13話:努力の方向性

フレイムウルフとの戦闘が始まった後、セロが最初に思った単語は一つだけだった。


―――とにかく味方が邪魔すぎる、と。


敵であるフレイムウルフの体高は普通の犬と比べれば大きく、おおよその所で70cmほど。それが2体いるが、対するこちらは21人だ。自分を含めて5人は後方に控えているが、それでも1体あたり8人。幅が広い巨漢の男が8人、突撃すると攻撃する隙間もなかった。


対するフレイムウルフは、余裕そのもの。赤い瞳をきらめかせたかと思うと、大きく息を吸い込んだ。


「来るぞ、障壁!」


先頭のゲンの号令で、狩人達が目の前に光る壁を展開した。少し白い色を帯びたそれは、物々しい牙が生えた口から放出された赤色の炎を真正面から受け止めていた。


(あれが障壁の魔法陣クラフトか!)


いの一番に買うなら、とラナンから教えられた言葉の意味をセロはここで理解した。即座に展開できる上に前面をほぼ覆える防御のための壁など、便利に過ぎるからだ。


それでも、完全なる防御とはいかなかった。覆いきれなかった足元に炎が滑り込み、数人が悲鳴を上げて足を止めた。


それなりに耐熱性がある装備を身につけていたのか、気合で耐えたのか、炎を乗り越えた数人の狩人達が雄叫びを上げながらフレイムウルフに斬りかかった。


だが、攻撃を当てられたのは先頭の1人だけ。フレイムウルフは犬のような俊敏さで後退し、忌々しそうに呻き声を上げた。


(フレイムウルフの足に、血が―――ゲンといったあの男の一撃か)


機動力を削ぐためだろう。上手い、とセロは思いつつも多くの疑問を抱いていた。


。相手はこちらを舐めていた。多くの心素を一気に練り上げ、強化を増せば今の攻防で一体は減らせたのに。


わざわざ弱い心素で、舐めてかかれば窮地に追いやられる、死ぬ場合もあるのに。考えたセロだが、そこで衝撃を受けたかのように固まった。


(―――そうか……全ては修行のため、強くなるために!)


狩人達は成長するために、縛りを入れて戦っているのだ。全力で戦えばフレイムウルフ程度などすぐに倒してしまう、だからこそ勝てるかどうかというギリギリの所で踏みとどまり、戦いに挑んでいる。


これが、心石使いというものか。戦技者という存在か。


セロは畏怖の想いと共に、ごくりと唾を飲み込んだ。


そして、倣わねば、と気合を入れた。自分も最低限の心素による強化しか行わないことをセロは決めた。元より、腹が減っているせいで全力は出せない。良い巡り合わせだと、セロは武器を構えた。


(それに、一度目にできたからな。フレイムウルフの攻撃の速度、範囲、予備動作、移動速度はもう分かった)


強化されたセロの目は、敵の筋肉の動きを観察済みだった。全てではないが、今のがフレイムウルフの全力に近い攻防であれば、あとはどうとでも出来るほどに。


「後方! ぼさっとしてないで前だ、さっさと―――」


号令を出すゲンが、フレイムウルフの脚の一撃を受け止めた。踏ん張り、威力を逸らしながら体を入れ替える。


そこで、セロは前に出た。地を這うように低い姿勢。維持しながら間合いを詰めると、フレイムウルフは脚で横に薙ぎ払う一撃を繰り出してきた。


―――空振り。セロは強化した脚で、道路の出っ張りをブレーキに急停止。そして目の前を通り過ぎていくフレイムウルフの太い脚を見送ったあとで、


(まずは、その力を削ぐ)


攻撃を空振り、予想外のことに体勢が崩れたフレイムウルフに向けて、その片目を抉らんとセロは剣を構え――――直後に、後ろに軽く跳躍した。


(っと)


今まで自分が居た空間を、横合いから入ってきたもう一体のウルフが通り過ぎていった。たなびく体毛は、燃え盛る赤のようで、血走る目までが赤く。


その目に、一筋の傷が走った。


セロがすれ違いざまに無防備なフレイムウルフの右目を斬りつけたのだった。


ぎゃうん、という鈍い悲鳴が響いた。フレイムウルフは予想外の傷だったのか、無様に転がるも獣の俊敏さですぐに立ち上った。両足を前に、その目と敵意をセロに叩きつけながら、唸り声を上げた。


