22話:荒野を往く(1)

「それじゃあ―――行くか」


「はい!」


「了解よ、感知は私に任せてね」


セロの号令に二人が頷く。そうして3人は仮初の宿に別れを告げ、荒野に向けて出発した。


昨夜のミーティングの通りの陣形で、3人はあちこちが陥没し、舗装が捲れ上がっている道路の上を歩き、進む。道路が続いている先は霧がかかっていたため、ある程度しか見通せなかった。空の上にはいつもと変わらない、どんより黒い雲がのさばっている。


陣形の先頭にはアスカが居た。五感全てを強化しながら、魔物の気配を探りながら慎重にルートを選定していく。その足取りは軽快で、昨日までの疲労を感じさせないものだった。ティーラの治癒に加えて、地下で見つけた浴室で休むことが出来たお陰だった。


主な武器はカイセイが落としていったナイフが2つ。地下にあった材料を元にセロが即席で作ったナイフケースを腰にかけ、足音を立てないように歩く。鋭く青いつり目は上下左右に忙しなく、敵の奇襲を防ぐために動き続けていた。


その後に続くのはティーラだ。アスカが方陣魔術ウィッチクラフトで作り出したお湯により汚れを落とされた結果、本来の容姿を取り戻していた。肩にまで届く、輝くような金色の髪。地下にあった予備のカーテンを元にセロが作った簡易の服が、雪のような白い肌を包んでいた。温厚な印象を連想させるタレ目がちな赤い瞳には心素がこめられ、遠方からの魔物の接近がないかを毎秒ごとにチェックしていた。


最後尾のセロは無手のまま、いつでも駆け出せるようにしながら聴力を強化していた。収納の中にはアスカと同じく、カイセイが落としていった鋭いナイフが。灰色の髪と尖すぎる黒い瞳は変わらず、赤く細いバンダナが額に巻かれ、瞳の強烈な印象を若干だが薄くしていた。


『……なあ、二人とも。俺ってそんなに目つき悪いか?』


昨夜、バンダナを洗っていた時のことをセロは尋ねた。声に出すと魔物に気づかれる可能性があるため、念話で。二人は数秒後に答えた。


『……控え目に言って極悪かな。敵として出てきたらなんとしてでも交渉から入るタイプ』


『ですね……花街のアレな界隈に出れば、大人気になりそう』


花街とはなんだ、アレとはどういう意味だ。セロは疑問を抱いたが、追求することよりも気になることがあった。


セロは居住区外スラムに流れた時、絶対にしてはいけない事を先輩から教えられた。その中の一つが、居住区外スラムの向こう側へは近づかないという内容。セロはその言葉の重さを、今になって理解していた。


戦技者としての本能が警戒を促してくるのだ、ここはと。同じことを感じていたアスカが、念話でセロに語りかけた。


『情報を収集してた時に聞いたんだけどねー。過去に99組が挑んだらしくてね。それで、最後まで通り抜けられたのはたったの5組だって!』


あはは、とアスカが乾いた笑いをこぼした。抜けた5組も、仲間を失ったりと無事では済まなかった。その理由が分かるね、とアスカは言おうとした所で止まった。


手を上げ、後ろの二人に見えるようにハンドサインを出した。


(―――樹木系、右、物陰、やり過ごす、了解)


セロはアスカの指示を受け、ティーラを抱えて素早く移動した。アスカの誘導で廃墟の隙間を抜け、敵から死角になる場所へ移動する。


戦闘は出来る限り避けるという、出発前に決めた方針に従っての行動だった。3人はしばらく息を潜め、道路を徘徊する木で出来た魔物の気配を探った。


『……でかいな。3mはあるぞ。あれが噂のビルボード・トレントってやつか?』


『多分違う、特徴が一致しない。でも、ランク5以上は確実ね。攻撃手段は手っぽい枝か、頭―――葉っぱに成っている実か』


『外皮は硬そうだな……全力の蹴りでも、1発では砕けなさそう。それに、なんか毒っぽいな』


『いやーな相手ね……ここは回避一択でよろしく』


リーチが長く、搦手を使ってくるかもしれない。勝利したとして、戦闘の後にまで残るダメージを負う可能性もある。短刀しか持っていない状況では、絶対にやり合いたくない手合。分析に優れるアスカは、まともに相手をしても旨味が無い相手だと、戦闘自体を回避する判断を下した。


