第19話 フィリピンでニューイヤー

 出張から戻った日本は肌寒い風が吹く天候が続き、冬の訪れがそれほど遠くないことを感じさせるものだった。暑い国から戻ったばかりで、尚更そう感じたのかもしれない。

 肌寒さというものは、人肌を恋しくさせ、思いを寄せる人を恋しくさせる。僕にとっても、リンと一緒に過ごす幸福感が、恋しくてたまらない季節となった。

 仕事に追われているときはまだよかった。しかし、休日一人になると、そういった気持ちがますます募る。

 気晴らしに外へ出ると、買い物もコーヒーショップでの休息も、話し相手がいないことに淋しさを感じた。特に一人で外食するのが嫌になり、簡単なものを買って家に持ち帰ることが多くなった。それまでは一人のほうが気楽な性質たちだったのに、一体どうしたことだろうか。

 相変わらず毎日国際電話をかけて、彼女の声を聞いた。そして声を聞けば無性に会いたくなった。何をしても心の隙間が埋まらない。その年の晩秋は、図らずもそんな気分で過ごすことになった。

 季節が移り変わり気温が更に低くなると、寒さに気を取られて哀愁に浸る時間がめっきり減った。一般的に言われるように、秋というのは本当に恋の季節なのだと初めて実感する。

 十二月に入り、世間が少しずつ騒々しくなっていった。街の随所にクリスマスツリーを見かけるようになる。

 冬休みは再びセブに行きたいという気持ちを持っていながら、田舎の実家に帰らなければならなかった。ゴールデンウィークと盆休みに帰省していない僕は、今度の休みに帰ってくるよう、母親に口うるさく言われていたのだ。

 それでも諦めきれず、僕はセブ便の空席情報を追いかけていた。

 十二月のセブ行きは、直行便、マニラ経由含めてみるみる残席が減り、早々と一杯になっていった。そしてとうとう、ビジネスクラスも満席になった。そうなってしまうと僕の中に、ふつふつと後悔の念が湧き起こった。もし車で行けるなら、たとえ丸二日間走ることになってもフィリピンへ行くのにと、日本とフィリピンの間に存在する海を恨めしく思う自分がいた。


 クリスマスが直前に迫った、十二月二十日のことだった。突然リンと連絡が取れなくなった。電話をかけても、電源が切られているか電波が届かないという機械音声が流れてくる。

 普段もそんなことはたまにはあるけれど、必ずリンからコールバックがあった。

 夜が更けて、ふと、リンのコールバックがないことに気付いた。もう一度こちらから電話をしてみると、相変わらず電話からは無機質な機械音声が聞こえてくる。

 ようやくいつもと様子が違うことに気付いた。翌日が休日だったその日、僕は夜明けまで電話をかけ続け、それでも状況は同じだった。こんなことはリンと付き合って初めてのことだ。

 彼女に何かあったのではないかと、僕は心の置き場を失った。何も手につかない状態で、リンに連絡をとる方法を考えた。リンの家族の電話番号を、自分の携帯に登録しておくべきだったと深く後悔した。

 昼過ぎに、ようやくリンから電話が掛かってきた。僕はいつものように呼び出しが終わるのを待ち、すぐにこちらからかけ直した。

 電話に出たリンの声は、反響音が混ざり、彼女が自分の部屋ではない場所にいることがすぐに分かる。

「今病院にいるの」と彼女は言った。

 病院という言葉に、胸騒ぎを覚えた。リンの声には、いつもの張りがない。

「誰かが病気になった?」

「わたしが入院しているの」

 意外な返答に、僕は一瞬固まる。

「どうした?」思わずそれは、抑揚のない口調になった。

 リンの説明は、生理でもないのに出血が酷く、貧血を起こして倒れたというものだった。

「ごめんなさい」と彼女が言った。

 彼女の謝る声がかすれ、涙声にも聞こえる。なぜ謝るのかよく分からないけれど、それより彼女の現状が気になった。

「それで? 今は大丈夫なの?」

「わたし、お腹の中にあなたの子どもがいたの。でもドクターに、今回は諦めなさいと言われた。本当にごめんなさい」

 僕はその言葉で、自分の身体が更に固まった。そしてわずかな時間、二人が出会ってからの軌跡が頭の中をよぎる。

 結果的に流産したけれど、彼女が自分の子供を身ごもった事実が重くのしかかった。

 詳しい話しを聞きたいけれど、彼女は電話口ですすり泣きを始めた。

「身体はもう大丈夫なの?」

「ええ、大丈夫。でも、もう少し病院で休まなければならないみたい」

「分かった。とにかく余計なことは考えないで身体を休めて」

 電話を切ったあと、僕は落ち着かなかった。気丈な彼女が泣いていたのだ。こんなときすぐに駆け付けられないことに、無性に苛立つ。

 僕は車に飛び乗り、旅行代理店に向かった。おそらくチケットは買えないだろうけれど、それでも試さずにはいられなかったのだ。


 年末が近いせいで、入り口で取った整理番号は、今呼ばれている人の番号から随分遠かった。病院の待合室にあるような長椅子に腰掛け、しばらく待たされる。窓口で立つ人に、どうしてそんな余計なことで長話しするのかと、毒づきたくなる。

