第二節 魔王は世界に二人といない
1
じきに夜が明ける。人々の活動が始まる前に、スーラント達は行動を起こす。
正確には、遅刻だと慌てるランドールによって順番に叩き起こされたのだが。スーラントを強引にソファから起き上がらせ、返す足でニアの寝ている部屋へ一直線。何とか覚醒したスーラントが慌てて追いかけるが、時既に遅し。ノックもなく侵入し、妹の毛布を容赦なく引き剥がす。そういうところだぞ。昨晩解消したばかりなのに、誤解を招くような言動をしない方がいい。いや、恐らくわざとやっているな。普段大人しいニアも、これにはさすがに抗議する。
「酷いです! 淑女の部屋に無断で」
「昨日の今日で、間抜けな寝顔をさらして油断しているとはね。強くなるまで何十年かかるやら」
ランドールは勝ち誇った顔で言うと、これ見よがしに笑いながら歩き去る。昨日彼女に泣かされたから、やり返したつもりなのだろう。おっと、見なかった事にしたんだった。怒りに震えるニアの声が、壁を震わせんばかりに響く。
「あにうえぇ~!」
廊下で追いついたニアは、真後ろから腰の辺りへ拳を打ち込んだ。ランドールの体が、なす術もなく軽く吹っ飛ばされる。血が足りないせいで踏ん張り切れず、左脇腹を押さえて倒れ込んだ。そのままぴくりとも動かなくなる。
決まった。爽快な一撃必殺にも関わらず、ニアは不満げに鼻を鳴らした。昨日のように心配する様子もない。スーラントの方がまだ心配している。
「大丈夫か? お兄さん死んでるぞ」
もちろん死んでいない。例え話だ。
「自業自得です」
倒れたままの兄を放置して、頬を膨らませつつリビングへと消えるニア。スーラントはいったん洗面台へ向かった。ランドールを踏まないよう、気をつけながら。無事に日課の意識確認と洗顔を終え、リビングへ戻ってくる途中でまだ倒れているランドールをまた跨ぐ。ニアが三人分の水を並べているところだった。
開け放たれたドアの向こうから、ランドールが這い出してくる。眉間に皺が寄っているのは、怒りからだろうか、痛みからだろうか……なんだかちょっと喜んでいるようにも見える。見なかった事にする事柄が増えてしまった。
「妹よ。傷の表面が塞がってるだけで、兄はまだ重症なんだよ」
「知りません」
「知りませんじゃない」
「知りませーん」
スーラントは日の出前から、兄妹の雑な口喧嘩を聞かされる羽目になった。互いに距離を取っていた頃と比べれば、よかった……のだろうか。多分、よかったのだろう。コップを片手に威嚇し合う二人の間に挟まれながら、スーラントは顔をしかめた。スライムも耳に蓋ができればいいのにな、と思った頃、どちらからともなく突然吹き出した。何故かそのまま笑い出す。距離感どうなってるんだ。もちろんスーラントは妹も兄もいないので、こういったコミュニケーションはした事がない。人間には謎が多い。
ゆっくり朝食を食べる暇はない。出発が明け方なのは時間がないからだが、市中の混乱を避けるためでもあった。善良な市民がいると、ケルベロスが走るには都合が悪い。急いで支度をして、押し合うようにして玄関を飛び出す。それはそれは騒々しいものだったが、カミラは起きてこなかった。あれだけ年老いてしまった事だし、疲れているんだろう。大きさを戻したケルベロスに乗り、急ぎ中央公園を目指した。
少し離れたところで、三人はケルベロスから降りた。真面目な警察関係者に見られるとまずいから、ここからは徒歩で向かう方がいい。ランドールは不良の警察関係者だから大丈夫、などとは本人がいる前で言えない。もちろんケルベロスは、小さくして公園外周の植え込みに隠しておく。ニアと二人で、三つの頭を全部撫でてやるのも忘れない。
「また三人も乗ってごめんなさい。重かったでしょう」
