9話:成長
「ラナンの本当の姿は、だと? いきなり何を………まさか、あの姿を見たのか」
桃色の、美しい少女。大人ではない、子供とも言えない雰囲気を持つ。夢の中で会った彼女は本当にラナンなのか、セロは仮面剣士だった女性に尋ねた。
本当の名前は、既に教わっていた。それが礼儀だからと、仮面も外した素顔でアルセリアは苦笑した。
「何かの術じゃないよ、あれがラナンの本体だ。今の身体は仮の宿、ってところでな」
年齢不詳、若作り、それでいて子供っぽいし怒りやすく、口が悪い。そして、大きすぎる荷物を背負わされている。自分の知る限りの特徴を告げたアルセリアは、セロの肩を叩いた。
「鬼のような修行をさせておいて何だが……嫌わないでくれな。何があったか分からないけど、最近妙に機嫌が良いから」
予想外に嬉しい言葉でも聞けたのか、少し浮ついている。あまり見たことがない姿だったが、ああいう彼女も悪くないとアルセリアは笑った。
「そういうお前も、浮ついているか? いや何故って顔をするな、見れば分かる」
指摘されたセロは無意識の内に、浮つきの原因となる腰に下げた剣に手をやった。あれは見事な勝負だったからと、アルセリアから贈られたものだ。
黒い鞘には鋭利保持の、銀色の刀身には壊れにくくなる効果が付与されていた。アルセリアが知り合いの鍛冶師から試作にと贈られたものだった。
「……落ち着けなんて無理だって。こんなに高いもの、買ってもらったことがないから」
「詫びと報酬だと言っただろう。ナマクラな剣での本当の全力では無かったとはいえ、私の一閃を受け止めたのだからな」
剣士としての誇りの問題だ、とアルセリアは繰り返した。自分が得意とする戦技である、剣の技。修練したそれを宣言しながら繰り出した剣から逃げずに、真っ向から命を守りきったセロがくだらない剣を持ち、変な方向に育ってしまうというのはアルセリアにとっても我慢できないことだった。
「変な所で死なれても困るしな」
「……いつか本気で斬り合いたいから?」
セロの指摘を、アルセリアは微笑むだけで答えなかった。だが、セロは否定しなかった様子を見て確信していた。
素顔のアルセリアは、鼻筋の通った美人だった。18歳だというのにどこか幼い雰囲気があり、だというのに気持ちは浮つかない。何度も剣を合わせたセロは、それとなく本性を察していたからだ。
ラナンのように大人っぽくなく、子供のような。故にセロは反発を覚えてはいなかったが、もう少し本心を抑えてくれないかな、と内心でため息をついていた。
「―――落ち着いたな、セロ。上手く整理できたように見える」
「……復讐の想いを、ですか?」
「ああ。無くなった訳ではなく、身体の一部に出来つつあるように思えた。喜ばしいことだ。人間である以上完全は無理だろうが、感情に振り回されるだけでは斬り合いには勝てないからな」
心構えだと、アルセリアは説いた。戦いは心と気と力によって決まる、というのが師の教えであり、自分も受け入れている考えであると。
「いずれも乱れれば立ち行かない。まずは心。定まれば、自ずと他の2つも練り上げられていく」
ラナンも重要視していることだと告げられ、セロは驚いた。何の考えもなく放置されていた訳ではなかったのだと、意外そうな顔だった。
「……まあ、鍛え始めの子供に要求する話じゃないからな。自分が何者かを定める。それが意識出来て初めて、心が鍛えられる」
「いや……なんで、そんな。俺は復讐するって誓った。それに向けて走るだけじゃダメなのか?」
「ダメになる時が来るかもしれない、それを私達は心配している。強すぎる意志は利用されやすいからな」
剣もそうだ、とアルセリアは言った。単純で愚直な剣ほど捌きやすいものはないと。
「今のお前の様子が正にそうだ。少し怒るとすぐに敬語を忘れる……私は気にしないが、それがダメな時もある」
「……難しい言葉ばっかりだ。なんか、アルセリアっぽくない」