 ようやく自分の番になり、年末年始のセブ行きチケットを尋ねた。カウンター越しに、係の女性がキーボードを叩きながらパソコン画面をチェックし、こちらに顔を向ける。

「行きが十二月二十七日で、帰りが一月六日であれば、直行便の空席が一つだけ残っています。まだ予約を入れていませんので、別の場所でどなたかが確定してしまえば、これも取れなくなります」

 たまたまキャンセルされた席が残っていた。

 会社の年末年始休暇は、十二月二十八日から一月五日だった。そのチケットでセブに行くには、正月休みの始めと終わりに、一日ずつ休暇を付けなければならない。

 またか、と僕は唸る。ゴールデンウィークに切り札を使ったばかりで、次にそれを使うとしても、最低一年はほとぼりを冷ましたいところだった。

 しかしこのチケットを逃せば、同じような幸運には二度と巡り合えない。

「銀行でお金をおろしてすぐ戻ります。そのチケットを今すぐ押さえて下さい」

 僕はまたもや、後先考えずにそう言った。

 チケット購入後、田舎に電話をし、正月は帰れなくなったと告げる。母親には文句を言われたけれど、仕事の都合だと言い通した。

 会社の休暇は、今度はまっすぐ攻略することにした。休日明け、すぐに休暇願いを部長に提出した。今度は言い訳を一切言わず、私用で押し通した。他の者にしめしがつかないと小言をもらいながら、結局僕は上司の判をせしめることに成功した。

 リンはその日、無事に退院した。クリスマスを自宅で過ごせることになったと、彼女は喜んだ。

 体調のことを尋ねると、彼女は問題ないと言った。しかし電話を通した彼女の声に、いつもの覇気が感じられない。病人のような声だ。いや、彼女はまだ、本当に病人かもしれない。

「なんか元気ないね」

「そう? 大丈夫よ。少し疲れているだけ」

「それならいいけど。ところで、クリスマスのあとは、何か用事ある?」

「何よ、突然。何もないわよ」彼女が電話口で、怪訝な顔を作っているのを僕は想像した。

「それじゃあ退院祝いで、何か美味しいものを食べに行こうよ。それでもっと元気が出るかもしれない」

 きっと彼女は、あなたは何が言いたいの? と思っているに違いない。

 彼女は「どういうこと? 美味しいものを食べに行けってこと?」と言った。

「そう、僕も付き合うから」

 少しの沈黙が訪れた。リンには、ニューイヤーは田舎に帰ると伝えていたきりだったから、彼女は混乱しているのだ。

「え? よく分からない」

「二十七日の夕方、セブに行くから」

 彼女は上ずった声で、「ほんと?」と言った。

 ここで、嘘と答えたほうが何となく収まりが良いような気もしたけれど、僕は「ほんと」と本当のことを言った。


 十二月二十七日夕方、こうして僕は、幸運のキャンセルチケットで再びセブの地に足を下ろした。

 年末のせいと日本の便に香港からの到着便が重なり、セブの空港内外は大混雑していた。空港前の到着者を待つエリアも、いつにも増した人だかりができていた。

 病み上がりのリンが心配で、僕は空港からホテルへ自力で向かうと言ったけれど、彼女はジミーの車で空港へ迎えに来てくれた。

 その年は、ほぼ二カ月置きにリンと会っている。これほど頻繁に会えることが、とても意外だった。

 実際リンに会ってみると、彼女は思ったより元気そうで、僕は拍子抜けとなった。もちろん満身創痍まんしんそういでも困るけれど、元気はつらつとされれば、無理をした甲斐が半減するような気もする。

 いつもと同じホテルに到着すると、既に顔なじみの僕たちは、ウエルカムバックとにこやかに迎え入れられた。ホテルのスタッフは僕だけでなくリンにも気遣い、いつも便宜を図ってくれる。部屋に入ると、頼み忘れたコーヒーメーカーも部屋に届けられていた。