ケルベロスの真ん中の首が、子犬らしい甲高い一声を放った。このくらい全然平気だ、という顔をしている。気がする。
「お留守番お願いしますね、ケルちゃん」
ケルちゃん? やはり聞き間違いではない。ニアは犬の主人に断りなく、勝手に愛称をつけている。なぜスーラントが主人扱いされているのかは不明だとはいえ、一回くらいは相談して欲しかった。自分につけられた名を聞いて、ケルベロスは誇らしげに尾を振りながらまた鳴いた。本犬がその名前を気に入ったなら、それでもいい。この事件が解決したらカッコいい名前をつけてやろう、とか思ってワクワクしていた訳ではない。別にない。
祭りの装飾で飾られている公園内には、物々しい人間が大勢いた。星祭りの飾りで浮かれまくった、樹木やベンチや噴水、そして勇者像の辺りに。謎の道具を持ってうろついたり、数人で話し合ったりしている。彼らは全て警察関係者だ。妙な組み合わせだが、見慣れてしまえば案外似合っている気がしてくる。
単純に眺めているスーラントやニアと違い、ランドールは明確な目的を持って視線を動かしていた。突然彼は、仲間の姿を見つけて大股で走り出す。数秒遅れて気づいた二人は、慌てて追いかけるのだった。
「魔王派過激分子は?」
「妨害されると迷惑なので、全員縛っておきました」
二人が追いついた頃には、ランドールとキトナはすでに会話を始めていた。ロジャーや、ドミニクとローズの姿もある。さすがのローズも、そろそろ安全な猫と理解したようで、長毛の毛皮に乗って休んでいた。
「そこの大型蒸気四輪に詰めてあります」
キトナは雑に指を差す。
「さすがだね、シャイジール警部補」
ランドールはキトナを名前ではなく、名字で呼んだ。仕事中だからだ。
「実際に捕縛したのは、ハーン刑事達ですよ」
話題が出るなり、少し離れた場所で誰かの話を聞いていたハーンが振り返った。律儀に歩み寄って来て、しっかりとした一礼を行う。ランドールはそれに答えた。
「そうだね。ハーンもありがとう」
キトナは刑事ではなく、警部補だったか。エルフの歳はエルフにしか分からないから、キャリアかノンキャリかまでは不明だが。スーラントは情報を更新しておく。
「じゃあ僕はご挨拶をしてくるから。ここで少し、待っていてくれたまえ」
ご挨拶、の部分を強調し、ランドールは言った。現場で本格的に動いた責任者達のところへでも行くのだ。これだけの大人数を、ヒューマン一人では指揮できない。
「なーんか、腹減って来ません? もうちょっと陽が昇ったら、パン屋で何か買ってきますかあ?」
口煩い上司がいなくなったと見るや、ロジャーがぼやく。やる気なく両手を頭の後ろへ組みながら。
「パン屋の看板娘のリサちゃん、めちゃくちゃ可愛いんすよ。あっ、もちろんパンもめちゃくちゃウマいんですけど」
「君は本当に女性の話しかしないな。ナタリーちゃんはどうした」
「ナタリーちゃんとは終わってるっす。リサちゃんがいるのは別のパン屋っす」
スーラントは呆れ果ててしまう。ハーンとキトナは慣れているようだが、ロジャーは恐らく、多くの女性に迷惑をかけているはずだ。こいつは放っておくしかないと諦めるのも一体どうなのか。
『うわー引くわー』
「猫的には普通の事だが、人間は駄目だな」
妖精や猫すらも分かっているぞ。キトナは肩を竦めた。
「まあ、この人のこういうところが、たまに役に立ったりしますし」
「マジすか先輩。オレ誉められちゃった」
「誉めてません」
「またまた、素直じゃないんだから」
平和な会話をしていると、早足でランドールが戻って来る。のんびり休んでいる暇はないらしい。
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