11話:旅立ち

夜の部屋で1人、セロは今までに学んだことの復習をしていた。廃墟で手に入れた紙とペンで作ったメモ書きを読み返していたのだ。これを作成することは文字の練習にも最適だとラナンからも薦められ、始めた習慣だった。


修行が始まってもうすぐ、2年になる。メモ書きも貯まり、一回整理しようかとセロはメモ書きの束を持ち上げた。そんなセロの足元に、こぼれ落ちた一枚の紙がひらりと。


セロは拾い、懐かしいな、と呟いた。それはシェール家専属の傭兵になった、1週間だけだが修行相手だった女剣士・イズミから教えてもらったこと。心石使いとして把握しておくべきだという、作法の類が書かれていた。


(ユニオンという、青い血……異世界の貴族の血が入ってるとか言ってたよな。実際に青くはないそうだけど、必要になるかもって)


高貴らしい血を引く者に対して。俗語だが、そう表現する者も居るという。一方で、貴族が入っていない市民を赤い血と呼ぶらしい。


なら、市民以下のゴミ扱いされていた自分はなんだったのか。セロは答えが出せない疑問に苛立つも、後だ後と、当時のことを思い出した。


特に覚えておくべきなのは、決闘のことだという。使い手どうし、命を以て決着とするという真剣勝負を挑む時の礼儀があるという。


それは、


強制する法などはないが、世界の法則を弄る心石使いの中では、これを最低限のケジメとして認識している者が多いという。守らないものは出来損ないか、面汚しだと罵倒されるらしい。


(……逆を言えば、名前が無い奴はいつまでも半人前なんだよな)


そう安々と明かすものではないため、イズミからは聞いてはいない。ただ、父からの受け継ぎで覚醒したため、もう現出の段階に入っているという。


セロは、未だ現出には至っていなかった。もう少しだという手応えはあるのだが、あと1歩が足りないという自覚があった。2年という期限が訪れるのは、来週の末のこと。


その事をラナンも覚えていたため、夢の中の格闘修行はより一掃厳しいものになっていた。


それでも、セロは以前とは違っていた。格段に実力を上げたセロは、夢の中という限定された場所では、ほぼ互角になっていた。


(無手の状態、使えるのは手足のみ。だからこそ身体は柔らかく、流れるように動き、滑るような歩法で)


そして冷静に、常に周囲の状況を把握し続けること。教えに従い、セロは1対多を想定しての模擬戦の中、分身をしたラナンを相手にクリーンヒットを避けながら機を伺い続けた。


格闘術は威力、速度で言えば剣に劣るが、小回りの良さは随一だ。関節技の類は魔物相手には使いづらいが、人間が相手では立派な札の一つに成りうる。剣を持っていない時の保険にもなるし、剣術の運用に応用できることもある。


セロは教えを反芻しながら、4体に増えたラナンから放たれる鋭い拳打や痛烈な蹴りを何とか腕で受け、捌き、流していた。


夢限定だと、4体に増えたのは先月のこと。最初は殴られ転かされ踏みつけられてボコボコになったセロだが――――


「受け止めた、か」


ラナンは必殺の裏拳を防がれ、止まっていた。眼前に、セロが放った目潰しの指があったからだ。本体を見つけ出して奇襲、防御と同時にカウンターで確実に戦闘能力を奪う攻撃を。


