4話:誓い



かわいい、愛おしい、いつまでも見ていたい青い髪が目の前に。


大丈夫だったんだな、と頭を撫でる。壊れないように、優しく。


なのに、ごっそりと抜け落ちていく。


灰になって、灰になって、灰になって。


風が吹いた後にはもう、何も残っていなかった。












「っ!」


自分の悲鳴で飛び起きる。途端に襲ってきたのは、全身が刺されるような激痛。ジロウは無言の悲鳴を上げながら、天井を眺めることしかできなかった。


動けないまま、分針が一回り。そこでようやくジロウは、今の状況がさっぱり分からないものである事を理解した。


自分の身体と頭に巻かれている白いものがなにか分からない、見たことがなかった。背中に敷かれ腹の上に置かれた白い布の柔らかさにも覚えがない。ただ、口の中に広がっている屈辱の味だけはよく知っていた。


(……違う)


絶対に違う、とジロウは拳を握りしめた。胸の中に渦巻いている、この途方もない怒りの塊。言葉になんて言い表せないと、痛む身体を震わせた。


自分は、負けたのだ―――負けられない仇討ちだったのに、どうしようもなく無様に負けてしまった。その後は焼かれるままに死んだ。なにをどうした所で助かるはずのない火傷の最中だったのに。


ぼんやりとした意識の中で困惑が深まっていくジロウだったが、すぐに目の焦点が合った。生きているのならやることは決まっているとばかりに、強引に身体を起き上がらせた。


身体中に走る激痛に挫けそうになるも下唇を噛みながら耐えきって、溢れそうになる涙を拭き取り、立ち上がろうとしたジロウの耳に拍手の音が届いた。


「早速動くか、そうでなくちゃね。―――さて、少年。質問があるなら聞こうじゃないか」


言葉を向けられたジロウは、眉を潜めた。


座りながらこちらを見ている者の外見――――どうみても若い男。だというのに、声だけは間違いなく女性のものだったからだ。


どう考えても怪しい。そして、大人だ。ジロウはそれとなく周囲を見回した。出口、この場所、逃走に使えるもの。何とか逃げ出すことができれば、と考えたジロウにため息がかけられた。


「ああ、なんという恩知らず! わたしが、このわたしが治療しなければ君は間違いなく死んでいたというのに……!」


男は空になった瓶を片手に、泣き真似をした。ジロウはその仕草ではなく、かけられた言葉と瓶に反応した。そんな様子を察した男が、ちらりと横目でジロウを見た。どういったつもりなのか。困惑しながらも、ジロウは問いかけた。


「……僕を助けた理由は」


「役に立つと思ったから」


「その瓶……もしかして、ポーション?」


「うん。クラス・5のポーション、お値段は800万イェンになります」


予想外の返答に、ジロウが絶句した。


男はそれを無視して「当たり前でしょ」と呆れた目で答えた。


「あのクソ御曹司の炎術のクソっぷりはクソ以上……以下? とにかく厄介でね。ただの火傷じゃ収まんない上に、君はもう、あれだ。全身が火事でボーボーだったでしょ?」


お高いけど、それぐらいないと治療の取っ掛かりも得られなかった、だから使った。説明を受けたジロウは、理路整然と答えられて更に困惑した。理由が分からなかったからだ。役に立つと言ったが、800万もの価値が自分にあるとは思えない。他に何か、と考えた所で激痛が再びジロウを襲った。


「あー、もう寝てなさい。どうせ治るまで動けないし、ここで無茶しても死体になるだけヨ? 髪の毛どころか、尻の毛まで焼けちゃったんだし」


「ぐ………っ、ほっといて、くれよ。勝手に助けて、どういう………っ!」


「じゃあ聞くけど。金もない、仲間も死んだ、服も燃やされて全部すっからかん、体力さえ尽きる寸前。―――全てを失った君が、いったいどうやってあの男を殺せるのさ」


呆れと冷たさが混じった声。ジロウは、心臓を刺されたかのように身体を震わせた。


図星だった。何もかもが、消えてなくなった。何もかもだ。言われたことも、未来でさえも。


殺せるのか、という問いにも頷けない。何がどうなったか分からないが、考えられないほど力が湧いて、硬いコンクリートまで壊せるぐらいの、これ以上ないというぐらいの手応えの一撃。全てをかけたが、あの男にとっては蝿と変わらなかったのだ。


