16話:隠したもの、隠れたもの

今日もギルドの酒場は繁盛していた。狩人曰く、命を賭けた狩りの後は命の水で心を潤わさなければ始まらないらしい。


セロも、今日は参加していた。隣には巨漢の男であるゲンと、ゲンよりは少し小さいが筋肉質である同じ区域を担当した狩人達がいた。


「いやー、ほんとに助かったぜ!」


セロの背中を、バシバシとゲンが叩いた。飲めや歌えやの騒ぎをしているのはセロ達だけではないため、誰もその音を気にすることはなかった。


別の狩人や徒党もそれぞれのテーブルに集まり、酒を豪快に飲みながら笑い合ったり、唾を飛ばし合ったりしている。同じように、ゲン達もビールを片手に狩りのことを語り始めた。


「しっかし強かったよなー………久しぶりにみたよ、ゾンビってやつ。つーかいったい誰が成ったんかね」


「5丁目のイサキあたりじゃねーの? 金足りねー足りねーって常時ぼやいてたし、拾い食いならぬ魔物食いぐらいはやりそう」


「……例の社長閣下のせいだろ。食って掛かるから、バカな奴」


「それでこっちに食って掛かるのも洒落になってねーよ」


ゾンビは自然発生せず、ある意味で人工的に発生する。魔物の肉を食らった人間が、瘴気を浄化しきれなくなった果てにからだ。セロは初めて聞く知識を前に小さく頷き、アルセリアと再会した時に一発殴ることを誓った。


「バカの話は忘れて、だ。今日の功労者に拍手!」


ゲンの言葉に、仲間たち全員が感謝の拍手を捧げる。


ゲンは拍手をしながら、豪快に頭を下げた。


「助かったぜ、セロさんよ。マジのマジで危なかった、アンタは命の恩人だ」


「本当だよ。俺も間に合わなかったし……噛みつきの歯まであと10cmだったよな」


「なんにせよ、無事で良かった。下手したら全滅してた所だ」


曰く、ゾンビは伝染うつるらしい。噛まれた後、解毒の術を使わなければものの一時間で同じものに成り果てるという。だが、どういった理屈でそうなるのか。瘴気が回るのが原因では無いらしいが、どうやって。不思議だと首を傾げているセロに、アスカは忌々しそうな顔で答えた。


でしょ。ったく、どこの映画かゲームなんだか」


「……? アスカ、その映画とゲーム、というのは」


「こっちの話。ほらさっさと飲みなさいよ」


誤魔化すようにアスカがビールを注いだ。セロはグラスで受けると、白い泡で覆われた黄色の液体を不思議そうにじっと眺めていた。


(飲んだことはない……けど、まあ経験だし)


身体は既に大人であるだけではなく、使い手は部分的に肉体の機能を高めることができる。長ずれば臓器の強化もお手の物だ。セロは内臓を強化しつつビールを一気に飲み干すと、空になったグラスをテーブルに置いた。


それを見ていた周囲が大いに騒ぎ出す。一方で、セロは内心で、酔いとは違う方向に悲痛な叫びを上げていた。


曰く、苦い。不味い。美味しくない。


無表情のため周囲には悟られなかったが、どうしてこんな飲み物を有難がっているのか、と本気で意味が分からないという気持ちだった。


「ほら、アスカちゃんも! ビールがダメなら酎ハイもあるよ!」


「あー……申し訳ないんだけど、禁酒中なの。ほんっと、ごめんなさい」


本当に申し訳がなさそうにアスカが呟く。セロだけは、「16だから飲めねっつーの、法律もクソもないけど」と吐き捨てる声を耳に捉えていたが。


(それにしても、アスカは男に人気があるな。顔立ちは整ってるから、理由は分かるけど)


アイネには及ばないが、可愛い系の顔立ちで、変な癖がない。清潔感があり、服をきちんと着ているため、黙って立っている所を見るとお嬢様っぽい感じに見える。


受付で待っている時に噂を聞いたが、あのスラリとした太ももで挟まれたい派が一番らしい。短めのハーフパンツと黒い靴下の隙間に見えるあの健康的な肌色で包まれたいとか。


(……あれだけは何度考えても訳分からん。フランケンシュタイナーでもされたいのか、あれめっちゃ痛いんだぞ)


夢の中でラナンに幾度も受けたセロは知っていた。一番痛かったのが、頭を小脇に抱えられ、そのまま垂直に落とされる技だった。夢の中とはいえ首の骨が折れる感触はいつまでも慣れなかったな、というのがセロの抱くフランケンシュタイナーへの感想だった。