「私もそう思う。精神論は正直苦手だが……必要となればなんだって掴み取るさ」
太古の昔、名のある剣豪は強くなるために考えた。剣の道に、禅の考えを取り入れた者もいる。模倣する訳ではないが、実際に語り継がれるようになった先人の方法を無視するのは愚かなことだと、アルセリアは語った。
「特に心石使いの剣は、合理的なだけではな。いずれ滞り、腐り果てる。私はセロにそうはなって欲しくない」
「だったら、もうちょっと手加減して欲しかった。いや、笑ってないでマジで聞いて欲しい」
「それは無理だ。宣言しての技―――戦技に嘘はつけない。良くも悪くも」
「……言葉の力?」
「そうだ。術と同じように、強く念じた言葉は心石の力の方向性をコントロールするための補助となる」
言霊と昔の人間が名付けたもの。名乗りあげる行為に近い。今から私がこの技を使うから、理屈と道理は引っ込んでいろという宣言となる。その中でも“一閃”は、アルセリアの得意技だった。恐らくはどの流派でもあるだろう、力をこめてのただの一振り。
振り下ろしに限定しない、切り上げ、横薙ぎでも構わない。ただ、ありったけの殺意と心素をこめる、単純などこにでもある技。そのシンプルさが、アルセリアは好きだった。
「手加減はしたぞ。“二柳”に“三日月”まで繋げなかったんだから」
「……どんな意味かも分からないし聞きたくないけど、もし手加減抜きなら?」
セロの引きつった顔での問いかけに、アルセリアは微笑みを返した。やっぱこの女はやべえ、とセロは模擬戦の最中は冗談でも殺気の類をぶつけないことを決めた。
圧倒的な力量差を自覚したからでもあった。夢の時間まで鍛え続けたのに、羽虫のようにあしらわれるどころか、本気ではない剣で死にかけたからだ。自分一人ならポーションを使う気力もなく死んでいたことをセロは認め、成果を欲しがっていた二人の意図も一部だが察していた。
やはり、もっと、もっと、鍛錬を積まなければ。夢の中の格闘術の訓練でも、殴られ蹴られへし折られてばかりだった。その時の風景を思い出したセロが、少し困ったような顔になった。
「ん、どうした? ……剣での相談ではなさそうだが」
「いや、その……格闘修行の時なんだけど。関節技、っていうやつ?」
「ああ、実にえげつないアレな。人間相手にしか使えないから私は興味ないが、何かあったか?」
「……いや。やっぱり、何でもない」
アルセリアには分からないだろうと、セロは質問を止めた。自分自身分かっていなかったからだ。組討の際にラナンは身体を密着させて、膝や腕の骨を折りにくる。夢の中だとやりたい放題だ。
その時に、太ももや、見た目に反して大きい胸といった柔らかい部分がふにょんと柔らかい、柔らかくて、柔らかい。その度に、何か表現の出来ない感覚が身体を走る。
術の類だろうか、とセロは当たりをつけていたが、どうにも違うようだ。だが、どうしてかラナンには質問しずらかった。そんなセロはいい機会だからと質問しようとしたが、直感は「アルセリアに聞いても無駄だ」と語る。
少し悩んだセロは、やっぱり何でもないと、咳き込むことで話を誤魔化した。
「なんだ、変な奴だな。……もしかして、現実の身体の方のラナンに稽古をつけてもらいたいとか?」
「それは嫌だ」
セロが即答し、アルセリアがあまりの早さに戸惑った。そして、一緒に首を傾げて不思議そうな顔に。考えた二人は答えが出ないまま、休憩の時間を終えて模擬戦へ戻っていった。
先日のように生きるか死ぬかという密度ではないが、気を抜けばバッサリとされるレベル。その中でセロは必死で成長すべく剣を振り続けた。
夜は夢の中で格闘術を、ポーションの費用が浮いたとほくほく顔のラナンに今日もセロは折られ、殴られ、ボコボコにされ続ける。
灰色の髪も生え揃い、やや長く。身長も伸びて、子供には見えないぐらいに。復讐の想いを胸に、強く、強く、手を伸ばし続ける。
繰り返して5ヶ月後、細かい所まで怪我が完治したセロだが、一つだけ取り返しのつかないことがあった。
