「確かに全然気づかなかったぜ。パン屋のナタリー嬢と花屋のジェシカ嬢に二股が理由で同時にフラれた後で三日と経たず酒場のミモザ嬢に金注ぎ込んでる、そんなお前がな~~!」

 腰の剣を抜きながら、明らかな八つ当たりをするアルテマイシャだった。

「ちょ、ちょっと! 秘密って言ったじゃないすか!」

 ロジャーが激しく動いた拍子に、ポケットから香水らしき小瓶が落ちた。小瓶は一度跳ねた後、両者の間で割れて砕ける。なすすべもなく見届けるロジャー。スーラントには香水の良し悪しは分からないが、何だか妙な香りだ。本当に身につける用途の液体だろうか。


「お前今何落とした?」

 アルテマイシャから厳しい言葉をかけられ、ロジャーはひきつった笑顔を浮かべる。抜いた剣の切っ先は、ふらついている。仲間を攻撃するのは気が乗らないのだ。

「いやほら、ね。やめましょうよアルテさん。オレ達と署に行って、正直に話しましょ」

 アルテマイシャは動かない。空間転移で逃げる様子すらない。彼の瞳が揺れたのを、ランドールは見逃さなかった。

「無駄だよ。君は図書館ごと囲まれている。あと、ロジャー君が落としたのは香水じゃない。魔封薬だ」



 歯軋りの音がした。

「……もういい。これだから短命種族は!」

 一か八かでか、アルテマイシャは斬りかかって来る。追い詰められた彼は、もはや形振りを構っていられないらしい。本気が出せないスーラントをボコボコにして、無理やりニアを連れ去るつもりだ。スーラントは焦った。まだズボン穿いてない。

「まだズボン穿いてない!」

 だが間に割り込んで来たランドールによって、その一撃は阻まれた。続く二撃目も、三撃目も、ランドールは躊躇いない動きで受け止めていく。こちらを助けようとしたのはフリではなかった。彼は本気だ。

「助かった。ありがとう」

 無事ズボンは穿けた。急いで靴を履きながら、スーラントは礼を言う。

「礼は逃げ切ってから言うんだね」

 なぜランドールが逃がそうとしているのかは、逃げた後で考えるとしよう。大急ぎでベルトだけは締める。シャツのボタンも靴下も手袋も、全部後だ。靴下と手袋をポケット深くに突っ込み、忘れない内にと上着も掴み取る。



「なぜ邪魔をするんです、警部」

 一時的に攻撃の手を止め、アルテマイシャは言った。

「君の正義と僕の正義は、だいぶ違うみたいだからさ」

 返事を聞いたアルテマイシャは、鋭い視線をランドールへと向ける。こちらに顔を向けていないため、ランドールの表情はよく分からない。

「まあ確かに、君の懸念も分かるよ。だけど彼は今のところ大人しいし、自分の立場を理解しきれていないようだ。聖剣を持った妹もついてるからね、まだ大丈夫かなと思って。立場をわきまえたまえ、アルテマイシャ。確保しなければならないのは、君も同じなのだよ。僕の考えだと、」

 長いお喋りの隙をついて、アルテマイシャが大きく動く。進行方向に立ちはだかったランドールは、狭い廊下で器用に剣を振り上げた。

「君が先!」

 同じ形の剣と剣が交わり、いい音が響いた。そのまま長い鍔迫り合いが始まる。二人は互いを押し合いながら、もつれるように廊下を飛び出して行った。



 反対側は行き止まりだ。外へ逃げるには、同じ道を行かなければならない。スーラントはとっさにニアへと手を伸ばした。彼女が手を強く握ってきて、

「あわあ!!」

 スーラントは奇声を上げた。声の大きさは自分でも驚くほどで、ニアが飛び上がるほど体を震わせた。

 しまった、今は手袋をしていない。素手で自分以外の生物を触るのは、何度やっても慣れない。昆虫で例えるなら、両方の触角を無遠慮に握られた感じだ。人間には分からないだろう。美少女と手を繋いでしまって年甲斐もなく慌てふためく成人男性、みたいになってしまった。みたいになってしまったというか、事実そう。全てのスーラントの指が宙に浮いて、さ迷っている。ニアは手を握ったまま硬直している。予想外の反応に、目を丸くしながら。