そうして、セロが男達へのマゾヒスティックな願望に戦慄くのを他所に、話題は地元の狩人へと移っていった。


「だけどよ。最近、中級になったからって中央に成り上がる奴多くね?」


「あ、それな。確かに同意。前までは緊急討伐に参加しても、もちょっと楽だったもん」


「仕方ねえだろ。ここいらのランクが低い魔物相手じゃ、いつまで経っても上級になるには功績点ポイントが足りねえもん」


中級の1万ポイントならば、ランクが低い近所の魔物でも貯めるのは可能だ。だが、上級となるとその10倍。もっと上へ、魔物も武具も上質なものが集まる地域に移動したい、と思うのは当然だろう。ゲンはそう語るが、イマイチ納得していない様子だった。


担当区域の狩人を管理する立場として、人材の流出はかなり深刻になって来ているからだ。上に報告をするも、『何とか頑張れ』という答えしか返ってこないと、ゲンは不安な気持ちと共に愚痴を零した。


「いやー、でもなあ。環状線周辺は常時腕利き募集中らしいぜ? 最近になって魔物共の強さがマシマシになってるって話だ」


「あー、それな。機甲電車が瘴気回してるんじゃねーの、って噂が一時期流行ったよな」


「与太話以外のなにものでもないだろ。……でもなあ、お尋ね者も田舎に引っ込むような奴らは少ないだろうし。一攫千金を掴むなら、中央向かって行くっきゃねーんだろうけど」


狩人としてではなく、賞金首を狙って。その話題に興味があったセロは、独特の空気―――味わったことのない酒飲みというか、仲間のノリ―――に強引に割り込んだ。


「賞金首って、魔物だけじゃないのか?」


「おいおい見た目殺し屋さんよ、お前が言うか。ま、狙った獲物は逃さないって心情なら、人間ごとき俺の的でしかないってなるんだろうけど」


「ばっ、ちげーって否定してるだろ! 話合わせろよ!」


「……まあ、こいつらは置いといてだ。指名手配っていうのは、大阪府下自治団体ギルドが発行するものでな。目的は主に“市民及び組合員に著しい被害を及ぼす可能性がある存在”になるんだ」


将来的に人的・物的に損害をもたらすであろう危険な存在に対してのみ発行される。それが表の賞金首だとゲンは説明した上で、ギルドの職員を呼ぶと、発行されているリストを持ってこさせた。


セロは受け取ると、書かれているリストをパラパラと読み始めた。


「ここいらで有名なのは『首刈りゴブリン』と『灼熱ウルフ』か。あとは、人間なら『裏切屋・ジョニー』」


「そういや、2年前に噂になりましたね。何でも居住区外スラムのガキのチームが全滅させられたとか」


ぴくり、とセロの肩が跳ねる。だが、露呈して良いことでもない。そう考えたセロはリストを読み進めて、あるページで指が止まった。


「……………………これ」


「あん? おっ、“鬼人剣”か。魔物ランク13の大物だな。魔物なのか人間なのかさえ分かってねえって話だけど、人間なら美人だろうなぁ」


「は? 仮面で見えねーべ」


「お高いっていうのは間違いないけどな!」


ゲンが言う通り、懸賞金20億で生死問わずDead or Aliveと書かれたページには、セロがよく知る人物の姿があった。仮面で顔が隠れているが間違いない、自分の剣の師匠がそこには堂々と載っていた。


(……まあ、納得しかないけど。でもまあ、そりゃ顔は隠せっていうよな。普通だよな。ラナンが正しいよな、うん)


それを無視して素顔を見せたあの剣狂いは、どういうつもりなのだろう。セロは考えようとしたが、無駄なことだと思い中断した。いい加減かつ判断基準が剣でしかない彼女の真意を探った所で、意味があるとは思えなかったからだった。


「裏ギルドも懸賞金出してるって話だからな。何人、いや、何百人殺したんだか」


「……裏ギルド?」


「あん? いや、個人でかける懸賞金を統括してる所だよ、知ってる癖にー」


個人的な怨恨や対立など、どうしても殺したい相手が居るとして、そのターゲットに懸賞金をかけられることがある。あまり公にしたくないその行為を統括するのが、公的ではない組織、通称を裏ギルド。各街に存在し、情報の売買を仲介する所もあるという。


