7話:夢、力と期限


痛みを感じるごとに、何かが鈍っていく。深く、深く、どうしようもなく。それでも自分が選んだ道だからと、セロは耐えることができた。あの夜、この身に刻まれた炎より痛いものはなかったから。


耐え難いものは、痛みとは別の所からやってくる。例えば夜、疲れ果てて眠りに入ってから。セロは、これが夢であると気がついていた。


「どうしたの、おにいちゃん」


夢の中のアイネは、いつも笑顔だ。実際は、どうだっただろうか。笑顔だったな、とセロは笑った。病気で自分も辛いはずなのに、息せき切るほど走って帰ればいつも明るい顔で迎えてくれた。夢の中の“ジロウ”も笑う。仲間と一緒に笑う。


いつもより多い食事を見て、セロは思い出す。大当たりの拾い場で、かなりの金額が手に入った時があった。貯めようかなという意見も出たが、ぱーっと使おうぜ、という声が大多数。寒い夜だったから、他の階の仲間も集めて部屋の温度を高めた上で、夜遅くまで大宴会。


最後まで何事もなく、目が覚めるまで幸せなのが何よりも辛くて。


セロは起きてすぐ、吐けるだけの胃液を吐き散らした。








瀕死の状態から蘇生して3日後の、座学の1割が終わってからのこと。セロは先日に自分を斬殺しかけた人物を紹介されていた。


「それじゃ、改めての自己紹介! こちらは謎の仮面剣士ちゃんだよー」


「よろしく。私の名前はアル「えいしゃっ!」いたっ?!」


先を読んでいたラナンの素早いミドルキックが銀髪の仮面剣士の尻にジャストミートした。キレイなフォームだったな、とセロはぼんやり思った。その後は、簡単な説明だった。以前の模擬戦は、戦いというものの緊張感を味わってもらうためだとラナンが告げ、仮面剣士ことアルセリアが頷いた。


「斬られる、っていうのはああいう感じね。で、心石使いは一般的な剣を使う。なんでって、一番使いやすいから」


剣は強し、とラナンは言った。どうしてか、世界から補正を受けやすいのだと。


「世界に贔屓されてると言ってもいいね。この謎現象は未だ解明されてないけど、剣だと同じ重さ、同じ速さでぶつけてもダメージが大きくなるのね」


「大昔の戦場でのメインは銃だったらしいが、大空白の時に銃は嫌われたようでな。補正から言うと、剣>>拳>槍>弓>>>>>銃になる」


ただの銃から放たれた銃弾の威力は激減し、成り立ての使い手の防御すら抜くことが難しかった。ゴブリンで何とか、ランク2以上だと少し厳しくなる。ガンナーと呼ばれる専門の使い手もいて、対人戦においてはそれなりに厄介だが、銃弾やメンテナンスにかかる費用から、圧倒的に不人気な武器使いとして認識されていた。


「昔は射程距離が長いからって、銃と弓がメインウェポンだったんだけどねー」


「威力もそうだが、人間の反射速度と防御力が根本から変わったこともあってな。今は手軽に威力も強くなる剣がダントツの一番人気だ」


人のスペックが変われば、戦い方も変わる。心石という存在は武具を使っての戦闘の機微に激的な変革を訪れさせた。とにかく剣だ剣、と仮面剣士は剣を掲げた。


セロは一歩だけ、後ろに下がった。昨日の斬撃の痛さは、まだ覚えていたからだ。


「そんなに怯えないの。あ、先言っとくけどあんたの武器は剣と拳ね。他の武器を習熟させるような時間はないし」


手っ取り早く、利便性が高い2点を重点的に鍛え上げる。ラナンの方針の根拠は最もなものだったので、セロは反論することなく頷いた。


「うーん? なんか今日は反抗心が足りない。違うね、もしかして調子が悪い? 寝不足? 悪夢を見た、とか……ああ、やっぱりね」


表情から読み取ったラナンは、ため息をついた。


セロの眉間にシワが寄った。


「なんだよ……俺が悪いのかよ」


「うん、最悪だね」


きっちり寝るのは本当に重要なんだよ、とラナンは人差し指を立てた。


「人は生の三分の一を夢の中で過ごしている。なぜって? それが人にとって必要だからだよ」


ラナンは力説した。夢のない言い方をすれば体力、精神、心、思考の回復に記憶の整理のための時間。夢っぽい表現をすれば、逃避か妄想を糧として飛べる、何の縛りもない世界への飛行。いずれも人には不可欠で、無くなっては生きてはいけないものだと。


