籠1
壊れたのは自分なのだろうか。あるいは世界が間違っていたのだろうか。
僕はこの世界に。人間の定義に疑念を持っていた。
〈キャラクターのコントロールが喪失されました。敗者は『ノーバディ』です〉
アナウンスからきっかり10秒後にプレイヤーがログアウトしたようだ。
僕はモニタールームの扉を開き、トリガーハッピーと呼ばれるキャラクターのもとへ向かう。花火の後のような匂いと、それに混じって嗅いだことのない嫌な匂いが鼻孔を刺激して、僕は眉をひそめた。
モニタールームはコロッセオ壁面を一枚隔てた場所にある。だからと言って、僕はこの黒い箱の外側にいた訳では無い。そもそも、この箱の外は四方全て海に囲まれている。
コロッセオの構造は四つの外郭で囲まれたものだが、外郭自体、コロッセオの大きさに比例してそれなりに厚みがあり、内部に空洞がある。空洞の大きさは5人が腕を広げたくらいの幅で、4辺を一周するドーナツ状の空間だから、全部足し合わせると結構広い。それらは仕切りで区切られ、モニタールームを含めたゲーム運営に必要な機能が備わった部屋が連なっている。
トリガーハッピーの近くまで来ると、血まみれのキャラクターを前に涙をこぼしていることに気付いた。
しかし、それは悲しくて泣いている訳ではない。
キャラクターは悲しくなれない。キャラクターは楽しくなれない。
痛みで脊髄反射的に泣いているのだ。原因は背中につけられた歪な機械。バージェストのせいだ。激しく動くとどうしても負担がかかってしまう。
「もう大丈夫だから。あと少し。痛み止め打つから我慢して」
「うん……」
機械と体のつなぎ目に注射器を押し付けてボタンを押す。これは医療行為だと自分に言い聞かせながら、暴力行為に掠るような行動に固まりそうになる指を無理矢理動かすと、圧縮された空気が抜けるような音がして薬剤が注入されると、眠くなったらしい。途端にぼんやりとした表情になった。
……僕はここに来てからずっと、夢を見ているような気分だ。
この中にいると、コロッセがまるで架空のもののように思える時がある。でも、コロッセオは現実に存在している。外にいた頃は海岸線に並ぶ黒い箱をよく目にしたし、日常の風景として見ていた。不思議なことに、中に居る時の方が現実味が薄れてしまう。
ここに来てからどれくらい経っただろうか。不安になって時計を何度も見てしまう事が癖になった。
コロッセオは紛れもない現実だ。ゲームではあっても、バーチャルではない。
僕は社会秩序を乱す言論をした廉で、数日ほど前にここへ送られた。この『
外にいた頃はここをコロッセオと呼んでいたが、ここの囚人たちはコロッセオではなく『
籠そのものの登場は僕が捕らえられてから更に半年前だ。
なんの前触れもなく海中から浮上したこの箱は、僕ら人類にゲームという形で
不気味で正体不明な黒い箱からの話を鵜呑みにするほど人類は愚かでは無い。
しかし、その甘言に耳を塞ぎ、目を覆って見て見ぬふりをすることは出来なかった。
拒死を得て死ななくなった僕たちは『ある問題』を抱えていたからだ。
記憶を消してやり直したい。もう一度初心で楽しみたい。なんであれ、そんなことを考えたことは無いだろうか?
しかし、それが人生全てを対象にしたものだったら?
今までの全ての記憶を失ってしまったら?
