コロッセオ1

 今日も『棺桶』の暗い洞を前にすると、自分がこの『ゲーム』にのめり込んでいることを責める声が聞こえる。暗がりの向こうから私の声で囁いてくる。そして、その声は抜けない棘を刺していくのだ。

 気になって触るけど棘は見当たらない。けど、チクチクと主張する。


 私は絵を描くべきなのだろう。

 それが本当にやりたいことなんだから。だけど、そういう正論を詭弁の棒で叩いて、箱の中に押し込んで、蓋をする。

 私は自分にとって都合の悪いことを考えてしまう時は、大抵別のことを考えるようにしている。

 精神衛生上は健全なのだが、現実には不健全だ。それを知ってもなお、私は現実に目を背ける。


 今日はこの世界の成り立ちを思い返そう。私は私に語り掛けて、内側にあるブロードキャストをかき消す。

 世界は退屈で欠伸がでるくらい平和だ。少し前までは人同士が互いの存在を消すために労力を割いていた。なんて、上の人間たちは言うけども、つまらない作り話としか思えない。


 人が死ななくなってからどれくらい時間が経ったのだろうか。


 時間を確認する人間はこの世界では稀有だ。特殊な立場や職種などで、必要に駆られない限り時計を見ることは無いだろう。


 その昔、人々は時間に縛られていたらしい。もちろん、縛られていたなんて比喩で、『時間が紐のような形状で蠢き、体に纏わりついていた』なんてファンタジーが起こっていた訳ではない。でも、それに近い状況が起きていた。地球の自転周期から生まれた時間は、原子核の発振回数によって厳格に定められ、電波に乗って宙を漂っていた。それを、一人一人が持っている端末で掬い上げ、最終的には針の運行や数字の変化に変わる。

 それに従って彼らは行動し、集団としてのタイミングを合わせたり、果ては価値の絶対的なモノサシとさえしていたそうだ。


 さて、私が『その昔』と言った理由は知っての通りだ。それらの『常識』だったものが、人類学の教科書に載るデータ。つまり、過去の出来事として残っているからだ。昔話は『その昔』から始まるわけだ。


 問い。『常識』とは、何だろうか?


 答え。その時代の文脈と利便性、そして集団ヒステリーによって成り立つものである。

 時間はその最たる例だろう。


 風化したのは時間だけではない。死ななくなったのなら。当然のように命の価値も消える。

 とはいっても、命そのものが消えたわけじゃない。むしろ、命は無尽蔵に存在し続けるものとなった。そうして意味を無くしたのだ。まあ、砂漠を埋め尽くす砂粒一つ一つに値段を付けることが出来る稀有な人間が居るのなら話は別だ。でも、私はそんな人間に出会ったことが無い。

 命は誰にとっても平等で、無限で、意味が無い。命を懸けた行為はすべて茶番であって、蓼食う虫も犬も食わない。

 そんな今の状況をもたらしたのは、『天使』と呼ばれる存在だと記録されている。天使は突如として世界に現れ、全ての人類を死ねない『拒死』に変えてしまった。


 ここが面白い所なのだが、拒死を与えたのは人間に対してだけで、その他の動物には与えられなかった。ノアの箱舟は理不尽にも思えて、平等だったのかもしれない。この事実に激怒した人間もいたらしい。かつては人間以外にも千差万別、あらゆる動物がありふれていて、現在のように博物館に少数、飼育保存されている訳では無かったからだ。動物は身近なもので、愛すべき隣人であって、だから特別な権利を主張する人もいたそうだ。


 あぁ、いけない。話が逸れてしまった。元に戻そう。


 はてさて、拒死になった人間は、怪我も、病気も、寿命も奪われてしまった。ついでに、他人を傷つけることに対する嫌悪感を植え付けられた。

 そうして、残されたのは停滞と平和だけ。


 そう。

 『停滞』と『平和』だ。


 ある日突然、平和を強制された人類は当然戸惑った。


 表向きには戦争反対を掲げていた国は、今まで積み上げてきた平和を目的とする軍事技術の理由と捌け口を失い。苦しい圧政からの脱却や、自らの信じるものを守るために、暴力を実行していた人々は自分たちの意志を表示する術を失った。

 勿論、争いが良くないことは大多数が理解していただろう。特に、その力が自分に向いている人達は強く願っていた筈だ。『戦争なんてろくでもないものが、無くなってしまえばいい』と。

 しかし、そんな善意の祈りは人類の発展に逆らう方向を向いていた。停滞へと向かって前進していたとも言える。

 事実、様々な技術革新は軍事技術の発展に他ならない。私たちは、血で汚れた子供たちを善であると無関心に受け入れてきた。しかし、技術の善悪は我々の主観によるイメージであって、実際のところそのどちらでも無いのだと思う。要は使い方なのだ。


 またもや、話が逸れた。これは現実逃避の思考であって、話が逸れる事こそが目的なんだけれど。

 つまり、発展とは生死が掛かった競争によって強制されない限り、大きく前進することは無いのだ。生存競争。それは拒死によって失ったものだ。

 懸命に生きる必要が無くなった人類は怠惰に存在し続けることになり、停滞を甘受した。


 勿論、怠惰だからとはいえ、何もしていない訳ではない。何かをしなければ死んだも同然だ。

 足踏みを続ける私達は、一体何をしているのだろうか?