ふらりと、ジロウの身体から力が抜けた。呆然と、仰向けになったジロウは幽鬼のような表情になっていた。生気の全てが消え失せたそれは、能面のよう。


その顔に、ふわりと布が被せられた。


「唯一、現場からそれだけは回収できたんだけど………要らなかったかな?」


真っ白なそれに、ジロウは覚えがあって。


爆発するように跳ね起きたジロウは、男を睨みつけた。


「質問に答えてくれるといったな」


「うん」


「なら―――僕たちが襲われた理由は」


「強いて言えば見せしめ? ま、モノトーン・ギャングが子供達を兵士に仕立てあげようとか、売買しようとか、そんな感じだったらしい」


「なんで、僕たちが」


「街の人間にとって邪魔だったから。スリに恐喝、窃盗をする子供たちのチームも居たからね」


「それは、僕たちがした事じゃない!」


「街の人は把握してないね。ていうか、知ろうともしてないよ、同じくくりで見てるんじゃないかな? どこの誰が石を拾っているか、街で悪さをしているか興味がない、彼らにとっては全てスラムの子供たちだから」


「ふざけんなよ!!」


叫び、ジロウは立ち上がろうとした。その直後に、足をもつれさせて頭から倒れた。ジロウは膝立ちの姿勢のまま起き上がれず、頭を地面に擦り付けた。切り飛ばされた服の、腕の部分の切れ端を両手に握りしめながら。


「なんで、どうしてなんだよ……? 俺たちがんばったんだよ、街の人に迷惑かけようだなんて思ってなかった! それを、ゴミ……? 盗人ってなんだよ、お前たち大人の方がよっぽど罪人だろうが!!」


泣き叫ぶように、ジロウは繰り返した。


「腹が減るんだよ、苦しいんだよ……でも助けてくれないんだ。しようとした奴は死んだ、見たことがあるんだ。不要なゴミは処分される、それがルールだからって!」


溜まりに溜まった不満。ジロウは世界に対する呪いの言葉を吐き続けた後、悲しみに身体を震わせた。


「せいいっぱいだった。生きてたんだ、死にたくなかったから………仕事をして、必死で、毎日毎日毎日みんな、一緒で………!でも、どうしてだよ、何でみんなが、アイネが! 何であんな死に方をしななきゃならなかった! いっつも上から見下して、勝手な屁理屈を押し付けやがって!」


クソが、クソが、クソが、と繰り返す。布を抱きしめるようにうずくまり、繰り返した。涙で地面が濡れていく。


男は、何も答えない。ただ、うずくまるジロウに問いかけた。


「………それで? うずくまって四つん這いの情けない負け犬さん? そこで泣くだけで終わるつもりなら、見込み違いだったということになるが」


男の言葉に、びくりとジロウは身体を震わせた。みしり、と肉が軋む音。


ジロウは涙が張り付いた顔を上げ、怒りの形相で男を睨みつけた。


「どういう、ことだ。見込みってなんだ」


「その前に一つ、勘違いを訂正しておこうじゃないか―――あの投石の一撃は見事だったぞ」


威力ではない、タイミングが完璧だった。私が目をつけた点はそこにあると、男は笑った。


「頭おかしいな、君。敵を油断させるためとはいえ、あの炎を見た上で態と受けたな? そして耐えきった。正気さえ失う聖朱の炎クリムゾン・レッドの一撃の中で」


目を疑ったと、男が笑う。


―――ジロウは、笑みの理由に気がついた。


そして男も、ジロウが気がついた事に笑みを重ねた。


「見てたのかよ……! なら、なんで」


「死体が増えるだけだから! というか、何で私が命がけで君を助けなきゃいけないのかな?」


率直な正論にジロウが押し黙る。それを見て、男が今までとは質の違う笑い声をこぼした。そこで納得するのか、と予想外な表情で。


「まあ、死なせるには惜しい素質持ちだと思った。助けた理由はそんな所さ。その上で、話を戻そう。これ以上ないタイミングとはいえ、通用しなかった。その理由が君に分かるかな?」


