明日香村

ねこねる

明日香村

 今日は待ちに待った修学旅行。東京生まれ東京育ちのわたしにとっては初めての関西だった。そう、定番の奈良への旅だ!


 しかし、ひとつだけ、だけれど致命的なほど残念なことがある。わたしの大親友であるアキナが風邪で休んでしまったのだ……。わたしたちの学校の伝統で、修学旅行の2日目の夜には必ずプレゼント交換会をすることになってる。そのためのプレゼントも先週アキナと買いに行ったのだが、どうせ修学旅行にいっしょに持っていくのだからとアキナに預けてしまっていた。つまり、ほかに仲のいい友だちもおらず、プレゼント交換会にも参加できない、楽しみ半減の旅行になってしまったのだ。


 しかーし! 落ち込んでばかりもいられない。高校生の修学旅行は何度もあるものではないのだ。半減とはいえ、残りの半分はめいっぱい楽しまねばもったいない。ほんとはアキナと座るはずだったこの新幹線の二人がけの椅子もひとりで使えるのだ。2倍である。少しだけお得な気分になったわたしは、これからの旅を想像することにした。まずはしおりを開く。行き先は奈良。そう、奈良である。京都ではない。だいたいの学校は奈良と京都にセットで行くのではないかと思う。わたしもそう思い、以前に担任のボブ-もちろんあだ名で、れっきとした日本人である-に質問をしたことあるが、「なぜ奈良と京都はセットにされるのだと思う? 奈良県も広い。全て見てまわるには1日2日じゃたりないのに。京都に行っている暇などないというのに! それでもみなセットにしてしまうのはな、奈良は宿が少ないからだ。宿さえとれれば京都に行かずともいいのだよ」と奈良出身のボブに熱弁を振るわれた。


 どこまでが真実かはわからないが、そんなことを思い出しながらぼーっとしおりを眺めていると、わたしはいつのまにか眠ってしまっていたようだ。騒々しい車内の中でよく熟睡できたものだ。気づけば新幹線は京都に着いていた。ここから乗り換えて奈良に向かうらしい。一度京都を経由するのか……やっぱり京都も観光してもいいのでは? と疑問に思いながらもわたしたちはオレンジ色の近鉄電車に乗り込んだ。目的地は明日香村。しおりの情報によると、明日香村は1400年前は日本の首都だった土地だ。村のあちこちにかの聖徳太子や蘇我氏などの有名な偉人たちのゆかりの地が点在しているそうだ。きっと和風な建物とかが所狭しと並んだ街並みがきれいなんだろうなあ、と妄想をしていたが、その地に足をつけてみると思っていた景色とはまったくの別物だった。駅前はほどほどではあったが、村というだけあって建物はぽつんぽつんとしか存在しておらず見事なまでの田園風景が広がっていた。のどかな自然の中を歩いているとまるで心が洗われるような気分になれた。もちろん歴史的建造物や古墳もある。聖徳太子が誕生したとされる橘寺や龍が封じられているという岡寺。美人壁画が残される高松塚古墳に巨大な石がたくさん積まれてできている石舞台、四神の壁画が残るキトラ古墳。猿石や鬼の雪隠などの謎の石から首塚まで。こんなにたくさんのスポットが少し歩くだけでいくつもでてくるのだ。わたしはすっかり明日香村に魅了されていた。特にわたしが気に入ったのは蘇我馬子のお墓と言われている石舞台だ。外から見た時は巨大な岩にしか見えなかったが裏にまわってみるとぽっかりと大きな口をあけた石室がある。中は自由に入れるようになっているので、わたしもさっそくお邪魔してみた。浮かれた気分で足を踏み入れると急に世界が変わったような錯覚を覚え凍りつく。これまで聞こえていた鳥の声や人の気配がすーっと消えていくのがわかった。快晴の空も緑の田園も、一切の光も音も通さないような静寂に包まれる。これを神秘的と言わずとしてなんと言おうか。たかだか数メートルしかないその空間でわたしは何時間でも過ごせそうな気持ちになった。


