第18話 隻腕のラドナ
冒険都市アロンティアは堅牢な城壁に囲まれた都市だ。わざわざ城壁で囲んだのだから、その中はほぼ隙間無く施設が建ち並んでいる。冒険者ギルドに程近い一等地には4、5階はあろう高層建築も見受けられた。
その片隅、城壁沿いの未開発地区にリッテの住むスラムはあった。
人口の増加に合わせて、城壁は拡張されることがある。しかし、そもそも城壁を拡張したにしても、城壁沿いというのは中心地から遠いため人気がない。新しい産業を打ち立てるなど大規模に開発しなければ賑わわないため、開発が始まるまで長い期間を要する。その開発までに空いた時間を狙って住居を持たない貧困層が集まり、『ウォールサイド・スラム』が成立してあちこちに点在しているらしい。
石造りの住居と石畳の街路が隙間無く敷き詰められた市街を抜けて、土が露出した未開の一帯を抜けると、リッテの暮らすスラムが見えてくる。木だったりトタンらしき材が色取り取りの乱雑に繋ぎ合わせられて景色は急に統一感を失う。両脇に拾ってきたとおぼしき雑材が寄せられた狭い路地で「少し遅くなった」とリッテは足早に急ぐ。
辺りはすっかり夕方で、密閉から程遠い粗末な家々からは夕食の香りが漏れていた。
「リッテだー」と小さな子たちが数人駆け寄る。リッテは笑顔で「ただいま」と
「ああ、帰ったか」と赤髪の女性が奥から顔を出した。背が高くポニーテールを結った女性がこちらに向き直ると、その異様に思わず目を見張ってしまった。
左腕側の筋肉だけが
その女性は俺たちが目に入ると、眉根をひそめてリッテに尋ねた。
「こいつらは誰だ?」
リッテはおずおずとしながら、「私とパーティを組んでくれた、すごくいい人たち」と照れ臭そうに紹介したので、俺たちはペコペコしながら名乗った。
「私と命懸けでパーティを組んでくれた。だからラドナ、優しくして。一緒に今日狩った魔物を鍋にして食べようって誘ったの」
リッテがラドナに諭すように語り掛けると、ラドナはハッとした表情をして、リッテに駆け寄って屈んで顔を近づけた。
「リッテ! パーティを組めたのか! やったな! やったな!」と左腕でリッテの肩を叩く。リッテは「痛いよラドナ」と言いながらも、微笑んで手荒な祝福を受け入れていた。
「マサオミに、チユキか。うちのリッテが世話になった。できるならこれからもリッテとパーティを組んでやってほしい」
ラドナのお願いに、チユキが一歩前に出て答える。
「あたし達もリッテと組めて本当に助けられたの。もちろんリッテとずっとパーティを組みたいと思ってる」と力強く答えた。
「ああ、いい奴とパーティが組めて良かったなあ!」とラドナは豪快に笑いながら、チユキの肩を叩いていた。
チユキはその勢いに苦笑いをしつつも、本当に嬉しそうなラドナの手荒な歓待を決して止めようとはしなかった。
「というわけで、お近づきの印に鍋でもしようって話になったんだ。メインの食材はこいつだ」とラドナに[ハイオーク肉]のカードをかざすと、露骨に変な顔をされる。
「なんだこれは? 札で腹が膨れるのか?」とラドナには当然分からないのだが、新鮮な肉をこの雑然とした路地で広げるわけにもいかず、奥の調理スペースに案内してもらって、カードから出しながら、今日の冒険の
「随分と不思議な奴らと知り合ったんだな」とラドナは総評する。
「しっかしハイオーク鍋とは
「私が材料を切る。切り終わったらラドナが火をお願い」
「ああ、じゃあその間は子供達が身体を拭くのを手伝うか」
リッテとラドナがめいめいの家事に取り掛かろうとする。
「あたしも手伝う!」とチユキはすぐさま割って入った。
「おいおい、チユキもマサオミも客人だ。むさくるしい場所だが、休んでてくれ」とラドナが謙遜するのだが、チユキはそそくさとリッテの隣に行って、具材の準備を手伝い始めた。
こうなれば俺も手伝わないわけにはいかない。まぁじっとしているのも時間を持て余すことだし、せっかくだから手伝うこととしよう。俺はラドナを補助するべく、その傍に向かった。
ラドナは汲んでいた井戸水を温めようとしていた。スラムとなると、清潔な水も貴重なのだろう。しかし風呂の設備はさすがにないにせよ、何かで代用できないものかと辺りを覗うと、人一人がそのまま入りそうな大きな
井戸水に対し火を発生させていた(生活魔法で温めているのだろう)ラドナに尋ねてみた。
「なあ、あの樽は何に使っているんだ?」
