6話:授業と修行と

「取り敢えずだけど、この街で覚えるべき組織は2つある」


隠れ家としてラナンが用意した廃ビルの地下の中央。ひび割れた床の上でセロは足を開いて中腰に、両手を前に突き出しながら頷いた。


「1つが、ギルド―――正式名称は大阪府下自治団体っていうんだけど、こっちはあんまり使わないね。構成員の数だけはダントツで、大阪府下全域に手を伸ばしてる。県外にも協力する組織が居るらしいわ。凍結復帰者リターナーからはハロワ、なんて俗称で呼ばれてるらしいけど」


手の先からぶら下げられた重りが、疲れによる痙攣で震えていた。セロの頭にはまだ髪の毛が戻っていなく、肌も完治していないため体温調節も不完全なせいで、汗だくになっていた。


「もう一つが、ユニオン―――正式名称は異世界統一勇者連合だけど、長ったらしいから忘れて良し。3つのカテゴリ、30のランカーから成る総数90人の少数精鋭の組織ね。文字通り、異世界出身者の血縁しか入ることができない。本拠地は北区で、大きな抗争や厄災級の魔物の出現に応じて出張ってくるわ」


太ももと腰がめちゃくちゃ痛い。セロは思うだけで口を出さず、顔をしかめながらも師匠の言葉に理解の頷きを返した。


「2つの組織の共通点は2つ、心石使いしか入れないということ。そして、相手が嫌いだってことよ。ま、設立とか過去の事件を考えると残当だけど」


「………残当?」


「残念ながら当然って意味。大昔の……なんだったかしら? ま、いいわ。次ね、次」


ラナンはすぐに切り替えて、様々な知識を広く浅くセロに伝えていった。足腰を鍛えられると同時、授業を聞きやすい体勢をさせながら。


先のセロの決意に対し、ラナンが師匠として出した回答は『ほんの少しの時間でも無駄にはできない』というもの。休憩している暇はない、それで壊れるぐらいならいずれ必ず絶対に死ぬ、という言葉にセロが頷き、今の状況となった。


「次、敵のことね。代表的なのは魔物。ランクは13までで、ゴブリンは最弱のランク1。10以上はとびっきりの5つ星ってことで、厄災ディザスター級とも呼ばれてる」


「最高で、13………それより強い魔物はいないんですか?」


「かもしれない、と言われてる個体が人類未踏破区域に。あとは、魔都・東京を半壊させた1体が確定で、死神級ジョーカーって呼ばれてるらしいけど」


それは、会えば生きては帰れない、死と同義の存在。未踏破区域に関しては会って即全滅だから発見者がゼロなのよ、とラナンは疲れた顔をした。


「というか、余裕そうねセロくん―――つまりは重量を追加して欲しいってことね!」


「ぐあっ?!」


ラナンは収納から取り出した30kgの重りをセロに乗せた。いきなりの事でバランスが崩れるも、セロはあと一歩の所で踏ん張った。


重りが地面に擦ったら罰ゲーム、と言われていたからだ。何をされるのか、尋ねたセロはラナンの笑顔を前に聞き出すことを諦めた。失敗することを先に考えるなら今ここで死ねばいいんじゃない、という意味だと受け取ったからだともいう。


「魔物の種類は色々ね。獣タイプもいるし、飛んでる鳥みたいな奴もいる。どこから出てくるのはさっぱり。でも、人間タイプならアンタでも見たことあるんじゃない?」


「……ゾンビ、ですか。死体が動き出す、っていう」


一度だけ、居住区外スラムで道に迷い、拠点から遠く離れてしまったセロはかつての仲間と見たことがあった。腐れて目も片方が垂れ下がって、蛆虫が湧いていて、どう見ても死んでいるのに動いているどころかこちらを襲ってくるのだ。


正式名称はジョンから教えられた、とセロが言うと、そういえばとラナンは尋ねた。


「間違いなく偽名ね。ジョン=ドゥってのは名無しの死体のことを指すから―――で、そいつも将来的には殺すつもり?」


「……会ってから考えます」


セロが持つ憎しみの度合いについて、あの惨劇を生み出した金髪の男へのものが深く重くなっていた。発端となったと思われるジョンも怒りを向ける対象ではあるが、セロにとっては付属品という印象が強かった。


「そう。で、魔物がどこでどうやって生まれるのかはあんまり分かってない。そこいらに出てくるし、狩り尽くしたと思っても復活する。時々だけど、変わった個体も出る。あと、共通している点は奴らも広義では心石使いってことね」