その答えを僕たちは嫌というほどに、知っている。
生きる目的を失う程に興味が尽き果てると、拒死によってそのストレスが命に関わる有害だと判断されてしまう。拒死はそれを解消しようとする。そうして、自らの記憶を全て消し去ってしまうのだ。
その結末が、自己を失い人形のように動けなくなる状態。無敵のように思える不死の人間たちの問題。
通称『リビングデッド症候群』。
回復する手立てはない。ただ、そこに在り続けるだけの存在になる。これは僕ら人類にとっての、新しい最期とも言えるだろう。これが他人事ならまだ良いが、他人ごとにならない理由がある。
リビングデッド症候群の発症者が増えると、単純に
だから、降って湧いた籠という存在がもたらすゲームを、僕ら人間は受け入れた。勿論、最初は戸惑ったし、葛藤もあった。しかし、状況が状況なだけに、悩んだのは籠が海中から現れてたったの2週間くらいだった。
籠は僕達の国の偉い人達を何人か招待したあげく、自己紹介をしたらしい。それから1週間、上の方でごたごたと無駄な会議を繰り返した。それから3日間で安全調査を済ませ、残りの4日で貪欲な僕達の日常へ食われた。
この辺りの海に粒々と浮かぶ籠は残らず全て、普遍に沈み込んで埋もれた。
「ねぇ……トウ」
僕の名前は
「なに?」
「あのねトウ……。トウは私のこと怖い?」
「どうして?」
「……トウが私を見る目がそうだった」
「いや……、怖くないよ。コウは怖くない」
コウがゲームに使われたのは今日が初めてだ。勿論、モニタールームで戦う姿を見ていた。
だからといって、僕はコウの姿を恐れていない。僕は人間で、拒死で、砲弾で撃たれようが、鋼鉄で殴られようがなんともないからだ。
でも、コウを通して見える人間には怯えている。僕は、人間が怖い。
人は拒死によって、終わりを持たず死を得られない。だから、寿命を持って命を落とす彼女達は価値を生み出せる。
この社会では人権規定法によって寿命を持たないものだけが人間とされている。法律上でも、実際のところも、彼女は人間ではなく、人権を有していない。彼女達は命に限りが有るゆえに人間として扱われず、コンテンツの一部として消費される運命にある。
僕達は僕達たちの為にキャラクターを消費することで、今の社会は成立している。
「おい、トウ! 早くしてくれ。次の仕事が待ってるんだ」
「すまない。今移動させる」
自分が出てきたモニタールームの方から大きい声が聞こえる。この籠に囚役しているもう一人の囚人だ。籠一つにつき、二人の囚人が囚役するのがルールだ。
囚人が居るのは特別なキャラクターの籠のみで、モブのキャラクター『ノーバディ』の籠は空っぽの無人だ。ゲームは籠二つが組み合わさって行われるため、その分仕事が倍になり立て込んでしまう。
まずは、脈の確認だ。ノーバディの首に手を当て、何も動いていない事を確認する。死んでいれば大丈夫だ。
キャラクターは死ぬと、数分で光の粒になって霧散する。飛び散った血や体組織も同時に霧散し、その直後、自動的に再構築されて復活する仕組みだ。ゲームの為の都合の良い存在。それがキャラクターがキャラクターたる所以だろう。
それから、僕はコウを背負った。そうすればコウはバージェストの操作に専念できる。今の寝ぼけた状態だと、途中でコケてしまいそうで心配だ。
「バージェストは動かせるか?」
コウは肯定を示す返事をした。僕が歩き出すと、その後ろをついて歩くように6本の足がぞろぞろと動き出す。かなり重量がある装備なので、彼女自身に動かしてもらうしかない。強力な痛み止めのせいでコウは今にも寝てしまいそうだが、頑張って起きてくれている。
「おい! 遅いぞ……って、またか……」
「そいつは珍しく言葉を覚えてはいるが、人間じゃないんだ。そこまで世話を焼く意味は無い。一人で歩かせればいいんだ」
「……」
無言で目を逸らす僕を見て、
無理もないリアクションだろう。キャラクターに対してこのように振舞う人間は普通居ない。
僕はここに来てからずっと、キャラクターに対して人間の少女のように接していた。理由は自分でも分からない。他のキャラクターと違って、言葉を使えるからだろうか?
「喧嘩なの?」
「……喧嘩かもね」
僕は気を取り直してハンガーへ向かった。他の籠は分からないが、ハンガーの中には大型のクレーンや機械工具が揃っていて、コウの背骨に繋がっている機械、バージェストのメンテナンスが行える。キャラクターは代替が利くが、バージェストはそう簡単にいかないからだろう。
ハンガー内部ではすでに、籠のヘルプ機能である『ピトス』が浮かんでいた。
ピトスは籠のことでの質問の回答や、囚人のすべきことを補助する機能で、
バージェストをクレーンで釣り上げ、コウとの接続を外すと、僕はピトスに指示を出した。
「ピトス。コウ……トリガーハッピーのステータスを出力」
「はい。ピトスが指示を承りました」
そもそも、どの籠のキャラクターも、装備以外全て見た目が同じであることも気になる。どういう関連があるのだろうか。一度、ピトスに尋ねたことが有ったが、教えてくれなかった。
「バージェスト接続部の内出血に加え、全身に軽度の擦過傷。それ以外の大きな損傷は有りません」
「ピトス。治療を開始」
「かしこまりました。治療時間は約1時間です」
設定をすませてコウの方を振り向くと小さな寝息をたてながら眠っていた。ゲームの疲れに加えて痛み止めのせいで眠気はピークだったのだろう。
眠るという行為はキャラクターのような人間以外の生物が行うもので、意識が一時的に無くなって動けなくなってしまう。不気味な行動だが、眠っている時のコウの表情は非常に穏やかで、僕は少し睡眠に憧れた。
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