5話:望むもの、決めた道
ラナンの思惑通りというか、上手い具合に乗せられたような。セロは一眠りした翌日、ぼんやりと天井を見上げながらそんな感想を抱いていた。
変な相手だとセロは感じていた。性別も分からない。街で見かけた、いつも女性を隣に連れていた男のように、整っているような、という顔立ちだった。茶髪で、それなりに背が高い、でも注意していなければ忘れてしまいそうなぐらい、影が薄そうな。
そんな印象は、口を開けば一瞬で無くなる。声だけが完全に女性のものだったからだ。それも無機質ではなく、聞いたことがない女らしさを感じさせられる程の。
違和感は、セロの中に少し混乱を産んでいた。昂ぶった感情も相まって、昨日の自分は本当にまともだったのかどうか。一晩経過して気づけたことだが、感情のまま、何も考えずに突っ走ったような会話をしたという自覚がセロにはあった。それが相手の言葉によるものが原因で、良いように操られていたという印象は拭えなかった。
―――それでもいいか、とセロは胸のもやもやを飲み干した。
どの道、縋るより他に道は無い。無いのだと、セロは確信していた。大人が嫌いな所は変わっていない。世界ごとぶっ壊れてしまえばいいのに、という想いが胸の中に燃え盛っている。だが、その想いだけで何もかもを覆せるのならば、あの戦いで自分は仇を討てていたと。
(俺に利用する価値がある内は、殺されないだろうから)
ならば、自分はその価値を高めるだけ。相手がどんな奴だろうが、利用されようが構わない。セロは、強くなれれば何でも良いと考えていた。
あれが嫌だこれは嫌いだと言ってみた所で、世界が自分の言うこと聞いてくれる筈もない。セロは浴びせられたものを忘れていなかった。弱ければ何をされても文句は言えないという現実も。
「それでは、早速授業にするねー。鉄は熱いうちに打てというし。何より、修行を始める前にハッキリとさせておきたい事があるから」
「……分かった」
故に全身が痛くてしょうがなかったセロだが、ラナンの言葉に頷くと、すぐに立ち上がった。これも強くなるためならば、と意を決し、叫びたく成る激痛をねじ伏せて両足で立った。
ラナンは、訝しげに声をかけた。
「いや、君……いきなり何やってんの? 授業だって言って―――ああ、そこからか。そういえばそうだったな、うん」
ラナンは一人で納得した後、身体を使った訓練はしないと着席を促した。セロは首を傾げながら、言われた通りに座った。ラナンはため息を吐くと、スラム育ちの弟子は初めてだな、と面倒くさそうに説明を始めた。
「まず、私。ラナンという名前を外では呼ばないこと。そうだな、先生……いや師匠と呼べ。こっちもそれらしい口調に変える。あと敬語も忘れるな、返事はうんじゃなくて“はい”ね」
「はい、師匠。……なぜセンセイではだめなんだ?」
「敬語! あと、先生は先に生まれると書くから。君、そういうの大嫌いっぽいし」
セロは深く頷いた後、素直に答えた。
「敬語、というのはちょっと分からない。先輩がやっていたことから、真似事はできるけど」
「おいおい覚えていけばいいよー。覚醒者は記憶力も跳ね上がるからね」
今までの弟子の傾向を元にラナンは説明をした。使い手となる前と比べて明らかに記憶力、理解力の両方が上がった経験を。
「それがレッスン3、ってやつですか?」
「基本中の基本だから数えなくてもいいよー……そもそも昨日に言ったレッスン1と2も、咄嗟の思いつきだし」
小さな声で、ぼそりとラナンが呟いた。それを聞き取ったセロは不安になった。使い手は本当に頭が良くなるのかな、と。
「……無自覚に聴覚も強化してるか。こりゃ、基本の覚醒段階は完全に超えてるね」