狩人の糧だ、とラナンは説明をした。個体差はあるが、魔物は体内に心石を持っている。強ければ強いほどマナの純度が高く、還元屋で高く売れる。中には武器、防具、道具類の材料にもなり、厄災級のものとなれば豪邸が建つほどの値段で買い取ってもらえる。


迷宮ダンジョンの中でも取れる場所があるらしいけど、そっちは後ね」


「……迷宮ダンジョン? 入れば絶対に死ぬ、っていうあの」


「あー、前のアンタなら嘘じゃないわ。使い手でもなければ即死よ。魔物の肉と一緒で、迷宮内では毒素が溜まってるからね……ウメチカ地下迷宮以外だと、入って1秒で死ぬんじゃないかしら」


カナリアー、とラナンが言うが、セロは意味が分からず首を傾げた。


「ま、そっちはおいおいとね。魔物に関しては幅広すぎるから、あとは実地で学びなさい。そして、どの魔物にでも言えることだけど、舐めてたら死ぬわよ」


心石使いは強い、ちょっとやちょっとの傷をものともしない、だけど死ぬ時は死ぬ。釈迦に説法だけど、前置いた上でラナンはセロの肩に腕を乗せながら、至近距離で告げた。


「決して舐めないこと。謙虚になりなさい、謙虚に。命は一つしかないんだから」


「……分かって、ます」


セロは重さ増加させんな一つしかない命が消えるだろというか殺してやろうかこのクソが、と内心で罵倒した後、頷いた。


「あとは、職業の話だけど……これは心石が安定してからね」


「……安定?」


「そ。使い手の新人が、ヒヨコから底辺にステップアップするためのプロセスは3つ。えいやっ、そいそいっ、産まれる~、ってな具合よ!」


「――――」


セロは考えた。何とも言葉にできない、この気持ちをなんと呼べばいいのか。しばらくして、顔を背けた。泣きたくなったからだ。


「それ、どういう反応………? ま、硬く表現すると、覚醒、錬成、現出の3段階。覚醒は精製、錬成は鍛造、現出は抽出とも言えるわ」


セロは考えた。さっぱり分からない単語ばかりで、こいつは何を言いたいのだろうか。しばらくして、頷きを返した。何となくだが、簡単だがアホっぽい言葉の方で意味は通していたからだった。


「ま、百聞は一見にしかずってね―――つまりはこういうことよ」


告げるなり、ラナンは優雅に手首を翻した。次の瞬間、上に向けられたラナンの掌に桃色に輝く石のようなものが現れた。


セロは、一目見るなり息を飲んだ。ただの石ではあり得ない存在感と、見るだけで息苦しくなるほどの圧迫感があったからだ。


「これが私の心石、夢色絡繰演劇帳ドラマティック・ドールプレイヤー


綺麗でしょ、というラナンの言葉にセロは素直に頷いた。そして、3つの言葉の意味も理解した。


精製が、体内に心石を生み出す第一歩。それを鍛え上げて大きくするのが、錬成。最後に、こうして取り出せてようやく最低限。だけど、名前はどこから来たのか。セロが尋ねると、ラナンは断言した。


フィーリングよ、と。


「生み出せるようになれば分かるわ。あと、仲間内でも心石の名前を聞き出すのはマナー違反だから。ネーミングの由来もね」


「それは、どうして?」


「固有の特別な能力に直結するから。ま、その辺りはおいおいと、ね」


「……」


セロは何となくだが、理解した。強化、干渉と教えられたが、それが全てとは言っていない。心石の名前が単純にそうだとは考えにくいが、何かがある。


一方で、セロは違和感を覚えていた。何がどうとは自分でも説明する自信がないが、見せられた石から感じるラナンなる根源が、女としか思えない何かを発していたからだった。


(外見は男だよな、どう見ても。………何がどういうことかは分からないけど)


それが能力というやつなのかもしれない。例えば、あの男が見せた炎もそうだ。普通よりも与える痛さを増やせる炎など、どう考えてもおかしい。プラスアルファの範疇に入るかもしれないが、何か違う仕組みがあるかもしれない。


疲労は限界に達し、視界が少し薄れて来ている。汗が入った目は染みて、開け続けるのも一苦労。そんなセロの内心は期待感に満ちていた。


―――楽しいのだ。何も尋ねても答えが得られない、虫のように働き続けるしかない日々とは違う。肉体を鍛える修行と並行してだが、新しいことを知る度に世界が広がっていく。いつしか、セロは身体の方の辛さも忘れていた。


ラナンは、目を輝かせて没頭するセロを見て、授業を続けた。普通ならば壊れるだろう。オーバーワークとして、筋肉が使い物にならなくなる。だが、心石使いの肉体の限界は常人よりも遠くにある。限界に限界を超えて酷使した上で無茶をすれば壊れるが、そうでなければ鍛錬の範疇に収まるのだ。


