15話:出会い、考え




どうしてこんな所に子供が、たった1人で。


硬直するセロだが、気がつけば迫りくる石に、咄嗟に反応した。


脚部の強化から蹴り上げまで、コンマ0.1秒。直後に鳴り響いたのは石が天井にめり込む轟音と、破片がパラパラと地面に落ちる音。


セロがゆっくりと足を戻すと、少女が絶望した顔でペタンと尻もちをついた。


「……やるな、中々の攻撃だ」


「じゃないでしょ!」


アスカはセロの後頭部を軽くはたいた。


なにをする、とセロが不満の視線を向けるが、アスカはそれ以上に怒っていた。


「いたいけな少女を思いっきりビビらしてどうすんの! ……あなた、大丈夫?」


座り込んだ少女に、アスカが膝を落として視線を合わした。


すると少女は怯えたように、手だけで後ろへと下がっていった。


プルプルと震えだすアスカに、セロはため息を向けた。


「達人は視線だけで相手を殺す、か。見事」


「アンタに言われたくないわよ!」


「大声を出すな、更に怯えているぞ」


「こ、んの……!」


アスカは怒って怒鳴りつけたくなったが、未だ怯えている女の子が見えたため、深呼吸で我を取り戻す。すぐに気を取り直したアスカは少女に向けて両手を上げ、無害だと主張しながら優しく語りかけた。


だが、少女は警戒したままこちらを睨みつけるだけ。だろうな、と様子を見ていたセロが呟いた。


「だろうな、って……どういう意味よ。私はアンタの目つきが悪いから、って意見に1票を投じるけど」


「それもあるが、単に信じていないだけだ。今までに何度も騙されたんだろう」


子供だが女が1人、誰の影も見えない。ならいい稼ぎになるな、と考える奴は腐るほど居る。だから子供は群れを作るのだ。仲間が居ない子供は、自分がやられればそこで終わり。仲間がいるなら他所に通報されるか、万が一がある。そう思わせられなければ、子供は狩られて終わる。


「たった1人、仲間もいない、他に誰も見ていない……そう考えると、今こうして生きているのが不思議なぐらいだな」


「……そういうものなの?」


「そんなものだ。……変な所で無知だな」


「でも、そんなの……まだ子供だよ?」


「“知ったことか”―――それが身寄りの無い子供に対する、大人の意見らしい」


セロはいまいち納得しないアスカに対して、街と居住区外の子供の生き延び方について簡単に説明した。その上で、石拾いは単独でするには危険過ぎること。怯えている様子から、狩人に襲われたことがあること。どういう方法か、逃げることに成功したらしいことを推測で語った。


アスカは説明を受けると、警戒を解いていない少女を見た。また石を持ちながら、死んでも捕まらないぞ、と目で語っていた。


(……何をいった所で、言葉は届かない。私には分かる、その目には慣れている)


かつて見慣れた、決して見慣れたくなかった目。


アスカは、顔を上げると収納から携帯食料を取り出した。味は二の次だが、保存性と携帯性に優れている塊を3日分、その場に置いた。


「……行くわよ」


「連れて帰る、とは言わないんだな」


「それが良いことなのか、私には判断できない」


悔しそうな表情を浮かべたアスカは、セロより先に部屋から出ていった。


セロは振り返り、少女に向けて告げた。


「1日に3個、お前の身体なら2個ぐらいか。それと、毒は入ってない。お前を気絶させるのに、そんな高いものは必要ない」


分かるよな、とセロが尋ねる。


少女は睨みつけたままだが、小さく頷きを返した。


「……アスカがどういうつもりなのかは分からない。得をしたと思っとけばいい」


それじゃあな、と。セロは去ろうとした所で焼け焦げた床が目に入り、立ち止まった。


―――あの床は、自分が焼かれ、倒れた跡だろうか。


―――部屋の片隅に見える灰色は、助けられなかったアイネが積もった場所かもしれない。


(無力な僕が消えたあとか………何も出来なかった負け犬が死んだ場所だ)