「強く成長したい子供なら特にそう。寝る子は育つって言葉知らない?」


「……聞いたことがないけど、言いたいことは分かる」


でも、と反論しようとしたセロの唇をラナンは人差し指で押さえた。私が悪かったんだね、と笑顔で語りかける。


「悪夢なんて見られるぐらい、体力に余裕があったっていうことだもん―――ごめんね、セロ」


真摯に謝る姿を見たセロは、思った。


それはひょっとしたら良い解決方法なのではないか、と。


「じゃ、今日は重り2倍ね」


「はい」


「ええ……」


大丈夫なのか、という心配の声を聞きながら授業が進められていった。


心石の強化と精錬について、と前置いてラナンはホワイトボードを使い説明を始めた


「強化はかなり幅広くてね。一般的なものだと肉体強化、感覚強化、神経速度強化、武器強化。個人の素質に左右されるけどね」


小さな丸、大きな丸をそれぞれ描く。その中を大雑把に黒く塗ったり、全面塗りつぶしたり。


同じマナでも強化度合いが違う。元々鍛えているのなら、効果は倍増する。訓練の中で見極めていく、と告げながらラナンはぷるぷると震えているセロの足腰を指差した。


「基本の足腰の強さ、体力が最低限確保できたらだけど」


強化の中には、筋肉の回復度合いの強化も含まれている。無意識にマナを使わせ、心石を常時稼働させる。それにより、未熟なセロの心石だが、心素を吸い込もうと頑張る。


「これが心石の精錬の流れはそんなとこね。繰り返し、繰り返して大きくして……取り出せるのは半年後って所かな―――なに、仮面剣士ちゃん。文句でもあるの?」


「……いや、なにも」


「うむ。で、強化なんだけど、つまりは俺つえええ! ってすればいいの」


「………?」


セロはこのアマは酔っ払っているのか、という風な顔をした。ラナンはうぎっ、という怒りの声を押し殺して人間の絵を書き、周囲にオーラのようなものを描いた。


「心は、いわば自分の世界。その人自身。それを現実に変換しようっていうんだから、この心素マナの内の世界は自分そのものになる」


これはちょっと高度だけど、とラナンは語った。


「つまり、ここは俺の縄張り、俺の世界。だから俺が負けるはずない、俺最強、相手はカス、って思い込んで強く信じられれば、強化の度合いは跳ね上がるの」


マナが消費されるのは、世界との差異を埋めるためだから。ここ大事ね、とラナンは☆のマークを5つ付け加えた。


「影響範囲や強度は個人の努力と資質次第。つまり個人差がある。強度も、形式もね。すなわち使い手どうしのぶつかり合いは、つまり世界どうしのぶつかり合いになる」


俺が勝つ、正しいと疑いなく信じられた方が断然強い。あくまで大元になる世界の法則に乗る形だから、思い込みだけでは強くなれないと、貧弱な坊やであるセロをからかうようにラナンは笑った。


「自分と、他人の、世界の…………? だから、俺つえーって叫びながら戦うのか」


「テメエなんかに負けねえよ、でもオッケー。あ、口に出す必要はないよ。強く念じられるなら、世界は強固になる」


大事なんだから、とラナンは告げた。自分の世界をかけての勝負というのは、。真剣勝負を幾度も見てきたラナンは、時には命のやり取りよりも重い結果が生み出されたと、遠い目をしながら語った。


「干渉も似たようなものだね。つまりは『俺ルールを喰らえ!』ってこと。こっちはもっと複雑で、教えるのは基本の強化が出来てからね」


「……あの男の、強化と干渉のレベルは」


「私の教えられる範疇はぶっ千切ってるかなー。もう1段階上に行っててもおかしくないよ」


ラナンが不安を煽るように告げると、セロの顔に気力が満ちた。素直だね、とラナンは感じつつも悩ましいものを見る目になった。


午後になって、剣を使っての指導が始まってすぐに、その顔は意外という表情になったが。対峙するアルセリアも気がついたのだろう、動きに驚きが混じっている。すぐに修正するあたり、斬り魔は斬り魔だったが。