「あれは雨季とかに食糧の保存に使っている。今は乾季だから使ってはいないが……」と言うので、樽の中身を覗いてみると、特に傷みも無く上等で手入れの行き届いたものだと見受けられた。これなら俺の思いついた用途に使えそうだ。
「なあラドナ。俺は水と風の【生活魔法】が使える。《ウォッシュ》を試してみないか?」と樽を指しながら提案してみた。ラドナは「何を言っている?」と首を傾げていたが、俺がやってみたいことの全容を耳元でささやくと、「それはいいな!」と声色を変えて、早速作業を切り替え始めた。
俺が『ドリンク・ウォーター』で清潔な水を生成して、ラドナが火の【生活魔法】の《ヒート》により水を40度程のぬるま湯まで温める。そして、それを樽に適量で注いだなら準備完了だ。
一人目の男の子を招き入れて、服を脱がせて樽に入るように促す。現代で言えば中学生くらいの年齢であろうその子が樽に入ると、丁度樽から首先が出るほどの良いサイズ感だった。
「ええーなんでこんなのに入るんだよー、かくれんぼじゃないんだし」と言いながら渋々入ったので、これ以上不平を言う前に早速俺の【生活魔法】の《ウォッシュ》を発動した。
《ウォッシュ》とは【水魔法】と【風魔法】を組み合わせた高次の【生活魔法】であり、トワルデさん
呪文を唱えればあたかも洗濯機が稼動したかのごとく、樽内で水流が発生して、男の子の身体を隅から隅まで余すこと無くお湯が駆け巡った。
「な、なんだこれ! 気持ちいいー!!」と驚きながらも、そのうっとりとした顔を俺は見逃さなかった。身体の各部位をイメージして水流によるもみ洗いを発生させながら、その子をお湯にて洗濯し終えると、俺は手応えを確信したのだった。
スラムの子供達は入浴したかった! さらにその上級オプションであるジェットバスを味わったのなら、気持ち良いに決まっていると!
背丈に応じて石を沈めて首から上が出るように高さ調整しつつ、次から次へと子供達を【生活魔法】製ジェットバスの
適宜お湯を入れ替えながら、総計10名の当スラムの子供達をピカピカにしたところで、リッテから「ラドナ、具材全部切り終わった」と声がかかった。
ラドナが料理用のお湯を沸かす作業に入ったら、しばらくは手を離せないだろう。先にスラム式ジェットバスで汗を流すように促すと、「お、お前は離れて《ウォッシュ》できるのか!?」と不審な目を向けられる。
ああ、児童を相手取っていたし、不慣れなものだから、つい至近距離で《ウォッシュ》を発動させていたが、年頃の裸の女性を至近距離で《ウォッシュ》するのはけしからんことだろう。
そろそろ発動にも慣れてきたことだし、「離れたら効果は薄れるが、慣れたから目を
「入ったぞ、唱えてくれ」とのラドナの声が聞こえたので、《ウォッシュ》の呪文を唱えた。目を開かずに集中して魔法を発動するが、「ん、んん」とか「あ、ああ、いいな」と
こんな状況でラドナの身体の各部位をイメージして、もみ洗いなんてできるわけがない。威力を弱めて、少し強めての加減だけに集中した。そうして、どうにかこうにか時間をやり過ごすことに成功した。
「もういいぞ、気持ちよかった。目は開けるなよ!」との声がしたので、もはや神経が参ったので地に付して時間が過ぎるのを待った。
「着替え終わったぞ、そこまで見ないようにしなくてもいいのだが」とのラドナの呟きに安堵して、やっと顔を上げて、忍耐の時間が終わったのだと大きく息を吐いた。
「ラドナ、何してる?」とリッテとチユキが様子を見に来た。
「ああ、マサオミの生活魔法が便利でな。この樽でお風呂をしてたんだ。お前達もやってもらうといい」と言い残して、ラドナは鍋の加熱のために調理場へと向かっていった。
リッテとチユキも冒険の汗を洗い流したいだろう。
俺は心の無い洗濯マシーンとなることを決意して、追加の二人の『ウォッシュ』作業を開始した。リッテの「くすぐったい、ひゃ」とか、チユキの「ど、どこに水流を、わ、わわ」という声など俺は全く聞いていないぞ。洗濯マシーンに煩悩は無い。だからこの程度、造作も無いことなのだ。
……そんな強がりを突き通せるはずも無く、最後に自分で自分を『ウォッシュ』しながら、途方も無い疲労感に襲われていた。思いつきでやってみたが、もうやりたくないなぁと放心した頭で、風呂ってどうやって作るのかなと考えつつ、大所帯のお風呂タイムは終わったのだった。
あとはハイオーク鍋をみんなで食べることにしよう。
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