(それにしても、いちいち素直ね。素の性格がそうなんだろうけど……頭の回転も早い)


あの時不運に襲われなければ、自分以外の師に見いだされれば、それなりに有能で優しい青年に成長していたのかもしれない。惜しかったな、とラナンは内心でため息をついた。この大阪という街において、そういった人物は希少種になりつつあるからだ。


だが、そんな未来はもう無くなった。今のセロなる少年は、復讐に燃える一匹の鬼だ。どこまでいけるのかは未知数だが、自ら足を止めることはしないだろう。


(―――逆に考えれば、使える手段が増えるということ。お望み通り、徹底的に虐めてやるか)


ラナンは、仇の男の強さについてのみセロに説明していた。


受け継ぎに関しては、大正解なこと。代々鍛えて大きくなった心石により覚醒したゼノワなる男は、若干14歳とは思えない体格と能力を持っていること。今は成長期に入ったばかりのため、これからどんどん強くなること。まだ8歳であるセロが追いつくには、尋常ではない修行が必要になること。


総括して、ラナンは嘘偽りなく断言した。死ぬような、ではなく、死んでいないとおかしい程の密度で鍛えた所で勝てる確率は1%以下だということを。


(1%あるなら、と迷いなく頷いた―――ま、今までにも居たことは居たから驚かないけど)


前の弟子がそうだった。受け継いだ心石を持っていた、才能も十分だった、決意と共に修行に挑み、だけど途中で道を断念した。契約破棄とみなし、その全てを奪い取られるというのに、これ以上苦痛が続かないのならばと、玉無しな顔のまま死んで、なった。


セロに施す修行は、その時以上の厳しさになるだろう。ラナンは、汗だくで努力をするセロを見ながら、どうか落ちた屑にはなってくれるなよ、という願いをこめた視線を向けた。


(ま、武技担当のアイツ問題児の匙加減でもあるからなー)


即死だけはやめてくれよ、とラナンは祈った。



―――その3時間後、訓練室の床には血の池ができていた。中心には、突っ伏した少年が1名。痙攣する様を見たラナンが、ため息と共にポーションをかけた。


「ほい、治癒だ治癒。さっさとしろよーバカ剣士」


「……ラナン。これは、あれだ、ちょっと見どころがある殺気に応じた当然の結果というか」


言い訳をしながら、銀髪の仮面剣士の手が光った。治癒の光が、10秒。経過した後、死体寸前だった身体が跳ね起きた。後ろに転がり、距離を取る。そこでようやく正気に返ったセロは、自分の胸元を見下ろした。


「0点。赤点どころじゃねーぞ、ゼロだ、ゼロ」


ラナンはセロの行動のダメな点をあげつらっていった。


剣を手渡し、相手を仇だと思って戦えと告げたのが1分前のこと。模擬戦開始の号令と共に、セロのマナが高まったこと。不用意に全力を出したこともクソだが、力量差を弁えずに不用意に飛び込んだのがクソ以下の愚か者の行動だと、ラナンはこき下ろした。


「間抜けな犬が飛び込んだ所で、武術の覚えがある者には通用しねーの。お前の口癖を借りてこう言おう―――絶対にだ。奇跡が重なっても殺される、絶対にだ」


剣術、武術の類を鍛えた者、初心者であっても正面から力づくでどうにかするには、力量差が必要となる。そう説明した後、ラナンは復帰後の行動も拙いと床に転がっている剣を指差した。


「体術も教えてないのに、剣を放り出してどうするの間抜けサン? せめて抱えながら逃げるだろフツー。距離を取った所で攻撃手段もないお前が、どうやって戦いを続けるんだ、ん?」


「……っ!」


「いっちょまえにに怒んないの、未熟者風情が。………まあ、それはそこのアホ剣士にも言えることだけど」


ラナンはため息をついた。斬った所で薄皮一枚という手加減が理想だったのに、切り傷は内臓に届く寸前だったからだ。意味のない難易度は逆効果になり、修行の妨げになる。上手い具合に手加減できる人材急募、とラナンは遠い目をしつつも、言うべき所はきっちりと言った。


「ポーション代はツケねー。ああ、勿論800万のランク5のポーションもだけど」


「……それは少し酷いのでは」


「なに他人事みたいに言ってるんだアホ剣士。今のランク2・ポーション、10万は折半だぞ」


「なっ?! ら、ラナン、それは」


「お前にとっての修行でもあるって言ってんだよ斬り魔が。……どうしたの、続けて。まだ終わりだなんて言ってないよね?」


ラナンは怒りのあまり、若干だが素を出しながら続行を命じた。腑抜けた真似を見せたら、もっとひどいことになるがな、と呟きながら。


(……ま、完全に才能無し、ってことはねーかも。死ななかったし)