(前に攻勢に出て粘ったのは、これが理由か。間近で、もっと見たかったんだ)


足運び、剣の持ち方、攻撃へ対処する基本。相手の動作を見極める方法も、素人丸出しで見ているのも恥ずかしかったセロの動きが、この短期間でステップアップしている。アルセリアの動きを間近で見て覚え、技術を盗もうとしたのだろう。未だ残る辿々しさを考えると、一人で深夜に練習でもしていたか。


寝不足のもう一つの原因はこれだね、ラナンは苦い顔になった。考えている以上に、セロの修行に対する姿勢が前のめりになっていたからだ。


(自分なりに戦い方を模索するのは最終的には正しい……だけど)


それは極める1歩手前になってからの話だ。自分の世界を率いて戦う以上、他人から教わった技術そのままを用いることはあまりしない。強化を得意とする剣士の類は特にそうだ。強化を極めれば、筋肉の繊維1本1本を意識できるようになる。肉体に個人差がある以上、他人の剣術をそのまま模倣する、というのは少々非効率になる。


だが、今の段階では早すぎる。無力な子供の域からは少しだけ脱しつつあるが、動きがめちゃくちゃだ。強化も使えているようだが、動きが練り上げられておらず、ラナンはセロの動きが獣のそれに似通っていると感じていた。


(……好きにさせるのもいいか。今はまだ探っている最中だろうし)


自分なりに考え、練り上げ、吸収していけばいい。使い手に向けての指導のスタンスは誘導ではなく介添の範疇に留めるというのがラナンの流儀だった。


何より、仇の男と対峙することを考えれば定石通りにした所で追いつかない。手取り足取り教えても規格の内に収まるだけ。ならば、と子供の柔軟な発想を活用することで、規格の外へ向かってくれるのならば。想像もつかない成長をすれば、仇が討てるし、長年抱いていた希望への鍵になってくれるかもしれない。


(だから、強くなりたいのなら、君自身が願うままに―――足りないのなら、その度に折るけど)


そこから立ち上がるだけの強さを、セロは持っている。ラナンがセロを鍛えようと思った理由はそこにあった。強く願えば願う程に、心石使いは強くなる。怒り、憎しみ、悲しみ、恐れが強ければ、世界はそれだけ変わる。


だが、無関係の他人を相手に焦がれるほど敵意を向けられるのか。芝居の技術を利用し、そういう技術を持っている者は数人居たが、例外なく心を壊して死んでいった。


セロは違う。既に、頂きに登り詰める決意を持ち合わせていた。邪魔をする者は、仇に準じる強度の願いをもって排除するだろう。肉体の辛さ、自分の弱音というものも障害と見なして。


(必要なのは、バランス………本当に手がかかる弟子ね)


だが、先が見えないというのは楽しみでもあった。今まさに、セロを斬ってしまってアタフタしている盟友の弟子と同じように。


地道にやっていくしかないか、と諦めのため息が仮の身体から流れていく。


―――それから、2ヶ月が過ぎた。


今日も寝不足なセロだが、大きく変わったことが3つあった。


1つは、完治した傷のことと生え変わった髪の毛について。見間違いじゃないと、セロは鏡に映った自分の灰色の髪をしゃりしゃりと撫で回した。


「え、髪が黒色から灰色に変わった? 変装する手間が減ったし、良いことじゃない」


「徹底的に燃やされたからだろうな。炭から灰になったという訳だワッハッハ」


2つ、謎の仮面剣士の冗談はちょっと笑えないどころか、殺意を覚えるほどにアレだったこと。いつか斬り返す、とセロは誓った。


そして3つ目は、自分の身長について。最初に気がついたのは、服の袖を見てのこと。妙に足りないな、と思っていた所に、膝に走る痛み。報告を受けたラナンは成長痛だな、と呆れた顔をした。


「というか、気がついていなかったのか? 既に4cmは伸びてるぞ」


動きにも影響が出ていると言われてようやく、セロは気がついた。模擬戦後、夜に一人で反復動作を行う際に、どうにも違和感を覚えていたこともあった。


これのせいか、とセロは自分の成長が嬉しい反面、悩みに悩んでいた。確かに、早く大きくなりたかった。ここ2ヶ月模擬戦で死にかけ続けたセロが学んだのは、身体の小ささが悪だということ。小柄の剣士にも利点はあるが、技術が同じならばやはり体格が大きい方が有利になる。