そう考えると、ムカムカしてきた。セロは苛立ち、部屋を見回した。


何もかもが気に入らなかった。あの日と同じ金髪がこの部屋に居ることさえ。よくよく見れば、どうにもおかしい。セロは先入観のフィルターを外し、少女をもう一度観察した。


(……居住区外スラムの子供っぽくないな。擦れてない)


思えば、おかしかったのだ。昔の自分の立場ならどうだった。簡単だ、狩人を相手にああいうことをすれば絶対に死ぬ。それを何故分かっていないのか。そこで、セロは更に気が付いた。着ている服の布の質は中流以上のものだということに。


そこで、息を呑む。察知したからだ。少女と自分を観察する視線と、その気配に。


(―――落ち着け。気付いたと悟られるな、コイツはヤバい)


。セロはそれを認識しつつも、慌てた様子を見せることなく外に出た。


自然に、撤退する。どうしてか落ち込んだ様子のアスカと合流し、バスの中へ。


出発してからようやく、セロは安堵のため息をついた。すぐに考えたのは、自分たちを監視していた存在のこと。追ってこないということは、どういうことなのだろうか。


どちらにせよ、突発的に湧いたものではない、手練らしい使い手の監視員。対象の可能性は2つ、アスカか、あの少女か。


(俺じゃない。バレる要素はゼロだ。だとすればアスカか、あの子供か)


考えたセロだが、アスカの方だろうな、と当たりをつけていた。子供の方であるなら、どういった理由でという疑問への答えが見つからなかったからだ。だが、監視の目はあの子供に向けられたまま。


セロは少し考えた後、忘れた。調べるような価値があると思えなかったからだった。


そうして街に戻り、ギルドで狩りの報酬と功績点ポイントを受け取ったセロはアスカと別れ、街に繰り出した。背後で呼び止める声が聞こえたが、気にしないまま。目的地は方陣魔術ウィッチクラフトを売っている方陣士クラフトワーカーが居る店だ。


セロは少しだけ歩くと、ギルドで聞いた方陣魔術ウィッチクラフト専門店と書かれている看板を見つけた。予想外だったのは、2店が並んでいることだ。


どういうことだろうか、どっちかが偽物なのか。セロは迷った挙げ句、ボロい方を選んだ。扉を横に開くと、ちりん、ちりんと音がした。


(入店を報せる音? 店の中は普通……普通なのか? よく分からんけど)


思えば店に入るという行為自体をしたことがない、戦闘以外は経験値クソ雑魚のセロは、物珍しいという様子を隠すことなく、店内を見回した、が。


「いらっしゃい―――」


風のように店員が現れ、


「―――ませっ!?」


勢い余って盛大に転けた。


見下ろせば、目を回している若い女性が一名。


セロはゆっくりと外に出て、ぴしゃりと扉を閉めた。


「さて、隣に行くか」


「待って下さいぃぃ!」


「断る」


何より精度が高いものを優先する、というのが方陣を買う時の鉄則だ。以前にラナンから教わったことだった。故に年齢を重ねた方陣士クラフトワーカーの方が信頼に足ると。


比べて目の前の、茶色がかった黒髪を両サイドで団子にしている女はどうか。


若い。少女と呼ぶか迷うぐらい幼い顔立ちだ。でも20はいってないように見える。


ちょっとぽっちゃり。節制が出来てないのだろうか、でも腰元は引き締まっていた。


何故か薄着。胸とかはちきれんばかり。風邪になったら店も開けられないだろうに。


「……あの、なんですかその哀れで気の毒な生物を見る目は」


「鋭いな」


「名誉毀損っ?! いや待って下さいよーこのままじゃ借金のカタに売られてしまうんですよー」


犯罪奴隷、というものがある。重罪を犯した者の人権が売りに出されるのだ。セロも昔に二度ほど見たことがあった。男の奴隷は死んだ目で、女の奴隷は更に死んだような淀んだ目をしていた。


