19話:退けない理由、退く理由
セロとアスカは、全力で。沸騰した戦意のまま、ただ前に飛び出し―――直後に見たのは、自分の眉間に切っ先が向いている、空中に置かれたナイフだった。
(っ、どこから!?)
気配も音も無くどうやって。二人は考察するより先にそれぞれの回避行動をとった。
セロは手で振り払い、アスカは間一髪で首を捻ってやり過ごす。
それぞれの対応の違いが、そのまま速度の差になった。先に間合いを詰めたのは、突進を優先したセロの方だった。
強化した手足で踏み込み、真正面からカイセイの急所へと連撃を仕掛けた。
「しっ!」
呼気と共に、一瞬で左右の拳打の3連撃。
対するカイセイの腕もユラリと動き、一瞬の内に陽炎のような拳が交錯した。
鈍い音が一つ、両者が距離を取る。
セロの頬には拳打の跡と唇に血が、カイセイは服の襟が僅かに揺れるだけ。
近接格闘の技術の差が、両者のダメージの差として現れていた。
ワンテンポ遅れたアスカはその間隙を縫うようにナイフを投げた、が。
「すっとろいのぉ」
カイセイから、刺すような声が。重心の揺らぎから方陣を展開するまでの時間稼ぎと看破していたのだ。
百戦錬磨の老人はナイフを掴み、そのままアスカへと投げ返した。
眉間を狙うその反撃を、アスカは小手で防いだ。だが集中力が途切れてしまい、方陣を巡っていた心素が淀んだことで展開していた陣が霧散していく。
入れ替わるように、セロが前へ―――出ようとした所で止まった。先程と同じ、宙に浮いたナイフがこちらを睨んでいたからだ。
(クソ厄介、いやらしい戦い方を―――ダメだ)
踏み込みは機と速さが命。途中で勢いを削がれては先程と同じ結果にしかならないと判断したセロは踏み込むのを中止し、アスカの所へ飛び退った。
カラン、と地面にナイフが落ちた音が周囲に響き渡った。
両者は、戦闘が始まった時と同じ立ち位置に戻っていた。だが、その表情は対照的だった。
「若い。若いのぉ、若すぎるわい。思い切りが足らん。致命的なのが、根本的な勘違いをしておることじゃ」
「……ハキハキ喋れよ、聞き取りづらい。いったい何が言いたいんだ」
「認識を正してやろう、と言っておる」
宣言と共にカイセイが発する殺気が倍増し、一歩前へ踏み込む。それだけでアスファルトの道路に罅が入った。
セロとアスカは緊張を高める―――途中で突如浮き出た地面の影に気が付き、ハッと視線を上に傾けた。
(間に合え―――)
二人共が収納していた障壁の方陣を宙に描き、心素を巡らせた。
斜め上から降り注いだナイフが障壁に突き刺さったのは心素が巡りきり、障壁が効力を発揮したのとほぼ同時。全ては防ぎきれず、障壁を迂回した2本がセロとアスカの身体の端に突き刺さった。
「ぐっ!」
「
苦悶に声が上がった。傷自体は浅い、だが避けきれなかったというのが問題だった。
相手がまだ本気を出していない、ということが分かっているからだ。本気ならもっとえげつない手を使ってくる、そういう相手だ。
小手調べでこれなら、と嫌な予感がしたアスカは脚部と視力を強化した。
―――その判断が、アスカの命を救った。
カイセイの腕から、きりきりと筋肉が軋む音が。間もなくして振り下ろされたのは、閃光のごときナイフが2つ。
セロは見えていたものの回避しきれず、腕を犠牲にした。咄嗟の強化をも貫通し、血が吹き出る。
アスカは間一髪、首を捻ることで辛くも避け、頬に掠り傷を負うだけで済んだ。
(―――距離をあける)
(了解)
二人は念話で話すと、後ろへと大きく飛び退った。最初の勢いは既に無く、両者の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
カイセイだけは、緊張を知らないと言わんばかりにゆったりとした動作のまま。呆れた顔でセロに視線を向けると、カイセイは地面の焦げ跡に向けて指を差した。
「あの愚物と一緒にするでない、無礼者が。あ奴も
カイセイは言った。組織を運営する者ならば、現出にまで至った者はざらではあるが、マコトほどの戦闘能力と胆が無い使い手は珍しいと。
「心じゃよ、心。
