第10話 ピエロの男②


 噴水の前に優雅に腰掛ける、そいつの顔にはピエロの面。



「お前ッ!!」


「あれ、怒った?」


「当たり前だ!!」



 無差別に人を殺す奴相手に、怒りがわかないわけないだろーよ!!



「リクくん、知り合いなの?」



 怯えた表情のノアが訊ねる。



「ギルド対抗戦の時にいた奴だ。それ以外は知らん」



 そう言うと、男は心底悲しいと言うように口を開く。



「キミ、本当にボクを忘れてしまったのかな?ほら、周りをよく見て?これさぁ、あの時と似てない?」



 滴る血液、ブチまけられた内蔵、転がる四肢。


 ああ、確かに、見覚えがあった。



「う、うぅ」



 蘇る記憶。それが頭をガンガン殴りつけるようで、俺はその場に膝をついた。



「リクくん!?どうしたの!?」


「う、ああ、ぁ」



 なんでだ?どうしてコイツがここに、この世界にいるんだ!?


 わからない。わからない。わからない。



「あーぁ、壊しちゃったかな?つまんないねぇ」


「リクくんに何したんだ!?」



 ノアの珍しく強気な声が遠くに聞こえる。



「何もしてないよ。リクは心が弱いんだよね、昔から。だからちょっと耐えられなかったんじゃないかな。自分の過去に。自分がやってきた事に」



 パン、とピエロ面が手を叩いた。



「じゃあ、無事に思い出して貰えたみたいだから、ボクはもう行くね」



 ピエロ面の姿が掻き消える。


 が、代わりに別の脅威が立ち塞がった。



「〈グレンデル〉!?」



 そいつは狼のような獰猛な顔、鋭い牙や尖った爪からは血肉を滴らせ、3メートルほどの筋骨隆々な肢体を持つ食人族だ。


 ただし、その身体は既に朽ちかけている。



「リクくん!逃げなきゃ、しっかりして!!」



 ノアが膝をついて放心する俺の肩を揺さぶる。必死にその場から逃げようと、俺の腕を引く。


 だけど、俺の耳にはノアの声は届かない。まるで水の中にいるみたいだ。遠く、くぐもった声しか聞こえない。



「もう、僕が弱いの知ってるでしょ」



 ノアは諦めてグレンデルへ向かい合った。



「弾けろ〈ウォータースプラッシュ〉!」



 ズバババ、と音を立てて、激しい水の礫がグレンデルを撃つ。が、グレンデルの肉体は硬く、ただ水浴びをしただけのようになってしまった。



「僕には倒せない。でも、足止めくらいはできるはず!!」



 続けざまに水系統の攻撃魔法を放つ。グレンデルは唸りを上げ、ダンと地を蹴って駆け出した。



「うわああああ」



 ドガッ!!



「グフッ」



 グレンデルの体当たりが、ノアを吹き飛ばす。受け身を取ったノアだが、この体格差に硬い身体だ。軽く吹き飛ばされ、近くの建物の壁にぶち当たった。


 苦しげな声を上げて崩れ落ちるノア。


 わかっている。見えているし聞こえてもいる。だけどそれは何処か遠く。


 グレンデルは標的を、俺に変えた。








 グチャリ、グチャリ、バキバキ


 エゲツない音は、とても近くに聞こえてくる。



「ウッ!?ああああああっ!!」



 肩の骨が噛み砕かれる激痛に、意識が浮上した。



「クソッ、ウグゥ……」


 仰向けに倒れている俺の胸を踏み、覆いかぶさるようにして、グレンデルは俺の右肩を喰い千切ろうと顎を動かす。


 例え四肢を捥がれても、吸血鬼は死なない。でも痛みは人と同じように感じる。


 あまりの激痛に、目の前がチカチカと光る。


 何とかしなければならないが、動こうとすると踏みつける脚の力が強くなる。肋骨がミシミシと音を立てて、肺を圧迫する。


 踏み抜かれでもしたら、流石に死ぬか。


 吸血鬼の弱点は頭と心臓。確実に殺したければ、白木の杭で心臓をヒトツキにする。


 それ以外、例えば生きながらに喰われたら、どうなるのだろう?



「や、ヤメろああああ、やめて、クソ、離せよッ!?」



 急に怖くなった。死ぬのはいい。もう、一度死んだ身だ。だけど、こんな最期はない。嫌だ。死ぬ。殺すならさっさとやってくれ!!



