第2話
「あいつはねー。掴めないやつだったな」
九段下は桜の名所だ。今日もかなりの花見客で駅が混雑していた。もっとも、桜なんて五分眺めて二、三枚写真を撮れば満足して去るという若人ばかりだが。
東西線の改札から一番近い出口を上り、待ち合わせの喫茶に入ると、新村は既に来ていた。
「うちのバイト、夜勤だから金稼げるけどさ、一応肉体労働だし環境は悪いし辞めてくやつ多いのよ。木下くんはまあ不満漏らしたり、文句も言わなかったけど、その分何考えてるかわっかんなくてさあ」
「木下さんはどれくらいの頻度でアルバイトに?」
「ほぼ毎日だよ。うちの現場管理だった下村さんも、学業の方は大丈夫なんかって、聞いてたくらい」
新村和久は木下慶樹が働いていた地下鉄の測量会社の元社員だ。今は建設会社に移っている。年齢は五十を過ぎたあたりだろうか。肌は黒くしわが深い。今は対面して座っているから目立たないが、背丈はかなり小さい方だ。広い店でもないのに、席で立ち上がって手を振っていた新村を見つけるのに手間取ったほどだ。以前の会社が倒産していたので、連絡先を調べるのにも苦労した。今日は一時間の拘束時間に謝礼も払っている。
「学生にしては稼いでいたんですね。何か使い道などはご存知でしたか」
新村はショートホープに火をつけ、煙を吐き出しながら喉を鳴らした。
「かなり貯めてたらしいよ。同世代の学生なんかは給料日のたびにやれ服買っただのやれ女とホテルだの抜かしてたがね。それであいつが印象に残ってるんだな」
何に使う気だったかは知らんがね、と付け加え、
「でも、そういやな。あの日の一週間くらい前かなあ」
窓から見える路傍の人々。見られているとは気づかない。交差点の信号が青に変わり、また忙しそうに下を見ながら歩き去る。俺もまた、朝起きてからこの店に入るまでは−
「やっと貯まったんだって。やっとできるって。柄にもなくまわりの同僚に話しかけててよ。泣いてやがんだよな。あれはビックリしちまったな」
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