第20話 フィリピンでの問題
日本に帰国すると、また毎日の仕事に追われ始めた。仕事が終わるのは早くても九時頃で、十一時や十二時になるほうが当たり前になっていた。
帰りが遅くなっても、僕は毎日リンに電話をしたし、リンはいつも起きて僕の電話を待っていてくれた。フィリピンは日本より一時間早いため、こちらが十二時になっても彼女はまだ十一時だ。僕の帰宅が毎日遅くなると、この一時間の時差は有難かった。
一方、仕事に追われると、奈緒美やヤクさんとの連絡は途絶えがちとなった。奈緒美も自分の仕事で忙しいのかもしれないし、ヤクさんという遊び仲間ができて、僕に連絡をする必要がなくなったのかもしれない。
二月に入りバレンタインデーになると、リンと出会って一年が経過したことに気付いた。一周年記念として、バレンタインデーのプレゼントを兼ねて、僕は日本で彼女のネックレスを買った。
買ったのはいいけれど、それをどうやって彼女に渡すかが問題だった。もしクーリエサービスで送付した場合、フィリピン側で盗まれる可能性があるとリンが言うのだ。
フィリピン側では、検査と称してX線で荷物を見て、金目のものに気付けばそれを誰かが抜き取ることがあるようだ。フィリピン人がそういったサービスを信用せず、リンは送らないほうがよいと言った。
この辺りがサードワールドたる所以の一つかもしれない。仕方なく、次にフィリピンを訪れる際ハンドキャリーすることにし、それまでそれを自分の手元に寝かせることにした。
その頃、仕事のないリンは変化のない漫然とする日々を送り、そしてときどき、家族の問題を僕に投げかけていた。
とにかく大家族であれば、家族の誰かのことで、定期的に何らかの問題が起こる。それは病気や怪我だったり、何かが壊れたり、何かを紛失したり、遠い親族の誰かが亡くなったり、引き出しの中のお金が勝手に消えたり、とにかく大小の色々な問題が起こる。
合わせて誰かの誕生日が頻繁にやってくるし、誰かは新しい携帯が欲しくなるし、中古の程度が良くてとてもお買い得なバイクの情報を特別にもらえるし、どう転んでも儲かって笑いの止まらないビジネスの話しも特別に舞い込んでくるしで、とにかく色々あった。
時系列にそれらを年表みたいにまとめたら、とても面白いものができるのではないかと思うくらい、年がら年中何かがあった。
それらに対峙する僕は、ある意味退屈せず、憤慨したり焦ったりがっかりしたり笑ったりと、自然にこちらの感情の起伏も激しくなる。つまり、仕事以外の場所で、延々と自分の喜怒哀楽が刺激され続けることになるのだ。
果たしてそれは、自分の精神衛生上、あるいは健康上、本当に問題ないのだろうかと僕は真剣に考えたりした。ぼんやりしていれば老いるのが早いと言うし、そんな刺激は自分にプラスに作用しているはずだと、僕はいつも、できるだけ前向きに考えるよう努めた。
しかしせっかくプラス思考に努めても、実際に運命共同体員の宿命に翻弄されると、どう考えてもそれは健康上、よくないような気がしてくるのだ。血圧が上昇しどこかの血管が破れて倒れるのではないかと、半分くらい本気でそんなことが心配になった。
一番心臓に負担がかかるのは、「問題があるの」という言葉だった。リンは必ず、そんな切り口で問題を話し出す。
僕は大体、その言葉で自分の体内時計が数秒止まる。
「また?」と答えれば良いのか、「何の問題?」と素直に訊けば良いのか、それとも聞こえない振りをするべきか。
そうこうしているうちに、彼女が話し出す。
「妹の調子が最近良くないの」
「どんなふうに?」
「咳き込んで、夜眠れないことが多いみたいなの」
喘息の持病を持つ妹は(病気はそれだけではないらしいけれど)、いつも家に篭りっきりで、数種類の薬を常用しなければならない。外出はできないため、僕は一度も会ったことがなかった。
「薬はきちんと飲んでいるの?」
「飲んでいるわよ。あと、微熱が続いているの。大きな病院で診てもらったほうがいいかしら。少し心配なの」
そんな相談をされると、僕は一瞬考える。
それは一瞬のことだけれど、色々なことを考えるのだ。その色々なことには、こちらからお金を引き出すための嘘じゃないよね、ということも含まれる。
それでも身体の調子のことになれば、取り返しのつかないことにも発展しかねない。それに微熱が続くというのが気になる。何かの感染の兆候ではないだろうか。それとも軽い肺炎にかかっているのではないか。現実的には、僕が考える色々なことの中で、そんな心配が大きなウエイトを占めてしまう。
「確かに微熱が続くのは良くないね。病院できちんと検査を受けたほうがいい」
「そうね。分かった」
それで妹は病院に行って、高い病院代を払って高い薬を買ってくるのだ。そのしわ寄せが生活費に及ぶと、また「問題があるの」という話しになる。
兄が仕事をしたいという話しが、また曲者だった。何かを始めるために、大体は軍資金が必要となるけれど、こんな相談は思案のしどころなのだ。なぜなら僕は、兄や弟も働かせて、家計を助けてもらうべきだと普段から進言していたからだ。いや、そもそも兄は、基本的に子供に食事と教育を与える義務と責任を負っている。
そう進言しておいて、分かった、それじゃがんばってみると言われた途端、そんなお金は出せないと言っていいものかどうか。これは機微を含む問題で、こちらのほうが問題があると言いたくなるし、実際に頭の痛い問題だった。
そんな彼女に、僕はときどきこんな話しをすることになる。
