第三章 ラストダンジョン・タイムアタック
第一節 勇者は世界に二人もいらない
1
スーラントとニアは、勇者像前に辿り着けなかった。公園入り口前の道で、行く手を阻まれたからだ。滑り込んで来たのは、なんと先日のケルベロスだった。馬に乗っている人間ならまだ存在するが、ケルベロスは初めて見る。上に乗っている人間は大体想像がつくし、絶対にマトモな奴ではない。ケルベロスは完全に停止しておらず、落ち着かない様子で足踏みを繰り返す。数度、興奮気味に鼻を鳴らした。上に座っていたのはドミニクだった。彼はこちらの視線が集まった頃合いで、眉をきりりと寄せる。
「説明は後で。乗れ! と一回言ってみたかったのだな」
「えっと、願いが叶ってよかったですね」
ニアが素直に共感する。あの調子だと、いまいち状況が飲み込めていない。スーラントはツッコミどころが多すぎて、無言になってしまう。
「こいつが突然、檻から出せ、としつこく騒いでな。猫が犬に乗って助太刀に来るとは、凄い世の中になったものだ」
ドミニクは片腕を鎖から離すと、親指でケルベロスの背中を指し示しながら言う。彼の足の間には高貴な長毛猫がいて、青く光るものを咥えていた。ローズだった。隙あらば逃げようとするので、捕まえておくのに苦労している。
『うわーんお嬢! 食べられる! あたし食べられちゃうよー!』
「虫を食べる趣味はないと、何度言ったら分かる。妖精は知性体として単純すぎるな」
ドミニクは猫の代わりにため息をついてから、苛立ちを包み隠さず吐き捨てる。
「持っていてくれ勇者殿。操縦するのに気が散る」
言っている最中、猫がドミニクの膝から身を乗り出す。ニアが手を出したのを確認してから妖精を解放すると、そそくさと元の席へ戻って行った。ようやくスーラントが言葉を発する。
「大丈夫なのかこれ」
「我が従僕はこう見えて騎士だった。動物の扱いには慣れている」
冗談ではぐらかされた。ニアの顔が複雑に歪んだ。スーラントのドタバタ無免許運転を思い出したのだろう。しかしこればかりは、仕方がない事なのだ。魔物は市民権を持たないので、蒸気駆動車屋に行けない。しかも車はめちゃくちゃ高い。普通の市民にすら買えないものが、魔物に私有できる訳がなかった。
「乗せてもらおう。ケルベロスに乗るなんて、今の世の中なかなかないぞ」
ドミニクの腕前は分からない。しかしニアには、すぐ乗って貰わないと困る。ハラルから借りたケルベロスだから、乱暴な運転はできないはずだ。ドミニクは危険を省みず独断で、東街から急いで迎えに来た様子だ。問題が発生したら、その時に考えればいい。ニアはしぶしぶ頷いた。
登るのに手を貸してやり、先にニアを乗せる。スーラントが念のため図書館方向を確認すると、上空に炎の影でできた竜が旋回していた。ヨルダだ。彼女は立ち去っていなかった。しかも、なんと口から魔力光線を放った。スーラントは感情のままに、両手を頭に当てて嘆いた。一度も満喫した事がない施設なのに、一生入れなくなったら悲しいに決まっている。
「あああ、人類の叡智があ!」
叫んだ瞬間、魔力光線が弾かれたのが確認できた。人類の叡智が人類自らの手によって守られた瞬間だった。
「ぐずぐずするでない。警察と炎の魔族、どちらに気づかれても面倒だぞ」
そう言えば外には警察の特殊部隊がいる、みたいな事をランドールが言っていた。公共施設は一般住宅以上の魔法、あるいは災害対策がされているし、昔ほど強力ではないが結界も張られている。下には訓練を受けたその手のプロがいる。上からの攻撃は、ある程度無効化できるはずだ。専門職の彼らに任せ、言われた通りさっさとニアを逃がすべきだ。今頃図書館では、アルテマイシャの味方とランドールの味方が乱闘状態になっているだろう。