セロはその指示に従った。戦闘をするかどうかを決めるのは、アスカの役割だからだ。出発前、それぞれの得意分野の差を語り合って決めた方針だった。


セロは心素の量、筋肉量、身体能力の全てが優れている。地力が高いため、大多数を相手にしても立ち回りと単純な暴力で一定以上の戦果を上げられるのだ。今は戦闘経験に乏しいため、初見の相手の場合は後手に回る傾向があるが、アタッカーとしてはアスカを圧倒的に上回っていた。


アスカは直接的な戦闘力こそセロには劣るが、頭の回転速度は随一だった。持ち前の頭の良さと300年前と狩人になってから蓄えた豊富な知識があるため、分析能力で言えばセロを上回っていた。そのため、カイセイのような技術を駆使して攻めてくる相手には有効だ。反面、社長&兵隊のように、数を前面に出して制圧してくる相手とは相性が悪い。


ティーラは能力を聞き取ったアスカが、治癒専門と運搬係に任命した。商家を手伝っていたことと本人の資質からか、収納できる量と範囲、効果がセロとアスカより圧倒的に優れていた。旧・トラットリアの地下で見つけた珍しいものを収納してなお、余裕があるぐらいに。治癒に関しても、かすり傷程度なら5秒で治すことが可能。深い切り傷でも1分あれば塞ぐことが出来る、とは本人の申告だ。


練り上げられる心素の量は少なめだが、それでも普通の傷であれば一日に10回は癒すことができる。鍛錬をしていない状態だと考えると十分に過ぎる、というのが治癒に必要な心素の量を知っているアスカの感想だった。


『……行ったわね。回り込んで、先に進むわよ』


『了解。……しかし、武器が無い状況がここまで恐ろしいとは』


強化した手足による打撃でも、コンクリートの壁に穴を開けることは可能だ。だが、ランクが5より上の魔物ともなればそれより硬い相手も出てくる。


問題は、仕留めるのに時間がかかってしまうこと。ここは魔物の巣窟でもある。いつ何時、戦闘の音を聞いた他の魔物が殺到してくるか分からないのだ。


故に、基本的に戦闘は避ける方針で3人の意識は統一されていた。狩りをするのは鶴橋に到着した後、武器を入手してからでも遅くはないからだ。先に魔物側に発見され、戦わざるを得ない状況になっても、逃走を最優先としていた。


例外は、弱い魔物が単独でうろついている場合。3人は少し進んだ先で、その獲物を見つけた。ランク5、フレイムウルフ。赤い体毛が少し目に痛い、体高70cmほどの狼系魔物。


だが、一度戦ったことがある。セロが視線で訴えるとアスカが瞬時に作戦を考えた。念話で意思疎通をしあい、ハンドサインでタイミングを測る。


(―――今!)


最初に仕掛けたのはアスカ、物陰から飛び出ると同時に拾った石を目に命中させた。


フレイムウルフが悲鳴を上げる。痛みに呻き、これをやったのは誰だとアスカを睨みつける―――囮だと、最後まで察知できないまま。


ずぶり、と赤い体毛を立てられた体を4本の指先が貫く。その手には、フレイムウルフの赤い魔石が握られていた。びくり、と身体を跳ねさせたのが最後。間もなくして、フレイムウルフの巨体は力なく地面に横たわった。


