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カミラの言う通りだ。脅迫でも殺人でもないなら、何らかの魔術儀式を計画している可能性はある。生け贄を使用するところなど、いささか前時代的ではあるが。しかし中央公園は、祭の主会場となっている。人の出入りが多い時、犯行計画が進んでいる事になる。不審な動きがあれば、多かれ少なかれ誰かが気がつく。だがそんな気配がない。
なので少女達は、全員地下通路から運び込まれている、とスーラントは考えた。国家機密とあれば、容易には辿り着けない構造になっているはずだ。それこそ上層部の、限られた者にしか分からない通路に違いない。中央公園の地下構造物の噂、『中央に敵がいるらしい』という言葉、この二つが繋がった。少なくともそこまでは、警察も突き止めている。
スーラントには、警察が使えない手があった。幸い地下通路には、低級スライムが多く住んでいる。たいていのスライムは、三時間前の事すら忘れる程度の知能だ。しかし強固で特殊な情報網を持っている。数を当たれば、何かが得られる可能性は残されている。スーラントは、自分がスライムである事を幸運に思った。下水道を調べる必要が出たのは、ちょっと憂鬱だが。
「だとしたら、気に食わねぇな。そんな趣味悪ィ出し物」
ハラル・ギウスは吐き捨てた。ニアだけが、不思議そうな顔をしている。
「オーク族みたいな魔王信仰者や魔物達なら、魔王が復活するのは嬉しいんじゃないですか?」
「外法と魔法は違う。一緒にすんじゃねえ。これだからヒューマンは。あのな、そもそも魔王様ってのは、魔物の王と書く。全ての命の根源で、究極の清い存在だ。強すぎる生命エネルギーは逆に有毒なんだよ。それをお前らが邪悪って」
「あっまた話がそれるぞ」
「邪悪に分類するから変になるんだ。世界には魔法生物が先にいて、次が動物、俺達はその後。世界誕生から今までを一年としたらな、たった一日くらいの出来事なんだぞ」
「誰か止めてください」
スーラントのツッコミも雑になってきた。主に精神疲労のせいだ。
「今の世の中で、古臭い魔術が正常に機能するのか? そんなエグい儀式でマトモな復活するもんかよ。失敗して街が吹き飛んだら、俺達は金儲けもできねぇだろ」
総括、街が吹き飛んだら困る。気持ちは一緒と。よく分かった。安心して協力できそうだ。
「もうやめよハゥラル。その話題で争うのは不毛だ。よく知っているだろう」
呆れたドミニクが強めに言い放つと、ハラル・ギウスの暴走は止まった。ナイス猫。沈黙の中、ケルベロスが夢中でおやつを齧る音だけが響く。
「とりあえず」
スーラントは大きくため息をついて、それからニアの方を見やる。
「今日は帰ろう。念のため、ハラルの部屋を見せてもらってからな」
なんやかんやでスーラント達は、カミラの家に帰宅した。慌ただしく所用を済ませ、時刻は深夜。十二時過ぎのリビングは明かりが消され、静まり返っていた。カミラが仕事をしている別室から、時々小さな音が聞こえてくる。今のところ平和な音だ。ローズは今日も、ニアと一緒に寝ている。彼女はカミラに服を借りるのにも慣れてきた。色んな服を持ってるなあのサキュバス。
スーラントは赤いソファーに寝転んで、一人考え事をしていた。目を閉じても眠れないのは、ソファーが赤いせいではない。赤いせいも少しあるが。
「うーん」
口に出して唸ってみる。何も変わらない。
カミラの家へ帰ったのは、家主とスーラントとニア、ローズだけだ。しれっとついて来ようとしたケルベロスは、ハラルの家に置いてきた。大きくて餌代もかかりそうな魔物を、間借り状態のスーラントは世話してやれない。
今のところは、引き続きハラルに面倒を見て貰うしかなかった。今後ケルベロスを人間にけしかけるのはやめる、と約束させるのを忘れない。なぜって教育によくないからだ。いつか金持ちになって迎えに行くと話すと、一度だけ細い声で鳴いた。ケルベロスはそれ以上、わがままを言わなかった。ケルベロスの件は、とりあえずこれでいいだろう。こんなに懐かれている理由に、心当たりが全然ないが。
