スーラントはニアを連れて、リビングに戻って来た。ミルク多めの温かい紅茶を手に、二人は向かい合って座る。必要性がないので、ローズは無理に起こさなかった。

「話ってなんですか?」

「重要な事を、まだ聞いていなかったんだ。いいかな。君は『ランドールに口封じをされそうになった』と言っていたが、何を見た?」

 ニアは数秒間沈黙した。湯気の上る紅茶を啜りながら。思い出したくないというよりは、話す内容を整理しているようだった。スーラントが待っていると、ぽつりぽつりと話しだす。

「一週間くらい前の事だったわ。明らかに怪しい男の人達とお兄様が、連続少女失踪事件について話してたんです。多分あのマフィアの人達ね。猫を乗せていた人もいたから。少女の誘拐とか、お金がどうこうとか言ってた。それから、アルテマイシャに用心しろって」

「それで?」

「わたしはその後、この件についてお兄様に追及したんだけど、」

「いきなり詰め寄っちゃったかあ」

「お前には関係ない。今後一切関わるな。って冷たく言われて」

「そしてある日、偶然例の男達を見つけて、ノリと勢いで後をつけて、まんまと見つかって、車に押し込まれたと」

「ノリと勢いじゃないわよ!」

 ニアは突然身を乗り出したので、スーラントは後ろへ逃れた。うやむやにするべく、すぐに別の質問をぶつける。

「あー、アルテマイシャが、昔凄い魔法使いだったとかは?」

「聞いた事ないです。姉上達と違って自分は産まれつき魔法が使えない、って言ってたわ」

「……そうなの?」

 やはり認識の食い違いがある。人間が見えるものと、魔物が見えるものは違う。人間の感覚と、魔物の感覚が違うように。恐らくはそれが今回もあるのだ。外見をいくら似せても、人間に育てられていても、人間と魔物は違う。時々すっかり失念してしまう。

「怖い事を思い出させて悪いが、そろそろ拐われた時の状況について教えてくれないか? 確か、アルテマイシャが助けてくれたと言っていたな」

「アルテマイシャさんが、車を奪って逃げてくれたんです。でも途中で、追っ手が何とか、と言って車を離れてしまって」

 スーラントはろくに返事をしないまま、すぐに思考の海へ飛び込んだ。彼にとって、あまりに予想外の言葉だったからだ。アルテマイシャは、空間転移で車ごと移動した後で、応援を呼びに行ったと思っていた。空間転移というものは、自分と自分が触れているものしか移動させられない。つまり何かを転移させたければ、自分も一緒に飛ぶ必要がある。


「違う……」

 しかしニアは、アルテマイシャが実際に運転して、東街の裏路地まで逃げて来たと言う。スーラントから見た事実は異なっている。車からは魔素の匂いが……魔法が使われた痕跡があった。ニアが嘘をついていると考えるのは簡単だ。しかし、そんなに単純な問題ではないと考える方が自然だ。勘違いや暴走が多いのは否めないが、彼女は正直なヒューマンだ。出会って数日しか経っていなくても分かる。

「つまり……?」

 ニアに見守られながら、スーラントは考え続ける。自然と声が口から漏れるのも、そのままにして。スーラントはアルテマイシャの魔法をずっと空間転移だと認識していたし、一度も本人から否定されなかった。あの異能は確実に空間転移だ。よくある事だと思っていた。他の人間にどう説明してきたのか、スーラントは知らなかったし、それを本人に聞く発想もなかった。齟齬が発生するまでは。

「何かおかしいと思ったんだよな~!」


 アルテマイシャには、空間転移の能力がある。たったそれだけで、常に監視下に置く必要性が出てくる。彼が行こうと願えば、どこにでも出現できるからだ。だが彼は野放しにされ、今まで第一線の刑事として働き続けている。誰も空間転移について一切触れない。なぜならば。人間達の誰もが、アルテマイシャは産まれつき一切魔法が使えないと思い込んでいるからだ。本人が気をつけていれば気づかれないからだ。

「助手君に質問。空間を渡る魔法はあるか?」

 いきなり突拍子もない話を振られ、ニアはあらかさまに困惑した。かといって、思考の経緯を一から説明するのは気が滅入る。ややこしいから。

「そんな魔法、聞いた事ないわ。時間と空間にだけは絶対干渉できないって、先生が言ってましたよ」

「キトナさんは?」

「キトナさん魔法使えるの?」

「えっ」

「え?」



 なぜならば、本当に気づいていないからだ。ただの人間には、あるいは低級魔物にさえ感知できない深層領域への干渉。魔族が使うような、魔法の中の魔法。高度な禁術。


 人間は魔力が少ないゆえに、昔から物理的な視覚と聴覚に頼りすぎる生物だ。そこに穴が開いていると、頭が勝手に情報を補完してしまう。補完したものを事実だったと勘違いもする。