やりすぎるとギルド直下の懲罰者パニッシャーが出張ってくるが、滅多なことでは派遣されないため好き勝手に色々とやらかしている、とゲンは面白くなさそうに語った。


「ま、退屈なこの街にはあんまりそういう話は来ないからな」


「言うなって。息巻いて出ていった連中を思い出すぜ」


「あ、そうだ思い出した! 例のチーム……黒の牙だったっけか? 中央目指して迷宮に挑んだけど、3日後に戻ってきたらしいぜ」


「うっわ! でもまあ、無事だったんだろ」


「素直に早すぎるって笑えよ! お前、顔からざまあ感がにじみ出てるぞ」


「だって、アレだけ自慢しまくってさあ。……でも社長に借金してたよな、あの徒党」


「……終わったな」


「ああ」


黙祷を、と合掌する男達。社長なるものを知らないセロは、どういった存在か尋ねた。ゲンは周囲を見回した後、言いにくそうに、ひっそりとした話し方でセロの耳に口を近づけた。


「……旧・千日前線のこの一帯をな。一昔前に仕切ってた……顔役だった“照光同盟ピースライツ”が、こう、解散すると見せかけて裏に入ったのが最初だ」


有名な狩人だった曽祖父のチーム、その名声を利用して近隣の街の有力者とのパイプを作り、“力”を得たのが一代前。今代の社長はそのパイプを確固たるものとしたという。


「やり手らしいけど、悪い噂もちらほらとな……ギルドとしても寄付金を受け取っている以上、大きな声では言えないんだが」


「あーもう、別のことを話しましょうよ! 新しく実った、たわわな丘陵な情報とか!」


「だな! あ、そういえば方陣士クラフトワーカーのネタ子ちゃん、最近になって真面目エロ女路線を目指してるって噂が」


世間話から下のネタまで、盛り上がりながら話し、ゲラゲラと笑う男たち。セロはよく分からなかったため参加できなかった。やがて間を持て余したセロは、話に入ってこないアスカに尋ねた。


「悪い、アスカ。中央に挑む……というか、他の街にはどうやって行くんだ?」


「……知らないの?」


「知らない」


「……仕方ないわね。方法は、3つ。簡単な順に説明すると、1、車で居住区外スラムを抜ける。魔物を寄せ付けない塗料でコーティングしたやつだと、本当に快適な旅になるらしいわね。2、旧地下鉄の長大迷宮から。一週間かけてのダンジョンアタックになるけど、最悪クラスの魔物は出てこないからマシって程度。3、徒歩で居住区外スラムを抜ける」


「地上を、か……地図もない場所だから、っていう意味で最悪なのか?」


迷い、辿り着けないからか。尋ねるセロに、アスカは違うと首を横に振った。


「何よりも大きい問題点は、未踏破区域の近くを通らなくちゃいけないこと」


最低でランク5、最悪で厄災ディザスター級がのさばるのが未踏破区域。近くであっても、出現する確率はゼロではなく、遭遇すれば間違いなく死ぬ、というのが絶対の法則だという。


「最小の人数で隠密行動に徹して一気に抜ける、っていうのが最適解。でも、もし遭遇したらって考えると数を集めたくなる。だけど大人数で行くと見つかりやすくなる」


故に、臆病者は通れない。だが、臆病でなければ生き残れない。難しい話よね、とアスカはギルドに居る面々を見た。


「命は一つしかないからね。行くか、残るか。どっちが正解ということでもない」


「……そうかもしれないな」


だけど、とセロは思う。調べて分かったことだが、中央に挑む人間は毎年必ず出るということ。素質のあることは前提で、地道に狩りを続け、努力をし続けた者の話を。


まるで光に惹かれた虫のように、中央という栄達の地に憧れを見出していく。きっとそこに、ここよりもっと輝かしいモノがあると確信しているかの如く。


(……そういえば、アスカはどうなんだろうな)