「大丈夫ですか?」

「だ……大丈夫」

 スーラントは引きつった笑みを浮かべ、握り直した。不安げなニアの手を、何とか引きながらホールへと戻る。あれだけ人がいたのに、今は受付の姿すら消えていた。こうなる前に全員待避させたようだ。別の場所に見えるが、確かに入ってきた図書館に違いなかった。


 スライムの体表面は、人工的な魔素が充満しているのを察知する。香水瓶の中身と同じ匂いだ。確かランドールが、魔法を封じる特殊な液体と言っていた。本は大丈夫なのだろうが、少し居心地が悪い。

 妙な呼吸音が聞こえ傍らを見ると、ニアが服の袖で口元を押さえていた。見るからに息苦しそうだし、時々小さく咳き込んでいる。呼吸器から侵入して意識に作用し、魔法の構築を妨害する系か。昔にそういう効果の薬草があった。詳細は忘れたが、吸いすぎるとまずいのは覚えている。敵も味方も、長期間留まると危険だ。


「その子を頼む!」

 こちらに気づいたランドールが叫ぶ。目標が動き出すと分かった直後、再びアルテマイシャの攻撃が激しくなる。打ち鳴らされる靴底、時に軽く時に重い金属音、翻るコートの裾、手足と共に舞い踊るネクタイ。激しい戦いながら、器用にホール中心に留まり続ける。本棚や本を巻き込まないようにするためだ。しかしスーラントは丁重に扱われる本ではなく、ぷるぷるのスライムだった。あの中へ突っ込んで行ったら、空中野菜乱切りショーの人参みたいになってしまうだろう。怖い。

「だんだん楽しくなってきたねえ~!」

「やべっ、戦闘狂スイッチ入った!」

「ああぁこうなると面倒くせぇんだこの小僧!」

 魔素がキマって来たランドールに、ロジャーとアルテマイシャが乱暴なツッコミを入れる。この体質さえなければよかったのに、とスーラントは失礼にも残念に思った。誰かを救うため、己の恥ずかしい面をさらけ出しても構わないとするその姿勢は、確かに勇者だった。スーラントは彼へ尊敬の眼差しを送ったが、気味の悪い高笑いを始めたので一瞬でやめた。



「早く!」

 なかなかタイミングを掴めない二人に痺れを切らし、ロジャーが間隙を縫って飛び込んで来た。ヒィだの無理だのと情けない声を上げながらも、何とかして道を作ってくれる。チャラ男なかなかやるな。トイレの廊下ではないので、めちゃくちゃいい画になっていた。ランドールはと言うと、時々足元がおぼつかなくなりながらも、アルテマイシャと何とか互角にやりあっている。素面だったら、実は相当強いのではないか。

「兄上、あなたは……」

「ここはお兄ちゃんに任せて先に行け! お前は絶対お兄ちゃんが守る!」

 扉に手をかけたニアが、上手く回らない頭で何かを言いかけ、しかしすぐに遮られた。やっとニアが、ランドールに向かって話しかけたというのに。ランドールの言葉は、ようやくニアへとかけられたというのに。ロジャーが多少の怪我をしながらも、死ぬ気で助け出したというのに。二人の視線が交わらない。兄が妹の方を見ている暇がないのだ。

「ロジャー君の死を無駄にするな!」

「えっオレまだ死んでない」

「そうだぞお嬢さん。ロジャー君の死を無駄にするな!」

 スーラントもノリと勢いで、右にならってニアを急かす。確かに肉体的死だけが死ではない。

「いやオレ死んでないっすよ!?」

「生きてるなら加勢したまえロジャー君!」

 警部と刑事のやりとりを背中で聞きながら、勇者とスライムは離脱した。アルテマイシャが何かを叫ぶ。その声が、あっと言う間に遠ざかる。



 二人は図書館から飛び出した。警察関係の人間達が、突入の機会を窺っている。物々しい装備の人々を通り過ぎながら、ニアが言う。

「もしかして兄上は、悪い人ではなかったんでしょうか?」

「そうかもしれない」

 中央公園へ向かう道すがら、スーラントは上着を何とか羽織った。

「もしかしてアルテマイシャさんは、悪い人だったんでしょうか?」

 器用に手袋を嵌め直しながら、スーラントは同じように答えた。

「……そうかもしれない」


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