「……まあ、悪くはないんだけどね。悪くはないの、でも悪いわね」
「ああ、目つきが悪い。まるで殺し屋のようだなハッハッハ」
不潔は敵だと風呂に入り、鍛え抜かれたセロの顔は、元々のものもあってそれなりに見れたものになった、というのがラナンの評価だった。
―――鋭く尖った、『私100人は殺してますよ』と物語る両目が無ければ。
当然の結果とも言えた。ある程度は飼いならすことが出来ているとはいえ、セロの胸の内の大半を占めるのが“復讐”という二文字だ。時折思い出しては怒りを押し殺している様子から、身の内にある強い炎は消え去っていないことは、ラナンにも分かっていた。
顔と目は心を映す鏡である。その言葉の通り、心石使いは内面に秘められたものが顔に反映されやすい傾向にあった。
「しかし、もはや同一人物とは思えないな」
「ええ……男子、三日会わざれば
「………」
セロは反論せず、無言を貫き通した。10ヶ月過ごせば、それなりに経験し、学んだことがある。
心得1、女性に口で対抗しても無駄だ、ということ。
心得2、これで二人は悪気はないんだ、ということ。
心得3、天災には逆らうな、手立がないのなら黙って過ぎるのを待て、という摂理。
1、2に関しては、全世界の女性がアイネのような天使ではないと気づいたセロが大人になっただけのこと。3は人間としての悟りだった。
そして、悪い所が見えてくるほど長く共に居れば、繋がってくるものもある。師弟という関係とはいえ、長く顔を合わせていれば積もってくるものもある。
今ではセロも、時々だが気安い言葉で談笑する時があった。交流も重要な能力だ、とラナンにも教えられていたからでもある。強化された頭で学び続ければ学力だけではない、ものの考え方も身についていく。
その道中でセロは「あれ、この二人ちょっとダメ人間ではないか」ということに気がついたが、心得の1から3までを総動員して事なきを得た。
「え、なにその優しい笑顔。めっちゃ腹が立つんだけど」
「おねーさん達がセロのことを思って駆けずり回ったって言うのにな」
アルセリアの物言いを前に、セロは首を傾げた。おねーさんはともかく、駆けずり回ったという言葉に心当たりがなかったからだ。どういうことかを尋ねると、余計に付いてしまった自分のクセを修正するためだという。
「最初に教えた基本は覚えてる? 心石使いとしての心構え」
「……俺つええええ?」
「そう。だけどセロってぶっちゃけ勝ったことないでしょ。まあ、私達が相手なら当然だけど」
問題はセロが答えた通り、『俺つええの?』になってしまっては心石使いとして色々な面で悪影響が出るのだという。戦い、勝利を収めることで『俺つええええ!』になれるようにと、ラナンは得意げに語った。
「だから―――模擬戦よ。そこの剣狂いじゃなくい、セロと同年代の相手を用意したわ」
ラナンは経緯を省いて結論だけを言った。昔のツテを頼って、弟子どうしを戦わせようではないか、という形に収まった。レベル差があればお互いに良くないからと、同格と思われる弟子どうしの模擬戦だという。
「……ワクワクしてるみたいね、セロ」
「それは………緊張、とか」
「私相手に誤魔化さなくていいわよ。まあ、負けっぱなしは流石に
遥か上の頂きを目指しているとはいえ、どこまで登れたのかは気になる。当たり前よ、とラナンは頷いた。勝っても負けても、仕方がないではなく、次こそは、という想いも生じていく。それは成長に繋がるピースにもなるから、と。
理由を並べたラナンは、笑顔で凄んだ。絶対に勝ちなさい、と。
「負けて得られるものなんてたかが知れてるわ。……まあ、敗北から学べるものは多い。でも、そんな心構えじゃこの先やっていけないに決まってるもの」
ラナンは勝たなくてはいけない10の理由と題して、絶え間なく理屈を述べ始めた。セロは大人しく聞き入れながら、アルセリアに視線で訴えかけた。
(聞くけど、何があったの?)
