第60話◇ヒモと世界の危機
「……マッジ、か?」
俺の言葉に、彼女が目を見開く。
「……わかる、の?」
「いや、顔を見たら思い出したんだ」
「そう……あの時はありがとう」
言葉は軽いが、瞳は熱っぽい。
「どういたしまして」
「マッジ、再会の喜びに水を差したくはないけれど、魔王様とみなに報告を」
エレノアが小声で言うと、マッジは静かに頷いた。
「私は単身魔界に潜入し、悪しき魔族の殲滅と情報収集に努めていた」
魔界は瘴気で満ちている。
潜入活動が可能というのなら、彼女には相当な魔力があるのだろう。
人類では、瘴気の中を長期活動できるのは【勇者】【聖女】【賢者】の三人だけだ。
膨大な魔力を身に纏うことで、瘴気を弾く技術があるのだ。
マッジは魔界にいたというが、行き来に使った『裂け目』についても気になる。
魔界とこの世界とを繋ぐ突発的な空間の歪み、通称『裂け目』を狙って出す方法でもあるのか。
気にはなったが、今尋ねることではないので、彼女の話を黙って聞く。
「私の『特技』で複数体の敵の口を割らせた結果、ヴィヴィの予想は事実だと判断。敵は世界中から魔力を掻き集めて、召喚の儀式を行うつもりでいる」
「召喚の儀式」
誰かが呟く。
召喚の儀式。異なる場所、異なる世界にいる者を、魔力に物を言わせて呼び出す魔法だ。
俺とエレノアが少し前に倒した『氷獄王』なんかもそうだ。
儀式で『裂け目』を作り出すことで、術者たちはやつを呼び出すことに成功した。
自然発生した魔力溜まりの他、命を燃やして魔力を捧げた術者が二十四人。
そこまでして、ようやく呼び出せるのが王クラスの魔族。
それでも人類にとっては相当な脅威なのだが……。
魔族の異名には、もう一段階上がある。
神と呼ばれ、いまだ人間界に一度も出現したことのない敵だ。
神クラスの魔族が通れる裂け目がないのだという。
異名の段階では一つしか違わないが、王クラスと比べてもまるで別格。
かつて指だけ出てきた時、初代勇者は重傷を負った挙げ句に呪いを受けて、のちに死んだとミカから聞いた。
その時はなんとか追い返したようだが、指の一本で最強の勇者を死に至らしめたのだ。
もし、敵の目的が――神の顕現なら。
「もうみんなわかってると思うけど、敵の狙いは――神の召喚」
場の空気が、ヒリヒリするほど張り詰めたのがわかる。
「魔力溜まり、霊獣、霊石、魔石、生贄。色んなものから魔力を集めて、そして最後には自分たちさえも生贄として使って、やつらは儀式を行う」
魔族は己より強い魔族には従う。
ただ、たとえばエレノアの命令に敵性オークは従わなかった。
おそらく、瘴気に侵された魔族間にしか適用されないのだろう。
「まだまだ魔力は足りないみたいだけど、狙いは明白」
マッジが俺を見た。
「――六英雄の排除」
俺の言葉に、異論は出なかった。
六英雄は人類の希望。
今の代は、六人全員が歴代最強と呼ばれている。
王クラスの魔族でさえ、俺は一瞬で倒せるほどの力をつけた。
競い合うように人類領に侵攻し、時に魔族同士での争いも起こるが、今回裏にいるのが神クラスの魔族だというのなら、これまでバラバラに攻めてきた複数の勢力が団結することだって有り得る。
なんとしても阻止しなければならない。
「これは人類だけの問題じゃない。神が六英雄を殺し、人間領を支配したら、この国だけを見逃すなんてことは有り得ない」
マッジが言うが、この場にいる全員が既にそれを理解しているようだった。
「平和のためにも、人類……そして六英雄に力を貸す必要がある」
神クラスの脅威は、着実に迫っている。
阻止すべく動くのはもちろんとして、仮に阻止できなかった場合に撃退する方法を考えねばならない。
ふと見ると、全員の体が小さく震えていた。
魔王でさえも。
恐怖からか。
いや、単に怖いのではない。
戦いに身を置く者として、恐怖を抱えたまま立ち向かう術を彼ら彼女らは持っているはずだ。
今震えているのは、最悪の未来を想像してしまったから。
無辜の民の命が失われてしまう、滅びの未来が迫っていると知ったから。
「大丈夫だよ」
だから、俺は敢えて口にする。
みんなの意識が俺に向いたのがわかった。
「神だろうとなんだろうと、来るなら倒すだけだ」
これまで静かに話を聞いていたミカだったが、俺が柄を握ると『そうよ! あたしとレインに斬れないものはないんだから!』と応えてくれた。
その言葉を受け――。
「貴方様に英雄の使命を押し付けることは致しません。ですがお力を借りる必要があるのも、どうやら事実。せめて私にお供させてください」
エレノアが言った。
他のみんなも、口々に決意を表明する。
気づけば、みんなの震えは止まっていた。
「レインくんがしっかりしてるのに、我々が震えていてはいけないね。まずは阻止! そのために人類と連携! 並行して、どうしてもダメだった場合の対処法の模索を行おう」
王の言葉に、全員が頷く。
「よし、マッジちゃん。もう少し詳しい情報を教えてくれるかい?」
「ん」
マッジが頷く。
「それと、マッジちゃん。――どうして柱の方を向いているのかな?」
そう、マッジは何故か柱を向いていた。
王や俺から目を逸らしている形になる。
「……さっきのレイン様が格好良すぎて、目を合わせられない」
マッジの言葉に、場がシーンとする。
そして――。
「ず、ずるいですよマッジ! 私だってドキドキしましたけど、空気を読んで我慢していたというのに! 自分だけ思いを伝えるなんて!」
「違う。魔王様に訊かれたから答えただけ。ずるいっていうならレイン様と過ごしている時間の多いエレノアの方がずるい」
「んなっ」
エレノアとマッジの会話に、他の『七人組』も加わり、空気が一気に弛緩する。
呆れる者、苦笑する者など様々だが、この状況で自然体に振る舞える精神力は素直に感服する。
「青春だねぇ」
という魔王のおっさんの呑気な声が、謁見の間に響いた。
空気は和んだが、問題は確実に迫っている。
平和なヒモ生活を続けるためにも、なんとかしなければならない。
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