セロは油断せず、剣についた血を振り払った。脚に強化を、いつでも横に飛べるように腰を落としながら構えを崩さない。この程度の炎なら、と考えつつも直撃を許してやる義理はないと、無傷での勝利で終わらせるつもりだった。


今にも飛びかかりそうだったフレイムウルフは、何かを察知して、そこで止まった。だが、戦意だけは昂ぶったまま、一触即発の空気が両者の間に流れていく。


横からそれを見ていたゲンは、一瞬だけ硬直し。次の瞬間、弾かれたように動き始めた。


「―――目だ! もう1頭も目を狙え、片目でもいい!」


そうすれば距離感が狂う、とゲンが叫んだ。他の狩人達は大きく頷くと、フレイムウルフを囲うように展開した。


「そうだ、1体だけならいける。脚と尻尾の攻撃さえ封じこめりゃ……!」


「迂闊に飛び込むなよ、障壁の隙間程度の火傷なんてポーションで治せる!」


狩人達は声を出し合い、連携を取り始めた。


そこで、セロは狩人達が何を一番に警戒していたのかに気が付いた。


爪と牙だ。口から吐く炎は直撃すれば終わりだが、相手の予備動作を見極めれば防御できる。ちょっとした火傷なら、ポーションで復帰は可能。


だが、爪で引き裂かれるか、牙で噛み砕かれてしまうと終わりだ。千切れた部位の欠損を修復できるポーションは、ランク5以上からになる。かといって、遠間からチマチマ攻撃してると炎が来る。


何より、2体は互いをフォローしあっていた。先程横合いに入り込まれたように。


だが、その前提は目への一撃で崩れた。


(何となくで斬ったけど……いい具合に転がったな)


爪、牙、炎、2体連携が何よりの脅威だったが、今はもうない。


命賭けであることには違いないが、先程よりも分は良いのだ。そうして怯えから立ち直った狩人達は調子を取り戻すと、次々にフレイムウルフへ飛びかかっていった。


―――その10分後。2名の犠牲を出しながらも、セロが参加した狩りは成功に終わった。











窓の外の風景が、来た時とは逆に流れていく。セロはバスの振動に揺れるがまま、ぼうっとしていた。途中で障害物があったのか、バスが止まった。そこで、セロは横から話しかけられた。


「よう、立役者サン。さっきは助かったぜ」


「……あんたは。確か、ゲンといったか」


まだ到着していないのに、どういう理由なのか。セロは警戒しながら答えた。


「立役者とは、どういう意味だ?」


「な、何言ってるんだよ。アンタ、いの一番にあのクソ狼の目を潰しただろ?」


あれがなければ、瓦解していた可能性もあった。戦闘前に発破をかけたゲンだが、劣勢になった場合、勝率が低いからと逃げられることも考えていた。だから助かったぜ、と言いながらゲンはセロの肩をぽんと叩いた。


「あの一撃で“これは行けるんじゃねえか”ってムードになったからな。ま、欲張りが過ぎたバカは死んじまったけど」


死亡した二人はラストアタックの報奨金狙ったが、反撃の爪を避けきれずに引き裂かれた。こすっからい真似をするかだ、とゲンはため息をついた。


「引き際を見過っちまった。ま、よくある話なんだけどな」


「……引き際か。確かに、難しい話だ」


「本当にな」


セロは小さく頷くと、バスの中でぐったりとしている他の狩人達を見た。少し、負けているとも感じていた。修行のためにと、あれほどまでに心素を抑えて命まで賭けられるとは思っていなかったからだ。


彼らは最後の最後まで、小さい心素で戦い抜いた。そのあたりの引き際を見極める目は、自分よりも格段に上のようだ。今は疲労困憊になっているが、それだけ彼らが得られた修行の成果は大きいものになるだろう。


(俺も、見習うべきだ。もっともっと上手く、強くなる)


彼らのように、小さい強化で我先に前にと出た姿勢を見習わなければならない。連携のれの字もない動きはかなり邪魔だった。攻撃を当てないようにと、フォローで攻撃を挟むぐらいしかできなかった。それでも、彼らの覚悟は本物だったのだ。セロは少し狩人達を―――大人を見直していた。