 僕は真っ先に、身体のことを彼女に確認した。

「体調は、本当にもう大丈夫なの?」

「四日も入院したから、逆に身体がなまったくらいよ」

「妊娠していたというのは、間違いないの?」

 彼女は頷いてから言った。「自覚があったし、ドクターにも言われたの。大切な子供だったのに、本当にごめんなさい」

 まるで唯一無二の跡取りを、不注意で失ってしまったかのような言い方だった。大切な子供と言ってくれるのは嬉しいけれど、もし流産していなければ、僕はもっと慌てていたかもしれないのに。

 もちろん子供ができたとなれば、その子をどうしたいか、リンの意向を確認しただろう。彼女が生みたいと言えば、僕は堕ろせとは言わない。それに二人の子供ができたら、おそらく自分は結婚の方向で二人のことを考える。そうなれば僕のそれからの一年は、随分慌しいものになったはずだ。

 流産のことは、妊娠したことも知らなかった僕にはあまり実感が湧かなかった。ただ、心のどこかに少し残念な気持ちがあることを、僕は意外に感じていた。

「もっと早く知らせてくれたらよかったのに」

 もし知っていたら、クリニックで度々診察するように仕向けるなど、もっと注意できたかもしれなかったのだ。そう考えながら、実は自分は、その子が欲しかったのではないかということに気付いた。

「病院ではっきりさせてから、知らせようと思っていたの」

「子供のことは残念だけれど、今更考えても仕方がない。自分を責めないで欲しい。それに今度からは、お互い妊娠に対してもう少し注意しないと。不注意で妊娠というのは避けるべきだと思う」

「そうね。わたしもそう思う」

 その日の夕食は、ホテルのルームサービスで済ませることにした。彼女の体調をよく確認するまでは、無理をさせたくなかったのだ。もちろん外に遊びに行くなど論外だ。本人は大丈夫と言うけれど、僕は自分でも意外なくらい、彼女の体調管理に慎重だった。


 翌日は、リンのファミリーと夕食を共にした。

 リンのお母さんは僕の手を取り、まるで生き別れた息子にでも会ったみたいに、顔をくしゃくしゃにして再会を喜んでくれた。随分前に、戦争孤児と実の親が再会を果たすというテレビ番組があったけれど、二人はまるで、そこに登場する親子のようではないかと思ったくらいだ。僕も思わず、お母さんにハグをする。

 リンのお兄さんも一緒だった。お兄さんの子供は七人全てが勢ぞろいし、下の子二人との初対面となる。家具職人の仕事は順調ですか? と訊いてみたくなる気持ちを横に置き、前回同様、お互いにこやかに握手を交わした。

 十二月末のセブには、まだクリスマスの電飾が至る所に残っていた。以前リンが話した通り、街は電飾の花畑となり、一部では幻想的な美しさを放っていた。そうなると気温に関係なく、確かにクリスマスの雰囲気に浸ることができる。なるほど、暑いクリスマスは本当に存在するのだ。

 セブシティーの中心部に、オスメニアサークルという、とても大きなランドアバウト(交差点代わりの円形道路)がある。セブでは一つの地理的目印となるものだ。そのサークルの中が広い空き地になっていて、そこに高さ十メートルかそれ以上の、とにかく大きなクリスマスツリーが飾られている。普段は何もない場所で、そこに人は入り込まないけれど、その時期だけはジュースやお菓子や軽食の屋台がたくさん並び、家族連れの人たちで賑わっていた。

 僕たちも祭りのような賑わいに誘われるように、食後はオスメニアサークルの中を散歩した。巨大クリスマスツリーをバックに写真を撮り、子供たちに綿菓子や水素風船を買うだけで、散歩が特別なイベントになった。夜の風は涼しく、電飾の煌く中をみんなでゆっくり歩いていると、僕は本当にリンのファミリーの一員になったような気分になった。

「クリスマスはフィリピンで、一番大きなイベントデーなの。十二月二十四日から二十五日に切り替わる真夜中が、重要な時間なのよ」

「フィリピンの人は、そのときどうするの?」

「家族全員が家に集まって、お祝いのご馳走を用意するの。あなたももう少し早く来ることができたらよかったのに」

「ご馳走が豪華になるから?」

「ボアン《ばか》、そんな訳ないでしょう? そのとき一緒にいることが大切なのよ」

 当日はこうして家族で集い、穏やかにイエスの誕生を祝ったのだろう。もし参加していたら、それは楽しく癒される時間になっていたはずだ。


 僕は前と同様、ホテルはスリーベッドの部屋を取っていた。しかし、子供たちは翌日から合流することになった。リンが、自分の働いていたバーに行きたいと言い出したからだ。彼女の体調を考えれば無理をしたくなかったけれど、彼女はどうしても行きたいようだった。僕は短い時間という条件付きで、それを了承した。

