第8話


水を捨ててテントに戻ると鼻血を出して倒れているティアをフリアが介抱していた。


「もう大丈夫ですよ!」


「頭は大丈夫じゃなさそうだけど…まぁいいわ」


「あ、フミヒコさん!

駄目ですよー、私に何も言わず外に出たら!

魔物に食べられちゃいます!」


「水を捨てただけだから気にするな」


「外は危険です!」


ティアが鬼気迫る表情で告げる。

とても嘘を言っているようには見えない。


そんなに危険なのだろうか。

周りにテントを立てている冒険者もいるから問題無いとは思ったんだがな。冒険者歴の長いティアの言葉だ、今度からは気を付けることにしよう。


「それより早く寝るぞ。

討伐戦の開始は早いんだろ?」


「そうね。開始時刻は前後するでしょうけど、ワイバーンを誘導している人達の報告だと、明日の早朝くらいになるそうだわ」


「なら明日に備えて寝るべきだな」


外は寒くないため毛布は必要ない。着物姿で寝るにしては少し窮屈だが、これは我慢だろう。むしろ着込んでいることを幸運と見るべきだ。


「寒くはありませんか?」


目を開けると思ったより近くにティアがいた。

このテントは少し広いため寝返りをしても問題ないくらいの余裕はある。それを考えるとティアが寝ている位置は不自然だ。フリアが端で寝ていたとするとティアとフリアの間にスペースが空きすぎる。


「あぁ、大丈夫だ。

それより近くないか?」


「すみません。

しかし近くなければフミヒコさんを守れないので」


「離れても変わらない気がするな」


「いいえ、魔物に襲われた際、一分一秒が重要となります。例えフミヒコさんにとって少しの距離だろうと、それが戦闘になれば重要な距離になるのです」


「ふむ、そうなのか」


「えぇ、ですのでもう少し近づいても大丈夫でしょうか?」


「あぁ、そういう事なら問題無い」


僕はそう言って目を瞑るとティアが近づいてくる音が聞こえる。

もう抱き合っているのと変わらない距離だ。

ティアの心臓の鼓動まで聞こえてきそうである。それに何だか暖かい。寝るのには丁度良い温度だ。


僕はゆっくりと眠りにつくことができた。



▼▼▼


「少し早すぎたな」


別に僕が戦うわけではないから何時に起きようが構わないのだが、それにしても早すぎる。まだ日も昇っていない。

ティアの拘束を解いてから外に出ると涼しげな風が首筋を通り過ぎる。

なんだか日本の夏の夜を思い出す。


ふと、コガナ村の方に視線を向けると薄暗い中に一つだけ灯りが見える。

光に集まる蛾のようにフラフラと近寄ってみると酒屋だった。冒険者が酒盛りでもしているのだろうかと扉を開けると、気の抜けたような空気が感じられる。

酒場の席に座る冒険者のほとんどが何も言わず、しんみりと酒を嗜んでいる。


「おう、テメェも飲みに来たのか?」


カウンターに座ると近くに座っていた冒険者が声を掛けてきた。


「夜中に起きてしまってな。

少し涼もうと外に出たら村から光が見えてな。気になって覗きに来ただけだ」


「そうかい。

しっかし、テメェもワイバーンの討伐に参加してる冒険者なのか?」


「そう見えるか?」


「まったく見えないな」


「僕は友人に無理矢理連れてこられただけだ。戦闘などできるはずがない」


「ははっ、なんだそれ、災難だったな」


「…それにしても沈んでいるな」


「ん?

あぁ、明日はワイバーン討伐だからな。最後の酒になるかもしんねぇ。

バカ騒ぎは此処に着いた瞬間仲間とやったよ。後は一人でまったりとな」


冒険者の男は死ぬかもしれないと笑って答える。

これが冒険者の価値観で、これが普通なのだろう。そうなると、ティア達はかなりの実力者ということだ。

死を恐れる様子はなく、けれど覚悟を持って挑む。ティア達は物語の登場人物のような存在。それに比べて、この男は精々モブキャラの一人、語られる事無く消えていく一般冒険者A。


「恐怖で震えながら、酒の力で恐怖を鈍らして、何故そこまでする?」


「…金がねぇと生きていけねぇだろ?」


「あぁ、そうだな」


きっと他に安全な道はあるのだろう。しかしこの男は、自分は戦うことしかできないと決めつけ、他の道を探すことすらしない。


それはとても愚かなことで…。


「…人間らしいな」


「あ?なんだよ」


「店主、僕にも酒をくれ」


「なんだ、飲めたのかよ」


「当たり前だ。僕は今年で22だぞ」


「見えねぇ」


僕は店主からぬるいビールを受け取って冒険者の男に向ける。


「明日を生きる金のために」


「うわぁ、現実的過ぎて引くわ…」


「いいからやれ、お前が言ったことだ」


男は溜息を吐いてから酒の入ったグラスを持ち上げる。


「明日を生きる金のために、乾杯」


「乾杯」


カラン、とグラスをぶつけてから僕たちは酒を飲む。

それから特に会話はしなかった。ビールを飲み終えた僕は何も言わずに酒屋を出てテントに入って眠りにつく。


▼▼▼


翌日、外の騒がしい声に目が覚めて起きるとティアとフリアが鎧を身につけていた。フリアは機動性に優れた装備で急所にだけ鎧を付けて他は皮で守られている。ティアは袖の広い動きにくい装備だが、服の裏に急所を守る鉄板が入れられており、手には杖が握られている。

恐らくフリアが前衛でティアが後衛なのだろう。


「おはようございます、フミヒコさん」


「もうすぐワイバーンが来るのに呑気なものね」


「僕は何もしないからな。

呑気でいるくらいしかやることがない」


とりあえず水が用意されていたので寝汗を拭くために着物を脱ぐ。すると突然フリアがティアの眼を両手で遮る。


よくわからんが気にするほどでもない。

拭き終わって着物を着直してからテントを出るとコガナ村から冒険者が移動していく。

本格的な戦闘場所は此処から少し離れるのだろう。


「じゃ、頑張ってくれ」


「はい、必ず守ります」


「ま、死ぬようなことはないから安心しなさい」


そういって二人はテントを出て冒険者達に合流していく。


「さて、何で暇を潰すか…」


しばらく考えたが何も浮かばず、仕方なく袖から一冊の文庫本と万年筆を取り出す。

万が一のためだ、ここで二人を失うわけにはいかない。

保険は必要だろう。


本を開く。そこに文字は無く、タイトルも文章も書かれていなかったが、背表紙にだけ、『何某』と書かれている。

誰の物でもなく、誰の者でもある白紙の本。


僕は切り取られた跡が残る最初のページを開く。


「…そうだな」


タイトルは…。


『戦乙女は戦場で舞う』


これでどうだろうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る