「……元気で。良い主人を見つけられればいいな」


「何故に売られていく子豚を見る目っ?! 私そんなに太ってますかね!」


「……」


「沈黙の肯定?! うう、こういう格好をしてるとバカな男を騙せてガッポガッポって聞いたのにー」


結構いい性格をしているらしい、売られた先でもきっと強く生き抜けることだろう。そう思ったセロは持ち前の体術で女を店の中に優しく放り込むと、隣の店に駆け込んだ。入口の会話を聞いていたのか、男の店主は苦笑をしていた。


「いらっ……い、いらっしゃい。た、大変でしたね、お客さん」


「いや。……アンタの知り合いか?」


「は、はい! お隣さんですから」


何かに怯えている男は、言葉を選んで話しているようだ。セロはその対応に何か引っかかるものを感じたが、魔方陣クラフトの方に興味が移っていたため、深く探ることはしなかった。


「しょ、障壁の魔方陣クラフトでしたね。それならば、こちらになります」


レベル1から3まで、サイズの違う方陣の原紙が並べられた。


販売されている魔方陣クラフトの原紙は、専用の紙に方陣士クラフトワーカーの手によって描かれる。一定の心素を特注のペンに込めながら、目的の効果が出るように基本線―――丸や多角形―――を最初に描き、最後に補助線と言霊をこめた文字で装飾する。


買い手は原紙を見ながら買うものを選び、口頭とサインで販売契約を行う。


すると、魔方陣クラフトが買い手の心石に記録されるのだ。これは定義魔法マジックである収納の応用で、心石使いは一定数の魔方陣クラフトを自分の心石に記憶させておくことができる。人によって容量は異なるが、最低でも10以上の数を記憶することができる。


近接戦闘を苦手とする術士の類は、最低でも20種類は覚えるという。一度買えば後はコストがかからないため、戦闘センスが無い者は積極的に活用する傾向にあった。


(使いたい時は、合言葉が必要だっけ)


起動スタート設置セットといった言葉を呟くか、頭の中で呟くだけでも使用が可能。あとは空中に方陣の紋様が浮かび上がるので、そこに自分の心素マナを巡らせ、言葉を告げるか思い浮かべるかで方陣魔術ウィッチクラフトは発動する。


故に、方陣魔術ウィッチクラフトは原紙の出来によって効果が左右されるとも言えた。セロは事前知識を元に、方陣を注意深く観察し始めた。


金額は1が1万、2が20万、3が180万と書いている。セロは顔を近づけて、並べられた魔方陣クラフトをじっくり調べた。


(……粗いな。ちょっと酷すぎる。ラナンに見せられたものと比べて、だけど……文字も汚いし、ズレが大きい)


レベル1は三角形、レベル2は四角形、レベル3は円と三角形。それぞれの基本線の周囲に文字が書かれているが、セロはその線がどことなく曲がっているように見えた。


基本線は力を伝達するためのラインなので、曲がっているとそれだけ心素マナの巡りが悪くなる。周囲にある言霊をこめられた文字も、丁寧にバランスよく記せば、方陣の効果は更に上がるという。


ラナンから見せられたものは、芸術品のようだった。それに比べて品質が落ちる、というのは予め分かっていたことだ。それでも、嫌だ。これを買う気にはならないと、セロの直感は訴えていた。


ちらり、と顔を上げたセロは店主の顔を見た。びくりと怯え、まるで自信がない様子だ。隣の少女のように、多少強引でも積極的に売り込もうという姿勢がない。買いたければ買えば、といわんばかりの様子だ。


―――気に食わない。そう思ったセロは、意地でも買ってやるか、と身体を起き上がらせた。


「……参考になった。では、これで」


「は、はい、またのお越しを!」


慌てて頭を下げる男を背に、セロは店から出ていった。入りづらいな、と思いながらもボロい方の店の扉を開く。そこには、カウンターで死んだように突っ伏している女の姿があった。女は面倒くさそうに顔を上げると、一転して満面の笑顔を浮かべた。