「……あの男は、成り立てと言っていた」


「正解。つまりは―――修行が足んないね、ってこと」


男は、順番に指を立てていった。1、生まれが違う。2、才能が違う。3、重ねてきた努力の量が違う。4、石なんて脆いものを使ったのが悪い。


「そして5、心石スタインのなんたるかが分かっていない……これが一番かな」


「………心石スタイン?」


「そう。戦技者と呼ばれる者が最低限持っている、これさ」


男は緑色に輝く石を無造作に取り出した。いきなり現れたように見えるものに、ジロウは驚き戸惑った。見たことも聞いたこともないものだったからだ。


「それは、一体……どういったものなんだ?」


「世界の欠片、と呼ばれているね。人によっては違うけど」


空の破片、異次元からの贈り物、一握りの宇宙、神々の怠慢。知られている異名を並べ立てた後、男は告げた。なんでもできる魔法の石だと。


「主には強化と、干渉が可能になる。極めて多岐に渡るけどね。一度繋がった君にも覚えがあるんじゃない?」


「……まあ」


例えば、居住区外で出会った強い狩人。ジロウは何をどう考えても筋肉だけでは説明できない者の戦いを見たことがあった。ジュツなるものもオカシイ。深く考えても分からないためそういうものだとジロウは思い込んでいたが、ある日いきなり炎が出せました、というのはあり得ないように感じられた。


「それはおいおい説明するとして……今、あの男に挑んだ所で焼死体が増えるだけだってことは分かるね? そもそもどうやって見つけるの? 服どころかケツの毛さえ無い君が、全裸で街に入ったら門番さんに即アウト判定受けるよね?」


畳み掛ける言葉に、ジロウは沈黙した。男はなおもジロウを正論でぶん殴り続けた。


「そもそも、ポーション使わせといてじゃあ、っていうのもひどくない? 君が嫌う無責任な大人がすることじゃん。なに、自分はいい俺さまカッケーだから許せって? どれだけ自惚れてんのかな、はー恥ずかしい」


ジロウの目が腐乱死体のそれに変わっていく。でもまあと、男は笑顔で肩を叩いた。


「そういうこと、少年ならしないよね? ―――そのために鍛えてあげるんだから」


「………なんで、僕なんかを」


「普通の弟子だと壊れる前に逃げちゃうから。根性なしだよね?」


探していた、と男は小さく笑った。全てを無くして、なお立ち上がろうとする子供を。明確な目的を以て目標に向かうことを期待させてくれる人材を。


(そして、最後の最後まで諦めずに頭を使って戦いに挑める才能を……連絡をくれたあいつには、今度とびきりの飯でも作ってあげよう)


男は口には出さずに、待った。ジロウはその様子を、じっと見つめ観察した。笑顔は演技ではないように見えるし、話の筋も通っている。嘘がないように見えるが、前例がある。優しいと信じた大人にこっぴどく裏切られたのがつい先程の話だ。


断るのはあり得ない。それでもと、ジロウは男を正面から見据え、問いかけた。


「―――名前を。本名を聞かせて欲しい」


「うん、私の? ……ま、名前ぐらいならいいか。私の名前はラナンよ、少年。そして、レッスン1。相手に名前を聞く時は、先に名乗るのが礼儀」


「……分かった。僕の名前は――――」


「で、レッスン2。復讐を誓うのなら名前を変えなさい。万が一があるから」


あの男が覚えているとは思えないけど、という言葉に遊びは含まれていなかった。成程、とジロウは頷き、それまでの名前を捨てることを即断した。それほどまでに難しいのだろう。雰囲気から、道の遠さをジロウは察していた。


未練はなかった。何もかもが消えたからだ。かつてのジロウが守ろうとしたもの、目指していたもの全てが灰になって散っていった。残っているのは自分の身体と、あのビルの中で過ごした思い出だけ。