だが、大きくなる度に技の練りが甘くなるのだ。未だに仮面剣士との模擬戦は戦いの形にもなっていない。もっと無駄なく、流れるような動きで、と目の前の手本を真似ようとしているが、道は険しく遠い。そこに、身体の成長という要素が加わって難易度が格段に高くなってしまった。


果たして、どうすればいいのか。セロはその夜も一人で悩んでいた。


修行は中止にしていた。元より、悪夢を見たくないがために深夜でも身体を動かしていたのだ。眠るのは嫌だが、それが逆効果になるのならせめて身体だけは、とセロは寝床の上でぼんやりと座っていた。


「―――そんなことだろうと思ったよ」


聞き覚えのある声に、セロは慌てず振り返った。現れたラナンは手を上げて「よっ」と挨拶をした後、セロの正面に座った。


何のようだろうか。セロがぼんやりと考えている所に、ラナンはため息を浴びせた。


悪夢の話について、と問いかける。説明するのも嫌だった―――思い出せば、胸の内が痒くなるからだ―――セロは嫌な顔をしたが、師匠命令と言われ、しぶしぶと話し始めた。


修行の密度が高まり、気絶するように寝入ってからは、悪夢を見る頻度は減った。だが、決してゼロにはならない。最悪なのが、夢のみんなが平和なまま終わること。どうしてか、胸の中がぐちゃぐちゃになってしまい、起きてすぐに猛烈な吐き気が襲ってくるのだ。あの夜の惨劇を見たこともあったが、吐き気は少なく、逆に怒ることで修行への気力が充実していたのに。


セロが苛立ちと共に語ると、ラナンは笑いながら言った。


「それは未練だよ、セロ」


「……え?」


「正しく在りたかったお前の残骸だ」


素材の段階を越えられていないお前が抱える不純物だと、ラナンは笑った。


「覚えている内が花だという奴も居るけどね………ま、ヒントだけは上げよう。セロ、お前が成るべき復讐者の形って、なんだと思う」


「……正しい、復讐?」


「到達するまでの服装さ。憎しみの上に何を羽織るのか」


恨みがある、というのが大前提だ。そして、仇の命を山の頂きとしよう。そこに辿り着くために、どんな手順で、何の道具を用意して、装備を固めるのか。


「……ただ、強く願うだけじゃダメなのか? このまま努力を重ねて、重ね続けていれば」


「いつかはたどり着ける、っていうのは願望に過ぎない。それは甘えだよ、未熟者」


ラナンは優しい笑顔で告げた。何もかもが自由であることを。


「未練を持つのは正しい。捨てろ、って言ってる訳じゃない。ただ、睡眠時間の重要さは理解しただろう」


「……まあ、かなり」


「そこで、天秤の上に乗る訳だ。捨てるか、抱え込むかという2択が生まれる」


思い出に縋り、荷物を抱え込みながら上り続けることは正しい。なぜ復讐しようとしたのか、その原点を忘れないでいれば憎悪は強くなっていく。力も強くなるだろうし、思考の幅も狭くならない。迷い、曲がりくねった道の途中で有用な何かを見つけられるかもしれない。だが、昇るには長い時間がかかり、そのせいで心身は削れていくだろう。


思い出を忘れ、一直線に頂点を目指すのも正しい。身を焦がす復讐の念だけが己だと定義して直走れば、その愚直さが敵の喉を貫くかもしれない。周囲も巻き込んで、一塊の炎となって何もかもを踏み潰していくのも道だ。憎悪の炎に燃やされる苦しみから、早く開放されるかもしれない。


故に、ラナンは夢の光景が未練だと指摘した。忘れたいと願う自分と、忘れたくないと泣いている自分のせめぎあいだと。


「……師匠は、夢と復讐に詳しいんですね」


「前半は専門で、後半は見てきたからね。色々と。………辿り着いた者も居る。道半ばに力尽きた者も居る。逃げ出した者さえ。共通していたのは、自分が何者であるかを定義していたことだ」