あとほんの少し、0.1歩でも踏み込んでいれば斬撃は内臓まで損傷していた。そうすれば、復帰は難しかっただろう。そこで終わるような間抜けは死んで当然だ、とラナンは見捨てるつもりだった。


偶然だったのかもしれないが、生死の境などそんなものだ、というのはラナンの考えだった。薄皮一枚とはいえ、それを乗り越えられるのかどうかは実力と時の運が絡む、100%の答えなどない、綱の上でのこと。


引き合い、乗り越え、生き残ることができるかどうか、その全ては個人の責任。故に力量差と自分の危うさに気がついた上で、どう出るか。模擬戦の観察を始めたラナンは守勢に回らないセロを見て「そう来るか」と小さく頷いた。


根が単純だからだろう、仇を思えという指示通りに眼光はギラついているが、足運びは先程より格段に慎重になっていた。足腰を鍛える馬歩をさせ続けたためおぼつかない足取りだが、投げてはいない。


一体、どういうつもりなのか。ラナンと同じことを見破っていたアルセリアは、悩んでいた。手加減や、指導するための剣など振ったことがなかったからだ。


意味がない、必要がないと捨てていたからでもある。だが、かつての師匠の同胞でもあるラナンに言い訳をした所で、通じる筈もない。アルセリアは悩みぬいた末に、師範はどうしていたっけ、と思い出しながら、ゆっくり、小手調べにと、剣を下段に構えた。すかさず、セロが踏み込んで遠間から突きを放った。


アルセリアは反射的に剣を横に払い、流れるような動きでセロの肩に向けて剣を振り下ろし、


「ぐっ!」


セロは間一髪で、手元に戻した剣でそれを受けた。完全には間に合わず、剣が少し肩口に食い込んでいたが、為す術もなく斬られた、先程の結果とは明らかに違っていた。


アルセリアは気にした様子もなく、今度は横向きに斬撃を放った。お手本のような動きで、それでも当たれば真っ二つになる威力で横薙ぎを払う。


ぴくり、とラナンの小指が動いた。当たれば即死は免れない一撃。それを、セロは必死の形相でしゃがみこむことで回避した。焦るあまり尻もちをつき、そこから横に転がり、距離を取る。命綱のように、両手でしっかりと剣を握りしめながら。


そんな状況が続く、模擬戦―――というよりは嬲り殺しに近い―――剣戟は数分の後、先程と同じ結果に終わった。血の池に沈み込んだセロを見たラナンは、アルセリアに向けてこれ見よがしに、盛大なため息を吹きかけた。


「そこの謎の仮面剣士……釈明は?」


「いや、ちょっと」


将来的には正体を隠すので、と渡された仮面の下で冷や汗をかきながら、アルセリアはごめん、というジェスチャーを返した。


「いや、ごめんってお前なぁ……」


「ちょっと、その……しぶとかったので、興が乗ってしまって」


「が、ぐぁ………」


数秒後、ポーションと治癒術を受けたセロが何とか立ち上がったものの、顔色は青白く。これ以上は無理だな、とラナンは終了を告げた上で付け加えた。


―――単純な剣の腕でもあの男は強く、天才の領域に片足を踏み込んでいる、と。


「それに比べてお前は………どう見ても才能溢れる、って感じではないな。皆無ではないが、控えめ?」


「そうだな………気持ちあるかも? っていうぐらいか」


「その初心者を甚振るなよ、未熟者」


出血のあまり反論も出来なくなったセロを置いて、ラナンと仮面剣士ことアルセリアの二人による虐めのような論評はしばらく続いた。セロは揺らぐ視界の中で、痛すぎる身体と言葉に耐え続けた。


だが、まだ耐えられる。そう考えていたセロが、最も辛いと感じたのは、夕食のこと。血が足りないからと、焼けた肉が出された直後、セロは口を押さえてうずくまった。


ラナンはその様子を見て、あの男を殺すんだよね、と笑顔のまま告げた。優しい声だった。


「奮発してランク2のミドルウルフの肉を取ってきたよ! 君にとってはご馳走、っていうか初めてじゃない? 焼けた肉なんて、食べたことないでしょう?」


太っ腹な私、とラナンは笑顔で告げた。


―――食え、と。


「血を取り戻すには、肉を食らうのが一番手っ取り早い。でも生肉だとお腹を壊すし、病気になる可能性が高い。それだけ体力と時間が失われる、修行の密度が減る」


正論を、ラナンは言う。心の傷を抉られ、蒼白になったセロに構わず、事実だけを告げた。


「ここみたいな田舎の地方じゃない、ちょっと大きな街に行けば屋台から焼いた肉の匂いがするなんて普通だよ。ていうか環状線使えないじゃん、鶴橋通る度にゲロるの?」


だから食え、とラナンは繰り返した。


「吐いてもいい、まずは口の中に入れること。……それともなに? 将来、君はあの男と対峙した時に弱音を吐くつもり? 『肉を焼かれるとトラウマ思い出すんで炎は使わないで下さい』とか」