荒療治だが、それだけに成果はあったのかも。ラナンが頷くも、セロは首を傾げるだけ。何を言っているのかも、自分に何が起きてどうなったか、未だに自覚がないためだった。
「ちぐはぐだねー。でも、そうか……まずは心石の基本と、修行の方針の説明から入ろうかな」
ラナンが手をかざすと、大きな白い板が部屋の中に現れた。セロはいきなりのことに驚き、目を見開いた。信じられないとラナンと、出てきたものを交互に見た。
「い、まのは……いったい、なにが、どうやって」
「収納の公式を利用したもの。一応は基本の……技に分類されるのかな? 使い手なら結構使える技法の一つ。で、これはホワイトボードって言って、文字とか絵とか書いては消せる授業のための道具ね」
説明するなり、ラナンは『心石とは』とホワイトボードに黒いペンで書いた。だが、セロからの反応が薄いことに気がつくと、何事かと考えこんだ後に、石のような物を描いた絵を横に書いた。
「心の、石。だから心石ね。スタイン、と呼ぶ者も居るけど」
「心、の………いし。………いし?」
セロは自分の心臓を押さえた。その答えに、ある意味では正しいとラナンは答えた。
「心石。300年前の大空白からの大変革、その際に飛び散った原世界の欠片とも言われているけど、面倒くさい話はしない。重要なのは、この石に含まれる成分にある」
ラナンは石の周囲に点、点、点を書いて、石へと矢印を向けた。
「異変が原因で、世界中に飛びった目に見えない“もの”。それが、心の石の源となる何か―――元素と結びつけた学者が“心素”と呼び、一般的な名称になったらしいね。お伽噺とか、空想の物語とかであったらしい、それっぽい名称から“マナ”とも呼ばれてるの」
想像もつかない何かが起こった結果、
「無意味にこき使われてた訳じゃなかったのか……でも、微量?」
「うん、廃墟に転がってるのは本当に少しだけ。だから、普通の人間がそこいらの石を持った程度じゃ、絶対に覚醒しない」
ラナンは石の隣に人間の絵を書いた。交互に矢印を伸ばし、結ぶ。石の方を黒く塗りぶしながら。
「“心石使い”―――自分の中に自分だけの“石”を作ることができた者を、そう呼ぶの」
ラナンは人間の中に、丸い石を追加した。そして、周囲の点と線で結びつけていく。
「周囲の心素を取り込み、あるいは自分で生み出せる。心素を媒介にして、あらゆる超常現象を可能とする………って言葉は難しすぎるか。ま、つまりは望んだままに何でもできるってことだよ」
力を強くしたい、大きくジャンプしたい、切りつけたい殴りたい、火を起こしたい水で流したい。乱暴だが、と前置いてラナンは断言した。結果から言えば全てが可能であることを。
「大きく分類すれば、“強化”と“干渉”の2つね。それが代表的な能力と言われている。極めればまた違ってくるけど、今はこの2点だけをとにかく覚えること」
1+1は2だ。作用する衝撃は速度の二乗に比例する。酸素が少なければ火は燃えない。色々と絵を追加した後、ラナンは面白そうに告げた。
「速く、強く殴ればそれだけ威力が出る。でも、心石による強化と干渉は、この常識を示す式にプラスアルファができる。例えば酸素が無い場所でも、見上げるほどの焔を。使い手がそう望んで然るべきプロセスがあれば、ね」
ラナンは説明した後、セロに質問をした。石を使えば、どんな事が可能になるのか。突然問われたセロは驚き固まったが、少しだけ考えた後に、焦りの中で答えた。
「い、色々と便利な力…………? いや、すこし………違うかもしれないけど」
「なに? 直感でもいいから言ってみて」
「何かを付け足すだけだから………殴る力を強くすることはできても、殴った相手ごと消し飛ばすとか、投げた石で相手を消し飛ばす、とかはできない。力不足なら、結局は―――」
「―――その通り。80点だね」
地頭は悪くなさそう、とラナンは嬉しそうに続けた。