「いらっしゃい! もーなによやっぱり私が良いんじゃない、素直じゃないわねぇ」


「……障壁の方陣を見せて欲しいんだが」


「へい、お待ちを!」


しゅぱっと店の奥へ引っ込んだ女は、しゅばっと戻ってきた。


「こちらになります!」


先程と同じように、レベル1から3までの方陣が並ぶ。セロはじっくり見るまでもないな、と隣の店との出来の違いに感心していた。歪みなどどこにもない、文字は綺麗で上下の位置のズレもない。


明らかに上物だ。だというのに、値段は隣の店よりも少し高いぐらい。どうして、これで売れていないのか。疑問に思ったセロは直接聞いてみることにした。


「え? そ、そんな、おだてなくてもいいよー。あ、ひょっとして私の身体が狙いで―――ああごめんなさいごめんなさい土下座するから帰らないで!」


「……いや、そこまで下に出なくても」


「あ、そう? じゃあタメ口でオッケーね。でも、売れてない理由とか言われてもなぁ。私は大安売りしてるつもりなんだけど、隣のおじさんの方が良いって客が多いのよね」


高い幻想染料を使ってるのに、納得できないものは破棄しているのに、と少女の口から愚痴の行列が飛び出てきた。セロは少しうんざりしながらも聞いた後、第一印象が悪い、と告げた。


「え……殺し屋稼業100%な貴方が言うの?」


「誰が殺し屋だ。どこにでもいる普通の新人だろうに」


「異議あり! っていうのは割とどうでもいいから置いて、第一印象が悪いってなんで? アドバイス通りに薄着にしているのに。野郎ってこういうのが好きなんでしょ?」


「言い方。……好きかどうかはさておき、逆効果だと思う」


戦技者が魔方陣クラフトに求めるのは戦闘の場での信頼性だ。女性の大きい胸や尻を好む男はそれなりに居るが、戦場で命を賭けてまで、となるとその数は激減する。


「え……あ、そうなんだ……ううん、そうだよね。戦う時に使うものなんだから」


「ああ。障壁こそ使い手の生命線だろう。アレが無ければ焼け死んでいた、という場面を見たことがある」


「………うん」


「というか、深く考えれば分かっていたと思うが」


「そう、だよね。でも、隣のおじさんが……小さい頃からお世話になってたし」


「そこは知らんし興味もない。ただ、俺が戦いの場に持っていくのはアンタの魔方陣クラフトだ……セロという。アンタの名前は」


「……シャン。シャン・イーだよ、セロくん」


今までとは違う、真剣な顔でシャンは答えた。


セロは小さく頷き、正面からはっきりと告げた。



「―――レベル1の障壁を売ってくれ。できれば割引してくれると嬉しい」













今日も夢の中で、鍛錬の時間が始まる。だが、セロは不機嫌な顔のままぶつぶつと呟いていた。


「どうして文句を言われなくてはならないんだ……」


買うと言った後のシャンの反応は、セロをして予想外だった。そこはもっと高い方陣を、最低でもレベル3からでしょ、とシャンに怒られたセロは納得がいかないと不満を垂れていた。既に夢の中なので、誰にも聞かれることは無かったが。


「やはり、女は分からない……それよりも、なんだコレは」


セロはちょっと現実逃避していた。


原因は初めての方陣魔術ウィッチクラフトである障壁を使い、はしゃぎまわって鍛錬をしていた時に、ふと思ったことだ。


攻撃をしてくれる存在が居れば捗るのにな、と。考えた1秒後、地面が輝いたかと思うと、もっさりとゴブリンが生えてきた。


「動くのか……って動いた!? え、マジか」


セロは試しに棍棒を作って渡した。するとゴブリンは片手で受け取った後、素振りを始めた。


「……俺が動かしてるんじゃないけど、どういう仕組なんだ?」


他の魔物はまだ無理そうだ。そうして試行錯誤をしていたセロだが、ある事に気がついた。


瞬時に剣を具現化し、振り下ろされた一撃を受け止めた。


「ゴ、ゴブリン………!? と、いうか」


早い、と呟く暇もなく次の攻撃が襲ってきた。セロは剣と体術を駆使して何とか受け止め、その度に大きな衝突音がした。連続の攻撃はどれも鋭く、油断をすれば当てられるほどの精度。10度目の攻撃は、セロの剣を大きくぐらつかせ―――