セロは手に付いた血を振り払い、物陰に隠れていたティーラに念話で告げた。


『ティーラ、収納を頼む』


『は、はい!』


小走りで駆け寄ったティーラが手をかざす。その掌の示す先でフレイムウルフの死体が薄く光り、2秒後にはティーラの収納領域に収められていた。


『―――他の魔物の気配なし。進みましょうか』


アスカの指示に従い、二人は元の道を歩き始めた。


出発してから6時間、荒野を抜ける旅は順調だった。強そうな魔物か予備知識の無い種類は徹底的に避け、単独かつ弱そうな魔物は奇襲で狩り取りティーラが収納する、それの繰り返しだけで済んだからだ。時折、ランク6といった中型の魔物を見かけるも、図体が大きく察知能力に乏しいのか、普通に隠れてやり過ごすことができた。


未踏破領域にはまだ遠いからこその成果でもある。刈り取れた魔物は、まだ居住区外で見かける種類が多かった。その中でも、ランク4のポイズンホーネット、ランク5のフレイムウルフとデミオーガといった、アスカかセロのどちらかが戦ったことがある魔物が戦果となっていた。


『ひい、ふう、みいの……これで30万イェンぐらいか。結構な稼ぎになったね』


『え……そんなに?』


『いや、功労者が何言ってるの。ほぼセロのお陰だからね』


『……まあ。確かに、疲れたのは疲れた』


『同感。休む場所を見つけたい所だけど―――』


見当たらない、とアスカは内心だけで舌打ちをした。どの行動や音が魔物をおびき寄せてしまうのか分からないからだ。


(……まただ。戦闘の痕跡、っていうか人間が殺された場所っぽい)


魔物のものとは思えない、木に刻まれた剣の跡だけではない。恐らくは魔物と戦闘になり、敗れたのだろう。うっすらと滲んでいる色と僅かに残る腐臭が、力尽きた戦技者の無念の形として残っていた。


これで、6度目。ここまでしか辿り着けなかった人達がいる。アスカそう認識し、弛みかけていた緊張を張り直した。


(とはいえ、いつまでも集中するのは無理。一時的でもいい、安全な場所を見つけないと私達も“痕跡”に成り果てる)


アスカは手がかりを探しながら、歩いた。最悪、あと5時間ほどは大丈夫なため切羽つまってはいないが、余裕が無くなってくると判断ミスも増える。いくら頼もしい味方が居るとはいえ、と。アスカはそう考えた所で、そういえば、とセロに話しかけた。


『確認しておきたいんだけど……アンタの手足の強化度合ってどうなってんの?』


奇襲で相手が気づかない内に、急所に貫手とかいう技で一発。セロがやれると断言したため、アスカは信じた。実際の戦果があるため、疑いようもない。だが、目の当たりにすると色々と衝撃が大きい、というのがアスカの意見だった。


剣を持っていないだけ身軽になったせいか、足運びや隠形の度合でいえば自分を上回りつつある。貫手の動作も素早く、正確に急所だけを狙えている。ひょっとしなくても剣よりこっちの方の才能があるのではないか、と思う程だった。セロは、その問いかけに否定を返した。


『瞬間的にしか出来ないからな。まだまだ未熟だ』


『ええ……10歳でそれって凄いと思うんだけど』


『上には上がいる。格闘と剣、どちらも才能ナシと断言されたからな……もっと成長しなければ』


『え……それで才能ナシ? いや、あのクソジジイと同レベルっていう人が言ったのなら納得せざるを得ないけど』


正直疑わしい、というのがアスカの感想だった。慢心しないために、あえて嘘でもついているのではないか、と思うほどに。


(それに、ちょっと気が付いた所もあるのよね。本人は気付いてるかどうか怪しいけど)


現出の能力に関係あるのかもしれない。それを置いても、動きそのものに関しては熟練のそれだ。たった2年でここまで出来るか、と言われれば否としか答えようがない、というのがアスカの感想だった。