「……それにしても、目への一撃。仕掛けてすぐだったが、狙ってたのか?」


「偶然だ」


「またまたぁ。……ま、そういうことにしとくよ。俺も、深入りをするつもりはなくてね」


敵意はないとばかりに、ゲンは手を上げながら苦笑した。


セロは何だかよく分からないがそうしておいた方がいいぞ、と小さく頷きを返した。


「でも、俺にとっちゃ借りになる。早めに返しておきたいんだが……そうだな。アンタ、この街のことはあまり知らないだろう。何か聞いておきたいことはないか?」


素性はどうであれ、この街に慣れていないか、新天地というのは確かだ。少なくとも、街で見かけた覚えはない。ならば、街の情報は欲しいだろう。そう考えてのゲンの提案に、セロは苦虫を噛み潰したかのような顔になった。


街について知っているのは、ごく一部だということに気が付いたからだ。一方で何を聞かれるのか、とゲンは緊張しながら待った。


少し後、セロは悩んだ末に寝る所について問いかけた。


「宿を……安全な宿がいい。飯も上手ければ言うことなしだが、最低限食えるものを出してくれるのなら」


「え……そんな条件でいいのか? いや、確かに安全な拠点は必要だと思うが」


「最優先だろう。油断をすれば、人は死ぬ……簡単なことだ」


具体的には魔物の肉を生で出してきたアルセリアとか。あれはマジで死ぬ所だったと、嫌なことを思い出したセロが真剣な表情をすると、ゲンはごくりと唾を飲み込んだ。


分かったと、宿の場所を口頭で教える。セロは礼を告げると、窓の外を見た。極まった空腹のあまり歌い出しそうな腹の音を、必死に抑えながら。






バスが予定通りに街に戻った、二時間後のこと。セロは紹介を受けた宿の前で、その建物を見上げていた。


「……ここか」


南北に走る大きな道路から少し東側に外れた場所に、宿はあった。ギルドまでは歩いて30分、走れば5分程度の距離だ。壁などは補修を受けているようで、見た目はかなり綺麗だった。


ふと横を見れば、結界の符が置いていた。イズミとの修行の場で見かけたそれは、魔物払いの効果があるようだった。これなら、万が一にも建物内に魔物は湧かないだろう。


嗅覚を強化すれば、1階の飯場からいい匂いが漂ってくる。これは文句のつけようがないな、とセロは呟きつつも、入り口に書かれた1泊の値段を目にした途端、気絶しそうになった。


(いち、じゅう、ひゃく……せん? いっぱく、5千イェン?)


バカな、とセロは小刻みに震え始めた。フレイムウルフ緊急討伐の報奨金が、3万イェン。19人の頭割りの基本金と、2級功労者としてそれだけの額になった。例の黒髪の女に借金を返して余りある大金だったはず。なのに、一泊で5千。6日で終わり。借金返したら4日、一週間もたない。


―――野宿にしよう、そうしよう。セロは覚悟をした顔で、回れ右を。しようと一歩前に踏み出した所で、ギルドに居た黒髪の女と目が合った。宿から出てきた所で、ばったり。女は目を見開きながら、震え始めた。


「……あ、アンタ。ギルドに居た、今朝の……やっぱり」


「ああ、金を返しに来た」


セロは先手を取って1万イェンを差し出した。


女が、驚いた顔でセロを見返した。


「え? まだ一日経ってないのに。何を、いえ、誰から」


「フレイムウルフの緊急討伐、その報奨金だ」


偽物ではない、とセロは手渡した。女は、そういえばとギルドで討伐報告があったことを思い出していた。


「災難だったわね。初めての……そう、初狩りだったんでしょ?」


「運が良かった上に、仲間にも恵まれたからな」


討伐に参加した狩人、いずれもが自分に厳しい求道者だった。経験もなにもないセロは狩人の平均的な質は分かっていなかったが、彼らがいなければ自分も引き際を誤り、多少の傷を負っていたかもしれない。そう思っての言葉だったが、女は納得しなかった。


でも演技には見えないし、と少し困惑しながらセロを見た。


「そういえばアンタ、私の宿をどうやって突き止めたの? 裏ギルドでも使ったとか」


「そんな金はない、偶然だ……それと、アンタではない。セロという」


「……礼儀正しいのね。私はアスカよ。姓の方はもうちょっと仲良くなってから」


そういうことよね、とアスカが言う。セロは、何だか分からないがとにかく頷きを返した。


「って、ここに泊まるの? かなり高いけど、大丈夫なのかしら」


「……紹介はされたからな。一泊はしてみるつもりだ」


アスカに見られた以上、ここで引き返すと何だか負けたような気がする。セロは子供のような―――実年齢は10歳なので間違いなく子供なのだが―――理屈で、一晩だけ散財することに決めた。