「ん、の」


たフリで誘い、大きく横に振られた棍棒の一撃が頬に掠るも、


「舐めるな!」


すれ違い様に懐に入り込んだセロは、横薙ぎに一閃。胴体を真っ二つにされたゴブリンは、小さな断末魔を上げて倒れると、間もなくして砂のように崩れて消えていった。


呆然と、セロは呟いた。


「……なんだ、今の。ていうか強さ。昼間のゴブリンとは大違いだぞ」


まるで子供の頃に遭遇した、恐怖と死の対象だったゴブリンのようだ。ただ防ぐのにも苦労する速度と威力で、殺気を丸出しにして襲ってくる。1匹だから良かったものの、3匹ともなると少し苦労するかもしれない。


「っ、また―――なっ、3匹も?!」


セロは慌てながら構えを取った。そこから先は、同じことの繰り返しになった。セロは腕に掠り傷を負いながらも、障壁を盾にすることで3匹の攻勢を何とか捌ききった。


「ぜえっ、ぜえっ……くそっ、なんで即席で連携しやがんだよ」


正面で相手をする時は上下で攻撃を打ち分けて、隙あれば背後に回り込もうとしていた。フェイントの踏み込みで防ぐことはできたが、まるでこちらの苦手とする所が分かっているような動きだったため、一瞬たりとも油断できなかった。


だが、使える。これは使えるぞ、とセロは肩で息をしながらも口元を緩めていた。


障壁で相手の攻撃を防ぐという、実戦訓練が積める。今日のような弱い魔物では使う必要もなかったが、この妙に強いゴブリン相手なら有用な経験になる。


その後、セロは色々と試してみた。分かったのは、ゴブリン以外は生み出せないということだけだった。そして、1匹だけなら意思疎通ができるようになった。


こちらの言葉に対し、首を振って答えてくれた。それだけではなく、ホワイトボードに複数の案を書けば、指差しで良いと思われる案を選んでくれる。


セロは大きく喜んだ。意思疎通が出来るということは、色々な状況を設定しての模擬戦も可能だということだ。


例えば、自分が片手を怪我して、そこを重点的に狙ってくるといったシチュエーション。執拗に足を狙ってくる素早い相手、といった限定した戦闘も可能になるのだ。


才能ある使い手ならば即席での対応が可能なのだろう。だが、自分は違うとセロは思っていた。かといって才能が有れば、とは考えない。愚痴る暇さえ惜しめ、とにかく積めそれ積めやれ積めもっと積めと、常に出来る限りのことをする、というのがセロのやり方だった。


無駄な時間は一つもない。アイネと共に居た時も同じだった。余裕もなく、切り詰めなければ生きていけなかった。


(だから分からないんだよな。どうしてアスカは食料だけ渡して、逃げるように去ったのか)


セロは意図が掴めなかった。あの程度の食べ物を与えた所で、あの子はどう足掻いても、死ぬというのに。


あの少女は恐らく10歳程度、これから本格的に身体が成長していく時期だろう。薄汚れていた事と金髪というマイナスの印象はあったものの、見た目は良かったように思う。


つまりは、力を使って奪う価値がある相手ということだ。自分で生きていく力を身に着けなければ、間違いなく狩られる。人か魔物か、どちらかに襲われ、その命を奪われる。


生き残らせたいのなら、保護するしかない。だというのに、アスカの対応は中途半端だった。あの少女にどういう想いを抱いたのかは不明だが、食料を分け与えるぐらいに何か感じ入ることがあるのなら、多少の労力を使ってでも助けるべきだ。一時の助けにしかならず、与えた食料は全て無駄になるのだから。