己が正義だと、胸を張って復讐の道を踏破するのか。


己が悪だと諦めて、非道を尽くして呪いと共に殺すのか。


己が悪だと嗤い、目的のために悪逆の力を誇るのか。


復讐の道は長い。それが幸せであるとは、必ずしも断言できない。今のセロがそうだ。感じたことのない苦痛や疲労を何日も、何日も、繰り返して、繰り返して。その人生が幸いだったかどうかを幸福と不幸の時間の度合いで図るとするならば、あの夜に死んでいた方が断然幸せだった。


なのに、と望むものは覚悟と共に定まっていく。時には常識や道理にさえ反発して。ラナンは、それらの芽がセロの胸に芽生え始めていることに気がついていた。ちょっとした反抗心や、自分でやろうという意地の底に。


だが、まだまだ未熟だとラナンは指差し告げた。


「今はまだ決めなくてもいい。その内、決まっていくものだから。ただ、その思い出の処理の方法だけは早くすること」


「それは……修行が捗らないから?」


「面倒くさいからに決まってるでしょ。悩みを待つなんて悠長なこともゴメンだし……まあ、ちょっとした手助けはしてあげるけど」


ラナンは収納から直方体の物体を取り出し、それを片手に持ちながらセロの頭に手を乗せると、意地悪そうな顔で促した。悪夢の光景や、妹の顔を思い浮かべることを。


セロはどういう意図があるのか読めずに困惑していたが、言う通りにすることにした。途端、直方体が輝いていく。何事かと驚くセロの前に、直方体から2枚の紙が滑り落ちた。セロは訝しげな表情で拾い、表を見ると言葉を失った。


そこには、思い出の時間が映っていたからだ。


肩を組みあい、宴会をしながら笑っているみんな。リーダーの顔にパンくずが乗っている所まで再現されていた。


そして、アイネの。純白のワンピースを着ながら、天使のようにはにかんでいる妹の姿が映っていた。


セロは非常識だが夢のような力に驚いたが、それ以上に感動が。そして、付随する様々な感情の奔流に飲まれた。


ラナンは無言で硬直したセロの背中に向け、優しく告げながら立ち上がった。


「破るなり、大切にしまい込むなり、好きにすること」


中途半端だけは許さないと、ラナンは試験を伝えた。


内容は、一ヶ月後の仮面剣士との模擬戦で相手に本気を出させること。


「私に信じさせなさい。この時間が、無駄なものでないってことを」


できなければ、。ラナンは淡々と告げると、部屋を出ていった。そして扉の外に出ると待ち構えていたアルセリアを連れ、建物の外にまで出た所で振り返った。夜の中、もや越しに照らされた月の光の下で、ラナンはようやく口を開いた。


「そういうことで、よろしくね。今回に限りポーション代は私持ちで」


「……本気でやるつもりか? 現出の時間に関しても、無茶が過ぎるぞ」


覚醒から3年、それがアルセリアの知る現出までの最短記録だ。高純度の心石による感応でもない、偶発した覚醒であることを考えると、あり得ないと言ってもいい。


剣に関してもそうだ、とアルセリアは渋面を作った。現状ではまだ30%。今のセロは、アルセリアがそれ以上の力を出す価値がない程度のものだった。自分ならば、出来ないと答えるだろう。そんなアルセリアの訴えに、ラナンは必要なことだと、ため息を返した。


「2年が限界なの。それで現出―――安定に至らないと、心身の方が先に壊れるわ、きっと」


想像以上にセロが前のめり過ぎるのが原因だった。予定ではもっと乾いた性格になっている筈だったと、ラナンは苦笑した。悪くはないけど、と呟きながら。


「毎日折られてもへこたれないし、ね……成長速度は悪くないけど、まだまだ。だから、方法を変更するわ」


飴を与えて、それとなく行く道を教えて、期間を設ける。そうして無茶な目標を作り、段階ごとに試す。到底クリアできない難易度を与えることで、成長率はアップするはず、とラナンは期待をこめて、セロが居る部屋の窓を外から見た。


―――視線の先、建物の中、窓からわずかに月の光が入り込んでいる部屋の隅。そこで灰色の髪の下で黒い目を輝かせたまま、とある決意を固めるセロの様子に気が付かないままに。



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