第9話 きっとこの旅立ちは驚きを手土産に

 魔法の特訓と言われて気構えていたが、習得自体は簡単なものだった。

 必要なスキルと一定のレベルを有した上で魔法の教本を読めば、たちまちに魔法を使えるようになった。

 使う魔法をイメージしつつ、呪文を唱えるだけだ。

 特に俺の【生活魔法】と言うのは、【水魔法】なら手から水を出す『ドリンク・ウォーター』、【風魔法】ならそよ風を発生させる『ブリーズ』と、前世で家電がしていたことをそのまま魔法にしたような便利魔法である。

 前世の記憶がイメージの形成に役立ったこともあり、トワルデさんも驚くほどにすんなりと習得できた。


 一方のチユキもスムーズなものだった。【回復魔法】と【補助魔法】は本来は【生活魔法】よりも習得難易度が高いらしい。

 しかし、これもイメージができるかどうかなのだ。

 日本人なら誰もが義務教育の理科の授業で人体模型を目にして筋肉と血管をイメージできているし、スポーツを通じてその新陳代謝も分かっている。この世界では解剖学は未発達らしい。魔法で治せてしまうから、医学が発達しないのだ。その差異があるからこそ、俺たちは前世の知識で基礎イメージが格段に発達しているため、飛び級のごとく魔法を操れるようになったのだ。

 もっとも、力加減やタイミングはまだまだ難しい。しかし、一度ひとたび発動できたのなら、そこは実践を通じて身につけられるだろう。


 というわけで、特訓に要したのは1日だけ。この世界に転生した日を含めてたった2晩を数えただけで、俺たちは冒険者デビューするべく教会から旅立つこととなった。


「あなた方が来たら私に取り次ぐようにと、教会の者たちには伝達してあります。もっとも私はあちこちを訪ね歩いているのですれ違うことも多いかもしれませんが、今度会うときには冒険の手ごたえを是非お聴かせ下さい」


 教会前にて、トワルデさんが見送る。俺たちの身の回りの世話をしてくれた数人も一緒に来てくれた。


「何から何までありがとうございます。ご期待に沿えるように頑張ります」


 言葉にすれば月並みだけれど、殊勝な気持ちで見送りに応える。

 トワルデさんには本当にお世話になりっぱなしだ。相応のお返しでもしないと、申し訳が立たない。そう思って昨晩もあーだこーだ考えていた。恩を預けられっぱなしでは寝覚めが悪いのだ。

 トワルデさんは実力も確かだからお金にも権力にも不自由していない。俺たちの世話をしたのだって、その余力故のことだ。さらに言えば聖職者は施しが尊ばれる。物理的にも精神的にも見返りを求めていない。かといって、トワルデさんを個人的に喜ばせることも思い当たらない。この人は聖職者として完全に振る舞う余り、個人としての喜びが見えてこないのだ。社会全体のよろこびに徹していて思うように行動できていないのはありそうだけれど――。

 ああ、そういえば唯一らしからぬ反応をしたことがあった。ワイバーンをソロで倒していると自慢げに語ったときのことだ。元来この人はそういう討伐が好きなのではないだろうか。食料の調達など、部下任せでもいいし、市場で調達しても良いはずなのだ。それを自らやっつけているということは、きっと好きなのだろう。だから、ご期待に沿うというのは、つまりこういう宣言がきっと喜ばれるのだ。


「トワルデさんと一緒にワイバーン狩りをできるくらい、強くなりますね!」


 少年の見かけを利用して、純真に叫んだ。中身は枯れたおっさんなのだけど、らしくなく活発に。

 唐突な発言に、チユキも含めて周りは唖然としていた。これは一種の妄言でもあるだろう。ワイバーンは一流の冒険者が手を組まないと倒せない。随分なハッタリを宣言したものである。


「ふふふふ、あははははは」


 トワルデさんは口に手をやりながら笑っていた。上品な仕草であるけれど、心の笑いが響いているように感じた。


「ええ、そうですね。飛び切りの活躍を聴かせて、私を驚かせてくださいね」

 