 その答の一つが、いつの間にか私の目の前に広がっていた。




――ワァァァー!


 大歓声が鳴り響くこのスタジアムの名前は『コロッセオ』。

 私はこのコロッセに『棺桶』と呼ばれる端末を通して入り込む。

 そうして私はゲームをするのだ。


 そう、これはゲーム。盛大な暇つぶしだ。


 既に勝敗は決していた。私は対戦相手の近くへ歩み寄る。


 移動しながら、私は私ではない存在の目を通して、壁に囲まれた世界を観察する。

 コロッセオの機能は名前の通り、古代に存在したアンフィテアトルムと変わらないが、外観は大きく変わっていた。

 磨き上げた本黒檀のように黒いFCM(フラハイド複合材)の四角い外郭に囲まれた空間。その中には壁とは対照的に、サラサラとした白い砂が一面に敷き詰められている。下を向かない限り目に入る黒い鏡のような壁面を除けば、頭上に見える青い空と合わせて海岸の風景に見えるだろう。今日も雲一つない快晴だ。

 長辺1000m、短辺500mに渡って広がる白砂しろすなのカーペットには、壁と同質の素材で出来た四角い障害物がサイズも配置もランダムに乱立し、真上から差し込む陽光に照らされている。大きい障害物だと、今の私をすっぽりと隠してしまえるくらいだ。


 それら障害物の一つに注目すると、30mm口径の砲弾が潰れて張り付いているのが分かるだろう。その周囲には金色に光る薬莢がゴロゴロと散らばっている。いまだに漂う硝煙は煙というよりは狼煙のようで、先程まで激しい銃撃があったことを物語っていた。

 私も仕組みは分からないのだが、壁面全体から観客の声が鳴り響き、スタジアム全体を振動させんばかりに反響していた。声は膨大な量の熱狂を煮詰めたようにドロドロしていて、私の耳から入り込んではとめどなくアドレナリンを分泌させる。そのせいで、心臓は高鳴りを続け、頬は上気していた。


 観察を止め、足を止め、視点を近くの障害物に向けると、平滑で鏡のような側面に普段の自分とは違う、異質な姿が反射で映り込んだ。

 小さな裸足。裾を千切った、白い病衣のようなワンピース。張り付いた笑み。緑の虹彩。短い白髪。そして、Burgestバージェストと刻印された背中に突き刺さる華美な金属細工のアーチと、それに連なる甲殻類を思わせる大きな6本の脚。特に目立つのは脚と同様にアーチへ連結された大型の円筒形弾倉と、頭上に掲げられたガトリング砲だ。


 このゲームは、プレイヤーが操作するキャラクター同士が戦うことによって行われる。

 視点を足元へ移すと対戦相手が見えた。金属部分と瞳の色以外、私と瓜二つの姿が横たわっていた。これはゲームだから、目の前に居るのもキャラクターで、プレイヤーはその中身だ。

 相手の黒い瞳は焦点が定まらず、虚空を見つめていた。腹部の銃創からは酷く出血しており、白砂を赤く染めている。


 既に勝敗は決していた。だけど、HPと時間が無くなるまでゲームは終わらない。


「さて。どこから千切ればいいのかなぁ? あはははっ」


 私は初めて操作するキャラクターに舞い上がっていた。自身のコントロールを見失っていた。

 額に軽度の裂傷。そこから鮮血を流しながら、足元のキャラクターの片腕を機械の足で踏みつける。さっき踏み砕いたナイフよりも鈍い音がした。

 踏みつけている腕は左腕しかありえない。既に右腕は千切れ失われているからだ。右腕の付け根は流血を止めるため、衣服を裂いて作った即席の紐で乱雑に縛り上げた。こうすれば死に難くなることを私は知っている。

 勿論、片腕で紐を結ぶのは困難だ。この紐を結んだのは上に立つキャラクター。つまり私に他ならない。


 私は『ネームド』だ。

 『ハッピートリガー』。

 そう呼ばれている。


 その名の由来は、今も頭上で鎌首をもたげているガトリングなのだろうと容易に想像がつく。このガトリングは、かつては争いを目的とした航空機に搭載されていたもので、復讐者を意味する名前が付けられていた。今の社会で復讐なんて言葉は存在しえない。復讐者が存在し得るのは、感情のセーフティが外されたこのコロッセオというゲームの中だけだ。

 その2mを超えるガトリングの砲口は、垂直に深々と傅いていて下を向いていた。その先には血まみれのキャラクターがいた。


 痛みで気絶から目覚めた相手の目に映ったのはまず砲口だった。次いで左手を踏みつぶす嫌な音を立てる武骨な脚と、その向こうにある抜ける様な空。

 そして、手を伸ばした私と目が合う。私は恍惚とした表情でキャラクターの欠損した腕を指でぐちゃぐちゃと撫でていた。私は私を模した存在の中身に心惹かれていた。生まれて初めて粘土に触れたような感覚がして、繰り返し捏ねる。

