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「アルテマイシャの行き先は中央公園地下、ですか?」
「そうだ。僕らだって、部隊を中央公園に展開させていたさ。でも、あくまで物理的な盾としての側面が強い。炎や氷を投げてくるならまだしも、空間移動で直接飛ばれたら、ね。現代の技術では防げない」
魔王が討伐されてから久しい現代。強力な結界を張れる魔法使いは、ほぼ消えたと言って差し支えない。魔法使いはかつて、自らの内から沸き立つ魔力と精霊結晶で奇跡を起こした。炎を操り、水を呼んだ。そして現在魔法使いの仕事は、科学者、あるいは技術者の管轄に変わった。
エルフ族でなくても、魔法の才能がなくても、たくさん勉強をすれば誰でもなれる。社会的な壁などはまだまだあるが、理論上はそうだ。仕組みを覚えさえすれば、種族問わず扱える技術に変わった。必要条件つきだが、誰でも受けられる恩恵となった。恩恵には、たいてい弊害がつきものだ。
「この話はまた後で詳しく。夜が開けたら、中央公園に向かおう」
キトナ達と合流するつもりだ。意義はない。スーラントは頷き、話題を次へと移した。
「どうして、私なんかに助けを求めたんだ」
「あの子には、ピンキリだけど味方がたくさんいる。僕には、あまり」
ランドールはソファの背もたれに体を預けると、指で眼鏡の蔓をつついた。上流階級は関係性が複雑怪奇で、そこにしかない大変さが山ほどある。かと言って下流へ行けばいくほど、明日まで生きられるか今日死ぬか分からない世界に近づく。
やはり中間層が安定している。平凡が一番。そう考えてスーラントはモブ顔になったのに、生き方まで普通にはできなかった。目を落とすと、テーブルの木目越しにごく普通の顔が映る。ランドールの話は続く。
「しかもその味方だって、彼女を傀儡にしようと目論む老木とか、スライムやろ……おっと失礼、漆黒の衛生害虫野郎とか、腐ったドラゴンツツキとか、とにかくロクな人間がいないのだよ」
上流階級の人間は、悪口もどことなく上品だ。厳密に言うと、単語の選択や発音が強烈すぎない。東街で長らく暮らしすぎたなと、スーラントは密かに苦笑した。
「おまけに父が今、体調を崩して寝込んでいてね。だから余計、こんな様相になっている」
「初耳だ」
「東街には届いてないだろう。西街辺りで、最近もしかしてそうなんじゃないか? 程度の噂は流れてるらしいけど」
住んでいる身分でこう言っては悪いが、よからぬ事を企む輩は東街にも多い。目立つか目立たないか、今すぐ単純に訴えるか裏でこそこそ仕込むかの違いだけだ。
「これだけ技術が発展したのに、人の心は前史から何も変わっていない。情けないよ。初代が見たらどんな顔をするだろうね」
独白のような問いだった。
「あなたはどう思う?」
無茶振りが飛んでくるとは予想だにしていなかったので、スーラントは固まってしまう。何も言えなかった。初代勇者とは面識がないし、魔王消滅前の記憶もないので答えようがない。しかも、アマルサリアにはまだ三年程度しか住んでいない。ランドールもよく分かっているはずだ。彼は発言を後悔したようで、軽く口元を擦った。そしてすぐに、話題を切り替える。無理やり語調を明るくして。
「ところで、ニアは可愛いし、優しいだろう?」
さも当然とランドールは身を乗り出した。今度は何を言い出すかと思えば、堂々たる兄馬鹿発言だ。首を横に振れない雰囲気だが、スーラントもわざわざ否定する気はなかった。
「しかも世間知らずで、素直すぎる」
「素直なのはいい事では」
「そうなんだよ。あの子は素直だ。僕の想定した以上の速度で、いい心境の変化が現れている」
「東街を知ったから、ですか?」
その通り、ランドールは一度頷いた。次に、温くなった紅茶で口を湿らせる。
「彼女に物を知らないでいて欲しい輩は大勢いるけど、僕はそうは思わない。自分でよく見て、考えて、自分の手足で生きて欲しいんだ。それが強大な力を持つ者の使命だ、と僕は思う」
ランドールのニアへと向ける感情は、はたから見て悪いものではない。ニアの前では気まずそうにしたり、話しかけられないでいたが、それだけだ。魔素を吸いすぎると、酔っ払いに似た妙なテンションになるが。前向きな表現をするなら、情熱的妹愛を包み隠さなくなる。
彼の話からは、影からニアを助けるために奮闘してきた事がうかがえた。憎しみの感情は見えない。ならばなぜ、ニアはランドールに陥れられるのではと考えたのか。スーラントはここ数日疑問だった。ニアが言っていたように、聖剣に選ばれなかった事を本当に恨んでいるのか。むしろニアの方が、やたらと気にしている印象を受ける。話題にした瞬間に豹変するタイプなら厄介だ。そんな事を考えていると、ランドールの方から切り出してくる。
「そうだな、昔話をしようか。僕と妹についての。少し重い話だが、あなたには聞いておいて欲しい」
ランドールは、言葉を選びながらゆっくりと話し出した。
僕が聖剣に選ばれていない事は、あなたももう知っているね。僕は七歳になっても、聖剣を鞘から抜けなかった。それで最初から、聖剣に選ばれていない事が分かった。大人達は凄く残念がっていた。希望は二人目に託された。女の子だったけど、もう少し大きくなったら触らせてみようと。ニアと名づけられたその子は、四歳で聖剣を抜いた。
抜く、というのは鞘から剣身を少しだけ、という意味でだ。彼女は最初に触れた瞬間、簡単に鞘を動かしてみせた。僕がどんなに押しても引いても動かなかったものを、するっと動かしたのだ。
そりゃあ当然、素直に喜んでやれなかったよ。唇から血が出るほど彼女が羨ましかった。実際出たし、涙も出た。ついでに鼻水もね。僕とニアは五歳違いで、喧嘩も嫉妬も、親の取り合いだって、普通激しくはやらない年齢差だ。でも僕は、それどころではなかった。大人達の関心があっさりニアへ移動したから。
僕より先に誉められるニア、僕より先に心配されるニア、僕より先に気を回してもらえるニア。彼女は勇者の素質がある。だから大切にされる。僕は先に産まれたのに、勇者の素質がない。どうやって生きていけばいいんだと悩んだ。だんだんあの子が憎くなっていった。
彼女に冷たく当たるようになった僕を、大人達は叱った。それが何度も続いて、僕は必要とされていないと感じるようになった。彼女がいなくなれば、失ったものが戻ると思い込んだ。本当は何も失ってなんかなかったし、僕が周囲を拒絶していただけだったのにね。それで僕が十二歳の時、ある冬の朝に
「彼女の首を絞めた」
「重いなあ!」
スーラントは思わず叫んだ。少しどころではない重みだった。アースドラゴンも苔散らかして逃げ出すレベルだ。人間の首を絞めたら死んでしまうと、ヒューマンの十三歳なら分かっていたはずだ。勇気を出して話してくれたのは、素直にありがたいのだが。
「彼女は死ななかった、そうですよね」
「もちろん。すぐに使用人が止めてくれたおかげで、僕は真の意味での取り返しのつかない事をせずに済んだ」
「そんな事があったから、お嬢さんも……」
「僕が弱かったせいで、彼女を酷く傷つけた。勇者の家に産まれながら、自分の中の邪悪に支配されてしまっていた。何をしようと自分に勇者の称号はない。でも、だから何だって言うんだ? それに気づいた僕は、体を鍛える事にした。勉強も頑張ろうと思った。黙々と」
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