盗を働こうとしたこと、反撃にあって殺されそうになったこと。下手人の風体を聞いたイカイツは、瞬時に全てを察し、報告を持ってきた男を殴り倒し、急いでホールに出た。
そこで見かけたのが、先ほどの光景だという。嘘をついているようには思えなかったので、セロ達は何を追求するまでもなく、ただ事実だけを話した。
幼女誘拐未遂という単語を聞いたイカイツが、後悔に表情を染まらせた。
「……本当に申し訳ない。事前に止めておくべきだった」
「確かに。………つまり、情報を漏らしたのは貴方ではないとおっしゃる?」
「そうだ―――と返した所で言い訳にもならんだろう。……職員が漏らした可能性を考えるとな」
どう考えても偶然ではあり得ない。アスカの問いかけの意味を察したイカイツが、深く頭を下げた。
それを見たセロ達は、心配しすぎだったかと臨戦態勢を解いた。少なくともこのギルド内で襲われることはないし、イカイツの予想外であることは見て取れる。
本気で害そうとする気なら、もっといくらでも悪どい方法が取れたからだ。それをしない事、狂信者じみた尊敬を集めていること、何よりもリュウドウの様子からイカイツの人柄は推測できるものだった。
9割9分、善人であることは間違いない。そうであるなら、次が通る。アイコンタクトを受けたティーラが、神妙な面持ちで口を開いた。
「頭を上げて下さい………私達も、少し過敏でしたから。ですが、それには理由があるのです。何より、私が狙われたことも」
「……あの阿呆に襲われたのは君か?」
「はい。お金を預かっているという会話を聞かれたらしく」
消え入りそうな、震える声でティーラが呟く。そして、それは演技ではなかった。
本当に怖かったのだ。だからこそセロ達は許せず。だが、ティーラはそんな自分だからこそ発せる言葉があるという事前の打ち合わせ通り、続きを話した。
「実は……私達3人が荒野を抜けるルートを選んだのは、私のせいなんです」
それを皮切りに、ティーラは事実だけを話した。
怪しいが、途轍もなく強い老人に自分が攫われたこと。修行を名目に痛めつけられていたこと。それを不憫に思ったセロとアスカが助けにきてくれたこと。老人との戦闘になり、そこに地元の大規模徒党が乱入してきたこと。
「これが、証拠品のナイフです。……音によって操れる、特殊な加工が施されているようです」
そっと、ティーラはカイセイが落としたナイフをイカイツに手渡した。
イカイツはそれを手に取り、眺めた後に顔色を変えた。
「―――確かに。似たような細工を、私は以前に見たことがある」
「はい。そして、その老人は気まぐれに去っていったものの、いつまた襲われるかと思うと……」
ティーラは震えながら呟いた。その姿を見て、イカイツは渋面になった。
年端も行かぬ子供を、知らなかったとはいえ心に傷を負う女子を力任せに攫い、恐らくは脅迫までするつもりだったのか。その事実を強く認識したからこその、怒りの発露だった。
「……重ねて謝ろう、すまない、この通りだ。詫びの金もすぐに―――」
「いや、謝罪は要らない。金もだ」
横合いからセロが告げた。ただ、一つだけ確認しておきたいと素直に尋ねた。
「タクマっていう男を、金輪際近づけないでくれ。アンタの支持者も同じだ」
「……それは当然のことだ。しかし、迷惑をかけたのだ。代価を要求するのは当然だろう」
「それこそ不要だ。……ティーラとも話し合った上での結論で、俺たちの総意だと思ってくれ」
セロは、事前に確認した通り言葉を発した。
―――仮でありひよっこでも、俺たちは狩人なんだと。
「しかし、分からない。裏で手を回せば俺たち程度、どうにでもなっただろうに」
「それは泥沼へ踏み出す第一歩だ。不義理は後にまで尾を引く。筋を通して誠意を尽くすことが最善の近道だと信じている……私が言えたことではないがな」
「……だったら、尚更だ。狩人として、魔物を討伐した報酬は受け取る」
「そうね。だけど、上から与えられる謂れなんてないから」
大金だろう、儲かるだろう、ちょっとした財産になるのだろう。だが、引っ掛かりだけが残る金なんて要らない。それが、
「でも……貴方が大人で良かった。最悪は、逃げることも想定していたから」
ティーラの頭を撫でながら、アスカが言う。セロも頷きながら、一つだけ約束して欲しいとイカイツに告げた。
「―――次はない。尋ねないし、問いかけない。それだけを伝えておいてくれ」
見かけた時が、殺し合う時だ。セロから真剣な目で告げられた言葉を、イカイツは正面から受け止めると、約束すると頷きを返した。
『……ひとまずは解決か』
『うん……緊張、したね』
『でも、必要なことでした。情報収集という意味でも』
ギルドを出た所で、セロ達は安堵のため息をついていた。一応は目論見通りに言ったと、内心ではほくそ笑みながら。
『しっかしあのジジイに全部罪を着せるなんてね。おまけに、装備とか居場所に関する情報提供も約束させられたし』
『私は事実を並べたまでですよ。……全てはあのカイセイなる老人の責任。外道の自業自得ですから』
フフフ、とティーラは可愛く笑った。アスカは顔を引きつらせながら、まあ仕方ないよね、と自分を誤魔化すように笑った。
『でも……イカイツさん、普通に良い人だったな。鶴橋の奇跡か』
『そう言いたい気持ちも分かるけどね……あ、でも夢と言われれば信じそう』
『罠では無かったのですね……まだ油断はできませんが』
全て解決、というのはあり得ない。ただ、今後の狩りに支障が出ないことを祈るのみだ。だが、これ以上にやれる事もないと、3人は気持ちを切り替えて次の予定を話し合った。
「次は方陣か……先ほどのように、腕の良い職人を見つけられればいいんだが」
街へのツテが無い以上、巡り合わせになるだろう。最善は、腕を考えれば信じられないぐらいに安かった南巽のシャンの店だが。そう考えたセロは、前方から飛び込んできた異音を前に眉をひそめた。
「なんだ……腹の虫が鳴る音?」
「勘違いじゃないっぽいね。ほら、多分だけどあの人」
アスカが指差す先には、うずくまって震える女性が居た。空腹のあまりむせび泣いているのだろう、聴覚を強化すればそれが良く聞き取れた。
周囲の者は、気味悪がって近づかない―――と普通であればそうなるものだが、男衆の視線を何重にも集めていた。
屈伸のような態勢で呻き声をあげている女性が身にまとっているタイトなワンピース、その横からいかにも豊満であることが分かる“もの”がこぼれ落ちそうになっていたからだ。ローズミストの長髪も色っぽく、肉感的な全身と相まって得も言われぬ色気が感じられた。
髪の色が変わっているが、間違いない。セロはその女性のスタイルに見覚えがあった。
「まさか―――シャン、か?」
「セロさんっっっ!?!?」
まるで、点火花火のように。
飛び上がったシャンは歓喜の声と共に、飛び込むようにセロの頭に抱きついた。
―――同時刻。そこに居た者たち全てが、ピシリ、という二つの異音を聞いたという。
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