(師匠、ね……本当かな。でも、嘘をつく必要がないのよね。一つ思いあたることはあるけど、そんな性悪というか悪質、ドS極まる修行方法を8歳の子供にするなんて―――)


そこまで考えたアスカは黙り込んだ。この世界の大人ならやりかねない、と。


(……まあ、この世界におけるトップクラスの才能とか見たことないから分からないけど。本人も肌に合ってるようだし)


慢心しやすい子供にとっては、有効な方針であるかもしれない。だが、それは厳しい修行を続けても芯から折られないという確信があってこそだ。自分ならば普通に折れる、というか逃げる、とアスカはセロから聞いた修行の密度を思い出し、呟いた。


『どうした、アスカ?』


『いえ、なんにも。……でも、隠形は? そういうの、経験無いんじゃなかったっけ』


『ああ。だけど、ずっと前からアスカの動きを見てたからな。あのクソジジイのことも、癪だけど動きは良かったから真似をした』


カイセイの足運び、重心移動の巧みさは参考になったとセロは言い、アスカは否定しなかった。音を操る能力や意識を逸らす工夫など、本人の技量の高さと組み合わさっていたからこそ凶悪な性能にまで至ったことを理解していたからだ。


『……そうね。“学ぶ”は“真似ぶ”、とも言うし』


模倣は習得への第一歩、技術自体に罪はないためそういう考え方もあるだろう。だが、アスカは色々と腑に落ちなかった。


(剣と格闘術、その基本だけだったよね。なのにこの短期間で、偵察スカウト……ゲーム風に言うとシーフっぽい動きまで身につけた?)


まだ粗い所はあるが、一ヶ月も経っていないのに出来る動きではない。それだけではなく、戦闘時の動きにも活用し始めている。一足飛びではない、丁寧な動きで徐々に、というレベルでしかない。


だが、セロはまだ10歳なのだ。10歳―――と、アスカはセロの顔をじっと見た。


『本当に詐欺ね。10歳って。30でも通るというのに』


『か、可愛いと思いますよ? それに頼もしいのは間違いないです』


『ありがとう。それとティーラ、敬語は要らないって昨日に』


『無理です。同い年とは思えないので』


ティーラは手でばってんを作り、謝った。店に時折来ていた腕利きの冒険者っぽい雰囲気と、近寄ってはいけないと言われていた向こうの盗賊ギルドの重鎮より鋭い眼光。10歳だからタメ口で、と言われても、ティーラとしては「えっ?」とエンドレスに聞き直す他に無い案件だった。


『いやでも、向こうでも似たような話は無かったのか? 心石使いなら、そういうのも有り得るって教えられたんだが』


『えーと……無い、ですね。せいぜいが少し伸びるのが早くなった、という噂で』


『私も。小さいままのがよっぽどお嫌いだった、っていうセロの必死さは分かっちゃったけど』


『弱いままは嫌だったからな』


助かった、とセロは何でも無い様子で頷いた。恥じることなどないと。それを見たアスカとティーラは、ため息をついて視線だけで語り合った。


(それだけ仇の男を憎んでいる、ってことね)


(ちょっと……ズれた所があると聞いたのは、やっぱり)


(《すり減った》んでしょうね。子供だった部分はこそぎ落として……前だけしか見てないから)


アスカは思う。分析とは異なる、戦闘時の瞬間的な判断と勘の良さは自分よりも上だろう。だが、生活においての認識力はどこか違和感を覚えるほどに見当が外れていることがあった。


旅をしろ、と教えられたという。アスカはその師匠の気持ちが、分かるような気がした。


(危うい、んだよね。在り方が、かなり)


本来のセロは、優しい少年だったのだろう。アスカはそう思っていた。少しだけ昔の話を聞いて分かるほどに。


その少年は変わってしまった。だが、人は消えない。消したい、変えたい、変わりたいと動いた所で、どうやっても拭い去れない部分が残るのが人であると、アスカは考えていた。