 さて、ここからが本題である。石舞台というお気に入りスポットも見つけ、明日香村を堪能していたわたしだが、実はこの地で不思議体験をしていた。それは安居院こと、飛鳥寺でのことである。飛鳥寺は聖徳太子と蘇我馬子が仏教を広めるために建立した日本最古の本格仏教寺院。本尊は釈迦如来像の、いわゆる飛鳥大仏と呼ばれている仏像である。この飛鳥大仏を拝観していたときのこと。なんか誰かに似てるんだよなーとありきたりなことを思いながら飛鳥大仏を見つめていた。彼は優しく男気あふれるお顔でわたしを見つめ返していた。おそらく数分くらい、じいっと見ていたときだった。ふと、何か声が聞こえた気がした。なんと言ったのかさっぱりわからないけれど、なにかささやくようにその声はわたしの耳に届いた。ふんわりと今までに嗅いだことのないいい香りが漂う。一言で表すならば、フィーリング。そう呼ぶしかない何かがわたしと彼との間を駆け巡った。強い風が吹いたような、電撃を浴びたような、不思議な錯覚を覚えてわたしはアッと目を閉じた。再び目を開けると、相変わらず優しい微笑みをたたえた飛鳥大仏がそこにあるだけだった。


 それからバスで移動してあちこち廻り、宿に戻るまでの数時間はぼんやりと観光を楽しんで過ごした。彼の顔が頭から離れないようなそうでもないような気持ちだった。でも宿のごはんは最高だった。東京でたまに食べて微妙に思っていた柿の葉寿司も、奈良で食べるとほっぺが落ちそうなほどおいしかった。おみやげに持って帰りたいが生ものなのがちょっと残念だ。それなりにクラスのみんなとわいわいと食事をしたあとお風呂に入り、布団の敷かれた大部屋でみなそれぞれ寛ぎだす。そこで、クラスのまとめ役的な女子が声をあげた。


「そろそろプレゼント交換会、いっちゃう〜?」

「「「いえーーーい!」」」


 呼応するように部屋中がどっと声をあげる。みんなはカバンをごそごそとあさりだし、大なり小なり様々な装いのプレゼントを取り出す。プレゼントのないわたしはみんなの邪魔にならないようにそっと部屋の隅へ避難した。しかし、みんなから集め終わったプレゼントの数を数え終わった交換会の企画者がわたしに声をかけてきた。


「誰かが2個持ってきたのかな? あなたの分もプレゼントあるよ! 参加しなよ!」

「え?」


 彼女はすっとんきょうな声あげるわたしをものともせず手を引っぱって、わたしたちはみんなの輪の中に加わる。少しおのおの話したあと軽快な歌と共にプレゼント交換会は始まった。ひととおり回し終わると、たしかにプレゼントは人数分あったようで、みんなの手にも、わたしの手にもしっかりとプレゼントは行き渡っていた。わたしの手元にきたのは小さな小さな、5cmくらいの小箱。持ってきていないことには変わりないからみんなに軽く謝りながらわたしは部屋の隅に戻り、小箱をあけた。


 部屋の中にもかかわらず、一陣の風がわたしの周りを駆け巡った。そして漂うなんとも例えられない香り。そして耳もとでささやかれるような言葉……。それはわたしの名を呼ぶ母のようであり、わたしを諭す父のようでもあった。ふわふわと空気を漂うような心地を感じてしばし身を委ねていると、気づけばわたしは涙を流していた。これはきっと、彼からの贈り物だ……わたしはそう思った。


「あれ、から箱?」


 企画者の子がわたしの手の小箱を覗き込んで言った。そしてわたしのほうを見てぎょっとする。


「ちょ! 泣くことないじゃーん! まあちょうどよかったんじゃない? ほら、お菓子あげるからさ、元気だしなよ」

「ち、違うよ……。うれしくて」

「え? ……変なの。あ、そうだ、これから枕投げだよ! やろやろ」

「うん」


 わたしは小箱を両手で包んで数秒ほど抱きしめたあと、大事にカバンの中にしまった。なんだかとんでもない徳をいただいた気持ちだった。


 あれから10年。わたしは今仏像彫刻師を目指している。

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