「物事には優先順位と言うものある。いくら必要でも、全ての願いを叶える訳にはいかないんだ。全てを手に入れることはできないから、普通の人は優先順位というものを考える。先ず、何が一番大切かを考えてみて。普段食べるもの、これが一番大切だよね。最優先だ」
「そうね。それは良く分かるわ」
「それで、その次のあなたの優先は何になるの?」
彼女は少し考えて、「電気やガスや水道かしら」と言う。
僕は更に、「それで、その次は?」と訊く。
彼女はまた少し考えて、「妹の薬」と言う。それを繰り返していくと、「子供の学校でかかるお金」、「通信費」、「子供の衣類」、「子供と一緒の外食費」、「子供の娯楽」と、子供に関係するものが並ぶ。
その中に、兄が始めるビジネスの軍資金は出てこない。出てくる訳がないのだ。彼女だって、その投資が利益を生んで後で何倍にもなって返ってくるなど、まるで信じていないのだから。そんな賭けをするくらいなら、現実に必要なことへお金をかけたほうが有益だということに、彼女も気付いている。
「食費や光熱費や医療費のように、絶対に必要なもの以外、一先ず無視しても大きな問題にはならないよ」
そこまでたたみかけると、彼女は「そうね」と納得する。僕も電動工具の一件で学習している。しかし機微を含む問題というのは、いつも論理的に割り切れるものではない。僕はときどき、分かっていながら騙される。少しでも兄や弟のやる気に期待をして。
ある時期から僕は、自分の犯した過ちに気付いていた。
質素な暮らしをしていた人に気前良く毎月大金を送金することが、彼女たちの生活や心理にどんな影響を及ぼすか、僕は考えもしなかったのだ。それにおそらく、僕はいくら考えてもそのことは分からなかっただろう。経験して、初めて気付いたのだ。
それが彼女たちの生活ペースを狂わせ、彼女の家族の危機感を失わせ、働く意欲をそぎ、より一層の欲をかき立てることなど。
そんなことに気付いたときには、現状を軌道修正したくても、実際それはとても難しかった。一度楽をさせてしまうと、生活レベルを下げさせるのは、余程のことがない限り忍びない。
強攻策として送金を止めてしまえば、それは裏切り行為となる。金額を減らしても、結局色々な我慢を強いることになる。以前は普通だったことも、一度贅沢を覚えた彼らには、お金が不十分な不自由がいつの間にか我慢することになってしまった。
僕にせいぜいできることは、彼女に生活の仕方を理解してもらい、そして生活の基盤をできるだけ早く築いてもらうことだった。
リンと出会って一年、毎日電話で話しをしていると、普段離れていても、それなりの情愛みたいなものが出来上がった。それは、初々しく浮かれて愛していると叫びたくなるようなものではなく、もっと大地に根を下ろすような、家族の情愛のごときものだ。
安易な例えで言えば、普段意識はしないけれど、なくなれば途端に困る、人と空気のような関係。父親が右に行きなさいと言うのに娘は逆らって左に行き、そのことで小さな諍いがあったりするけれど、気付けばいつも同じ場所にいるという間柄。
実際僕は、歳の離れたリンを、妹のような感覚で見ていることがあった。彼女に対し、自分でもよく分からない家族愛のような感情が自分の中にある。
ならばリンの自分に対する愛情は、どのようなものか。そもそも自分に対する愛という感情が、彼女にあるのだろうか。いや、きっと何かしらの愛情はあるだろうし、自分もそれを感じることができる。
しかしそれは、通常の異性を愛するというものと同じかどうかについて、その正体を見極める自信を僕は持てなかった。どちらかと言えばそれは、家族愛に近い愛情ではないかと思うことがあるからだ。それこそが、彼女がかつて僕に尋ねた本物の愛かもしれないし、そうではないのかもしれない。
僕にはその判断がつかなかった。十四歳も歳が離れ、通常の同世代の異性同士が語り合う愛というものと、自分のケースが同じ類のものかどうかについて。
彼女の生活環境を考慮すると、普通の暮らしを営めることが最優先で、歳が離れていることや、愛があるかないかということは妥協の領域に含まれているのではないだろうかという、そんな穿った考えがときどき自分の頭をかすめる。
反面、もしそうならそれでも構わない、どんな種類の愛であろうが、自分は彼女の愛情を感じるのだと納得する自分もいた。
そして、少なからず彼女に家族愛的感情を持つ僕の中には、もし彼女がお金のために仕方なく自分の恋人のふりをしているなら、彼女があまりに可愛そうだという捻じれた心情があった。腹が立つとか、騙されて悔しいというものではなく、あくまでそれは可愛そうというもので、もし本当にそうだとしたら、生活のサポートを続けながら彼女を解放してあげたいという気持ちすら僕は持っていた。
想像の域でのことだから、そんなふうに落ち着いて考えることができるのか、それとも彼女を妹のように感じる部分があるから寛容になれるのか、それは自分にもよく分からなかった。あるいは僕は、彼女の愛の種類がどのようなものかは別として、それに十分納得しているから、そう考えることができたのかもしれない。
いずれにしても、あまりに二人の生活環境が違う場合、こうした思考が頭の中を巡った。もし彼女が大金持ちであれば、僕は彼女の自分に対する愛情を、もっと純粋に捉えることができたはずなのだ。そして大金持ちの彼女は、僕の気持ちに何かしらの疑いを抱いたかもしれない。こういったことは、おそらくそういうものなのだろう。
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