「……かもしれない、なんて聞かねえよ。命がけの戦闘でもしかしたらなんて有り得るか。そもそもアイツラが本気を出さなかった理由はなんだよ」
「戦う前から負けておった、これに尽きる」
カイセイは言う。命を惜しむ者から死んでいく、この世界の摂理を。
「死にたくないと怯えた者から死ぬのじゃよ。……奴らは殺し合いの舞台に昇る気概がなかった、それに尽きる。加えて、お主のせいじゃな。この地域は瘴気が薄い、あ奴らは本当の死線を潜った経験が無いであろう。そこにお主のあの殺気じゃ。それはもう正気などダース単位で失うもんじゃて。もっとも、並の殺気では無理だったろうう」
あの殺気の密度だけは褒めてやっても良いと、カイセイは小さく笑った。殺気のこと、相手の恐怖を煽った戦術はとても合理的だったと、嬉しそうな顔で。
「最初の奇襲を防いだことは……及第点じゃな。無傷なら“優”を付けてやったが」
兵士達の方陣術による奇襲に対し、セロは避けることは出来なかった。だが、咄嗟に障壁を展開しながら後ろに飛び、威力を可能な限り逸すことは出来ていた。術の威力に圧された結果、壁まで抜いてしまったことと、落下によるものが大半でダメージは受けたが、術自体による外傷は浅いものだった。
「じゃが、その他の何もかもがお粗末に過ぎる。何より――ほれ」
「なにを――っ!?」
セロは焦り、走り始めた。カイセイが手に持ったナイフを振り上げ、倒れている少女へと視線を向けたからだ。
先程と同じ威力なら、頭部であっても貫通する、当たれば間違いなく即死。
させるものかとセロは大きく前へ踏み込み、
「ぐっ?!」
途中で間一髪、足元から顎へと前触れもなく飛び上がったナイフを避けるが、
「ほい」
少女への視線はフェイント、カイセイの手から全力で投げられたナイフがセロの眉間へ。銀色の煌めきは吸い込まれるようにうなりを上げて飛来し、
「危ない!」
後ろから飛び出たアスカが、そのナイフを障壁で受け止めた。
からん、とナイフが転がる音がすると同時、アスカはセロの背中を引っ張った。
セロは反射的に苛立ちの表情を返したが、自分の分が悪いことを認めるとアスカに従い、距離を取った。
その一連の攻防の中、カイセイはアスカに向けて感心の声を上げた。
「ほう……口だけでは無さそうじゃな。そして、セロよ。そういう所じゃよ、考えが足りん、引っ掛かり過ぎじゃ。搦手に対応するには頭じゃよ、頭」
「……“戦いの場では、何でも起きるし何でも使え”ってことかよ」
「分かっとるじゃないか。それを実践せいと言っておる」
「ぐっ」
セロはその指摘について否定できず、黙り込んだ。速度も力も関係がない、視線の移動それだけで動きを縛られ、危うく大怪我を負う所とあっては、頭ごなしに反対もできなかった。
確かに、今の自分にアレは出来ない。悔しがるセロをカイセイは眺めながら、手元のナイフを弄んだ。
「見た所、固有の能力も開発しておらんようじゃの。まったく、切った張ったばかりが心石使いの妙ではないじゃろうに……あ奴の放任主義は最早病気じゃと思わんか?」
「少しだけど、同意しておく。だけど、なんだ――さっきの一人でに動いたナイフも、アンタの固有能力ってやつなのか?」
「ふむ? ……気が付いておらんのか。経験不足はしようがない、などと甘えておるとこの先やっていけんぞ。今の下からのナイフ、ワシは手で投げておらんではないか」
「それは分かってる―――いや、そういう事か」
セロはカイセイの手元は見ていた、だからこそ不意をつかれたことに気が付いた。最初のナイフも、宙に浮かんだままのナイフも、手や腕、足ではない、見えない何らかの仕組みがあって動かされている。
セロも薄々と気付いていた。だが、見破る必要はない、速度と力で上回り真正面から突破すれば届くと考えていたのだ。
過信だったと、セロは自分の判断ミスを認めた。その上で、打開策を見出だせる人物に向けて念話を飛ばした。
(―――アスカ)
(分かってるわ。ずっと考えてるのよ、アイツの攻撃の
二人は悟られないように、念話で会話を続けた。
(単純な操作、じゃないと思う。ナイフを自由自在に操るだけの術、というのは違う。十中八九、別の能力の応用でしょうね)
(その根拠は?)