だが、セロは見誤っていた。ゲンが紹介した宿のハイレベルさに。


―――自動で開く扉。


―――きらびやかなフロント。


―――ギルドとは違う、清潔な食堂。


―――しっかりと味付けをされている、臭みのない肉、野菜、白いご飯。


―――柔らかいベッドに、個室についている風呂。


セロは一通りを堪能し、おっかなびっくりといった様子でシャワーを浴びながら、泣いた。


(やっぱ大人って嫌いだ……こういう生活が当たり前なんだろ?)


半ばアホになってのその考えは、八つ当たり込みの恨み節だった。トイレと風呂を同じ空間にする所だけは、セロにも理解できなかったが。


そうしてる間に、時間も過ぎていく。ベッドの上で深い息を吐いたセロは、そういえば、と身体を起こした。数少ない荷物の一つである、メモ帳の束のことが気になっていたのだ。


拠点に戻った時はまだ心の整理がついていなかったので気が付かなかったが、バスの中でふと取り出した時に分かったことがある。どういう訳か、少し重くなっているのだ。


ひょっとして、とパラパラめくったセロは、そこで書いた覚えのないメモを見つけた。


「これは……ラナンの字だな。………心界エアリアについて?」


そういえば、とセロは昨夜のことを思い出していた。心石の基本能力である強化、干渉とはまた異なるもの。心界エアリア心戒コマンドメンツ心意アニムスと言っていたが、ラナンから教わったことがなく、見たこともなかった。


どういうものなのか。メモを読み進めたセロは、驚いた。“夢”を利用する自分のあの空間こそが、心界エアリアの能力の具現だというのだ。


「“心界エアリアとは、心素による干渉能力で世界の中に特定の領域を作り出す? それを心素で強化する。最後に、ある種の制限をすることで、引き換えに何かを得られる論理を元に特別な空間を展開する”………いまいち分からないけど」


セロは悩みつつも、自分の心界エアリアについては一定の理解を示した。


代償は、夢を見ないこと。寝る間に見る夢を捧げたのだ。引き換えに、精神だけの世界を得た。あくまで自分の意識の中だけで、外には干渉できないものだが、鍛錬の役には立つ。


「“名前を付ければ、現出の段階に至った後にさらなる発展性が。それっぽい漢字を書いておく”……なんて言われてもな」


ただ、復讐を願った。遅れないように早く敵を討つ、それこそがセロ自身が願う夢だった。未だ遠い頂きへ、誰よりも早く辿り着きたかった。


「……復讐と、夢と。道っていう漢字はたしか……うん、これでいいか。でも辛気臭いってラナンは怒りそうだから……これで」


―――復讐の夢路スカイハイ


自分の心界エアリアとをそう名付けたセロは、自分の中のナニかが変わる感覚を得た。


「何か、変化したような……実際に寝る時に試してみるか。次は、心戒コマンドメンツ? “戒律を定め、捧げることで特定の技能を強化できるという。特定の技能の強化の役に立つため、専門職に使われることが多い”……」


店舗でも使われている場所があると、セロはメモ書きを読み上げた。実際に見た例だと、“毎日店主として生きること。あるいは、生涯をこの職、この場で過ごすこと。それを誓うことで保有する店舗を自己の世界、領域として認識して、一部を都合よく改変する。”


「他の例だと、“一日一善で強化度上昇”、“一日一殺で貫通能力上昇”、これはアルセリアっぽいな。他には、“特定の神を信仰することで関連する力を得る”………」


とにかく幅広い、というのがセロの印象だった。一部、心界エアリアと被っているようにも思えた。


「最後は心意アニムス……“これは簡単で、誰もが無意識に使っていることがある。強い意志の力で、現実の一部を塗り替えること”……ラナンに放った、最後の斬撃のことだ」


自分の心石の名前を叫び、決意と共に振り切った一撃。正真正銘、全力をこめてのものだったが、あれほどの規模のビルを簡単に両断できるほどの威力が出るのは少しおかしい。違和感を覚えていたセロは、そういうことか、と頷いた。


