第3話

  〇


 あの素っ気なさだ。


 いくらぼく挨拶あいさつをしようが「おいーす」くらいにしか返えさない鹿野さんが、一々ぼくの名前をおぼえているとは思えなかった。


 それなのに、ぼくの名前をおぼえているなんて。それに「じゃあまたね、金子」なんて言われるなんて。男子一陣いちじんとしても快挙なのでは? とぼくは興奮した。


 しかし、それ以上かれているわけにはいかなかった。これは、一夜の夢のごとく、明日あしたになれば、かかった魔法まほうはすぐに消えるおそれがあった。


 明日あしたになればいつも通りの素っ気ない鹿野さんが「おー」なんて良いながら現れるのではないか? そんな恐怖心きょうふしんたたかわなくてはいけなかった。


 夜、布団ふとんに入ったぼくは不安を紛らそうと、クララをいだいてようとした。


「おにいちゃん、クララをひとめしないで!」


 すぐに妹に引っぺがされた。




  〇


 朝の教室はさわがしい。耳をそばだてないと彼女かのじょの声を聞きのがしてしまうおそれがあった。


「はよー真由佳まゆか


 来た! 鹿野さんだ。


 親友の真由佳まゆかちゃんに挨拶あいさつをしている。これはいつものルーティーンであった。これに何とかしてぼく挨拶あいさつを加えたい。


 そう考えていたぼく彼女かのじょが教室に入ってくるとすぐに挨拶あいさつの態勢に入った。が、しかし。


「うえええい!」


 朝からバカな男子一行がぼくの行く手をはばんだ。ぼく挨拶あいさつ彼女かのじょには届かずに朝のホームルームのかねに消えてしまった。


「ちくしょう」


 朝っぱらからなんであんなにテンションが高いんだよ。男子のやつら。


 これでぼく挨拶あいさつをするという鹿野さんとの唯一ゆいいつの接点が途絶とだえたぞ! この責任はだれがとるんだ? 責任者はだれだ? 


 無意味な自問自答が続いた。


 そして、むなしくなった。




  〇


 放課後をむかえ、みんなが部活などに向かう中、ぼくもその中に混じってトボトボと歩いていた。


 これでぼくはまた、彼女かのじょにとってクラスメイトの一人ひとりになってしまった。


 どうして無理にでも挨拶あいさつをしなかったのだろうか。ぼくは勇気のない自分を責めた。


 きらわれるならそれでもいい。でも、何もしないなんて、それじゃあ、土俵にも立っていないんじゃないか。


 一人ひとりでいると、どんどんマイナス思考になってしまうぼくは、とことん自分をおとしめていた。


「金子!」


 下駄げた箱で声をかけられた。かえると、鹿野さんが体操着姿で立っていた。


(ちなみに鹿野さんはバレーボール部、いわゆる女バレに属していた。朝練も多く、そのせいで時々居眠いねむりをしてしまうのは仕方がないことだ)


「鹿野さん」


 走ってきたのだろうか、少し呼吸が乱れていた。


「クララの新しいやつ、ある?」


 そのために、わざわざ下駄げた箱まで走ってきたのだろうか。ぼくは鹿野さんのねこ愛に感嘆かんたんした。


「あ、ある。あるよ。ちょっと待って」


 ぼくあわててスマホを取り出した。


 良かった。念のためにっておいて。


『むにゃむにゃ。はにゅあー』


 動画の中には、ねむ一人ひとりと一ひきが映されていた。一方は妹、一方はクララである。


今朝けさったんだ。妹のやつ、クララをいだいてるって聞かなくて」


 本当はいてねむりたかったのはぼくだけど。まあ、ここは男よりも幼女の方が絵的にも良いだろう。


「いいねえ、二人ふたりとも。カワイイねえ……」


 今日きょうの鹿野さんはギャル風ではなく、いとおしい子供を見守る母親のような表情になっていた。


「ふふふ。おへそ出しちゃって」


 なんて感想をこぼしている。グッジョブ。クララ。ぼくはクララに感謝した。


「そういえば大丈夫だいじょうぶ、鹿野さん。部活とか」


「そうだった。わたし、部活の途中とちゅうじゃん」


 素っ気ない鹿野さんにしては少しあわてた様子で走り出した。


「金子。新しいやつったらまた見せてね」


 去りぎわ彼女かのじょはそう言い残した。

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