(能力について、アイツは私達に態と教えた。考えろ、って。つまりはそれ以上のモノを持っていることを示唆してるの。嫌味なジジイだわ)
何より、ナイフ操作だけでは説明がつかない出来事があった。それは、カイセイが
アスカはそこにヒントがあると考えていた。あの時、まだ居住区外だからと最低限の警戒心は残していた、だというのに心石の揺らぎに気がつけなかったのはいくらなんでも変だ。
そこに、相手の能力の根幹が関わっている。
アスカは、そう囁いてくる自分の勘を信じた。
(……なら、戦いながら探るしかないか。気をつけろよ、避けるのにも一苦労だ)
前触れなく飛んでくるのが一番やばい、とセロは呟いた。敵からの攻撃は見てから避けるものではなく、予備動作や予兆を見破り感じ取って反応するものだ。
その気配が極端に少ない無作為なナイフの攻撃は、たとえ威力が低くとも十分な脅威になり得る。故にどうやって、攻撃を仕掛けてきているのか、それさえ分かればなんとかなるかもしれない。
(相手の能力が分かるまで攻撃は控えめに、攻め2、防御8で)
(一斉攻撃をされても敵わないからな……分かった)
時間はかかるが死ぬよりマシだと、二人は意見を統一させた。
今更逃げることはできない。あの速度で飛来するナイフを背中越しに完全に回避できるほどの腕を、自分たちは持っていない。それが現実であると、二人は認めた。
(でも、諦めてなんかやんないわ―――気に入らないしね)
(小太り社長に負けそうになってたのに、よくもいう)
(傷だらけのアンタには負けるわ。……だけどお願い、信じて)
(いちいち言うな。早めに頼むぞ、コイツはここでぶっ倒す)
コイツのような大人には、心底負けられない。意識を共有させた二人は、戦い方を変えた。
距離を取りながら、カイセイを常に前後で挟み込むような位置取りをする。
全身を集中させながら、何時どこからでも飛んでくればいいと、覚悟を決める。
―――それでも、カイセイの方が一枚上手だった。
セロとアスカは一定の距離を保ちつつ、時には攻め込む気配を見せながら分析をしていたが、その穴を突くように、カイセイは攻撃を掠らせていった。
時間と共に風切音は多くなり、二人の肌に浮かぶ赤色の面積が増えていく。
手加減をされているのに、と二人が険しい顔になった。だが、何も言い返さない。戦闘の場で弱者が何を言った所で遠吠え以上のものにはならないことを知っているからだ。
その怒りを心素に変えて、ギアを上げていく。
更に、更に、傷を負ってでも、と戦意を昂ぶらせていく。
アスカは、セロよりその気持が高まっていた。自分が足手まといになっている事に気が付いているからだ。
(だからこそチャンスよ、逆転ホームランを一発。ここで、この状況で役に立たないのは私じゃない)
弱気になるな、調子に乗れ、トライアンドエラーを繰り返せ。上げろ、上げろ、テンションを上げろとアスカは自分の心を拳で叩くように、声をかけた。
絶望を悟ってからの日々。あの時に集めた情報、勉強したこと、軟禁されながらも本とネットで蓄えた知識。その全てを掘り返せば、きっと答えを導き出せる。
連想と却下を繰り返し繰り返し、アスカは思考を加速させた。傷を負いながらも、意地を張って。
推論を考えては、相応しくない考えを潰していく。手ではない、糸でもない、磁力の動きではない、
(細工があるなら、何を媒介に操っているのか。あの時、私達はどうして奇襲に気がつけなかった)
ヒントはそこにある。アスカは考えた。少なくとも目には映らなかった、つまり視覚ではない。意識に作用するより他に、と連想したアスカはそこに引っかかりを覚えた。
(そうよ、集中できていなかった、それを強引に? 視覚じゃない五感を利用したのか。嗅覚、なら覚えてる。触覚、違う、毒による幻覚、違う、ならばアレしかない)
アスカは限界までその感覚を強化し、理解して。
アスカは確信と共に、死角から飛来したナイフを完全に回避した。
スタン、と軽く着地したアスカが笑う。
驚くセロを他所に、カイセイは攻撃を中止した。
「――歴代2位の早さじゃ。褒めてやろうぞ、小娘」
「要らないわよ、笛吹きジジイ」
アスカは吐き捨てながら自分の耳を指差し、告げた。