(復讐したいのは本心。でも、人間を痛めつけるのは好きじゃない、のかな。あの時、社長を痛めつけるセロは笑っていたけど、それは顔だけだった)


感情を読み取れる訳ではないアスカは、想像と推測しかできない。だが、セロは楽しんでいなかった。悲願の一つを果たせるというのに、顔に浮かんでいたのは苦しみだけで、恍惚とした部分は欠片たりとも見えなかった。


絶対に殺すと誓ったままに独りで走り、果ての果てまで行きかねない狂気は垣間見えた。だが、それだけに染まらない何かがまだ残っている。失えば、あのジジイと同じように堕ちていきそうな最後の一線を。


いっそそうなれば楽なのかもしれない。たった独り、仲間さえ持てず、人という尊厳を捨てて直走った方が、余計な怒りを募らせることなく、何を憂うこともなく戦いに専念できるから。どちらが幸せなのか、正しいのか。それはまだ、本人でさえ分かっていないようだが。


(―――まだ発展途上中、って所ね。セロも、私も、ティーラも)


旅をして、何かが得られれば変わる部分があるかもしれない。そんな事を考えていたアスカに、セロから念話が飛んできた。


『アスカ、あれはなんだ? 赤い、変なものが門みたいに立ってるんだが』


セロが指差す方向を、アスカも見た。小高い山の上、無造作に生えた怪しい形の樹木に包まれるながらも、その緑の侵食を拒否するように、凛然としたものを。


『あれは……もしかして』


あれがあるということは、と。アスカは行き先を変更することを告げ、二人は疑問符を浮かべながらもついていくことにした。









「うっわ……マジだ、鳥居だ」


「アスカ、普通に喋ってもいいのか?」


「大丈夫、周囲に魔物の気配は無いから」


瘴気も薄く、魔物は現れそうにない。アスカはそう答えながら、目の前にある赤い鳥居を見上げた。二本の足で支えられ、水平方向で上が閉じられている、門のような形の木。朱色で包まれたそれは、神社にある鳥居以外のなにものでもなかった。


劣化のせいか、所々で素の木の部分が見えている。だが、倒れそうな雰囲気はなく、それどころか瘴気や樹木による侵食を仁王立ちになって阻んでいるようにも見えた。


「……結界、のような役割を果たしているのか。アスカ、これは?」


「カミサマの社を守るものよ。この世とあちら側を隔てる門のようなもの、と言われてはいたけど……あくまで迷信だったはず」


アスカは第三次世界大戦の後に起きたことを思い出していた。神仏に頼る人が増えたため、あちこちに神社が立てられたことを。効果は無かったはずだった。結果だけを見れば、世界は砕けてしまったのだから。


だが、今は違ったようだ。周囲の状況と戦技者としての感覚は、瘴気に塗れた現世と神社を隔てる門としての役割を果たしているようだ、という結論以外に出せなかった。


「でも、怪しいと思う気持ちが半分……ティーラはどう思う?」


「教会を思い出します。瘴気が薄れていることから、危険があるとは……」


「ひとまず中に入ろう。敵ならば倒せばいいし」


「入らなければ分からない、か。……そうね。本当に安全なら儲けものだし」


3人は頷き合うと陣形を戻し、中に入っていった。普通に入れたことに拍子抜けをしながら、奥へと進んでいく。


入ってすぐに見えたのは、ずっと続いている石段だった。それなりに長く、下からでは境内の類が見えない。階段の左右には外のものとは異なる、アスカにとっても馴染み深い樹木が生い茂っていた。空気も清廉としていて、アスカ達は魔物が現れるような場所とは思えなくなった。だが、何かの罠とも限らない。アスカは外と同じように慎重に、周囲を警戒しつつ階段を登り始めた。


