幕間1 『この世界から消えた君達』
冴島友康は大学からの帰り道、嫌な汗を流しながら歩いていた。
ありえない、と何度も心の中で呟く。
休みを終えた月曜日、友康はいつも通りに登校した。そこには、いつも通りの光景が広がっている筈だった。
「友康ッ!」
背後から声がして振り返ると友人の榊原小豆が駆け足で友康に追いつく。
「今から行くんでしょ、私も行くわ!」
「演劇部はどうしたんだよ。明後日本番だろ」
「貴方だって一週間後には剣道の試合があるでしょ。それに、こんな状態でまともな演技なんてできるわけない」
よく見れば小豆も友康と同じく、青褪めた表情をしているのに気づく。
しばらく、無言の状態が続く。いつも通りの日常が唐突に壊れた。
「何処に行ったのよ、あの馬鹿ッ!」
寺田文彦、友康や小豆と同じ柳大学文学部に所属している大学生であり、二人の友人だ。
文彦は変人として大学内でも有名であり、大学内の誰もが一度は耳にしたことのある存在だ。そんな彼が突如、姿を消した。消しただけならいつもの彼の奇行だろうと無視するが、問題は大学生の誰もが彼の存在を知らなかったことだ。
友康が異変に気づいたのは昼頃だ。いつも通り、文彦と小豆を誘ってご飯を食べるため、連絡を取ろうとしたが、スマホから文彦の連絡先が消えていたのだ。間違えて消してしまったのかと、違和感も覚えながらも小豆と合流し、小豆のスマホから文彦に連絡を取ろうとするが、小豆のスマホからも文彦の連絡先が消えていた。
流石に不自然に思い、友康は友人に文彦を見なかったかと連絡をすると、全員から文彦って誰?という返事が返ってきた。
イタズラかと再度友人達にメッセージを送るが、何度聞いても答えは同じであり、小豆の友人からも同じ答えが返ってきた。
「何で誰も知らないのよ。楓や沙也加にも聞いてみたけど、答えは同じだったわ。二人とも、文彦に告白してその日に別れた過去があるし、あんなキャラの濃いクソ野郎を忘れるなんてありえないわ」
「こっちもだ。剣道部の龍樹に声を掛けたが記憶に無いって言われた。文彦に彼女を取られそうになったのに、あの恨みを忘れるなんてありえない」
出てくるエピソードはマジのクソ野郎のそれだが、二人はいたって真剣だ。
二人は住宅街を歩き、真っ直ぐ文彦の家に向かう。二人以外の全員の記憶から文彦の存在が消えていた。そんな馬鹿げた話しがあるわけない。
流れる嫌な汗を拭いながら、二人は住宅街の中を歩き、目的の場所が目視できるところまで来る。家の外観が見え、二人は安堵したように家に近づき、友康がインターホンへと指を伸ばすが、寸前で止まる。
「どうしたのよ?」
小豆が怪訝そうに友康の顔を見るが、彼は今まで以上に顔を青褪めて硬直している。
「ここ、文彦の家だよなぁ」
「当たり前じゃない、何度も来てるでしょ?」
そう言って小豆は呆れながら、友康の視線の先を見る。
「え?」
文彦の苗字は寺田だ。なのに表札には伊藤と文字がある。
「どうして…」
よく見れば、家の外観は同じだが、玄関の横に自転車や空気入れが立てかけられている。自転車は二台あり、一つはママチャリで、もう一つは補助輪の付いた子供用の自転車だ。何度か文彦の家には訪れているが、自転車なんて置いていなかった。
外観は同じ家だが、家から見える生活感は文彦の家とは別のものに感じられる。
間違えたかと思い二人で周囲を散策するが、文彦の家は見つからない。
「…どういうことよ」
「わかんねぇ。能力者の仕業かとも思ったが…」
「他人の記憶を勝手に弄れる異能力の話しなんて聞いたことないわ。それに、消えているのは記憶だけじゃなくて、文彦がいたと言う痕跡すら消えてる。ありえないわよ、こんなの」
「あぁ、文彦の両親もいないみたいだしな。マジでどうなってんだよ」
大学や文彦の自宅周辺に、文彦が存在していた痕跡が無い。あるのは二人の記憶だけだ。
「あー、様子を見に来てラッキーだ」
背後から声がして振り返るとタバコを吹かした中年男性が草臥れたスーツ姿で立っていた。
「冴島友康と榊原小豆であってるか?」
「…誰ですか?」
小豆は冷たく突き放すような声で問うが、男は気にした様子もなくポケットから黒い手帳を取り出して広げる。そこには、警察組織の象徴である盾と桜のエンブレムがある。
「特別異能捜査一課の後藤だ」
特別異能捜査一課。彼等はドラマでしか聞くことのない存在であり、現実では異能犯罪組織から命を狙われる危険性があるため、名や姿、捜査方法などは一切報道される事の無い謎に包まれた組織である。
そんな存在が目の前にいることに戸惑うが、次の一言を聞いて凍りつく。
「寺島文彦について、君達に伝えなければならないことがある」
捻くれ者の何某が異世界で筆を執る 淀水 敗生 @yodomizu_hai
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