(弟子自慢でマウント取られたらしいファイト)
(……負けたらラナンにマウント取られて顔がボコボコになりそうなんだけど)
(墓は建てるよ。石には『負け犬ここに眠る』って刻んでおくから)
アルセリアの視線での回答に、セロは空を見上げたくなった。天災を凌ぐ冴えたやり方は耐えることだが、人はいつだって無力だからだ。
どうしてか、アルセリアも勝たなければ許さないとばかりに視線で圧をかけてくる。これで負ければ、自分の命脈はここで尽きるだろう。セロは悟りと共にラナンに頷きを返し、アルセリアに勝利を誓わされた。
「それで、師匠。模擬戦の日程は?」
「え、2時間後だけど」
「唐突すぎるっ?! あんた本当にいっつも行き当たりばったりだな!」
「……へえ。セロ、いつもそんなこと思ってたんだ」
空気が変わったことに気がついたセロは、先程とは違う意味で空を仰ぎたくなった。
(―――教訓、心得が正しいとしてそれが恒久的な問題の解決には繋がらない)
セロはある種の悟りとともに、ため息。
その後、説教に変わったラナンの機嫌をいち早く取るべしという、別の試練を乗り越えるべく頭を回転させ始めた。
「痛ぇ………」
模擬戦の約束の場所で一人、セロは痛む首をほぐしていた。会場となった5階建ての廃墟の中には誰もおらず、魔物も姿を現さない。真夜中という時間、魔物が活発になっているというのに気配さえないのは、仕掛けがあるからだろう。
そう思ったセロは部屋を見回し、何らかの術が使われていることに気がついた。即席でその場しのぎのため、とても荒い。この模擬戦の間だけもてばいいという精度だった。
かつての拠点を思わせる、ひび割れ朽ち果てたコンクリートで包まれた部屋。セロは大人しく待っていたが、時間になっても現れない相手に苛立ちを覚えていた。
(いや、だめだ。平常心、心を乱すな。落ち着いて、落ち着いて………)
言い聞かせるも、言葉だけでは効果が薄い。セロは気分を入れ替えるべく、壊れた窓から夜空を見上げた。身長は既に165cm、9歳という年齢では並外れて大きい身体は、セロの視線を苦もなく外へと届かせた。
―――この大阪から星空が奪われて、300年が経った。セロはラナンから受けた授業の中で、準常識レベルではあったが、歴史というものを学ばされた。
第三次世界大戦が終わり、しばらくしてからのこと。何の前触れもなく、西暦という旧世界の歴史は終わりを迎えたという。何が起きたのかは、誰も分かっていないらしい。世界中で起きた非常識かつ規格外過ぎる変革の原因を探るのは、人の意識がどこから生まれてくるのかを突き止めることよりも難しいとされていた。
分かっていることは、2つ。
―――世界は明らかに、何者かによって以前の姿を奪われ。
―――大阪だけではない、日本という国の土地自体が物理的に広がったということだけ。
どこから来たのか分からない廃墟。街と街の距離は遠くなった。騒動から落ち着いた政府―――大阪では淀屋橋にある中央府―――が試算した結果、府の面積はかつての10倍に膨れ上がっていたという。
どこからか来たのか分からない土地は、迷宮や遺跡、危険な魔物がはびこる絶対絶命地帯だったという。半分は先人によって開拓されて、資源などが回収できるようになったが、もう半分は未踏破区域とされて、冒険者の飯の種になりつつも、人類の驚異として認識され続けている。
(なんて聞かされても、実感がわかないんだよな)
ジロウだった頃は、街の一部と廃墟だけが世界だと思っていた。歴史という言葉の意味さえ知らなかった。授業の中で唯一聞き覚えがあったのは、第八次内乱という単語。それは、両親が死んだ原因だった。
何がどうなって死んだのか、今でも分かっていない。
別れる前に、父は言った。これからは、この子が妹だと。生きてくれと、泣きそうな顔だった。
最後の時に、母は言った。守り続けなさい、お兄ちゃんとして。あなたが幸せであることを。