ただの強化ではない、干渉とも異なる。筋力を心素で強化する、その加算式以上の結果を現実に引き落とせる能力。誰もが使える訳ではない、とメモ書きには示されていた。


「そして過信は禁物、か……それはそうだな。空かされたら意味ないし、反動が大きそうだ」


セロは心意アニムスをあくまで基本の能力の延長として、頼り切るのは危険であると感じていた。金髪のあの男に辿り着く前に追い詰められ、使わされたらそこで終わりだ。


(ばったり出会って、バッサリと行ける……無理だな。世の中、そんなに簡単じゃない……今日のことが良い証拠だ)


まずは探し当てるために、情報収集を。その行動に移すにも、いくつもの難関があるのだ。改めてもうが、復讐の道は遠い。


だが諦めるつもりはないと、セロは更なる鍛錬を誓った。今日出会った狩人達の求道っぷりに圧されるままではダメだと。明日の自分が今日の自分よりも確実に大きくなっている、そうなるように動かなければならない。


日々の糧を得るための移動や狩りなど、昨夜までのように、鍛錬だけに時間を使う訳にはいかない。だが、夢の中でなら秘密の鍛錬が可能となる。我ながらつくづく良い能力だと、セロは1人でニヤついていた。


「……早速試すか。熟睡すると、効果が高そうだし」


セロはベッドに横たわり、目を閉じてシーツを被った。


久しぶりになる―――否、2年前でもアイネがいたが、今はもう誰も傍にいない―――本当の意味での1人の夜だな。


セロはそんなことを考えながら、眠りの世界に落ちていった。














ざわざわと、人が思い思いに話と酒を酌み交わすギルドの酒場。街の居酒屋よりも格安だが荒くれ者が多い中で、アスカはいつもの軽装のまま、同席するゲンに少し可愛い声を意識しながら尋ねた。


「それで、例の新人。実際の所はどうだったの?」


「どうだった、と言われても……俺も守秘義務があるんだが」


「能力を聞こうってんじゃないのよ。ただの印象よ、印象」


アスカは片隅で酌をしながら、酔い始めていたゲンに問いかけた。あのセロという男について、どう思うのか。ゲンは助けられたこともあり渋った顔をしたが、酒を進められ続けたことで、だんだんといい気分になっていき、最後には口を滑らしていた。


「弱くはないな。それは間違いない。でも、強いかどうかは分からん。あと、目が怖い。めっちゃ怖い。チビリそうだった」


「……まあ、確かに。何百人殺してるんだ、っていう目よね」


「そうそう。ちょっとガッシリしてるし、武術齧ってる動きまでするだろ? 新人とかうっそだろお前、ってツッコミそうになったぜ」


ゲンは気分よく話し続けた。勝利の酒だということもあるが、酌をしてくれたのが、前から気になっていた女だったからだ。


街に居るどの女とも違った印象。顔立ちは可愛い系で、活発な印象があるが、どことなく影がある。その上で品があるというのか、とにかく所々の仕草が目につくのが、ゲンから見たアスカという女の特徴だった。


「胸はもうちょっと欲しいけどなー」


「あら、見る目がないわね。私はこの足を売りにしてるのよ」


「……見せてくれるのか?」


「気分よく謳ってくれたらね」


はい、とゲンは注がれた酒を飲み干した。それで、あー、なんだっけ、と言いながらセロのことだな、とフレイムウルフとの戦闘のことを話した。


「強化の出力は、それほどでもなかったな……俺も戦いに必死だったから、そんなに観察する余裕はなかったけど」


「……三味線弾いてるんでしょ。全力じゃなかったのよ」


「流石にそんなことするバカはいねーよ。命がけで戦ってんだぞ? 理由がねーよ、理由が」


「まあ、そうなんだけど……次よ、次。他に気が付いたことは?」


「なんにも。持ってる剣の質は普通だったし、でも立ち回りは良かったな。フォローに徹してくれてなけりゃ、あと5人は死んでた。あと、状況を見る目はあった。方陣魔術ウィッチクラフトも乱戦だから使って………アレ、そういえば―――」


「なに!?」


「………なんだっけ」


「………アンタねぇ」


「大人に向かってアンタはねーだろ」


「ごめんなさい、ゲンさん」


「そこで謝んのかよ、しおらしくなんのかよ」


ゲンはツッコミを入れながら、クソ、と呟いた。演技とは分かってるけどめっちゃ可愛い、と酔いだけではない理由で耳を赤くしながら。


「えーと、えーと……そうだ、障壁使ってなかったな。今どき珍しいチャレンジャーだったぜ」


「……普通の狩人は、それを購入してから登録するのよね?」


「それは、そうだろ。だって俺たちにとっちゃ障壁の方陣は命綱だぜ? 新人の中には剣の振り方も知らねえド素人もいるしな」


展開できるかどうかで、生還率が50%変わる。方陣の質もピンからキリまであるが、最低レベルだと1万も出せば購入できるのだ。買わない理由がない、というのがゲンの意見だった。