全身ボロボロで、肩で息をするぐらいに追い詰められているが、勝利は勝利だ。もう少年だなんて言えないわね、とラナンは腕から力を抜いた。


そして、スキ有りとばかりに魔法陣を展開した。だが、いつもの事だとセロは魔法陣に描かれた紋様から術のタイプを見抜き、答えた。


「『氷』、『矢』、『加速』、『複数化』、『先鋭化』!」


「……ちっ、正解よ」


ラナンは舌打ちと共に魔法陣を霧散させると、ため息をついた。よくもまあここまで練り上げたわねと呆れ半分、感心半分の心境だった。


単純な戦闘技術―――身体の強化、運用。戦術、虚実を混じえた立ち回りは及第点。


方陣魔術ウィッチクラフト対策として、魔法陣の内容を一瞬で認識する癖を付けさせた。


「……セロ。基本剣術の方は、アルセリアに認められたのよね?」


「え? まあ、ある程度は」


使ってみなさいと言われたセロは、剣を作り出した。夢の中の世界だからこそできる荒業だ。


仮想的は、ランク2の魔物、アースゴブリン。170cmに届いたセロと同じ体格を持つ、ゴブリンの進化版だ。だが、セロは気負わずに手首を柔らかく構え、流れのままに。


「一閃!」


繰り出された斜め下への振り下ろしは、言葉の通り一筋の閃光のようで。


二柳にりゅう―――」


柳のように、脱力した流れるように繰り出された一撃は仮想的の胸を切り裂き、


「―――三日月」


回転しながら剣の軌跡は欠けた月のよう。その遠心力が乗った振りは、仮想的である硬いアースゴブリンを胴体から真っ二つにした。


流れるような連続攻撃。アルセリアほどの鋭さと威力はないが、それでも最初の技だけでアースゴブリン程度なら倒せるだろう。ラナンはそれを認めつつも、不満気味に告げた。


「……四神楽しかぐらは?」


「まだまだ見せられるレベルじゃないって」


セロが引きつった顔で答えた。


―――アルセリアが考えた、数字の1~10の名前を入れての剣技、その名前の通り“数え剣技かぞえうた”という。難易度も数字に応じて高くなるため、血がにじむような修練を重ねたセロだが、模倣と言えるだけの形にできるのはこの3つだけだった。


「あとは自分なりに考えて編み出せ、とも言われてるし」


「……守破離しゅはり、か。アルセリアらしいわね」


誰かに見守ってもらいながらようやく、というのが半人前。


殻を破り、自分の手足で教えを実践できるのが一人前。


教えから離れ、1人で貫き通す覚悟を持てて初めて、誰から何を言われようと動じない剣士と呼ぶ者になれる。


「剣士になったらなったで、ぶっ殺されそうだけど」


「ならなかったら確殺よ。……起きましょう」


大事な話がある。告げられたセロは、いつになく真剣な顔のラナンに戸惑いながら頷きを返した。







朝食の場に3人が揃うようになったのは、セロが料理を覚えてから。貯めに貯めた固形食料が無くなった後、セロ達は魔物の肉を食べるようになっていた。


身体の成長には必要だとアルセリアが主張したからだ。ラナンは嫌な顔をして、セロはその理由をすぐに知った。調理が大雑把過ぎたのだ。


魔物の肉には瘴気や毒があるのが当たり前で、下処理によって大部分を取り除くのが常識だ。全てを抜くことは不可能だが、心石使いの強化された肉体ならある程度の蓄積には耐えうる。溜めた瘴気を使って術を行使する使い手も中には存在する。


そういう事情を忘れたかのようにアルセリアはドドンと食事を出した。その結果、ラナンは半日、セロは3日ほど寝込んだ。


このままでは死ぬ。確信したセロは生き延びるために、必死で下処理と調理の方法を学んだ。元々手先が器用なため、めきめきと料理の腕が上達したセロは、今ではほぼ全ての食事を任されるようになっていた。


拾ってきたテーブルに、拾ってきた椅子。それでも街で買った清潔な布を敷けば最低限の食卓は完成する。料理が並べられていき、さて食べようかという所で、セロはラナンとアルセリアに用意していたものを差し出した。