 バーの中は、相変わらず閑散としていた。働く女性も代わり映えしない。どうしてこんな状況で営業を続けられるのか、不思議なくらいだ。

 オーナーは本当はとてもお金持ちで、店は単なる趣味なのだろうか。あるいは、サラリーのほとんどは実績に応じたコミットメントのため、経費が少なく済むのかもしれない。

 その店に行くと、僕はいつも、初めてリンと出会ったときのことを思い出す。たまたま目に付いた店に入り、たまたまリンが横に座った。そのとき彼女に客が付いていなかった。

 もう少しその店を訪れる時期が遅かったら、彼女はそこを辞めていたかもしれない。逆に早すぎたら、僕は別の女性を横に付け、その店に行けばいつも最初に指名した女性を指名していたかもしれない。そのあと仮にリンを店の中で見かけ綺麗な人だと思ったとしても、僕は指名変更などしないはずだ。指名している女性のプライドを傷付けるそんなことは、できるはずがない。

 二人の付き合いには、こうしたたくさんの偶然が必要だったのだ。何か一つでも狂っていれば、こうしてリンと付き合うこともなければ、プライベートでセブに来ることもない。

 出会いというものは全てが同じだけれど、この偶然の積み重ねがとても不思議に感じられる。人によってはそれを運命と表現し、実際にそう言っても差し支えないほどの偶然が、二人の出会いに寄与している。

 所詮宇宙は一つの箱の中だ。だから僕と彼女が偶然出会っても、それはさほど珍しいことではない。二人は、小さな箱の中にいるのだから。

 そう考えようとしても、やっぱり宇宙は広い。いや、地球だって十分過ぎるほど広いのだ。となれば、二人が出会ったのは奇跡的なことなのだろう。

 リンは友人との話しに夢中になっていた。よく笑っている。とても元気そうだ。彼女が幸せならば自分の気持ちは軽くなる。古巣の店に来たのは正解だったと思う。

 リンが店を訪れたことには、一つの理由があった。店に向かう前、彼女は一つのお願いごとをしたのだ。

「わたしね、友だちに少しお金を渡したいの。そんなに大きなお金じゃないのよ。自分は今、少し余裕があるから、彼女たちを助けてあげたいの。あなたはそれでも構わない?」

 僕はそれを了承した。

「お金があなたの手元に渡った時点で、それは既にあなたのものだから、自分の生活が困らないなら自由にすればいい」

 彼女はほっとした顔で、「ありがとう」と言った。

 その言葉の通り、店を出る前、彼女は誰にも気付かれないよう、二人の女性にこっそりお金を握らせた。握らせる程度だから、おそらく金額は大きくないのだろう。それを受け取った女性たちは、僕に控え目に頭を下げた。僕もそれに小さく頷いて、二人は速やかに店を後にした。

 フィリピンという国は、面白い文化を持つ。助けられる人が、助けを必要とする人を助けようとする。日本人から見れば、全員が同じように貧しい貧困街にも助け合いが存在する。本当に粗末な生活をする人でも、食べることがままならない人がいれば食料を分け与えるのだ。その代わり、自分たちを助けることができる人に助けを求める。そういった助け合いの関係が、富裕層から貧困層まで連なっている。全てがそうではなくても、フィリピンには文化として、そういったことが根付いているのだ。

 少し前のクリスマス当日、電話の会話でリンが了解を得ようとしたことがあった。

 彼女は近所の人たちに、米を詰めた靴下を配りたいと言ったのだ。靴下に入るくらいだから、一合かせいぜい二合程度の米だろう。気持ち程度でも、可愛そうな人にプレゼントをあげたいと言うのだ。

 もちろん僕は喜んで了承し、リンはクリスマスイブの夜に米を配った。僕が彼女にお願いしたのは、無理はするなという体調のことだけだった。

 僕は靴下を配った話しを聞きながら、それを配っているリンのことではなく、そんなプレゼントを不意にもらった人たちのことを想像した。驚いたり感謝をするのだろうか。それとも、あなたは少し豊かになったのだから、米をくれるくらいは当たり前という感覚なのか。

 いずれにしても、靴下に米というアイディアは悪くない。僕はその話しを聞いて、ほのぼのとした気持ちになった。自分のお金が、そのような形で誰かの助けに繋がっているのは、こちらが救われるような気になる。