「“音”ね。アンタは固有の能力で音を操っている。奇襲の時は、可聴域ぎりぎりの音を組み合わせて無意識下へ干渉、意識を誘導したわね?」
「……ナイフはともかくとしてそこまで読むか。末恐ろしいのう」
「もう長くなさそうなジジイが、ほざくんじゃないわよ」
吐き捨てる反面、アスカは戦慄していた。長生きだからこその研鑽か、と。
(音で聴覚を刺激、無意識下へ作用して意識誘導をする……そんな芸当をどうやって。ずっと前にそんな論文を見たことがあるけど、現実にそれを引き起こすなんて)
神業と言えた。奇襲に気がつけなかったのはそのせいだ。カイセイのが発した特定の音により、セロと自分は聞くことに意識の大半を割くことを強要されて、注意力が極度に散漫になっていた。
音には集中力を高める効果もあれば、低くする効果もある。ナイフに関しては恐らく、特定の周波数を発し、信号を送っているのだろう。
大げさな動きで注意を引きつけ、隠したいものへの関心を薄めさせる、ミスディレクションという技がある。手品でよく使われる技術だ。それを音により成している――と言うは易し、行うは難しだ。
出来るのなら、ナイフを自由自在に操れると言われても納得できる。恐らくは指向性まで操れるのだろう、複数のナイフが違う動きをしていることから、応用力の高さが伺えた。
(厄介ね……セロ、どうする? 精度と緻密さは桁違い、応用範囲がどこまでかも見えてない。そこに百戦錬磨のジジイの経験値が乗ってくる)
(長期戦になれば負けるか。音で意識を、っていう理屈はよく分からないが……確かに、聴覚を強化すれば分かるけど、その程度だ)
(ナイフの察知はできそうね。でも、ちまちまやっていても勝てない)
ならば、とアスカはカイセイに告げた。親指を下にしたまま突き出し、指を左右に動かしながら。それを見たセロは、小さく頷いた。
間もなくして、二人が構えと姿勢を変えた。
先程とは異なる、一気果敢に攻め込むための前傾姿勢へと。
それを見たカイセイが、ため息をついた。
「もう止めんか? 試験は合格じゃし、ワシにこれ以上やり合う理由はない……と言っても聞きはせんか」
「……どういう意味だ? まるで俺たちを試すのが目的だったように聞こえるぞ」
怒りを含んだ声で、セロが問いかける。まさしく、とカイセイは答えた。
「それが本来の目的じゃよ。あの“夢姫”と“鬼人剣”のコンビが2年も面倒を見た弟子が居ると聞いて興味を持たん者はおらんし、ちょっかいをかけないグズはワシらの中には存在せんからのう」
故に適当に時間を潰しながら様子を見た、とカイセイは言う。
セロは、聞き捨てならない言葉を問いただした。
「今、遊びと言いやがったな? あの子を見てそう言ったな……言いやがったな」
「うむ、遊びじゃ」
ワシの担当の候補は既におるでな、とカイセイは答えた。
「それに、試験だけではない。お主が不憫だと思うたのじゃ。仇と出会わぬまま旅立たとうとしていたじゃろう? ……そこの頭が良い小娘なら理解できるじゃろうが」
「……教唆犯と実行者の両方を鏖殺してこそ罪は拭われる、とでも言いたいの?」
「ご明察じゃ。故にあの愚物を誘導した。試験と授業を兼ねて、の」
「つまり……あいつらをここにおびき寄せたのもテメエの仕業か」
セロの問いかけに、カイセイは笑顔を返した。それが肯定である意味だと、セロとアスカは確かめなかった。
ただ、怒りだけがフツフツと湧いてくる。二人の数少ない共通点であり、嫌悪する者だった。自分勝手な理屈を振りかざして、好き勝手をする大人という存在は。
だからこそ、退けない。二人は、退くことができない。カイセイはそれを察し、応じるように構えた。
「生き急ぎ、死に急ぐ。いつの時代も若者が犯す過ちは同じじゃな」
「うるせえよ。手で投擲するナイフにも慣れた……そして、小細工はもう通じない」
「覚悟しなさい、タネは割れてるんだから」
セロとアスカは耳に手をかざした。同時に練り上げた心素を足へ、最速で駆け抜けるために強化する。それを見たカイセイは、両手にナイフを取り出した。
セロとアスカは収納の応用だろうその早業を見て、改めて相手が格上だと理解する。
その上で、今から自分たちがするのは博打だ。それも、圧倒的に分が悪い。
鼓動が早くなっていく。それを気にすることなく、二人は弾丸のように前へ駆け出した。