―――別の道を目指せばいい。復讐をした所で帰ってくるはずもない。そう、賢い自分が語りかけてくる声をジロウは聞いた。


躊躇なく、その思考を切り捨てる。脳裏に焼き付いて離れなかったからだ。


仲間の死にゆく様と、アイネの最後。そして、あの金髪の男の言葉と視線。思い出すだけで、全身が沸騰して頭の中が真っ白になっていく。


途方もない質量として全身に散らばっているこの感情をなんと呼ぶべきか。殺意と言う表現でも足りないコレを捨てて生きられるとは思えないと、ジロウは小さく笑った。


1からの出発だ。ならば、とジロウは名乗った。


「レイ………違うな、ゼロ。なにも持っていないからゼロ、それでいい?」


「勘違いされるし、ちょっと元の名前に似てるから却下よ。それに、復讐というものはもっとスマートにするものだから」


怨めばいい、憎めばいい、だけど感情に踊らされず、最後の刃を仇に叩き込むまで決して濁りきった殺意を外には漏らさないように。


そう前置いて、ラナンは告げた。


「―――セロ。セロと名乗りなさい、復讐に燃える少年。あと、僕もやめて。なよっとしてる男は舐められるから」


「分かった―――僕は、違う。俺は――――セロ。セロが、俺の新しい名前だ」


セロは繰り返し、名前を告げ。


本題だとラナンに告げ、セロは問いかけた。


「ラナンは………僕に隠していることがある。嘘をついていることがある。利用しようとしている。ただ、鍛え上げようとしているだけじゃない。間違いはないよね?」


「ええ、3つとも大当たり! ま、よく気づけたと褒めて上げようかしら」


「要らない。ただ、一つだけ約束して欲しいことがあるんだ」


人差し指を向けながら、セロは告げた。


「『復讐の邪魔になるようなことだけは、一切しないこと』。これを守ってくれるなら、俺はなんだってするから」


「……分かったわ、ここに誓いましょう。第三者を利用してとか、しゃらくさい真似も一切しない」


直接的な手助けはしないが、復讐への障害にはならない。


ラナンは小指を出して、セロに告げた。


「ゆびきりげんまん、ってね。ほら、こうやるの」


「………分かった」


二人の小指が重なる。


ただし、とラナンの表情が物騒なものに変わった。


「どれだけ辛くとも、修行の途中で逃げれば殺す。あんたが想像する以上の地獄を見せた上でね?」


「それこそが、俺の望む所だ」


小指が離れ、代わりに笑みが結ばれた。


どちらも濁りきった瞳で、それを憂う様子もなく。



「ということで、大人しく寝ときなさい」



素早い手刀が一閃。予備動作さえ見えなかったセロは呆気なく意識を失った。


その夜、ラナンは問題の現場を訪れていた。生命の全てが炭化し、灰になった死体が残っている惨劇の跡地へ。


入り口で戦友と合流したラナンは4階にたどり着き、目的のものを見つけ出していた。


「……ラナン。これ、まさか」


「ええ、アルセリア。石とはいえあれだけの威力、もしかしてとは思ったけど」


強化した嗅覚、視覚、探知の術式全てが証明していた。最後に放たれた投石の威力が、あの男の皮膚をほんの0.1ミリでも傷つけるまで至っていたことを、床の小さな血痕は物語っていた。



勇者連合ユニオン、カテゴリ・レッド、現ランキング28位―――いえ、将来は確実に三指に届くであろう逸材、ゼノワ・ハイ・シェール」



誰が信じるだろう、成り立ての少年がたった一人。策を凝らしたとはいえ、あの男が数ミリでも傷を負わされるなど。


同時に、ラナンは焦げた床を見た。


この部屋で



「………その優しさは一体誰のために、か」



寂しそうに、悲しそうに、問いかけるラナンの声に答える者は誰も居らず。


今日も神の不在を示すかの如く、星の消えた夜の空は暗澹たる気配のまま、蓋をするようにそこに広がっていた。




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