頭が良く、見目が良く、目端が利く。徒党の仲間として何十度も誘われたらしいが、一度も頷いたことはないという。


決して今に満足しているように見えないのに、何故なのか。


宴会が終わった後、セロは修行をしながらも考え続けた。







「それで、考えても分からなかったから直接聞こうって?」


「そうだ」


宴会の翌日の朝。あの廃墟に行こうという話になった後、二人は4度目の廃墟訪問に至っていた。


バスで移動し、手っ取り早く魔物を片してノルマを達成し、金髪の女の子が居る廃墟へ。その最上階の部屋に辿り着いた直後、セロはアスカに尋ねていた。


警戒心が薄れた女の子は、渋面になったアスカに気が付き、物陰に隠れていた。


アスカは「あっ」と悲しそうな声を出した後、セロに向かって不満そうな声で答えた。


「別に、隠すことじゃないからいいけど……ここで聞くことじゃないでしょ?」


「漏れる方が拙いかな、と思った」


「……それは、まあ。この子に聞かれた所で困りはしないけど」


「だから聞いた。何となく、街で話すのは嫌そうだったから」


「それも合ってるけど、聞かないっていう選択肢は無かったのね」


ジト目で見るアスカだが、目をむくほどに怒ったりはしなかった。そんなだからだよ、とセロは言いそうになったが止めた。


「理由、ね。……まあ、簡単に言うと口説かれるからだけど」


「あー………挟まれたい派?」


「止めてよ悍ましい。あれ本当に理解不能なのよ………だから、ちょっと怖くて」


アスカは自分の太ももを見下ろし、少し顔を赤くした。熱かな、とセロは思った。


「………最近になって分かってきたんだけど、アンタちょっとズレてない? 警戒するこの子の横で話しだす所とか」


「未熟な面があるのは認める。質問の続きだが、そういう輩ばっかりじゃないだろ?」


狩人になって一週間と半分、ギルドに何度も赴いたセロは理解したことがあった。それは、狩人や探索者の中でも、どうしようもない者と、そうでもない者に分かれているということだ。真面目に狩りをして、日銭を稼いでいる組合員も少ないが確実に居るのだ。


分かってるけど、とアスカは目を逸した。


「………いの」


「え?」


「怖いの! 大勢の男が居る環境が嫌なの。逃げられる状況ならマシだけど」


身体を震わせながら、アスカは言った。


「個人的な理由でしょ? でも、どうしてもダメ。だから断るの」


そっちが改善しろ、という程には面の皮は厚くないらしい。セロは理解した、と頷いたが、アレ、と自分の顔を指差した。アスカは、それもわかんないのよ、とため息をついた。


「やらしー目で見ないのもあるけど、ムズムズこないのよ。あの男特有の視線がないというか、なんというか……」


物陰に隠れながらも、ひょっこりとした様子で覗き込んでいる少女をアスカは指差し、告げた。


「この子にだって、変な気分にならないでしょ? 結構な美少女っぽいのに」


「……この場所でそういうのは止めてくれ。いや、冗談抜きの話だ」


「え? そう言うなら止めるけど……場所?」


アスカは部屋を見回しながら尋ねた。途中である物を見つけ、あ、と指を差した。


「あれは……太陽の絵、かしら。可愛いタッチね、子供みたい」


「………俺が書いた」


「え?」


「子供だった俺が書いた。……ここは昔、俺が妹と住んでいた場所だからな」


そういえば、とセロは太陽の絵を見て懐かしそうに顔を緩めた。無表情ではない、寂しいという感情を表に出したまま立ち上がると、その絵に触れた。


こんなことまで忘れていたなんて。呟いた声を聞いた少女は、自分まで泣きそうになっていた。


「あの時は……そうだったな。冬の、特に寒い日だった。仲間が二人死んだぐらいだ。俺はアイネと一緒に拾ってきた毛布にくるまってた、だけど足りねえんだ」


刺すような空気、というのはあの時の夜のことを言うのだろう。だから暖かくなるように、とセロは太陽の絵を指でなぞった。


「飯はない。火も起こせない。酒なんて持ってる筈がない。じゃあ何ができるって言えば、早く朝が来るように、って祈ることしかできなかった」


それでも限界に近かった。自分の体力ではなく、寒い、寒いと繰り返しながらぎゅっとしがみついてくるアイネに対し、何もできなかった自分自身の不甲斐なさが。


だから、指の先を噛み切った。血の赤で太陽を描き、少しでもアイネが辛くならないように。その効果はあったのか、無かったのか。本心から笑ってくれたのか、気を使って笑っていたのか、それさえも、もう二度と。


「……それで。その、アイネちゃんは?」


「子供のままだ。ずっとな」


「……どういう、意味?」


「生きたまま焼かれた。この場所で、俺の目の前で、灰になるまで。俺の仲間達も同じで………ってどうした?!」


「ど、どうじだじゃないでじょバガ!」


アスカは号泣しながらセロを睨みつけた。顔の造形以前の、悲しみに歪んだ顔での全力の大泣きだった。


「や、焼かれ、焼かれって……なんで、子供を、生き、生きたままとか」


問われたセロは、あの夜に金髪の男から言われた理屈を告げた。アスカの両目が、更に酷いことになった。こういうことの経験が皆無なセロは、助けを求めようと周囲を見回し、少女と目があった。