全ては崩れ去った。ジロウという兄はアイネという妹を守れずに死んだ。
(なんて、感傷に浸ってる暇はないか)
セロは近づいてくる足音に気がついていた。古ぼけた階段を踏む音は、自分が登ってきた時に聞いたものと同じ。
セロは部屋の方へと振り返った。そこには自分より少し小さい背丈の、黒髪の剣士が立っていた。
「……あんたが、模擬戦の相手?」
「ああ」
セロは答えながら、腰を落とした。部屋に剣を携えた者が2名、ならば始まっているも同じだ。アルセリアの教えに従い、セロは臨戦態勢に入った。
(本当に同年代か? 身長は160程度……いや、そこまでは無いか)
洗練された気配は感じるが、腑に落ちない。何よりも、とセロは訝しげな表情で問いかけた。
「……どうして、構えないんだ?」
「はあ? それはアンタの方でしょ。模擬戦の作法も知らないなんて」
告げながら、対戦相手は赤い布を取り出した。確認よ、という言葉を向けられたセロは構えを解かないまま、自分も赤い布を取り出した。ラナンから預けられた、勝利者の証を。
「……はあ。格好の通り、野蛮人ね」
「どういう意味だ」
「意味、って………面倒くさいわね。始める前の作法よ。師匠から与えられた勝利条件を言い合うのよ。さっさとしなさい」
「……武器の制限はなし。勝負をして、勝った方が証の赤い布を持ち帰る。殺しは無し」
「確認。で、どうやって勝敗を決める?」
「まいった、という降参の言葉」
「確認したわ―――さあ、始めましょうか」
スラリ、と黒髪の女が剣を抜き放った。セロは初めて見る武器に、目を見張った。
(片刃? 紋様も、見たことが)
注意深く観察したセロは、それとなく相手の素性を分析した。白い服、赤い胸当て。服の袖は長く、下は膝から少し低い位置まで。頑丈そうな布はひと目見て分かる、力がこめられている高級品だ。胸当ては布ではない、革でもなく、特殊な金属のようにも感じられた。
セロは剣を抜き放ちながら、雲泥の差とはこのことか、と苦笑した。安物の布を元に自分で縫い上げた服と、貰った安物の革の素材を活用して作り上げた出来合いの小手。値段にすれば10万倍の開きがあるんじゃないか、という格差はセロをして笑える程だった。
そんなセロの考えの通りの言葉を、女は言葉にした。
「―――貧相な装備ね。作法も教えてもらえず、放り投げられたみたい」
「鋭いな」
「……反論もなし、言葉遣いも荒いし、剣もそれなり。師匠の程度が知れるわね」
「否定できない」
ラナンは行き当りばったりの指導で、ちょっといい加減で、放任気味で。
アルセリアは熱心過ぎるからだろう、気を抜けば今でも喉を斬られそう。
「でも、お前に言われるほどじゃないよ」
「はっ、どうだか。……怒ってるわね。女を相手に、下に見られたのがそんなに不愉快?」
「それはない」
セロは断言した。女は怒ると怖い。つい先程もそうだったし、締められた首の痛みが物語っている。
だからセロは肯定せず、相手を睨みつけた。言葉によって血を駆け巡った、腹立たしい気持ちそのままに。
(バカにしたな―――俺の剣を)
初めての贈り物を、アルセリアからの信頼の証を。
怒気のままにセロが踏み出す。女剣士は動じず、嘲るように笑うと腰を落とした。
それが物言わぬ開始の合図となり。暗い部屋で、白刃がぶつかり合い、火花が散った。
「……決着がついた頃かしら」
そわそわとしながら、ラナンは時計を見た。始まって5分、普通の模擬戦ならば終わっている時間だ。だが、アルセリアはいつもの通り、動じずに剣を磨いているだけ。
これじゃいつもと逆じゃないの、とラナンは呟き我慢したが、もう限界だとアルセリアに尋ねた。
「それで、剣の鬼さん? 実際の所、どうなのかしら」
「本当に素直じゃないな………その女剣士の名前は、イズミだったな?」
ラナンの問いかけに、アルセリアは呆れた声で答えた。