だが、聞こえてくるのは爽やかな風の音と、小さくざわめく森の葉だけ。結局は何の奇襲もなく、普通に階段を登りきった3人は、そこに広がっている光景を前に言葉を失った。


「綺麗……荒野の中、だよね?」


「はい……え、なんだこれ……小さい石?」


「玉砂利よ。ということは、参道で間違いないようだけど……」


普通の境内だった。石畳の周囲には玉砂利が敷き詰められていて、奥には社が一つあるだけ。お守りなどを売っている建物はなく、閑散とした様子で満ちていた。それから3人は周辺を調べたが、特に怪しいものは見つからなかった。


そうして、警戒しつつの調査が終わる頃には、日が傾き始めていた。


疲労が限界に来ていた3人は社の中に入るなり腰を落とし、それぞれに深いため息を吐いた。


「あ"ー………ホッとする。地獄に仏とはこのことね。神社で言うのもなんだけど」


「神社か……カミサマ、ってやつの家なんだよな。ここにはどんなカミサマが居るんだ?」


「それなんだけどね、おかしいの。ここは本殿みたいだけど、何も祀られてなかった」


絶対に何かしらの神が祀られている筈なんだけど、とアスカは怪しんでいた。危険が無いことは分かるが、違和感があるのだ。見つかったのは賽銭箱だけで、中に無ければいけない筈の祭壇ものが見当たらなかった。これじゃ神社じゃなくて、と言おうとしたアスカだが、言及すると怖いので言葉を濁した。


「でも……本当に助かりました。ここなら安心して休めそうです」


「それは、本当にね。めっっっっっちゃくちゃ疲れたし」


慣れないことを6時間、時折休憩を挟んではいたが、魔物だらけの場所を抜けるのは並の労力では足りない。アスカやティーラだけではなくセロまでもが、肉体的、精神的に疲れ果てていた。


「でも、その甲斐はあった。大怪我も無しに、かなり距離を稼げたと思うの」


「トラブル込みで3日、だったな。順調だったし、このまま行けば―――」


「止めて、それフラグだから」


明日は未踏破区域に近い地域を通るんだから、とアスカが制止した。今日は前座で、明日こそが本番、気を抜けば道中で見た、失敗者の仲間入りをすることになると。


「え……も、もしかして」


「やっぱりか。まあ、こうして休憩できる場所が見つからなかったら、と思うとな」


気づくティーラと、敢えて言わなかったセロ。アスカは、ごめんね、と謝った。


「プレッシャーかけると体力を消耗すると思って。……でも、それだけ難関なんだよね。もしセロが居なかったらと思うと、ゾッとするよ」


「俺もだ。索敵から戦闘まで全部独りでやっていたら、ここまで辿り着けなかったと思う」


それだけアスカの索敵は完璧に近かったと、セロが言い、ティーラが頷いた。


「私は……申し訳ないです。収納ばかりで、あんまり役に立ててないから」


「いやいや。30万っていうのは十分な成果だって。ねえ、セロ」


「そうだな。武器を買うにしても元手が無いと話にならない」


鶴橋における治安がどれほどなのかは不明だが、早々に武器を揃えないと面白くない事になるかもしれない。セロとアスカが気づかなかったことについて、ティーラは言及していた。リスクを避けるのは前提で、もっと深くまで後々のことに推測を重ねる方が良いと。


「辿り着いた途端にコテン、っていう可能性もあるからね……お金はあるに越したことはないか」


「成果が得られている分、気が楽というのもある」


独りではリスク回避を優先していたかもしれない、というのがセロの意見だった。


「しかし……本当に、独りでは気づけなかったことばかりだ。この鳥居のことも」


「はい。私だけだと、気味が悪いと近寄ることさえしなかったでしょう」


「え? ……あ、そうだよね。事前知識が無いなら何だ此処は、ってなるか」


神社は避難場所でもあり、神聖不可侵の域とされているから安心だと。そういう前提があったからこそ、という感覚が残っていることをアスカは理解した。自分たちの他に誰も出入りが無さそうだった理由も。