「……これ、は?」


「二人の新しい茶碗。先月に貰った木材から作ったんだ」


ラナンは受け取ると、目を見開いた。磨かれたそれは見事なもので、刻まれた紋様はラナンの心石を想わせるものがあったからだ。


「世話になってばっかりだから。その、何か返せないかって」


一日10分づつ、休憩の時に作ったのだとセロが言う。アルセリアは、うむ、と嬉しそうに頷いた。


「剣の紋様が良いな。三日月のこれは、やはり?」


「ああ、目に焼き付いたから」


アルセリアの剣技・三日月はその冴えから本当に月を連想させられるもので、一度見たら忘れられない。目標でもあるとセロが告げると、アルセリアは感慨深げにセロの頭をなでようとした。


「これはお礼だ。……む、頭の位置が高すぎるぞ。もっとしゃがめ」


「しないから。ま、そんなに喜ぶことでもないって。日頃のお礼ってことで軽く済ませてくれれば」


「うむ、しかしありがたいな。成長具合といい……もう、2年前のお前とは別人のようだ」


しおらしい声でアルセリアが言う。整った容貌も相まって、慈悲深い美女のように見えた。この2年、訓練の時間に嫌でも本性を知り尽くすことになってしまったセロは、欠片も騙されなかったが。


「アルセリアの言う通り、ちょっと凄い成長具合だな。……まあ、実力的にはまだまだ何だが」


「それは、分かってるって」


セロは本心から即答した。修行中に常に言われる言葉のため、うんざりもしていたが、間違いではないと知っていた。


そして最終的に、出力だけは心石を引き継いだ者の上を行くことはないことも教えられていた。才能が無い者として、ちょっと成長した程度で満足するなというラナンの指導の通り、セロは自己研鑽を怠ることはなく、やる気も衰えていなかった。


「でも、そのプレゼントとは関係ないだろ? ……どうかな、ラナン」


「……良い物よ。ずっと使いたいぐらいに」


無表情で訴えるセロに、ラナンは素直な気持ちで答えた。修行を初めてから、セロの表情が大きく動くことは少なくなった。激しい怒りを覚えた時は例外で、普段は無愛想な顔に、更に鋭くなった目つきで佇むだけ。


だが、注意深く観察すれば、無表情ながらも色々な感情を胸の内に渦ませているのが分かるのだ。ラナンはセロの顔を見て、尻尾振った犬みたいになってるな、と内心で呟いていた。