いや待てよ。スーラントは目を凝らす。黒い服の人間達が数人、こちらへ走って来ていないだろうか。豆粒以下だった姿がだんだん大きくなる。平和な公園に凶悪魔獣ケルベロスがいたら、そりゃあこうなるに決まっている。
「ほらな。見つかったぞ」
「まずい、早く早く」
スーラントは急いで、ニアの後ろへ飛び乗った。ニアが落ち着きなく周囲を見渡したり、捕まるところを探している。どうやら、非日常的体験が続いて興奮しているのだ。失礼と一言断りを入れてから、彼女が落ちないように腕で両脇を固定した。
「わっ、何ですか?」
「少し我慢してくれ」
血縁でもない人間に密着されたくないだろうが、落馬ならぬ落犬するよりマシだ。人間は、自分達が思っているより柔らかいのだ。しかも打ち所が悪いと元に戻らなくなる。不定形生物的には、この辺りが本当に怖い。
後ろの様子を確認したドミニクは、ケルベロスに走れと伝えた。後ろの二人は大きく仰け反って、スーラントが急いで押し返し、何とか体制を立て直す。ここで完全に悟った。
これは駄目だ。安全運転どころではないのは承知していた。だが、はっきり言って犬は犬だ。ドミニクの運転が下手なのではない。ケルベロスの動きが、どうしても獣そのものなのだ。鞍もないし。スーラントは黒い毛をさらに強く握り締めた。
ケルベロスは、取り囲もうとする警察関係者を次から次へと容赦なく威嚇し、振り落とし、縦横無尽に進む。上品な運転手しか知らないお嬢様は、今回もひとたまりもないはずだ。少女の甲高い叫び声を間近に聞く。鼓膜がなくてよかった、などと思っている場合ではない。苦しいほどニアにしがみつかれながら、スーラントは走馬灯のように回転する外の景色を眺めていた。虚ろな目で。中身出そう。
連れて行かれた場所は、ハラル邸ではなく『カトレア』だった。今回も別の道を行かされたが、結果的に辿り着いた。道中訝しむような視線を向けられたりしたものの、誰もツッコミを入れる人間はいなかった。東街では、死にたくなければ妙な光景はスルーが普通だ。
「入ろう。我らは招かれている」
ドミニクが言う。次に彼が触れたのはドアノブではなく、ケルベロスの首だった。その時スーラントは、犬が以前と違う首輪をしているのに気がついた。不思議そうなスーラントを尻目に、ドミニクは慣れた様子で何らかの操作をする。大きな体があっという間に縮んで行き、子犬サイズに戻ってしまう。音も、光りも、ケルベロスが苦しむ様子もなかった。首輪も一緒に縮んだので、もちろん取れたりしない。スーラントはあまりに驚きすぎて、足に纏わりついてきたケルベロスを構ってやる余裕がなかった。
「ほう、そんな機能が?」
「散歩用の首輪だ。昔ハゥラルが、ドワーフの科学者に特注で作らせた物らしい。今貴殿にも操作法を教えてやる」
「人間は何でも作るなあ」
やり方を教えてもらいながら、スーラントは感心する。やり方と言っても、鋲のひとつを特定のテンポで三回押すだけだったが。
「全くだ。発想力にはいつも驚かされる。空を飛び始めるのも、時間の問題だろう」
皮肉を言うような口調で、ドミニクは突飛な冗談を飛ばす。スーラントは苦笑した。だが人間のこういう面は、スーラントも素直に凄いと考えている。人間は単体だと、生物としてあまりに弱い。だが弱いがゆえに、集団で知恵と技術を持ちより、道具を作って自らの助けにする。魔物では基本的に単体能力が高いし、種族を超えて協力し合う性質がほとんどなかった。そこが魔物の弱点でもあるのかもしれない。
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