 彼女は、クリスマスが過ぎてバーに米の入った靴下を持っていくわけにもいかず、代わりに気持ち程度のチップを渡したかったのだろう。

 客観的に考えれば、人からサポートを受けたお金をそんなふうに使うのはどうか、と言いたくなる人もいるだろう。もし大きな金であれば、僕も苦言を呈したかもしれない。

 しかし、そこで使われるお金は気持ち程度だ。そしておそらく、助けを必要とする人を見て見ぬ振りするより、僅かでも手を差し伸べることができたら彼女の気持ちが救われる。

 そうであるなら、そんなリンの行為に対し、僕が微笑ましい気持ちにならないわけがない。


 頑張ってセブに来たのはいいけれど、リンは意外に元気だし、元々セブに来るつもりのなかった僕は、帰国までどう過ごすかを思案しなければならなかった。

 毎日のんびり街をぶらつくのも悪くないけれど、食事やショッピングや映画にマッサージとなれば、結構お金がかかる。子供たちに、次回はもっと楽しいアクティビティーを用意すると約束もしていた。

 どうせお金がかかるなら、思い切って近場のリゾートに旅行しようかと、子供たちが一緒のミニ旅行をリンに提案してみる。

「ボホールなんかはどうだろうか?」

 もちろん彼女は大賛成だ。子供たちはボホールに行ったことがないらしい。それなら尚更好都合だ。子供たちは喜ぶに違いない。

 早速調べてみると、フェリーが到着するタグビララン港の近くに、大きなリゾートホテルがあった。港から延々と走らなければならないパングラオより、子連れにはずっと手軽な場所だ。フェリーを使うから、旅行気分も盛り上がる。

 ホテルも決まり、三泊四日の予定で出発日を十二月三十日とした。つまり大晦日も元旦も、リゾートホテルで過ごすのだ。

 ビーチリゾートで年末年始を過ごす。

 そこには、憧れにも近い豪華な響きがあった。もちろん生まれて初めての経験だ。

 小さすぎる子は手が掛かるからと、連れていくのは上の五人とリンが決めた。ボホールは二人にとって三度目でも、子供を連れていく旅には違った趣きがありそうだ。

 いざ出発の日を迎えると、子供五人の荷物を整理するだけでてんてこ舞いとなった。僕は、フェリー出発時刻の三十分前には乗り場に到着したくて、刻々と過ぎる時間に焦りを覚えた。

 ようやくリンのアパートを出てタクシーに乗ろうとすると、リンが忘れ物に気付いてアパートに戻った。そんなことをしながらフェリー乗り場に到着すると、リンがアパートに財布を置き忘れてきたことが分かり、僕は青ざめた。ほとんどの現金をリンが持っていたからだ。

 僕は自分の財布をひっくり返し、有り金全てをリンに渡し、先にフェリーチケットを買うようお願いした。その間に、港近くのATMを探し、そこで現金をおろして駆け足でフェリー乗り場に戻ったのだ。それだけで僕の顔には、滝のような汗が流れていた。

 どうにかフェリーの出発に間に合い、乗船後に一息つくと、今度はたまたま隣に座るアメリカ人が、煩わしいくらいずっと話しかけてくる。

 アメリカ人は、どうして口を閉じてじっとするのが苦手なのだろう。僕はその素朴な疑問を、抗議の意味を込めて本人にぶつけたくなった。


 タグビラランの港に到着すると、たくさんのトライシケルが待ち構えていた。大勢のドライバーが、客を捕まえようと必死に手を上げている。懐かしい光景だった。前回遭遇した、パングラオのハプニングを思い出す。

 今回はホテルに、港からの送迎をお願いしていた。港からホテルまで、車でほんの十分程度だった。前回学習したおかげで、ボホールに到着してからは全て順調に事が運んだ。

 ホテルのゲストルームはバンガロータイプで、一つの建物に四ルーム入っている。そんな建物が、敷地内に二十棟ほどあった。つまり全部で、八十から百くらいの部屋があるという規模のホテルだ。

 部屋の前に、真っ青で静かな海が広がっていた。ベランダのサッシをあけると、涼しい潮風が部屋の中に入り込む。

 僕は直ぐにエキストラベッドをオーダーした。これで寝るスペースは十分だ。

 部屋に入る前、敷地の中にあるひょうたん型の大きなプールが見えていた。椰子の木とパラソル付きのサマーベッドやテーブルに囲まれた如何にもリゾート風のプールで、水面が太陽の光を反射して輝いていた。ひょうたん型のプールの他に、円形の大きなプールも二つあった。おそらくそれぞれ、水深が違うのだろう。もちろん子供たちは、セブのホテルと同様、プールを見て色めきたった。遠慮して言葉には出さないけれど、子供たちはすぐにでもプールで遊びたいのだ。