 たまらず『名も無いキャラクター』は枯れた喉で叫んだ。


「あああぁぁ……!!」


 私はその歪んだ頬を血で汚れた指で包み、自分の方を向かせて質問をした。

「ねぇ選んで。次はどこが良いの? 左腕? 右足? 左足? あぁ……、頭はダメだよ。つまんないから」

 青ざめた顔で荒い息を吐きながら、私の背後の砲口を見るばかりで答えない。きっと、酷く耳障りな幻聴が響き続けていることだろう。私では無くなったハッピートリガーはその表情を愛おしく眺め、手を離した。

「じゃあ、代わりに私が選んであげる。次は……右足ね」

 ハッピートリガーは手に付いた血で右足にバツ印を書いてから離れる。ハッピートリガーの意志に反応してガトリングが細かく照準を調整するように動く。それから、7本の砲身が回転を始めると同時に、苛烈な砲口炎が陽の光よりも眩しく周囲を一瞬照らした。血しぶきと砂が一緒に巻き上がり、ハッピートリガーの体を汚すが気にならない。銃声の中の悲鳴を想像しながら私は頬を緩めた。きっとこの音は、どの世界の音よりも本物なんだ。


「んふふっ。どうかな~……うん? あー……失敗だ……」


 右足は縦断した複数個所の銃創によって見事に千切れていた。それは目論見通りだったのだが、相手のキャラクターは事切れていた。おそらくショック死だろう。なにぶん初めてだったから、加減が分からず失敗してしまった。


〈キャラクターのコントロールが喪失されました。敗者は『ノーバディ031』です〉


 ひと際大きい歓声に包まれながらも私の表情は浮かない。ガトリングでの四肢切断が2回で終わったからだ。これではゲームとして華が無い。がっかりしているうちに、アナウンスからきっかり10秒後。体が引き戻されるような感覚が始まった。ゲームの終了だ。




 ――目覚めると私は棺桶の中に横たわっていた。現実に戻ってきたのだ。

 ここで眠る時は最高の気分で、目覚めるときは最低だ。私のように死を求める人間は同じ気持ちになるのだろう。縁に手をかけて体を起こすと遠くに立っていたオペレーターの姿が見えた。オペレーターは古典的な給仕服を着ていた。私はそれを冷ややかな目で見る。


「本日はご利用ありがとうございました。私、お客様の見事なガトリング捌き感動致しました」

「……どうも」


 死のない世界は退屈で。だからと言って、私の唯一の夢である絵は評価されない。

 だから私はこのゲームに興じる。そうしてのめり込むようにゲームを続けた私はいつの間にかネームドと呼ばれる域に到達していた。

 誰もが最初は、名も無きキャラクター『ノーバディ』としてゲームに参加する。そして、成績上位者。つまりはネームドになると強力なキャラクターが割り当てられる。ネームドのキャラクターには固有の名前があり、キャラクターの名前はそのまま、ネームドの呼び名となる。

 今日はネームドであり、トリガーハッピーとしての記念すべき初戦だった。


 そそくさと棺桶から這い出ると、入った時と変わらない清潔感の溢れる白い部屋が広がっていた。部屋の中には黒い棺桶とオペレーターと私しかない。殺風景だが、単に棺桶を管理する施設だからこれで良いのだろう。

 オペレーターはこちらに嘘くさい笑顔を向けている。私は顔を逸らしてこの部屋唯一の出入り口へフラフラと向かう。

 扉を開けて短い通路を通り、もう一枚扉を開けると外へ出た。今日も当たり前のように快晴で、真昼の日差しの眩しさに目がくらんで手をかざす。指の隙間から覗いた高い空は、コロッセオで見た空と同じ色をしていた。海が間近にあるここは波の音と、潮の匂いがする。それもコロッセオと同じ。


 違いは何だろうか。現実よりも虚構の方がリアルに感じるのは、私の気のせいだろうか。


 この施設は黒い棺桶と呼ばれる、コロッセオへのアクセス端末と、それを管理するオペレーターしかない。ゲームの舞台であるコロッセオは遠く向こうにある。私はさっきまでのゲームを思い返しながら目を瞑り、想いを馳せた。生と死で満たされた箱は私の理想だ。

 ゆっくりと目を開いて、右側を横目で見ると、陽炎とセミの鳴き声の中に長蛇の列が出来ていた。皆、プレイヤーとして参加するべく並んでいる。私のようにネームドになれれば専用の棺桶が準備されるのだが、スコアが低い『ノーバディ』達は共有の棺桶が空くまで待たなければならない。ボーっと立っていたから目立ったのか、行列の中の何人かがこちらを見ているようだ。彼らの視線から逃れるように、私は俯いて目を伏せ足早に立ち去る。


 私は彼らの目を見るのが苦手だ。死なないくせに死んでいる目を見るのが苦手だ。


 私は、こんな世界では鏡も見たくない。

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