「大体だけどあってる。そう、あくまでプラスアルファなんだ。あまりに常識から遠くかけ離れた現象を起こすことはできない。成功させるには、相応のマナが必要になるからね」
「やっぱり、そうか………単純に力が弱ければ、強化した所でたかが知れてるんだ」
殴り返された自分のように、投げつけた石のように。情けなさにうつむき始めたセロは、そこで気がついた。自分が引き起こしたことについて、そもそも使い手じゃない自分がどうしてあんな力を出せたのか。
顔を上げたセロに対し、ラナンはホワイトボードに描いた人間を指し、お前もだ、と告げた。
「本来は、高純度の心石を媒介にして素質を叩き起こす。あるいは代々受け継いでいくか、そのどちらだけど………セロのケースは珍しいね。高ぶり極まった感情で、強引にほじくり返すなんて」
そこら中に転がっている屑石を媒介に、強く、強く、強く―――例え何がどうなってもと全てを放り投げて
小さな子どもと、点のような小さい石を結びつけて、円で大きく囲った絵を。
「あまりにも
題して、『復讐までの遠い道』。ラナンは告げるなり、砂つぶのような小さな点の横に、大きな弧を描いた。ホワイトボードの隅に、円を半分で切った絵を3つ。
「この絵をヒントに、考えよう」
―――1つ、復讐を果たす相手のこと。
―――2つ、その目的を遂げるための方法、手順について。
一晩、休憩がてらだけど時間をたっぷりと上げるから、よく考えてね、と。
真剣な表情で告げるラナンの言葉で、授業は終わった。
その日の夜のこと。セロは慣れない寝床の上で天井を見上げたり、寝返りをうったり、うつ伏せになりながら考え続けた。
相手と、復讐について。あの金髪の男に何を求めるかは、既に決まっていた。
だが、方法と手順を考え始めた所でセロの思考は進まなくなった。どれほど強いのかは、セロはその身を持って思い知らされたからだ。それでも、諦めるという選択肢をセロは持っていない。
だが、隔絶した強さを持っている相手に、何をどうすれば復讐できるのか。セロはしばらく唸った後、がばりを身を起こした。そしてホワイトボードに残った絵を見るなり、呟いた。
「……そういうことか」
軋むほどに強く、セロは歯を噛み締めた。答えに繋がるヒントは絵だけではなく、それまでの会話だけではない、昨日に話した内容にも散りばめられていた。話を思い出しながら絵を見れば、何となくだが繋がってくるのだ。
(半分に切られた円は、敵の強さ。ボードの中に収まらないぐらい、奴は強い。複数あるのは………強い奴には仲間が集まってくるとか、そんな理由か?)
強い奴は、頼られる。利用しようという者も居るが、その力で守られたいって思う者も。街での経験や自分の考えを付け足したセロは、そこでラナンの言葉を思い出していた。
(覚醒には2種類。その内の、受け継ぐっていうのは………例えば師匠とか、先生とか、仲間―――違うな、親だ)
心石を親から引き継ぐと、強くなるのではないか。それが前提なら、とセロは敵がどうやって育ってきたのかを考えた。
(強くなれる場所で、強くなれるように才能と素質を与えられ、強くなれる時間を他人よりも多く過ごした………親の友達とか、仲間とかと一緒に)
自分のように、仲間が居るかもしれない。頼れる先輩が、教えてくれる人間が。
(そういえば………入り口の扉は切られていた。2階のように焼かれていなかった。おっちゃんは火傷で死んでたけど、入り口を切ったのは別の奴?)
あれだけの事をできる仲間が居ると確信し、セロは舌打ちをした。
複数の意味。そして、ホワイトボードに円が半分しか描かれていなかった理由に対して思いつき、舌打ちをした。
(全部を入れなかったのは、師匠にも奴と、奴の仲間がどれぐらい強いのか分からないから………?)
