思惑

緒方紘雪

第1話

 それは白波にも見えた。

 このテラスからは海が一望できる。沖の方にヨットがぽつんと漂っている。向かっているのか、戻っているのかはわからない。

「それじゃ、始めさせてもらうけど」

 彼女は白いワンピース。いつまでも目に慣れない。この日差しの中で輪郭が曖昧にぼけている。ここのテラスデッキの白い塗装の上では尚更だ。

 それにしても暑い。まだ午前十時を回ったばかりだが、日陰のこの席でもシャツが汗でぺっとりと肌にくっつく。

「五年前のあの事件のことだけど。奈津美ちゃんはその場にいたのかな?」

 わずかに沈黙。

「いました。」

「その時は何故東京に?」

 木下奈津美はなかなか目を合わせてくれない。彼女の細い指を見ていた。人差し指は結露で濡れて砂を帯びている。

「家族で行ってたんです。父と母と私で。兄が、就職の第一志望に受かったからって、お祝いに新宿で食事をすることになっていました」

「ご両親はあの場には居合わせなかったんだろう?」

「丸の内でお昼を食べた後、兄から連絡が来て」

「凄いものを見せてやるから、父さんと母さんには秘密で来い。かな」

 突然内容を言い当てられ、彼女は顔を上げた。明らかに不快感を露わにしている。知っているのなら聞かないで欲しい。あのことについては私に聞かないで欲しい。私には何もわからないのだ。そう言っている。

 日焼けというものを知らないのか、透き通る白い肌はまるで自ずと光を発する恒星のようだ。その美しい容姿には秘めた怒りを讃えながら、背負う砂浜と合わせ一枚のアートワークのようだ。

「そうです。そうメッセージが来たので、ランチの後に東京の友人と会うから、二人で観光しておいて、と言いました。父は心配していましたが、母が大丈夫だろうと」

「そこで君はお兄さんのアパートに向かった」

「兄から下宿先の住所や最寄駅は聞いていたので、山手線に乗って。そこから都電に乗ったかな」

 言いながら髪をかき上げた。長い黒髪は、一体いつから切っていないんだろうか。彼女の首元に長い髪がまとわりついているのが見える。その様だけで色っぽく見てしまうのは男の性か。

「ごめん、暑いよな。何かおかわりもらおうか。それと、店の中はクーラー効いて涼しいだろうし席移動とか」

「いえ」

気がつけば沖のヨットはかなり大きくなっていた。戻ってきたのか。どうやら帆には太陽のイラストが描いてあるようだ。そしてget backと刻んである。独りで海を往くのに、太陽がお供とは心強いな、と思った。

「この席、兄と来た時もよく座りました」

「お気に入りだったんです、お兄ちゃんの」

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