 さっそく、子供たちを引き連れてプールに行った。日本語の小説も持参し、子供たちが水深の浅いプールで遊ぶ間、僕はプールサイドでのんびりそれを読んだ。そして暑くなるとプールに入り、疲れると再びプールサイドで休むということを繰り返した。リンは部屋で休憩すると言ったきり、プールには姿を見せない。

 夕方五時を過ぎた辺りで、ずいぶん静かだと思っていたリンから電話が入った。

「そろそろ食事を始めたいから、戻ってきて」

「随分早いね」

「もうお腹が空いたわよ。食事の準備はできているから、すぐにディナーを始めましょう」

 食事の準備ができている? 僕は意味を掴みかねながら、既に二時間以上続いていたプール遊びを切り上げ、子供たちと部屋に戻った。

 部屋に入って驚いた。

「これは、なに?」

「何って、今日の夕食よ」そう言う彼女の口には、既につまみ食いした何かが入っている。

 部屋の中が、ルームサービスの料理で溢れかえっていたのだ。テーブルに収まりきれない料理の皿が、キャビネットの上にも並んでいる。

「これ、誰が食べるの? っていうか、僕たちが食べるんだよね」

「そうよ」彼女は平然と答えた。

 まだ時間が早いから、おそらくあとでお腹が空くだろう。そのときの夜食の分も十分含まれる量だ。部屋の中は、バフェスタイルのレストランさながらとなり、各自皿を持って料理を取ることになった。もちろん子供たちは、そんな食事に大喜びだ。


 翌日はボホール島が初めての子供たちのために、ドライバー付きレンタカーで、島の中を一通り探検した。

 世界一小さい猿、ターシャとのスキンシップや、チョコレートヒル、ロボック川の水上散策はもちろんのこと、鍾乳洞探検、吊り橋、バクラヨン教会、血盟記念碑など、主だったボホールの観光地巡りは丸一日かかった。どこに行っても姉妹は寄り添い、彼女たちの仲の良さがしみじみ伝わってくる。

 その日は観光疲れで、夜のプール遊びもせず、夕食後の九時には僕を含む全員がダウン。早い時間に就寝した僕は、夜中に爆竹の音でかすかに目覚め、その次に目が覚めたのはしんと静まり返る五時少し前だった。

 コーヒーを淹れてベランダに出ると、朝焼けに輝く美しい海が、目の前に静かに横たわっていた。小波が光の変化を生み出している。小船が少し沖のほうや砂浜近くに停留され、所々に何のためのものか分からない人口の木製の小島が波間に浮かんでいた。すぐ近くには、十メートルくらいのバナナボートも数隻停留されている。昼になれば、マリンスポーツの道具として使われるのだろう。

 そんな景色を眺めながら、コーヒーを飲みタバコを吸う時間は格別だった。物音は、海鳥の鳴き声くらいだ。

 こんな景色を見ないなんてもったいないよ、とみんなに言いたかったけれど、全員ぐっすり眠っている。

 ふと、その日が元日であることを思い出した。おそらく夜中に聞いた爆竹の音は、年が変わったお祭り騒ぎだ。

 元日であることに気付くと、海のほうから昇った朝日がとても厳粛なものに思えてくる。僕は一人で、特別な初日の出を目の当たりにしているのだ。

 いつまでもこんな平和な時間を持つことができるように、僕は心の中で祈願した。


 昨晩就寝が早かったせいで、七時になると全員起床した。それで少し早めに朝食を取ることにする。

 ホテル内のレストランで、僕らは屋外の、海が間近に見えるテーブルについた。緩やかな潮風が、僕たちの身体を撫で続ける。

 元旦でも、ホテルはいつもと変わらない営業をしているようだ。特別な料理やサービスは特にない。

 テーブルで顔を揃えた子供たちに、その日の予定を発表した。

「本日は決まった予定は一切なし。各自自由行動。一日中プールで遊んでもいいよ」

 五人の子供たちはむきっと歯ぐきを出した笑顔で、僕に親指を立てた。そして主食にサラダやデザートまである朝食。子供たちはそんな朝食に大満足だ。もちろん僕も満足している。まさにリゾート地のバカンス。何もせず、何も余計なことを考えない。ないことずくめで予定は未定のバカンスだ。

 僕はときどきコーヒーを飲み、プールサイドで子供の様子を見ながら読書ができれば、あとは何も要らない。リンは僕がそうやって過ごすことに何も口出ししなかった。彼女はプールサイドと部屋を、行ったり来たりしていた。