―――だからこそ、今のままでは。


「壊れたら、また作るから。……前の仲間内でも、頼りにされてたんだ」


「ええ……そうなれば、きっと良いわね」


食事をしながら、談笑が続く。


だけど、とラナンは食べ終わった後に告げた。最後の試験があると。


「今日はゆっくりと休みなさい。そして、明日の20時に………例の、イズミとの模擬戦で使ってた場所に来ること」


悔いのないように、とラナンが告げた。セロは目的も何も言わないラナンに対して訝しげな表情をしながらも、師匠の言うことだからと頷きを返した。


アルセリアは、ラナンの言葉とその様子から、肩をぴくりと震わせていた。


セロも、アルセリアのいつもとは異なる様子には、気付いていた。


―――理由を知った時にはもう、全てが遅かったが。









ひび割れだらけの街の中で、めくれ上がった舗装を避けて前へ。何かから守るためだろうか、編まれた金網は倒れ、敗者のように地面に横たわっている。


もやがかかった暗い夜の下、セロは障害物を飛び越えながら目的地へと向かっていた。その途中で、ふと立ち止まる。横を見れば、アルセリアの姿があった。


「……ここじゃ無い、よな?」


「ああ。だが、一言だけ教えておきたくてな」


仄かに光る月の光を浴びながら、アルセリアは微笑んだ。


「教えから離れて初めて、剣士は剣士になる―――だがもう一つ、必要な覚悟が要る」


「……技術とも、力でもなく?」


「ああ。―――剣士とは、剣を振るった結果を受け入れた者をいう。何時どこで、何を斬ったとしても」


自由だ、とアルセリアは言った。何を斬ってもいい。何を斬らなくてもいい。取捨を選択した結果、誰かが死ぬことさえも。


「だから、お前も好きにしろ。……それだけだ」


私らしくなく、少し長くなったが。アルセリアが苦笑すると、セロは頷きながら尋ね返した。


「ラナンの、呼び出し……これは、何かの試験なのか?」


「そうだな。未熟なお前への叱咤激励、といった所か」


だが、必要なことだ。アルセリアが断言すると、セロは何かを言い返そうとして止めた。


無力な子供のままでいたくないのなら、全ては力で語れ。そう教えられ続けてきたセロは、ならば、と剣か、拳で語ることに決めたからだった。


「それじゃあ、行くよ」


「ああ………武運を祈るよ」


アルセリアの言葉を背に、セロは目的地へ。廃墟の向こうにある、見上げるほどに大きな木も静かだった。先程までは聞こえていた風によるざわめきも止んでいる。


静寂の音だけが、耳の中に響いている。誰もいない廃墟を抜け、セロは約束の時間の5分前に辿り着いていた。


そして、部屋の中央で静かに立っているラナンに向け、挨拶の言葉を投げた。


「こんばんわー。……ちょっと遅かったか?」


「そうでもない。ここには壊れた時計しかないから、分からないが」


壁にかかった時計は16時37分で止まっていた。それは、大空白が始まった時間だった。


「……何もかもが変わった。冗談のように世界が代わり、其処に生きる人間も変わっていった」


よく見れば、壁には血の文字が。追い詰められた狩人だろうか、誰かの名前が途中まで書かれていた。取り巻く全てが、冷たい。コンクリートで包まれた空間で、セロはラナンを見た。


最初は気味が悪いと感じたが、すぐに慣れた。夢の中で本当の姿を見たこともあったが、この人物は違うと感じたからだ。


街で、自分を物のように扱っていた大人とは違う。


あの日、自分達をゴミのように燃やしたアイツとは違う。


怒ることはあるだろう、ちょっと性格が悪いかもしれない、厳しい修行を課すかもしれない、だけど理不尽な真似だけはしない。


「そう、だよな――――ラナン」


「ああ―――私はかつて、アンタに誓ったからね」


復讐の邪魔になることだけはしない、それが二人を結ぶ約束ルール


何の繋がりもない男と女が、時間を共にする中で交わした誓い理由


だからこそ、それを違えないために。


告げたラナンは、心素を爆発的な勢いで練り上げた。



「―――ラナンキュラス・ミッド・シェリアの名の下に告げる」



真実の名前と共に、ラナンはゆっくりと手を突き出した。



「覚醒しなさい―――血色・殺激絡繰演劇帳ブラッドミスト・アナイアレイター



白を含んだ桃色の心素が、目に痛いほどの鮮烈な桃色に変わっていった。告げられたのは以前と違うが分かる、ラナン―――ラナンキュラスの心石の本当の名前だ。



「……どうして」



これは作法だ。決闘の。命を賭けての戦いをすると、世界へ宣誓する行為。


それを前にして、セロはいつかの日の夜のように、歯を強く噛み締めた。


「なんでだよ―――ラナン!」


「―――答えられないの?」


ならばここで死になさい、と。ラナンキュラスの本気の一撃を受けたセロは、隣の廃墟ビルまで吹き飛ばされた。


ぐぅ、とセロが呻き声を上げた。咄嗟に腕で防御をした、足を浮かせた威力を殺した、だからどうしたと言わんばかりの圧倒的な強化による一撃は、セロを重傷一歩手前まで追い込んでいた。


自分の身体で開けられたのだろう、砕かれた壁。コンクリートの穴の輪郭さえもぼやけて、しっかりと見えないほどの威力。


その穴の向こうから、ラナンキュラスは姿を現した


「……この身体の持ち主は、かつて私を師匠と呼んだ者でね」


尻もちをついたまま、動けないセロにラナンキュラスは告げた。知人から懇願されたことから、始まった師弟関係だと。そして、約束という名前の契約を交わした。もし途中で諦めるなら、あなたの全てを頂く。


