第3話
山手線を降りて階段を降り、早稲田口に向かう。今朝方降った雪がまだ駅の壁際に残っている。十二月だというのに、サークルの新歓でもするのか、大勢の学生がロータリーにたむろしている。
この街の夕暮れは、何故か懐かしく感じる。安っぽいネオン、電光掲示板。夕暮れにやけに映えて街を照らしている。栄通りの入り口ではつまらなそうな客引きが立ち話をしているのが見える。眺めながら喫煙所で一服して歩き出す。
待ち合わせの喫茶店は早稲田通りを少し歩いた方にあった。澄んだ寒さが肌に痛い。早足で人混みを進む。
入店して暫くして、背の高い若い男が近づいてくる。立ち上がり軽く会釈をする。
男は席につくと、ブレンドを注文し煙草に火をつける。木下慶樹の大学の友人だった日下部という男だ。木下良樹とはサークルで知り合った同級生で、カルチャーの嗜好も合い、かなり親密な関係だった。
「来ていただいて、ありがとうございます」
相手の一吸いを確認してから、自分もラークに火をつけた。
「いえ」
初対面の人間とうまく話せないタイプだろうか、指先で薫る紫煙を見つめたままだ。目が合わない。
「木下のことは、あいつが退学したきり、わからないんですけど。それ以前のことであれば…」
「メールでも少し伺いましたが、慶樹さんがサークルで関わった揉め事について聞かせてください」
老婆の店員が日下部のコーヒーを運んでくる。先ほど頼んだ俺のアールグレイは既に机上で冷えている。
「ああ…。あいつが悪いわけじゃないんです、あれは。それにしても何から話せばいいか…」
店内に他に客はいない。老婆の店員は今日の分の領収書を計上しているのか、奥で電卓とにらめっこだ。
「木下は映画や音楽に詳しいし、風貌もイケてるやつだった。まあ、モテてましたね。飲み会の時もあいつは、なんかこう、いつも寂しいそうというか、心此処にあらずって感じで。無口だったのもあって、男の俺でも息を呑まれるくらいの瞬間がありました。ウチは軽音サークルだったし、そういうのが好きな子が多かったのかな」
「二年生の時です。その頃木下には特に仲の良い女の子がいた。俺や木下と同じ二年生で、坂上美佳って子。ほんとに綺麗な子だったから、ライブハウスでのイベントで二人がべったりくっついてても俺は、ああこの二人はいつか付き合うだろうな、お似合いだな、としか思わなかった」
日下部が俺の指先へと視線を落とした。話の途中だというのに、驚いたような顔をして固まっている。「なにか?」
「いえ、貴方のタバコの持ち方。木下の持ち方にそっくりだ。それに左利きだし、銘柄も同じだ」
ふと自分の左手を見る。中指と薬指でタバコを挟むことを言っているのだろう。これは俺もずっと前からの癖だ。それに同じラークを吸っていたらしい。会ったこともない木下慶樹に、くだらない親近感が芽生える。
「奇遇ですね、利き腕もなんて」一応形式的に話題を返す。
脱線してすみませんとはにかみ、カップを仰ぐと日下部は続ける。
「その二人をよく思わない人がいたんです。その時の三年生の、吉岡って先輩。かなり美佳ちゃんに入れ込んでたみたいで、相当その状況が面白くなかったみたいです」
「吉岡省吾ですね」
「あのこと調べてる人だったら、そりゃ知っていますよね。そうです。最初はサークルのみんなも気に留めてなかったんですけど、陰で木下に暴力を振るってるって噂も聞くようになりました。本人に確認しても、気にしてないとか抜かすばっかではぐらかされるし、当時の三年生は頭抱えてましたよ」
「それでも二人はイベントの度にライブハウスの隅で内緒話です。その後の飲み会も。ヒヤヒヤして見てらんなかったですよ。吉岡先輩がみるみる不機嫌になって酒で荒れるってのが日常的な光景になっちゃってるほどで」
店の外はもう暗い。学生達が複数人で店を横切る。楽器ケースを背負った女の子が赤いスニーカーを履いている。また雪が降りそうな雲が流れて散る。
ふと顔を戻すと、初めて日下部と目があった。
「そういえば、美佳ちゃんはあなたそっくりでした。双子って言われても、信じちゃうぐらいに」
思惑 緒方紘雪 @ogata_hiroyuki
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