(―――回避し、間合いを詰められればどうにでもなる、といった所か)
音の操作によるナイフは避けて、一気に懐へ潜り込むのが目的。後は二人がかりの連携で押しつぶす、そう考えているのだろう。
確かに、この状況での意識誘導は困難。隠れてやるからこそ、無意識下への干渉は活きるのだ。一見すれば賢い選択であるかのようにも思える、が。
カイセイは二人への辛辣な感想を口にすることなく、自分の心石に呼びかけた。
(起きよ―――
心石が起動し、カイセイは採点をした。
音を操る、という能力の概要を理解できれば及第点。
意識への干渉まで見破れば優秀だ。長い戦歴の中でも、初見でほぼ看破されたのは実に10年ぶりになる。カイセイはそう考えながらも、その表情を切り替えた――試す相手から、つまらないゴミを処理する男のものへと。
有利と不利は表裏で一体、過ぎるほどに強化された聴覚が、どうして弱点にならないと思ったのか。
落第じゃ、とカイセイは言い放ちながら、溜めていた心素を心石の効力に乗せ、巨大な音の塊を前方に放った。
爆音、と呼ぶに相応しい音の砲撃が周囲に響き渡り、地面がびりびりと揺れた。
(――終わりじゃ)
普通の状態であれば、鼓膜に少しダメージが及ぶ程度。だが、聴力を強化した者はその程度では収まらない。
たった今、白目を向き前のめりに倒れようとしている若者たちのように。
そして、これがトドメだと。カイセイが無言で投げたナイフは、地面に倒れようとしている二人の頭部へ飛んでいった。
真っ直ぐと、死を告げるようにナイフは煌めき―――
(―――なっ)
――それを待ち構えていたかのように、投げたナイフの柄が掴まれた。
倒れかけていた前の足が一歩、地面を踏みしめる音が響く。
カイセイは、そこで二人の意図を悟った。
(ブラフか! あれはブロックサイン、念話か、聴覚を強化したフリを)
味な真似を、と感心している暇はない。コンマ数秒以下の世界で、カイセイは迎撃体勢を取った。
(ナイフ、投げて牽制か小娘)
本命はセロの一撃、そう判断したカイセイはアスカのナイフを手で払った。
同時、セロに向け喉元を開ける動作を見せる。セロは吸い込まれるように、左手を後ろに振った反動で、右手に持ったナイフを一直線に突き出した。
(たわけめ、誘いじゃ)
引っかかったなと、カイセイは誘導した攻撃を捌いた。こちらに向かってくるナイフではなく、その手の腹に裏拳を当てて、切っ先を横に逸らす。
だが、カイセイは違和感を覚えた。突き出したセロの腕の、あまりの軽さに。
右手の刺突は牽制と言わんばかり、ならば本命はどこへ。
そこで、カイセイは悟った―――いつの間にだろう、セロの左手に握られていた短刀を目にして。
(二重の、牽制か! 小娘、目的は短刀を――)
小僧が左手を後ろに振った時に手渡したのか、とカイセイは告げる暇もなく。
セロが斜めに振り下ろした一閃はカイセイの右肩から入り、左脇腹へと抜けた。
(入った―――)
賭けに勝ったと、セロは思った。親指のサインは、声ではなく念話の方が本命だというもの。聴覚をわざとらしく強化して、逆手に取る。本命は近接、突っ込んで殺るというもの。
もし普通にナイフを使ってこられれば、その時点で負けだ。故の賭け、だがアスカは敵の性格の悪さを信じた。
そこからは瞬間の連続だった。爆音が来る前に告げられた言葉は『右手』、『掴め』、『左手』、『手渡す』という単語のみ。
あとは流れるように、従うだけで決定的なチャンスを得られた。
振り抜き、その勢いでセロは前へと転倒した。その最中に、セロは思った。
(―――手応えはあった、でも)
まさか、とセロは呟いた―――半ばから折れた短刀を放り捨てながら。
強化、速度も完璧だった。短刀も切れ味鋭い、自分の剣に勝るとも劣らない。だというとに短刀の刃はカイセイの服の表面をなぞるだけで切り裂けず、負荷に耐えきれずに途中で折れてしまった。
馬鹿げた防御力、なんという強度。セロは舌打ちしながら、敗北が近寄ってくる足音を聞いた。
(―――だから、どうした)
転がった勢いのまま起き上がり、セロは敵へと振り返った。自分はまだ死んでいない、死んでいないのなら終わっていないのだと。