そして青年は修行の厳しさのあまり諦め、生きることから逃げ出した。


「だから私は約束の通り、全てを奪った。本当の身体から乗り移って、ね。こっちはあくまで借り物よ。でも、この青年は才能溢れる使い手だった………現出に至らない貴方程度なら、こうして一方的に叩きのめせるぐらいに」


「……どう、して………ラナンが、そんなことを」


「長く生きる必要があったからよ。何を犠牲にしてでも達成したい目的があった……そして、この能力にたどり着けるだけの素質があった」


約束を交わし、それを破戒した者の全てを奪う能力、絡繰演劇帳ドールプレイヤー。強化、干渉の範疇を越えた3つ目、真にその個人にしか扱えない奥義。


心界エアリア心戒コマンドメンツ心意アニムス………個人によって呼び方は違うけど、古い使い手はこう言うの―――創世、って」


細かい理屈を越えて描いた通りの結果を世界に具現させる、非常識の極み。破られた約束にそれだけの重みを見出したラナンキュラスは、だからこそと言った。


「もう―――アンタは心石を出せる筈よ。自分の形を現出させられる。でも、アンタはそれをしなかった」


十分な筈だ。セロ本人には告げていないが、練り上げられた力量は既に基準以上に達した。もう、半年も前のこと。なのに、未だに出来ないという。


その原因を、ラナンキュラスは見抜いていた。2年近く一緒に、素直な子供の域を出ていないセロを見れば分かった。出来ないと答えた心境まで、全て。


セロが感づいていたからだ。現出に至った時点で自分達の師弟関係が終わることに、セロは気がついていた。だから、この時間が終わらないようにと、どこかで願ってしまっているから。


本人も気付いていない、恐らくは無意識だろう。


―――そんな言い訳を、甘えを、ラナンキュラスという女は許さない。


中途半端に、停滞して。望んでいる者があるのに、行動に移さない。一時の安らぎに甘えて、ずっと微睡んだまま。そんな調子で、何を成せるというのか。


ラナンはセロと自分の両方を罵倒した後、手を前に差し出した。指の先から伸びた糸が、座り込んだセロの全身に巻き付いていく。


「……怒りが浅い。殺意が薄い。かつてのアンタとは程遠い。そんなザマでは無理よ、死体が増えるだけ。だから、私が役立ててあげる」


鋼をも寸断する糸は強靭で、力を込めればすぐだ。ラナンキュラスはセロの命を掴んだまま、憐れむように嘲笑った。


「元の予定だと、そのつもりだったし―――ああ、そういえば。ひとつだけ、私が隠していたことを話して上げる」


あの惨劇の夜の時ね、最初っから私は現場に居たのよ。告げられたセロは、言葉を失った。硬直する少年に、ラナンキュラスは続けた。


「あの当時のあの男なら、奇襲をすれば対処は可能だった。正体を悟られず、妹さんを救出できたのよ……でも、最後まで手は出さなかった。どうしてかは、もう分かるわよね?」