ぷふっ、とラナンは嘲笑をセロに浴びせた。


セロの顔が、真っ赤に染まっていく。やがて、意を決したセロは焼いた肉を口の中へ。噛まずに飲み込もうとした所で、びくん、と身体が痙攣した。


―――それから1時間の後、ようやく食事は全て終わった。


ラナンは気絶するセロを水の魔術で簡単に洗い上げた後、片手で持ち上げ、寝床に放り込んだ。苦しみにもがいた顔が見えないよう、うつ伏せになるように。


そこに、アルセリアが現れた。部屋の中に広がる匂いから色々と察したアルセリア「荒療治にもほどが」と言いかけたが、途中で口を閉ざした。


ラナンは疲れた顔を隠そうともせず、椅子に座った。アルセリアも勧められるまま座り、しばらく無言の時間が過ぎていった。


その間、二人の間に流れていたのは、緊張感。耐えきれないように、アルセリアは問いかけた。


「―――徹底的に追い詰めるつもりか。その身体の持ち主のように」


「必要なことよ。強い想いがある人間は、すぐに順応するから」


生きているだけで辛いことは多い、それでも限度を超えなければ日々を過ごせる。比較になるのは、過去に経験したより大きな辛いこと。絶望を味わい、怪我が完治していない今の内だとラナンは呻き声を上げているセロを見た。


「実際の所、セロ少年の剣の方の才能はどないな感じ?」


「……最低限、あるにはあるかもしれない、というぐらいだな。精神力はそれどころではないと感じたが」


痛みへの恐怖は本能的なものだ。だというのに、斬られた直後で、逃げずに立ち向かえた。あまつさえは相手を観察、分析しながら慎重に、生き延びることを優先した。相手から決して目を逸らさず、対処に専念した。忍耐というにも、度が過ぎている。


使い手の肉体に限界はない、というラナンの言葉をアルセリアは話半分にしか聞いていなかった。肉体より先に限界が来るのは、いつも精神の方だからだ。そうでなければ、誰もが断裂するまで身体を鍛え上げている。広くなった世界を見回しても、そこまでの域に達せた人間を、アルセリアは見たことがなかった。


痛いのだ。辛いのだ。それを乗り越えるには、理由が必要だ。


(その理由を、この少年は持っている………違うな。文字通り、焼き付けられたんだ)


忘れられれば、別の道はあっただろう。それでも、と選んだのが少年の意志だとしても。アルセリアはそこまで考えた後、同情の念を抱くことは止めた。慈愛の心ではなく、一人の剣術家としての興味が勝ったからだ。


天から与えられた才能は、無い。せいぜいが秀才と言った程度。だが、このままラナンの元で修行の時間を重ねればどこまでいくのか分からない。それが、セロという素材に対するアルセリアの感想だった。


ラナンが提唱した、心折設計修行法。成長するたびに「才能無し」という評価と辛辣な言葉を叩きつけることで心を折って折って折れなくなるまで折り続ける、極悪非道の所業。


―――セロは、才能はある方だ。それが素直な感想だろう。だが、決して満足しないように。常に底の底まで頭を踏みつけながら、起き上がれと教え込む。『勘違い系修練法・地獄式』とかつての己の師が引きつった顔で名付けたこの所業を受け、最後まで乗り越えられた人物を、アルセリアは見たことがなかった。


(だが……乗り越えてなお、ゼノワ家の鬼子に届くかどうか)


そして復讐さえも乗り越え、自分たちの本命である“アレ”に抗う一手になれるかどうか。


まだまだ修行は始まったばかりで、分からないことだらけ。それを見届けるのも修行か、とアルセリアは苦しみのあまり痙攣し始めたセロを眺めていた。


「………あ、呼吸が停止した。ったく、手間がかかるよねー蘇生蘇生」


―――ダメかもしれない。


よっこらせ、と立ち上がる外道を越えた畜生ラナンを微笑みながら見ていたアルセリアは、色々と悟っていた。




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