「どこのツテを頼ったんだか、というのが正直な所だ。私も名前は聞いたことがあるぞ。天新流の当主の娘だろう、それは」
曰く、天才。1の教えで3を知り、5を実践する優れた剣の感性を持つ女剣士が居ると、アルセリアは剣の師匠から聞いたことがあった。
「実際に目で見たこともある。流れるような早さで、相手の間隙を縫い、針を通すような精度での突き技は風さえも置き去りにする」
だけど、とアルセリアは鞘に収まった自分の剣を見下ろしながら苦笑し、告げた。
「どちらにとっても、天敵だろうな―――だけど」
狭い部屋の中で、2つの影が何度も交錯した。その度に刀身が踊り、ぺちゃりと血が落ちる音と共に床が血で汚れていった。
(―――早い)
始まってから、5分。セロは傷だらけの頭の中で、何度も痛感したことを頭の中で繰り返した。
相手は全てが早かった。移動の速度、剣の振り、判断に至るまでの全ての速度で負けている。隙も小さく、予備動作から攻撃に移るまでの早さも、アルセリア程度ではないが、自分よりは確実に優れている。
何より厄介なのが、時折繰り出してくる、死角から奔ってくる剣だ。
剣の起こりが感知できて、そこから振りが来る。一連の動作が見えるのなら、無傷での防御は可能だった。中にいくつか含まれている、起こりを見落としてしまう斬撃がなければ。
(こっちの意識の死角を、それとなく察知しているのか)
経験と才能によるものだろう、セロはアルセリアに聞いたことがあった。天才かそれに準じる剣士は無意識に斬れる隙間を見つけてはそこに刃を滑らせてくると。
防御に徹していなければ、反撃を受けて重傷を負っていたかもしれない。セロは冷静な頭で考えていた。
剣戟の最中、ここで打ち込めば当たるのではないか、というタイミングもあった。だが、空振りか、受け流された後が怖い。少なくともアルセリアが相手だと、確実に返り討ちになっていた。
そうして攻めあぐねているセロだが、模擬戦の相手であるイズミにとっても同じことだった。
繰り出した攻撃は既に100にも及ぶ。中には決められた筈の会心の手応え、だというのに決まらない。これは届くと急所へ、隙を突いての刺突、だけど横に流される。
完全な回避は難しいのだろう、切っ先の一部や刃の端だけは肉に届く、だがそれだけだ。
(なんなのよ、こいつ………!)
しぶとい、とイズミは苛立っていた。傷はあるのだ、痛いだろう。血は出ている、体力も消費しているだろう。そんな推測が確信に至らないぐらいに、始まってから今まで、動きが欠片も鈍らない。
こんなことは無かった、とイズミは焦った。それでも、剣士として積み重ねた研鑽がイズミを動かしていた。セロは変わらず、見失った剣でも最低限の傷で済ませて凌ぎ続ける。
イズミは、戦い方を変えなかった。それでいつも勝てていたからだ。
強化はしている、流れも完璧だ、相手は自分より遅い、自分は強い。
間違いではない言葉のままに、暗い空間を剣は幾度も煌めき。
届く、届く、このままいけば勝てる、そのはずだと。
不用意に放たれた振り下ろしの一撃を、セロは見逃さなかった。
しまった、と思うと同時にイズミの空振った剣は地面を打ち。懐に入り込んだセロは、踏み込みと同時に振り上げていた剣を振り下ろした。
上から叩かれた形になったイズミの刀は、コンクリートの床に深く突き刺さり。容易くは抜けなくなった自分の武器を呆然と見下ろしたイズミの首の横に、セロは自分の剣を添えた。
そのまま、二人が膠着したまま数秒。やがて「まいった」という泣きそうなイズミの声がセロに届いた。
―――『なんとなくの剣は今のアイツには通じない』と。
奇しくも同時刻、アルセリアがラナンに告げた予想の通りに、模擬戦における勝者と敗者は明確な形で分かたれた。
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