「うーーーん」
事件の事を考え始めると、ますます核がキリキリする。擬態を解いて捻れたり平たくなったりしたいのだが、ここでははばかられた。ニアが突然起きてくるかもしれない。巨大な不定形生物が不気味な動きをするのを、深夜のリビングで目撃するハメになる。悲鳴を上げられでもしたら、スーラントはショックで落ち込む。そうなってしまえば大抵、元の関係には戻れなくなるからだ。思考がそれた。
「駄目だ。一人で考えるのも限界がある」
スーラントは一息に起き上がる。軽く頭部を掻いた後で、ニアの部屋、もとい客室へと向かった。彼女には聞いていない事がいくつかある。
「お嬢さん、起きてるか? 少し話がしたいんだが」
人間らしく礼儀正しいノックをして、紳士的な声をかけても音沙汰がない。眠ってしまったのだろうか。スーラントが足下を確認すると、うっすら光が漏れている。
この客室には大きな窓があるが、月明かりにしては光度が高い。眠っているなら明かりは消えているはずだ。消し忘れて寝ている線はないだろう。扉を挟んですぐ向こうに気配がある。こう言っては何だが、ちゃんとニア本人の匂いだ。魔物は鼻で個体識別しがちというか、これは癖だから仕方ない。ドアノブが押さえられている様子はなく、普通に回った。
「入るぞ」
扉の向こうで、彼女は何をしているのだろうか。嫌な予感を抱えつつ、スーラントは扉を盾にしながら足を踏み入れ。
「見ちゃ駄目ー!」
た瞬間に、ニアの叫びと共に平たい物が腹部にぶつかってきた。スーラントは吹っ飛んだ勢いで、壁に背中を打ちつける。危うく平べったくなるところだった。人間は普通、厚みが決まっている。
そろそろ何が起こったか調べなければならない。体の両脇に並ぶ、二本の木の棒。目の前に背もたれ。椅子だ。背もたれの向こうにはニアの後頭部。彼女は椅子の裏側を使い、盾の要領でスーラントを弾き飛ばした。椅子の足で鳩尾を狙って来なかっただけましだろう。
「乱暴だな君は! だがその発想は悪くない!」
「ごめんなさい本能的に」
「本能的に!?」
勇者の本能とやらは、いたいけなスライムではなく悪い魔物に対して発揮してもらいたいものだ。ヨルダとか。
「何しに来たの?」
ニアは恐る恐る、と言った様子で頭を上げる。背もたれの隙間から視線が合った。栗色をした髪の隙間から、アイスブルーの瞳が不安げに揺れている。スーラントはまだまだ子どもだと思っていたが、ニアは女性でもある。普段ヒューマン男性の姿をとる紳士として、深夜に部屋を訪ねるべきではなかったかもしれない。
「今日は満月なのよ」
予想と違う言葉。スーラントが室内へ目を向けると、窓もカーテンも開け放たれていた。窓に見えるは、最高光度で輝く月。何度も寝返りを打った痕跡のあるベッド。枕元で爆睡しているローズ。スーラントと同じく眠れなかった彼女は、満月を見ていたのだ。それがどうして、椅子で攻撃されるのと繋がるか分からないが。
「確かに綺麗な満月だな」
「なんともないの?」
「なんともないが」
「よかった。犬の魔物に凄く好かれてたから、やっぱり狼男なんじゃないかと思って」
あまりの検討違いに、スーラントは肩を落とした。
「だから、私はただのスライムだと言ってるだろう」
「あなたはスライム野郎なんかじゃないわ」
「いやあ……そうじゃなくてね」
超お嬢様も知っている超有名スラング、スライム野郎。どうやら彼女は、まだ真実を教えられていないと思っている。気が抜ける。聞こうとしていた事をさっぱり忘れそうなほどに。もしかしてアルテマイシャも、冗談だと思っていやしないだろうか。スーラントの正体が、本当にスライムだという事を。
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