「……いや、違うか。無駄と分かっていても、なのか」


「ゴブ」


「そう、かもな。分かっていても、どうしようもない時があるもんな。あの時の俺も、挑まずに逃げる選択肢があった。ラナンが居たのは本当に偶然の、奇跡みたいなもんだったし」


「ゴブ」


「そう言ってくれるか……でも、どっちが正しくて間違っているんだろうな」


「五分」


「そうか……ん? 今なんか鳴き声が違ったような」


困惑しながらも、セロは取り敢えずそれ以上考えないことにした。余裕があるのなら、それをどう使うかは個人の自由だからだ。そう思えるようになったセロは、目の前が少しだけ広がるように感じた。


そうだ、自分はあの頃と違うのだ。そして、自分も無駄なことをしていたことに気が付いた。この高いホテルの連泊を選んだこと。


そして、セロは更に気が付いた。多少のお金を使った所で、それを責める仲間さえ居ないことに。怒られることはない、後ろめたく思うのは想像にしかすぎない、それさえも自由だ。死んだ人間は、何も答えてくれないのだから。


「……鍛えるか。腐るより前へ、だ」


日中は魔物を狩って功績点ポイントと日銭を、夢の中では色々な模擬戦を、障壁の方陣魔術ウィッチクラフトを使いこなせるようになるまで、只管に磨き上げる。


それ以外の選択肢を、セロは見出していた。


気分を切り替えるために素振りを始めている内に、ラナンの言葉を思い出していたからだ。


もしもの話だが、今朝のアスカの誘いを断って独りで狩りをすることを選んでいれば、この考え方にも気がつけただろうか。あの少女にも出会えず、アスカと会話もできずに、たった独りで。


無理だろうな、と自分のどこかの部分が答えた。自分ではない誰かと話をして、その行動を見る。それだけで新たな発見があり、見方が少しだけ変わっていくことに気が付いたからだ。


(旅をしろ、人と出会えっていう最後の教え――――まだまだ始まったばかりだけど、あの言葉の意味が少しだけ分かったかもしれない)


剣の腕ではない、心石とも違う何かが昨日よりも大きくなっていると感じられる。それは悪くないことだと、セロは思えるようになった。


そして、「そうだよな」とゴブリンに視線で語りかける。


返ってきたのは、容赦ない棍棒の一撃だった。



「ってえ! 痛いなおい! え、素振りとはいえ気を抜くな、集中しろ? ……ラナンみたいなこと言うなよ、本当にゴブリンかお前」



厳しいゴブリンに、セロは文句を言った―――その口元を、誰から見ても分かるほどに緩めながら。












きらびやかな調度品が敷き詰められた部屋の中、社長と呼ばれた小太りの男は、喜悦に口元を大きく歪めた。


「―――あの娘を見つけた、だと?」


「はい、社長。南巽を探索していた部下に、ある筋から情報が届いたと」


「よくやった! 情報料は出そう、追加のボーナスも期待しろと伝えておけ!」


「承知致しました。……ただ、万が一を考え、各地の部下を南巽へ移動させる必要があります。早くとも半月はかかりますが」


「なに、構わんさ。ワシは3年待ったんだ、ここで詰めを誤るよりマシじゃろ。それに、例の街の区長とは一度顔を合わせておきたかった所だ」


2年前の騒動について、忘れないように念入りに口止めをしておく必要がある。自ら出向くと告げた主人に、部下の心石使いの剣士は敬礼を返した。


「300年もの、か。流石のワシも初めてだが、どんな味がするのか………くふ、くふふふふ」


楽しみにしておけよ凍結復帰者リターナーの小娘めが。


告げる男の口元に、隠しきれない涎の粒が照明に照らされ輝いていた。





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