(常識も何もかも変わってるからね……私のこれ、結構武器になるのかな)


奇妙に変えられた世界でも、だからこそ役に立つかもしれない。アスカはそんなことを考えていたが、全ては生き残ってからだと、明日のことについて話し始めた。


方針は今日と変わらず、初見の魔物とは避ける方針で。次に、ビルボード・トレントの特徴について。


「どうも奇襲が上手いらしいのよね……遭遇した徒党はほぼ全滅していると聞いたから、複数で襲ってくる可能性も高いの」


「つまり、索敵が最重要ってことか。先に発見すれば、足は速くないそうだから」


「仮に正面から当たったとして、勝てるものなのでしょうか」


「剣とかあればね……複数を相手に近接格闘、っていうのはセロでも厳しそうだし」


「どうしてもリーチがな……避けつつ懐に入って殴る、の3アクションをしている間に横合いから攻撃を受けそうだ。木が相手なら火が有効そうなんだが、俺は使えないしな」


「私も、不向きなのか威力が出ないし……やっぱり逃げる方が良いかぁ」


それから、3人は脅威になることについて話し合った。途中で、アスカがセロについて気付いたことを指摘した。


「あのさ。気付いていないかもしれないんだけど、セロの心素、というか心石ね」


無色の血塔カラーレス・ブラッドか?」


「そう。その固有能力っぽいの、分かったような気がする」


「え……そ、それは?」


「確証は無いんだけどね」


そう前置いて、アスカが告げた。セロは目を丸くした後、そういえば、と呟いた。始めた現出に至った時も“そう”だったからだ。


「……明日は意識してみる。また威力などが違ってくるかもしれない」


「私も観察してるよ。……今日はもう遅いから寝よっか」


アスカは目を擦りながらも頑張っているティーラの頭を撫でると、明日のためのミーティングを終わらせた。


それから数分後、セロとティーラの二人は爆睡状態にあった。セロは特に眠りが深いようで、僅かな寝息の音を拾っていなければ、死んでんじゃない、と思うほどの熟睡っぷりだった。


一方でアスカはすぐに寝付けなかった。索敵で精神を酷使したということもあり、脳が若干の興奮状態になっていたからだ。ベッドでの就寝に慣れていたせいもあり、硬い床がどうしても気になってしまう、という原因もあった。


(……外。ちょっと、探検してみよっか)


日は落ちているが、光源は確保できる。あまり広くない境内だけど、もしかしたら宝物とか隠されているかもしれない。そんな好奇心を抱えたアスカは、一直線に賽銭箱に向かった。


別の意味で神域であるものだ。あれが宝箱なら、という夢いっぱいの少年の気持のままアスカは賽銭箱の前に立つと、お金を入れて手を合わせた後、えいやっと蓋を開けた。


「鍵もかかっていないとは不用心な」


不信心者ここに参上、とアスカは奥を覗き込んだ。だが、お金の類は一切見当たらず、仕掛けも何もなく。ただ、底の奥に一枚の白い封筒が貼り付けられていた。


アスカは手を伸ばし、セロハンテープで貼り付けられている封筒をぺりっと剥がし、封筒を取り出した。だが、面には何も書かれておらず、誰に宛てたものなのかがさっぱり分からなかった。


(ん~……どうしよっかな。誰か宛ての手紙とかだと、流石に気まずいし)


先に見るのはマナー違反かもしれない。少し悩んだアスカだが、宛先が分かればそいつに渡せばいいか、と考えて裏面を見た。


「さてさて、誰から誰宛てなんでしょうか、って―――――――え?」



絶句する声が、静かな境内に響いた。アスカは全身を未知の恐怖に震わせながら、封筒の裏に書かれていた文字を読み上げた。



――――天真昭人テンマ・アキトから天真飛鳥テンマ・アスカへ祈りをこめて、という見覚えしかない筆跡で綴られた文字を。



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