「現場出て、ランク1のゴブリン倒せて。ランク2のミドルウルフに追いかけ回されて、障壁で防御しつつ倒すか、死ぬか。生き返れたら自分の無力を知って打ちのめされるか、もっと強くなるために戦い方を誰かから教わるか、剣術道場に行くか」


よくあるルートだ、と街でも顔が広い方のゲンは言った。向上心の無い者は瘴気が薄く、弱い魔物しかでないこの街で生きることを選択する。強い者は瘴気が濃い中央に向けて、環状線の沿線沿いに拠点を移すか、迷宮ダンジョンでの一発逆転を目指して探索者シーカーに転向するか。


「え? 未踏破区域以外で、この近辺にでっかい宝物出そうな迷宮ダンジョンってあったっけ? ……って、大阪地下鉄メトロ跡の鉄道迷宮のことか。旧・南巽は千日前線だったかしら」


「ああ、なんば駅まで一直線で繋がってる。迷宮の聖地梅田地下ダンジョンまでは遠いけどな」


それでも、地下の長大迷宮はランダム率が大きい難関迷宮ダンジョンの一つだ。中の深層で突発的に出現する素材次第では、夢の一攫千金まで手が届く。所詮は寝言だったと、永遠の眠りにつく者の方が圧倒的に多かったが。


「高めの賞金首を狙って返り討ちに合う奴と同じ理屈ね。最善の探索と冒険を目指さない奴に、迷宮も遺跡も微笑むもんか」


「あー、道理だな。勝てる策も無しに挑んでも微塵切りでミンチになるだけだ」


賞金額が100万を越すと、一般の使い手からすれば目を疑うような強さを持っている者が増えてくる。根拠のない自信で挑んだ所で、野犬の飯が増えるだけだ。だが、そうした死者が減らないのが、この世界の現実だった。


「……一攫千金したいけどなぁ」


「それは、そうね。できれば苦労はしないけど」


夢のない返事をするアスカだが、ゲンは何度も繰り返した。


アスカは呆れながらも、小さく呟いていた。


「できれば、苦労はしないわね……装備を整えて、人を雇って。それで、私も………いつか、遺跡を探すぐらいになったら」


「あー、アスカちゃんは冒険者レンジャー志望だったか」


迷宮、居住区外、未踏破区域、遺跡。場所を問わず、命を賭けてそれらを踏破することを生業にする職業で、好奇心を抑えきれない探索者シーカーが選ぶ道だった。


ゲンの問いかけに、そうよ、と答えながらアスカは立ち上がった。


「ありがと、ゲンさん。今までの分は払っておくわね」


アスカは礼を告げるとゲンが飲んだ分の伝票を持ち、支払いを済ませると、酒に酔っている客を横目に外に出た。


そうして、ギルドから少し離れた場所で、アスカはぽつりと呟いた。


「無理っぽいんだよねー。ゲンさんでも力不足だと思うし……やっぱり、この街で何とかするしかないか」


仲間が居ない、たった1人で迷宮に挑んだ所で死ぬのがオチ。厳しい現実を見据えたアスカは、それでも、と出会った男のことを思い出していた。


あまりにも場違いな、鋭い目をした灰色の髪の男のことを。


(……ギルドの連中は本当に気が付かなかったのかな。室内に入ってからずっと、


目だけではない、鋭い気配を前に、アスカはいつ斬られるかずっと気が気ではなかった。それだけではない、ギルドの入り口で見た極限まで練り上げられた心素の形。あの時に死を覚悟したアスカは、だからこそセロの行動が気になっていた。その後の毒のないやり取りと、どこか抜けている様子。それが分かるアスカにとって、セロと繋がりを持つことは一種の賭けだったが、思いも寄らない僥倖でもあった。


「―――利用しつくしてやる。絶対に、どんな手を使ってでも辿り着くんだ」


空とは思えない夜空を見上げながら、アスカは決意を胸に、夜の闇を歩いていった。



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