 驚き。そうか、トワルデさんは驚きたかったのだ。だから、俺たちと言う稀な事象が飛び込んできたのを好機に、決して小さくない初期投資をしたのだった。ならば俺たちは喜んでトワルデさんの退屈しのぎとなろう。


「はい、きっと驚かせてみせます」


 大きく息を吸って振り返ると、石畳の道が四方に続いている。気持ちの良い青空が広がっている。

 新しい世界に旅立つには、絶好の日和だ。

 冒険都市アロンティア。周囲を堅牢な城壁に囲まれた、魔物の生息地に程近い最前線都市。

 俺とチユキは並んで、冒険の一歩を踏み出す。


 二人並んで歩き出して角を曲がってから、「にしても、さっきトワルデさんとのお別れのとき、頑張ってたね。マサオミらしくない感じがしたけど、どうしたの?」とチユキが不思議そうに問いかける。

 さらに畳み掛けて「もしかして、トワルデさんに気があるの?」と悪戯っぽく問いかけてきた。


「そういうのじゃねーよ」と顔を逸らしたら、余計に照れ隠しのようになってしまった。


「世話になったし、気持ち良く見送ってもらいたかっただけさ。それに――」


 俺が何と言おうかと言い淀むと、「それに?」と目を細めて問いかけられる。ああもう、こいつは絶対に色恋の話題を期待しているな。全然そんな話じゃないのにな。身も心も女子高生であるが故にそういう話題に飢えているのだろうか。 


「少しだけ同じ感じがしたんだ。俺とトワルデさんを比べるのも失礼かもしれないけど、多分退屈していたのは共通していた」


「退屈?」とチユキは首をかしげる。チユキは学生だしバイトしてたし将来もあるし、めまぐるしくて退屈という感覚がピンと来ないよな。


「会社勤めにも慣れて、身の回りのことが一通り落ち着いて自分の手で何でも片付けられるようになって、何も変化のない毎日が続いて、そしてこれからもそれがずっと変わらないとなってくると、退屈を覚えるんだよ。

 もっと若い頃なら新しい趣味とか人間関係を、って思えたかもしれないけど、もう新しいことを始めても結局そのうち飽きてやめての繰り返しだって気づいてくるとな。ただ退屈に毎日をやり過ごすだけになってくるんだ。

 そういう退屈そうで得体の知れない驚きを待っている感じが、トワルデさんからもしたんだ」


 そこまで言うと、「うーん」とチユキは眉をひそめつつ、「けると、そういうものなんだ……」と渋い顔をしていた。

 夢も希望もある若者に、何とも枯れた話をしてしまったという罪悪感が湧いてくる。老けると言われたが、反論できないのもつらいところだ。雰囲気を切り替えたい。


「まぁそういう意味では転生して良かったと思うよ。あのまま緩やかに腐っていくような日々よりも、こうして右も左も分からない異世界の方が、よっぽど面白そうだ」


 上を向いて陽光に目を細めながら、前向きに言い放った。

 

「うんうん、そうだよ。過ぎちゃったカビた話よりも、今日明日美味しいご飯を食べれるかどうかの話をしよう!」


 話題転換にチユキからの賛同も得て、この異世界のバトル考察について取り留めもなく話を続けた。


 それにしてもチユキは話しやすい。喫茶店バイトの経験もあるのだろうが、人柄的な親しみやすさもあるのだろう。

 そして、話す距離が近い。改めて見ると、チユキの容姿は可愛い方に類するのだ。教会ではあまり意識しなかったが、いざ二人で並んで歩いて話していると、多少は意識してしまう。

 クラスで一番となるほど誰もが振り向く派手な美しさはないのだが、パッチリとした目に顔立ちも整っていながら温厚な印象を受けるあたり、隠れファンを手堅く獲得していそうだ。

 別にデートでもないのだけど勝手に意識して久々の浮いた気持ちを味わいながら、もらった地図のメモを頼りに冒険者ギルドへと向かった。

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