 こうしていると、子供たちは僕とリンの子供で、自分たちが家族旅行をしているような錯覚を覚えた。

 リンは姪たちを自分の子供のように可愛がったし、子供たちもリンのことを実の母親のように慕っている。他人の僕でさえ、彼女たちが自分の娘のような気がしてくるのだ。

 フィリピンの家族の絆とは、きっとこうして作られるのだろう。書類上は姪と叔母の関係にあっても、実際には実の親子のような関係にある。そうであれば、子供たちが大きくなっても、その関係は親戚を超えた家族の関係であって、それが傍目に見えるフィリピンファミリーの絆の強さなのだ。そして僕は、仮にリンとの関係が途絶えたとしても、生涯彼女たちのアンクルなのかもしれない。


 三泊四日のボホール旅行からセブに戻ったのが一月二日。日本は正月真っ只中でも、フィリピンではハッピーニューイヤーという言葉を掛け合うだけで、街やホテルの雰囲気はいつもと変わらなかった。クリスマスで散財したあとでは、正月にまでお金や時間をかける元気がないのだろう。

 子どもたちは毎日ホテルのプールで遊び、一緒に食事をし、一つ部屋で共に寝起きした。子供たちにとって、リゾートホテルと街中のホテルに違いがあるのか分からないけれど、相変わらず彼女たちは、毎日とても楽しそうに過ごした。

 そんな中で、僕はリンに、一つの相談を持ちかけた。

「お金のことで話したいことがあるけど、いいかな?」

 彼女は、お金の件ということで、少し緊張の表情を見せた。

「お金が少しずつ減ってきている。まだ大丈夫な今のうちに、送金額を減らせるように考えておきたいんだ」

 リンに送金を始めて、七ヶ月が経過した。最近の送金額は、当初予定した送金額の二倍程度になっている。実際に始めてみると予定外の出費が多く、それは追加送金を余儀なくされたためだ。それに加え、日本側で掛かる通信費と、今回や香港に行ったときのような旅行費用がかかる。基本的な定期送金は月々の給料の中で賄えるけれど、それ以外の出費は預金を取り崩す必要があった。その結果、預金額が着実に減っている。

 今の時点では問題なくても、この状態を継続すれば、いずれはマイナスになってしまうのだ。せめて、追加分だけでもリンが上手にコントロールしてくれたら、それだけで随分助かる。

「送金を止めたいという話しをしているわけじゃない。それは誤解しないで欲しい。ただ、もう少し長期的に考えておかないと、将来どこかで破綻するかもしれない。それを防ぐために、どうするかという話しをしているんだ」

「実際、どうすればいいの?」

「例えば毎月生活にかけるお金を決めて、それを超える分は使わない。部屋代、電気や水道やガス代、これは絶対に必要だよね。それと食費も必要だ。あとは子供たちの学校関係のお金も、必要なものとして月々の予算に組み込む必要がある。でもそれ以外は、我慢しようと思えばできると思う」

 彼女はそうねと頷く。

 僕はもちろん理解している。これは口で言うのは簡単で、しかも自分は正しいことを言っているけれど、実際に実行するのは難しいことを。それが簡単なら、おそらくリンは、とうにそれを実行しているはずだ。

 僕は、もう一つお願いがあった。

「あなたにも、できれば仕事をして欲しい。これは長い先のことを考えてのお願いなんだ。例えば僕だっていつ死ぬか分からない。日本に向かう飛行機が事故で墜落するかもしれない。あるいは病気になって、入院してしまうかもしれない。でも今はまだこうして元気に生きて働いている。僕が大丈夫なうちに、あなたに生活の基盤を築いてもらいたい。僕が大丈夫なうちは、お金は何とかなると思う。そうであればあなたの給料が安くたって構わない。もし、将来ある程度の収入が見込める仕事だったら、今は無給でもいい」

「でも、ここにはまともな仕事は本当にないわよ」

「それは理解している。だから、将来性があれば何でもいいんだ。可能性を広げるだけでいい。何もしないよりましだ。かつてあなたが言ったよね、百ペソの賃金は低いけれど、零よりはましだって。それと同じ考え方だよ」

 リンは一言、オッケーと言った。了解したとも、投げやりにも取れる言い方だった。

 僕は本来、彼女にお金の話しはできるだけしたくない。しかし、彼女も現状に対して一抹の不安があるはずなのだ。僕が突然死んだら、月々の送金は途端に途絶える。死ななくても、会社を首になれば似た状況が生まれる。いや、彼女にとっては、僕の気が変わるだけで全て終わりだ。それに彼女は、お金のお願いをする際、いつも申し訳なさそうにする。僕は彼女が、そんなときに嫌な思いをしているだろうと思っている。誰だって、お金の無心はできるだけしたくないのだ。