次に具体的な方法は、とセロは考えた。あの絵で言えば3つの強い敵をまとめて潰せるぐらいに強くなれば良い。すぐに強くなって、相手を上回るぐらい。
セロは呟き、自嘲した。心石の話に繋がるからだ。あまりにも現実から離れた事は、不可能である。なら、どれぐらいの時間をかければ強くなるのか。
(って、時間? そうだ、時間がかかるんだ。まだ俺の身体は小さいし、筋肉もない。ある程度、成長するまで待つしかないのかも。でも何年待てば、修行をすれば、小さな点の俺が、大きな丸になれるぐらい………)
そこで、気がついた。気がついてしまったセロは、そういう事か、と俯いた。
そうして、翌日。
やってきたラナンに、寝不足のセロは一晩考えてまとめた回答を話し始めた。
「“奴”は……仇の相手であるアイツは、あまりにも強い。そして、これからまだまだ強くなる」
「へえ……その心は?」
「俺だけが成長するんじゃない。修行には時間が必要だと考える。奴と命のやり取りができるようになるまで、数年はかかる。数ヶ月とか、そんな短期間でアレに届くはずがない」
自分だけではない、敵も強くなる。会話の中で、セロは仇の男に自負のようなものがあると感じ取っていた。自信のある男が、怠けて弱くなると考えるのは間抜けのすること。それを希望して挑み、敗れることは何よりも許せない。
「―――そう、許せない。甘く見て、届かなくて、結局は焼き殺されるなんて」
一度負けて、死ななかったのは奇跡的な偶然だとセロは確信していた。二度目を期待するほど愚かなことはないと、拾った命を確かめるように、セロは強く拳を握りしめた。
「ちょっと……子供の思考じゃないかもね。あるいは、スラムの子供だからかな?」
「そんなこと、知らない。ただ、死んだ親から教わりましたので」
最後まで考えて、最後まで生きることを諦めるな。セロは言葉の通り、一晩中考えに考えた。冷めやらぬ煮えたぎる感情を抱えたまま、言葉の裏の裏まで掘り起こし、思考を重ねた。
ラナンも、セロの様子からそれを見抜いていた。親の遺言は予想外だが、人間には目と目を合わせるだけで分かることもある。長年の経験から確信していたラナンだが、『これも儀式か』と問答を始めた。
(極まった怒りと憎しみは容易く人を変える。焦げ付いた傷が癒えた所で、記憶は治らない)
セロは眠れなかったのか、眠らなかったのか。ラナンは問わない。忘れられれば、楽だったのかもしれない。それができない、人を想える人間であったからこその覚醒とも言える。
分かっていたけど、とラナンはため息をついた。昨日もそうだけど、一昨日ともまるで違う、別人ね。そう呟きながら、ラナンは問答を続けた。
「奴が強いと、そう確信している理由は?」
「あの夜、無駄に偉そうだったから。あと、俺が反撃しようとした時にかなり怒ったことから―――親か、誰かから大きなものを受け継いでいる。その上で努力を重ねているから、それを傷つけられて怒ったんだって」
「正解だよ。じゃあ、まだまだ成長すると思ったのは?」
「奴が怠ける姿が想像できない。奴にはスラムにまで連れ回せる仲間がいる。多分だけど、競い合う誰かがいる。教えてくれる師匠がいる」
「それもイエスだね。アイツの家はかなり代を重ねた名家なんだ。付き合いも多いし、本人の評判も高い。環境、才能ともに完璧に近いね。今までも、これからも」
「だから、仲間が多い。無防備に探しても、仲間か身内に悟られて、返り討ちにされるかもしれない。怪しまれれば、スラム出の俺は対抗できない。よってたかって袋叩きに合って、それで終わりになる」
「イエス、だからこそ解せないんだよ、弟子くん? そこまで考えられるのなら、気がついただろう。復讐の形は一つじゃない。相手の嫌がらせに徹する、評判を落とすのもまた一つの道だ。長く、地道にっていう方法もある。君自身も力を付ければ変わるだろう。色んなものが手に入るかもしれない、贅沢だってできるかもしれない、それでも―――」
「俺はそれを諦めと呼ぶ。そう、決めたから」
セロは考えた。
―――手を抜いて、道半ばで死ぬことを許さない。
―――甘く見て、間抜けにも殺されるのは裏切りだ。
―――妥協して、本当に望んだことから目を逸らすことを逃げと定義する。
一緒に過ごしたかった人はもういない。
だから、強くなる。色々な意味で強くなる。
「力を付けます。必要ならば、道連れにする仲間も。駆けずり回って、考えに考えた方法と手順で俺は俺の復讐を果たします」
「……そう」
「はい。だから、苦しんで死んだみんなに誓って」
一時の想いではないとセロは笑う。
最後が忘れられない。焦げ付いた肉の臭いが離れない。苦しんで死んだ顔が焼き付いている。何よりも、炎の中で叫び苦しみ踊るように死んでいったアイネの最後が、セロの心に焼き付いて離れない、思い出すだけで全身の血という血がのたうち回る。
抗おうなどと考えもしない、正しいものだと自分自身が吼え猛っている。
故に、だからこそ、どうしようもなく、希うままに。
何も考えず、感情が勝っていた一昨日は違う。相手のこと、厄介さと強大さ、とてつもなく遠い道のりと認識した上で、血に塗れた頂き挑むからには、言わないのは卑怯であるとセロは考えた。
セロは小指を前に出しながら、目指すと決めた意志を示す最初の
「奴を殺してやる――――――絶対に」
――それが、
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