「何泣いてんのよ!!」



 その時、鋭い剣尖が視界の隅から現れた。


 ドスッと硬いグレンデルの首の横に突き立つ、見慣れた銀の長剣。ガアアア、と唸りを上げ、グレンデルは俺の右肩を離して距離を取った。



「うわっ、グロッ!?」



 リーリーは俺を見下ろして、笑った。


 天使だと思った。いや、本当に。



「リーリー、助かった……」


「良いってことよ!仲間でしょ!」



 うん、と頷くと、リーリーはまた笑い、グレンデルに向き直る。



「またアンデット化の魔物ね」


「ああ、ピエロ野郎がいやがった」



 ダラリと垂れたままの右肩を庇いながら身を起こす。これは暫くは治らないやつだ。



「そう。あんた、動かないでよ。足手纏いだから」


「はは、そうだな」



 リーリーはグレンデルに向かって駆け出した。疾走しながら、風の斬撃を放つ。避けたグレンデルの逃げ道を、長剣で塞ぐ。動きをとめたグレンデルに、さらに斬り込みを入れ、退避と共に火の玉を放つ。


 でも、グレンデルの身体はとても硬い。攻撃は当てられるのだが、剣も魔法も威力が足りない。それにアンデット化しているため、身体が傷付こうとも止まらない。



「う!!」



 ついにグレンデルの爪が、リーリーを弾き飛ばした。


 周囲に嗅ぎ慣れたリーリーの血の臭いが充満する。



「リーリー!!」



 咄嗟に駆け出す。リーリーは無防備に地面に転がっている。動く左腕でリーリーの手を取り、起こしてやる。



「イタタ、大丈夫よ」


「もういい、ノアを連れて逃げろ」



 俺だけなら死んでも誰も悲しまないから。



 なんて思ったのは、やっぱり思い出した記憶のせいか。


 いや、もともと俺は、卑屈で気弱なクソみたいなヤツだった。



「なに言ってんの?あんた頭までやられた?」


「はあ?状況を考えろって。負傷した俺が足止め役だ。普通の選択だろ」



 バシィイン


 いつもの、リーリーの平手がとんできた。



「イッテェなチクショーが!お前、俺をなんだと思ってんだよ!?バシバシバシバシはたきやがって!!」


「うるさい!却下よ!あんたの意見なんて聞いてない!!」



 このクソガキが!


 ……あ、あれ?なんでリーリーが泣いてんの??



「……リーリー?」



 と、グレンデルの鋭い爪が迫ってくるのが、リーリーの肩越しに見えた。



「アブナイ!ガハッ」



 咄嗟にリーリーを庇うように抱きかかえる。グレンデルの爪が、俺の背中を切り裂いた。



「やめて!あたしを庇うな!」


「まだ言ってんのか!?」


「あたしたちは仲間でしょ?」



 仲間、だとしたらなんだよ?俺は間違ってない。戦術的に生き残ることを考えるならば、リーリーがノアを連れてここを離れ、助けを呼んでくる。俺はもう助からなくても仕方がないから、全力で足止めをする。



「仲間は、ほかの仲間を見捨てないの!」



 ハッと息が詰まった。


 バカじゃねぇの?と、思った。そんなアニメやマンガみたいな話、現実には無理がある。



「あんたバカね。ギルドの仲間でしょ?『隻眼の猫』は、絶対に仲間を見捨てないの!それに、あんたはあたしの友達!一緒の学園で一緒に学ぶ友達なんだからね!!」



 再度攻撃を仕掛けてくるグレンデルに、リーリーは立ち向かっていく。勝てやしないのは、わかっているだろうに。


 バカはお前だ、クソガキが!!