 しかしどれだけ強力でも、こういった魔法は錯覚と同じだ。一度『真実が何か』を分かってしまえば対処がしやすい。俗に言う初見殺し。大量の炎で圧倒するなどの、往なすのが難しいパワー全振り技とは違う。


 恐らくランドールは、知っているのだ。時や空間に干渉する魔法が、まだ世界に存在するのを。キトナを常時、側に置きたがる事が証明している。そして重要なのが、いちいちアルテマイシャを寄越す目的。今の時点では、こう推測される。


 アルテマイシャに遠出の任務をしつこく与える事で、どう動いているか細かく調べたいのだと思われる。魔法を使っていたとして、単純に捜査のために動いているならよし。もしもよからぬ事に加担していた場合も、この別件で証拠を取るチャンスが産まれ、同時に彼の行動を妨害できる。

 ランドールは、素性が怪しいのが難点のスーラントにニアを預けた。だがニアは、対魔物最強武器の聖剣を持っている。我が身が可愛いスーラントは、頑張ってニアを守る。ついでにニアが一緒にいれば、アルテマイシャも大胆な真似はできない。おまけに、ニアを誰かに押しつければ自分の仕事に専念できる。ワンチャン、スーラントが何か気づくかもしれない。なるほどよくできている。スーラントが一番面倒なポジションである事を除けば。酷い警部だ。仕事しろ。早くヨルダを捕まえてくれ。


 つまりランドールは、アルテマイシャに疑念の目を向けている。ハラル・ギウス達に向けた忠告、アルテマイシャに用心しろ、という言葉から明らかだ。ニアは逆の意味で受け取ってしまったようだが。



 しかしアルテマイシャが犯人だとして、動機が全く不明だし、ここまでする理由が分からない。目的も謎のままだ。東街路地裏での出来事が、ニアを助けるふりして拐おうとしたがスーラントが様子を見に来たので失敗した、と説明できるとしてもだ。

 スーラントの正体が魔物と知っていながら、目の前で何度も空間転移を使っている。しかもそれを否定しない。『スーラントに犯人役を押しつけて終わりにする』事を、強引に中止した理由も謎だ。スーラントの正体が醜い魔物だと明かして、全員食べられてしまったとでも言えばいい。魔物はほとんどの人間にとって、危険で邪悪な存在だ。印象のいい魔物はごく一部いるが、彼らですら正当な市民とは認められていない現状がある。つまり裁判を受ける権利がない。アルテマイシャが言うなら誰もが信じ、お化けスライムの討伐を望むだろう。あまり考えたくないが。


 ハラルがその日、窓の鍵を閉め忘れているのも気になる。彼の自室には、怪しい匂いの痕跡もなかった。さすがに二週間も前では、愛用品でもなければ辿れない。ハラルの自室にある物品は、本人か従者が使う以外にないはずだ。ハラルを脅したのは実はヨルダで、アルテマイシャは捜査しているだけ。あの時はただ助けに来てくれただけ、の可能性もある。

「でも男って言ってたんだよな」



 スーラントは唸った。また質問をしようと顔を上げると、ニアが船を漕いでいた。スーラントの視線に気づいて視線を返そうとしてくれるが、全然定まらない。目蓋が重さに耐えている。マグカップの中身は空っぽだ。暖かい飲み物を飲んで、体が眠気を思い出したのだろう。今日は精神的に大変だったはずだ。いや、今日も、と表現するべきか。親御さんも心配している事だろう。スーラントには子がいないが、ちゃんと分かっている。事件が解決するまで、何とか守り抜かなければ。

「先生、本物の探偵さんみたいね」

「……子どもはもう寝なさい。明日も早いんだ」

「ふふ」

「うふふじゃないよ全く。歩けるか?」

「歩ける」

 ゆっくり廊下に出たニアの、足が、もつれた。転びそうになる体を支えるため、スーラントはとっさに手を伸ばし……すぎてしまった。関節を無視したその形はちょっと不気味だ。彼女は完全に寝ぼけているし、他に誰もいないので大丈夫だったが、肝が冷える。まあスライムに肝とかないのだが。


 ニアは壁に寄りかかって、そのまま動かなくなる。どうにかして自力で部屋に戻ってもらいたい。しばらく静かに応援していると、のろのろと歩き出した。彼女を部屋まで見送った後、スーラントはやれやれとリビングに戻って来る。謎の一部が解決し新たな謎が増えたが、今日のところは眠れそうだ。眠りたい。そう、夢なんか見ずにぐっすり眠りたいのだ。スライムにもそういう時がある。


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