 そうならば、彼女に自力で立つことを真剣に考えてもらいたかった。自分の力で生活できれば、生きる自信にも繋がる。その試みが失敗しようが、今なら生活を維持しながら次の挑戦ができる。生活できているから考える必要がないのではなく、生活できている今が、彼女にとって考えるチャンスなのだ。

 僕は彼女が、自分の言いたいことを理解できると見込んでそんな話しをしていた。見込みがなければ、僕はおそらく放っておく。お互い嫌な思いをして、結果がでないのは無駄なことだ。

 それでもあまりしつこく追求すれば、本当に嫌われるだろう。僕は彼女の短い返事で、その話しを打ち切った。

 休暇の残りはセブのホテルを基点として、子供たちを中心にプールや映画やショッピングを楽しんだ。休みが終わる頃には、僕もリンも、流産のことをすっかり忘れるくらい、充実した日々となった。


 翌日はいよいよ帰国という日、夕食後に子供を家に帰したリンが、ホテルの部屋で話し出した。

「あれからわたしの仕事のことで、色々と考えてみたの」

 彼女は実際、そんな話しは気にかけていないだろうと疑っていたから、少し意外だった。

「わたしね、ケアギーバー(介護士)の仕事を目指そうと思うの。その資格を取れば、日本で働くこともできるわ」

 唐突に出現したケアギーバーという言葉に、僕ははっとした。目の付け所は悪くない。資格を武器に、世界中で働くことのできるチャンスに巡り合えるのだ。

 フィリピン人が、ケアギーバーとして世界中で活躍していることは知っていたから、それが現実味のある話しに感じられた。

 カナダやイギリスでケアギーバーとして働けば、月に四十万円ほど稼げるという話しも聞いている。日本でも、これからの高齢化社会にどう対応するかが社会的に問題視されていた。

 それに対し日本政府は、介護士のなり手を海外に幅広く求める方針を発表し、具体的な法整備を進めると言った。この方針の中で、政府はフィリピン人に門戸を開くことも伝えていた。

 そんなタイムリーな環境変化に、リンの話しはマッチしている。既に介護士として日本で働くフィリピーナについては、明るく優しく物怖じせず、人の嫌がることを進んでしてくれると、現場の評価は上々だった。

 僕は、このケアギーバーの資格を取るアイディアに、もろ手を挙げて賛成した。

「それはいい考えだと思う。でも、どうやって資格を取るの?」

「専門の学校に通うの」

「看護士と同じように、介護士の学校がセブにあるの?」

 彼女はそうよと答える。

「分かった。その話しを進めよう。学校を決めて情報をくれないかな。できるだけ早く入学手続きをしよう」

 彼女の話しに、未来が開けそうな希望の光を感じた。僕は、突然自分の目の前に出現した大家族を養うということに、大きなプレッシャーを感じていたからだ。それでも、送金のコントロールはまだ可能だと思っていた。要望の金額を送金できなくても、通常の食費や公共料金や部屋代くらいは間違いなく送れる。それ以外の要望は、蹴散らしても彼女たちが飢えることはない。僕の月極め送金額は、彼女たちがこれまで暮らすのに掛けていた金額より、ずっと大きいはずだからだ。

 僕が最も恐れていたのは、送金額を減らす事態に陥ることより、自分に病気や事故で何かがあったとき、彼女に対する保障がないことなのだ。送金が零になれば、それはアパートまで借りた彼女たちの生活に大きなダメージをもたらす。そしてリンは、バーに戻らなければならないかもしれない。一時的に夢を見てしまった彼女たちは、その生活を以前に増してどん底に感じるだろう。生活レベルを少しでも維持しようとすれば、今までにない無理をする必要も出てくるのだ。

 僕はそんな事態を想像するだけで、いたたまれなくなった。それが自分にかかるプレッシャーで、彼女たちにとっての大きなリスクなのだ。そんなリスクを軽減できる可能性を秘めたリンの提案は、とても魅力的だった。そして彼女が自分の人生に前向きな姿勢をみせてくれたことが、僕は嬉しかった。

 僕が帰国したあと、リンは早速ケアギーバーの学校へ行った。しかし年度の切り替えは九月で、それまで入学を待たなければならない。

 彼女は、学費、授業内容、資格取得までの段取りなどの下調べをし、報告してくれた。

 授業料はそれほど安くなかった。職に有り付ける学校で、しかもそれが高給であるせいか、授業料が高くても人気があるようだ。

 身の回りに、海外で看護士や介護士の職について新築の家を持つ人が一人や二人でなければ、我もそれに続けという人が多くいても不思議はない。もちろんその夢に近づくことができるのは、安くない学費を払える人に限定されるのだけれど。

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