「リーリー、ごめん。だから、ちょっと力を貸して」



 グレンデルをあしらいながら、リーリーが眉根を寄せる。


 俺は渾身の力を込めて地を踏み、瞬時にグレンデルの横を取る。精一杯の力を込めて地面を踏み抜き、空中から回し蹴りでもってグレンデルを吹き飛ばした。


 敵が雄叫びを上げて壁にぶち当たる。その隙に、



「少し、痛いかも」


「え?」



 リーリーの背後から、その首筋に噛み付いた。



「ううっ」



 苦しげな、だけど何処か艶っぽい声を漏らすリーリーに、心の中で謝って、俺はその血を吸い取る。


 負担にならないように気を付けながら、少しだけ、力を借りる。



「ほんとごめん。あとは任せろ」



 残念ながら肩や背中の傷が治るほどには回復しなかった。


 でも、もっと違うところ、腹の奥から湧き出すような力を感じる。それは多分、溜まりに溜まった怒りの力だ。


 リーリーを背に庇い、向かってくるグレンデルに左手をかざす。



「消し飛べ!〈ファイアフレイム〉!!」



 沸き起こる黒色の業火。それは俺の流れ出る血を吸い、より力を増していく。オーガに放ったものよりも、さらに威力を増した炎の波が、グレンデルを包み込んだ。



「弾け飛べ、このゴミ野郎!!」



 瞬間、グレンデルを中心に激しい火柱が上がり、大爆発を起こした。



「す、すごい……」



 背後のリーリーが呟く。俺はそれに、不敵に笑みを浮かべてみせた。



「はは、だって俺、吸血鬼だから、な……」



 それまでだ。俺の意識はそこで途切れた。









 目を覚ますとそこは、白い壁に囲まれた消毒液臭い狭い部屋だった。天井近くに申し訳程度の窓がついている。


 ああ、またか。


 俺また捕まったのか。


 まあいいか。どうせ精神分裂病とか言われて、閉じ込められるだけだ。それに太陽の光も射さない部屋だ。逆に有難いぜ。


 飽きたら抜け出せばいい。


 それかあの人が迎えにくるか。


 まあ、どちらにせよ、俺にはほぼ永遠の命がある。たまの休息と思えば、狭い部屋も、消毒液の匂いも、吐き気のする薬も平気だ。


 平気だ。


 ……へいき、だよ、おれは。


 嘘だ。


 全然平気じゃなかった。死ぬかと思った。


 狭い部屋は息苦しくて、お前病んでんじゃね?みたいな目で見てくる医者の顔も嫌いだった。


 その時代、人と違う行動や行為、言動は全て病気だとして、病院に監禁される人が多かった。


 大した診断もなく、精神分裂病という名前で収容される。


 俺はまだ若い吸血鬼だ。ちょっとヘマをして捕まって、適当に話せば妄想だなんだと言われてここへ収容された。そんな事が何回かあった。


 その度に、俺を迎えにきてくれた人がいた。


 俺を大切にしてくれた。息子みたいだと世話してくれた。俺がそのうち死ぬってわかってたから、その前に選択肢をくれた。


 そして、その人は俺を吸血鬼に変えた。


 吸血鬼としての生き方を教えてくれた。


 でもある時、俺を見捨てて、消えてしまった。



「おーい、寝てる?」


「そりゃ、あの怪我だもん。って、やめなよ、リーリー」


「イヤ!仕返しなんだからね!」


「はあ、僕は知らないから」



 微睡みの中、過去へと旅立っていた俺は、部屋へ入ってきたリーリーとノアに気付いて、寝たふりを決め込む。


 ガサゴソとベッドの上に上がるリーリーの気配。俺の横に片手をついて身を乗り出す。



「ニヒヒ、これでも喰らえバーカ!」



 なるほど。俺が寝ている間に、顔に落書きでもしようというアレだな?


 油性ペンの匂いとリーリーの吐息が近付く。



「バカめ!この俺が気付かないとでも思ったか!?」



 ガバッと身体を起こし、リーリーの身体を抱きしめる。俺頑張ったから、これくらい許されるよね?


 しかし覚悟も決めていた。平手打ちかグーパンでも来ると。


 けど、予想に反してリーリーは動かなかった。



「あ、あれ?どうした?なんか悪いもんでも食った?」


「……う、うぅ」



 リーリーの身体が震え出した。


 おかしい、と、リーリーの肩を、動かしやすい左手で離す。


 真っ赤!真っ赤っかじゃねえか!!!!



「ど、どした……?」


「うう」



 と、リーリーの右の首筋が目に入る。真新しいガーゼが貼ってある。


 あれ、そういや俺リーリーに噛み付いたな。


 なんて思い出すと同時に、リーリーのこの反応の意味がわかった。


 急に心臓がバクバクしだす。


 そう、例えるなら、付き合った女の身体に、自分が付けたキスマークを発見した時のような……



「ご、ごめんなさい」



 反射的に謝ると、リーリーは涙目で顔を真っ赤にしたまま、ベッドから飛び降りて部屋を出て行った。



「なになになに?今のなに!?何があったの?なんで二人とも顔真っ赤なの!?」



 教えてようと縋るノアを他所に、俺は暫く立ち直れなかった。








 ノアの実家である病院を出たのは、それから三日後の事だ。


 あの時、俺が特大の爆発でグレンデルを倒し気絶した直後に、街を守る警邏やギルドの人間が来て、そのまま後処理を行ったそうだ。


 死者28人という、凄惨な事件だった。クリスティエラの街は、大きな衝撃を受け、ここ最近は警邏とギルド団員による巡回を行なっている。


 ピエロ面の怪人が、魔物を操って人を襲っている。


 それは今や街の怪談話のように語られていて、街を恐怖に陥れている。


 グレンデルを倒した俺には、色んな人が話を聞きに来た。が、どれにもまともに答えられなかった。


 それはまあ、あのピエロの言う通り、俺の心が弱いから。


 ピエロの正体を言えば、必然的に自分の過去も語る必要がある。


 最近まで割と平和に、思い出すこともないから忘れたフリをしていた。


 でも無理だ。そう気付かされた。


 忘れる事ができないなら、せめてそっとしておいて欲しい。


 俺を伝説の吸血鬼だと持て囃す友人や、なんだかんだ世話を焼いてくれる仲間に、知られたくはない。


 久しぶりに学園の寮に戻って来た。


 まだ日中の授業時間だから、部屋には俺しかいない。



「はあ、しかし右肩の怪我、なかなか治らんな」



 珍しく包帯を巻いたままで、動かない右腕を眺めて呟く。


 どうも、俺は魔法が使えたらしかった。あの時は必死だったから気付かなかったけど、クリスタルなしで炎を出したと、リーリーが言っていた。


 多分そのせいで、力を使い過ぎてしまったのだろう。異常に怪我の治りが遅いのが今の悩みだ。



「というわけで、暫く引きこもりになろうかな」



 独り言が虚しい。


 日本で六畳一間のボロアパートに住んでいた頃には、あまり思わなかったけど、独り言って虚しいんだなぁ。



「はあ」



 溜息ひとつ。


 俺は自分のベッドに突っ伏した。

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