第22話


 緑の美しい芝生が広がる公園には、いつもの喧騒はなく、静かな時が流れている。そんな中で、フリアは疲れたように文彦に肩を預け、ティアは持っていた肉を文彦に食べさせて喜んでいる。


「式典の準備は順調か?」


 突然の文彦の言葉にフリアはポカンと口を開けて文彦を見る。


「どうした?」


「興味ないのかと思ってたわ。

そうねぇ、式典自体は問題ないわ。マリア様とも連絡をとってお墨付きは貰ってる。このままいけば順調に終わるはずよ」


「そうか」


 文彦の口角が少しだけ上がるのをフリアは訝しげに見る。


「何かあるの?」


「何かとは?」


「貴方は人間の人間らしい部分が好きと言ったわ。

となれば、貴方が喜ぶ事象は二つ。

一つは、人間の幸福。

一つは、人間の絶望。

どちらにしろ、何かが起こると貴方は思ってる」


 まだ付き合いは短いが、少しだけ文彦という人間を知りつつあるフリアは文彦を善人だとは決して思わない。少なくとも、善とか悪とか、文彦には関係なく、全て娯楽の一つでしかないのだ。


「教えたら面白くないだろう?」


「くっ!貴方ねぇ!!」


「ダメですよ、フリア。答えを聞くようなことは」


 激昂して立ち上がるフリアに対してティアが優しく制する。フリアは式典に参加する民衆を想って声を荒げたのだ。もし、式典で何かが起こり、それを文彦が知っているなら、それが害あるものなら対策できるかもしれないと。

 しかし、ティアはそれを止めた。彼女は誰よりも心優しい聖女の一人だが、フリアは驚きはしない。


「人には多くの乗り越えなければならない試練があります。私達聖女はその試練を守る者であらねばならないのですよ」


 ティアルシード信仰の根本的な思考の一つ。善悪皆平等に受け入れ、害ある者と戦うは聖女である。

 この世において善が存在するのは当たり前、悪が存在するのは当たり前、人とはその揺り籠に眠る幼子でなければならない。善に至るも良し、悪に堕ちるも良し。人の試練を見守ることこそ聖女役目。


「ほう、面白い思考だ。では、人の試練を害する事象とはなんだ?」


「そこが結構曖昧なんですよね。でも、一つの基準として、一人では決して乗り越えることが不可能な事象。例えば、ワイバーン討伐はそれに当て嵌まりますし、分かり易いものだと戦争なども当て嵌まります」


「僕が君達に黙っているものが、一人では乗り越えられない大きな災いになるかもしれんぞ」


「それであれば、起こった後に私が全員守ります。私は守り手でしかないので」


「そこは割り切っているのだな」


「割り切るしかありません」


「救うのに救わない、変わった宗教だな」


「これでも大分マシになったものよ」


 フリアは疲れたようにベンチに腰を下ろして全身の力を抜く。フリアはまだティアほど割り切れていないのだろう。


「先代の聖女マリア様の更に前は乗り越えられない試練が来ても助けるか否かを散々議論して結果判断が着く前に助けられるはずだった人々を死なせてしまうことがかなりあったのよ。

それをマリア様がお怒りになって、無理矢理次期聖女に名乗りを挙げて、ティアルードの教えが書かれた聖書の解釈を大きく変えたの」


「それ、大丈夫なのか?」


 下手したら保守派と改革派で組織が二分されていた可能性が多いにあったはずだ。しかし、フリアは不思議そうに小首を傾げながら告げる。


「大丈夫なのかって、別にマリア様にきちんと聖女として素質があって、聖女としての能力が使えるならなんの問題もないわ」


「ふむ、フリア、僕はティアラシード信仰、いや宗教自体の知識に疎いんだ。普通ならばそこで保守派と改革派に組織が分断されると思ってな」


「宗教なんて基本的なベースは何処も似たようなものかと思ってたけど違うのかしら。

まぁ、普通の組織ならそうでしょうけど、聖女としての力は聖書に基づいたもので、聖書に背くような行いをする者が聖女としての能力を振るおうとしても失敗するのよ。だから解釈を変えて、それでも聖女としての力を使えるならば、それは聖書に則った教えであり、ティアルシード様のお墨付きなわけよ。逆にそれに背くようならティアルシード様を侮辱していることになるわ」


 神という存在がわかり易く形としてある世界では、当然の帰結だろうか。そんなもので人の感情が抑えられるだろうか。

 阿呆であるからこそ、阿呆は思う。人間は人間が思う以上に愚かであると。


「面白い宗教だな」


 人が人を救う判断をする。なんとも傲慢な宗教だ。まるで自分が神にでもなったかのように、人々に試練を与えている。


「傲慢だと、思われますか?」


「あぁ、神と名乗ろうが聖女と名乗ろうが、君達は愚かしい人間だ。人間である以上、誤ちは繰り返される」


 例えこの世界に神が居たとしても、実際に世界を動かすのは人間であるならば、やはりそこに争いが生まれる。

 それを人間一人の力でコントロールするのは不可能。それが聖女であってもだ。


「…そうですか」


 ティアはポツリと呟いて綺麗な青空を見上げる。聖女として生きてきた。信仰心のない人に批判されたこともあるし、救えない者がいることも知っている。それでも全員救おうとする自分を正しいとも思うし、試練を与える自分を正しいと思う。


「正解は無いよ。だから愛おしいんじゃないか」


 ドキリとティアの心臓が跳ねる。心臓の鼓動が急激に速くなり、ティアは両手で必死に胸を押さえながら、顔を朱色に染めながら文彦の顔を見る。美しく、儚げで、蠱惑的な笑み。それはティアに向けられたものでないことはわかる。

 けれど…。


「きゅ、きゅ〜〜」


「え、ティア?!ちょっとどうしたのよ!!」


 恋する乙女聖女様には刺激が強過ぎたようだ。散歩はティアの気絶によって終了。文彦は小説片手に嬉々として帰る。もちろん気絶したティアを抱えることなどしない。

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