頼む、とジェスチャーと眼力で依頼を。


少女は戸惑いがちになりながらも、はっきりと頷いた。


そこから、二人はアスカの背中をさすった。泣きすぎて引きつけを起こしかけていたからだ。しばらくした後、落ち着いたアスカに対し、セロはぽつりと呟いた。


「やっぱり、向いてないと思うぞ」


「………なに、が?」


「俺を何かに巻き込もうとしてたこと。何らかの目的のために、って所か。あ、言っとくけどバレバレだったから」


セロが呆れたように告げると、アスカが硬直した。


やっぱり、とセロは苦笑をこぼした。


「もうちょっと隠す努力を……無理っぽいな」


「……どうして。どうして、分かったの?」


「まあ、色々と」


最近になって判明したことだが、自分の目つきは尋常でない殺し屋レベルに悪いらしい。怖がる者はとことんまで怖がっているとか。セロは特に気にしてはいなかったが。


そして、街に来たばかりだというのに緊急討伐対象を次々に撃破しているということ。いかにも怪しい行動から、近づこうとする者は担当官であるゲンを除いて居ないということ。そういった事情から、セロは以前からアスカのこと、目的を考えていた。


「トドメはさっきの話だな。男が苦手なアスカが俺に積極的に近づいてくる理由なんて一つしかないだろう」


「……そう。道化だったのは、私って訳ね。それで……どうするつもり?」


「別になにも。お互い様でもあるしな」


色々と教えてくれてありがとう、とセロは軽く頭を下げた。


どうして、と更に困惑するアスカに、育ちの良さが出てるんだよ、とセロは告げた。


「分からないこと、聞けば答えてくれただろ? 代価とか要求しないで、普通に」


「え……だって、それが普通だから。私の時もそうだったし」


「まあ、アスカに聞かれればな」


下心あれば、という話だった。普通は違う。セロは子供の頃を思い出していた。誰に何を聞いても返ってきた答えは拳か蹴りだった昔を。


育った今でも、目付きの悪い男が何を言った所で慌てて答えるか、嘘で場を濁すか。力という背景で押し通すことになる。


そのどちらでもなく、毎回毎回普通で素直に答えるアスカを見ていると別の意味で心配だ、というのがセロが抱いている感想だった。


「ほら、この子も同意見だって」


「え? ……からかわないで、何も言ってないじゃない。え、でも頷いて、くれてる?」


「だろ。目を見れば分かるって。………昔のアイネが似たような感じだったしな」


「ぢょっ! 不意打ちはやべで」


「それは……ごめん」


謝りながら、セロは可笑しいとばかりに笑った。


口だけではなく、表情まで、いつかのように。


ジロウだった自分が夢にまで見た存在に、出会えたことに。


(本当に……正しい人だ。本当に居たのか。こんな人間が)


震えるばかりだった子供の頃の自分が常日頃から求めていたものを、目の前の人間は持ち合わせているような。セロは俯き、そんなことを考えていた。もしもあの時、あの夜の前にこんな人が居てくれたのなら、と女々しいことだと分かっていながら、そう思うことは止められなかった。


金髪の少女も、アスカの隠しきれない良い人加減を理解したようだ。


もう一度だけ、この人ならば、と輝く赤い瞳でアスカをじっと見つめていた。


「……だからこそ、解せないんだけどな」


「え?」


「こっちの話だ。それよりも、そろそろバスの時間が」


セロはアスカを急かせて、立ち上がらせた。移動してからの方が良いと判断しての行動だった。


セロはアスカより先に階段を降りながら、考えをまとめていった。


アスカの性格ならば、この子を放っておけないだろうという疑問。頭が回るアスカなら、食料を与えるだけでは無意味であることは気付いている筈。変な希望を抱かせるという意味で、残酷な行動なのだ。


一度宿に戻ってからでもいい、直接聞いてみるか。



―――そう考えたセロは、数秒だけ忘れてしまった。


この廃墟を監視する手練の存在を。



悔やんだのは、横の壁が砕けると同時のこと、避けきれないと判断してから。


(しまっ―――)


間一髪で反応するが、間に合わず。


横合いから殴りつけられるように術を受けたセロの身体は圧されるままに吹き飛び、反対側の壁を突き破ると、傷から流れ出た血と共に階下へと落ちていった。



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