どうして見捨てたのか。そして、ラナンキュラスの能力。その情報から、セロは信じられないものを見る目で、答えた。


「俺を―――僕を、試すために? わざと、燃やされるのを、待って………」


「……そうよ。そして、結果は想像以上であり、今は最低に成り下がった」


赤い血にも産まれず、青い血に挑む気概もなく、ただのゴミのように切り刻まれて処理する。セロは見た。ラナンキュラスの目が語っていた。


さようなら、無様で何者にもなれなかった愚か者、と。


告げる声と共に、ラナンキュラスは糸を動かし始めた。


繰り出された糸はセロの身体に食い込み、肉を裂いて骨を絶ち、その鼓動を永遠に止めるべく動きだし―――途中で、その動きを止めた。


ただ只管ひたすらに、燃えるように。


セロの身体から、頭から、腕から、足から、髪の毛から。かつてない程に膨大な、心素マナが吹き出ていたがために。


「……ラナン」


「ええ」


「ラナンキュラス、ミッド、シェリア」


「それが私の名前よ――――貴方のお名前は?」


「―――セロ」


付けられた名前だろうと、名乗ると決めたのは己以外に他はなく。


だからこそと、セロは立ち上がった。


は、そう名乗っていく………どこかの誰かが勝手に決めた何者でなくてもいい、成れなくていい」


市民など知らない、貴族とかどうでもいい。


ゴミだったかもしれない、ひょっとすれば今も。


だけど、大切なものがあった。守りたいものがあった、でも全ては失われた。


この世界は糞溜めの底の底だ。ずっと、今でも変わらない。


それでも、自分の傍には輝かしいがあったんだと。


そう信じて復讐を誓った、灰になった少年の言葉が嘘ではないと世界に示すために。



「血がどうとか知らねえ。俺が何者だなんて、知ったことか」



俺は、俺として生きていく。


セロは、力の限り叫んだ。怒りのままに、本能のままに、綺麗な思い出を嘘にしないために。


ただこの身に流れる、この血が吼え猛るままに。


高みを気取っている奴らへ手を伸ばす、塔の如く意地を誇るために。



「―――セロの名の元に」



セロの心素が光った。色もなく、質もなく、ただ光であると示すかのように。



「天まで昇れ―――――――無色の血塔カラーレス・ブラッド!!」



心石の名前を告げるそれは、決闘の受諾を示す返礼の言葉。


本当の覚醒を示す、産声のような光が廃墟に満ちて、照らし。


セロから放たれた一閃は、糸と廃墟とラナンキュラスの胴体の全てを一刀にして両断した。










夜の闇は変わらず、その暗さを増していた。そして、セロは瓦礫の絨毯上にいた。足元に居る、に向けて言葉を落とした。


「……お世話に、なった。最後まで、慣れないことさせちまって……」


回りくどいのは苦手なのにな、とセロは悔いた。もっと別の形の別れがあったはずだった。自分が情けないからと潰れたifの話を想うセロに、ラナンは血を吐きながらも苦笑を返した。


「グ……ふふ、まったくどこまでお人好しなんだか。いい加減、甘ちゃんは卒業しなさいよ。恨んで斬って、それでいいじゃない」


「……それが正しくても。二人が俺をここまで育ててくれた事実だけは、間違いじゃないから」


ラナンの先程までの言葉、思惑。どこまで本当だったのか、セロは問わない。聞き返すことではないと思ったからだ。全ては、今までの共同生活の中で。拳を交わし、共にした時間の中に確かに存在していたものを信じる―――信じたいと思ったからだった。


そう考えるセロの顔から、徐々に血の色が失せていった。心労から来る疲労もあるが、自分の剣がもたらした現実が原因だった。


ラナンのこの身体は、間違いなく死ぬだろう。切断面から、とめどなく血が流れていく。むしろ、即死していないとおかしい傷だ。


そのつもりで振るった、全てを賭した一撃。それがもたらした光景と現実は、セロの予想を越えたものだった。


「――そうよ。理解しておきなさい。何かを殺す、というのはこういうこと。死んだ人は二度と、絶対に戻らない……覚えておきなさい」


「……分かった。でも、なんでそんなことを教えるんだ?」


「これからのこと……奴以外のことを考えて、ね」


殺された者の最後。失われる重さ。親しい人間が持つ恨み。それらを知らないと、白痴のように剣を振るう真似をすれば、どうなるのか。言外に告げられた意図に、セロは頷きを返した。