だが、振り返った先には予想通りであるものの、想像以上の光景が広がっていた。
身が凍えるような殺気だけではない、カイセイの手が掲げる先にあるものが問題だった。
最初に空中に浮かび上がったのは大きな円、次に三角が2つ、合わさって六角形になり円の中に収まっていく。その一瞬で読み取ることができた構成は4つだけ、氷、高温、炎、砲弾。
まずい、とセロが思った時にはもう全てが遅かった。
「――死んでくれるなよ、若造ども」
完成した
それは高速で突き進んだ挙げ句、4階建ての廃墟に着弾するや否や、その全てを崩壊させた。
「……やりすぎたのう。我ながら大人気ない」
全周囲の障壁陣の中、カイセイは砂埃が晴れるまでまった。その後、自分の方陣術で掃除された跡地を見るなり、深いため息をついた。
水蒸気爆発―――変則的だが、ちょっとした廃墟なら根こそぎ吹き飛ばせる威力。それにより、カイセイは強引に戦いを終わらせたのだった。
「さて、と。……よしよし、生きておるな」
カイセイは衝撃波に巻き込まれ、仰向けに倒れているセロを見下ろした。診断して、命に関わるような深手ではないことに安堵した。飛んできた破片により全身が傷だらけになっているが、これならば持つだろうと。
アスカも咄嗟に障壁を張ったのだろう、立てないほどのダメージは受けているが呼吸はしっかりとしていた。
「しかし、セロの方はのう。もう少し防げると思ったが……いや、そういう事か、庇いおったな」
セロの影で気絶している少女が証拠だった。
(だが、それで限界が訪れては意味がない。結局は守れず、こうして無様を晒しているのだから)
さりとて、どうしたものか。カイセイはそこで少し悩んだ。腕試しと教育と告げた言葉に嘘はなかった。最後の攻防は見事の一言、二人ともが十分な合格点を叩き出している。
短刀の一撃も、セロが持っていた剣のように最低ランクのものではなく、自分と同格の装備であればそれなりのダメージを受けただろう。屈辱のあまり少し本気を出してしまったが、あの時点で合格点には届いていると言えた。
(これでもう慢心はせん。あとは準備の大事さを痛感するじゃろうが――!?)
カイセイは、全力で飛び退った。
余計な思考を戦闘のものに切り替え、構える。
ぽたり、と額からこぼれ落ちた汗が、地面に染みを作った。
「……成程。廃墟を壊され怒ったか、小僧」
セロは立っていた。ふらついてはいるが、両足で立って自分と向き合っていた。カイセイはそれを観察しながら、分析を始めた。
(この殺気……やはり大したものじゃが、あの阿呆にぶつけていたものよりは落ちるが、それでもこの濃度か)
あの愚物が動けなくなった理由が分かるわい、とカイセイは感心していた。それだけではない、どうしてか身体の動きが鈍くなっているような。原理は分からないが、固有の能力の一つかもしれない。強すぎる感情を持つ者が無意識に覚醒するのはよくある事のため、カイセイは驚くことはなかった。
だが、問題はそこではない。カイセイは顔をしかめて、自分の心臓を抑えた。
胸の内に突如湧き上がった、この拭い去れない不安な感覚はなんだと呟きながら。
このままやっても自分が勝つ。推測ではない、それは決定事項だ。カイセイは確信していた、万が一もないし、奇跡が起きても敗北はあり得ないことを。
だというのに、足が前に動かない。満身創痍で体力が尽きかけている子供を相手に、この自分が。カイセイは、汗を拭い去るのも忘れて、立ち尽くすセロを見た。
どうするか、と考える。この予感を抱いたまま戦う価値があるのか。カイセイは冷静に考えた。
たまたま見つけた遊べそうな道具が一つ、無くして困るようなものなのか―――否、違う、もう要らない。
「―――やめじゃ。これ以上は殺し合いになりかねん」
「……」
「気味の悪い奴じゃ。起きとるのか、そうでないのか」
だが、踏み込めば億が一があるかもしれない。
その事実は屈辱だが、発見でもある。将来の自分たちの悲願という意味でも。
「それじゃあの。……いつかまた
カイセイは意味深な口調でそんな助言を告げると、姿を現した時と同じようにセロ達の前から悠々とした様子で去っていった。
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