「奴が、誰か。ラナン達は知っているのか?」


「ええ……でも言わないわ。突き止められる能力が無いのなら、返り討ちにされる」


「……何となく、そうなるとは思ってたよ。自分の復讐なんだから、って」


厳しいけど、道理だ。頷いたセロは、動じなかった。


歩き方を教わった。生き延びる術を叩き込まれた。最低限の知識までも。そのための修業だったと、今のセロには理解できていた。


「……断言しておくけど、1人では無理よ。刺し違えるつもりなら、可能かもしれない。でも……全てを投げ売ってなんて、そんな価値がある男かしら?」


積み上げた怒りも、努力も、研鑽も、迷いさえも。血肉にしてきたでしょう、とラナンは言う。


セロは頷き、肯定した。自分で望んだ、自分で組み上げた力と、心石と共に見出した意地。


復讐のために使うのに迷いはない。だが、それがあんな男の命と等しい価値だというのを、認めていいのだろうか。最低最悪だと確信した、畜生以下のゲス野郎と一緒であると認めるのか。


―――分からない。


そんなセロの内心を察したように、ラナンは言った。


「だから―――旅をしなさい、セロ。その足で歩きまわりなさい………この冥府のような世界で戦い、生き抜きなさい」


今以上に強くなるために、仇を探すために。


その道中では仲間ができるかもしれない、強い武器が見つかるかもしれない、役に立つ技や、術が手に入るかもしれない。


旅をすれば、人に会える。知った上で、決断すればいいから。


ラナンの優しい声で紡がれた言葉は、セロの心に深く刻まれた。その重さに、セロは思わず頷きを返していた。


「最後に………これを」


プレゼントのお返しにと、ラナンはセロに手渡したのは赤いバンダナだった。


アイネにプレゼントしたワンピースの切れ端を加工したものだと、ラナンは笑った。


セロは無言で巻きつける。灰色の髪に、赤を帯びたそのバンダナはひどく似合っていた。


見届けたラナンの身体から、全ての力が消えていく。


セロは最後まで見守った後、立ち上がった。


(……本当に死んだのか。夢で会っていた、あの本当の身体とやらに戻ったのか。聞いても、答えは返ってこない)


アルセリアを探しても、見つからないだろう。既に去っていると、ラナンは確信していた。あの言葉が証拠だ。そして、これが剣の結果だとセロは理解していた。


ラナンは死んでいないと、本能が告げる。そのための術だったと、セロの論理的な思考は答えを出した。


だが、本当に死んでいれば、自分が殺していれば。セロの脳裏を過ぎったラナンの死体という空想の光景が、その胸を責め立てた。


重さに、セロの顔が俯く。すがりつき、泣きたくなる気持ちがある。膝から崩れ落ちて、泣きわめきたくなる衝動に駆られた。先日までの食卓。ありがとうという言葉と、意味。思い出が刃となって、セロの心に突き刺さっていく。


どこかで、雷が鳴り響く。しばらくして何もかもを覆い隠すように大粒の雨が降り始めた。


「はっ、ははは―――自由、ってことか」


俺がここで屈するのも、立ち上がるのも。歩き出すことも、ラナンの言う通りに旅をするかどうかさえ。


セロの瞳に、決意の意志が灯った。ここからは全て、自分の意志で決めていかなければならないと理解したからだった。


そのために、尻を叩かれた。迷いを抱えながら中途半端な足取りだと、必ずどこかで足を引っ掛けられるから、と。



―――進もう。セロは決めた。例えその道中で何が失われ、壊れようとも。



「……さようなら。ありがとうございました、師匠せんせい



教え子として守られていた時間は終わり、庇護の殻を破った者がすることは一つ、それこそが弟子として唯一の義務だから、と。


別れと共に拠点を離れゆくセロは、一度だけ拠点の方を振り返ると、頭を下げた。


それを最後として、二度と振り返らないまま、セロと名乗る復讐の少年は雨に包まれた夜の奥へと進んでいった。



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